愛情
「……あの男が、約束を違えるというからだ」
大蔵さんが搾り出すようにそう供述した。彩愛ちゃんが動き出そうとするのを、近くにいた父が止める。彼女の衝動は理解できるけど父が正しい。こんな男に、近づくべきじゃない。
「昨日の夜に連絡があった。自分は死なない、事件を公表する、あいつはそう言った。身勝手な話だ。水島も守島も、命を賭して教祖の命令に従ったのに、直前になって先頭にたっていたあの男が、逃げ出そうとしたんだぞっ! 信じられるかっ!」
思い出していくうちに熱くなった彼は立ち上がり、身振り手振りを使ってそう訴えかけてくる。ただ私を含め、その場にいた全員、しらけた目を彼に向けていた。その怒りには何一つ共感できるところなんてない。
「信じられるね。むしろ、それが自然だから」
「お前にはわからんのだ小娘」
「人殺しの気持ちなんて、わかってたまるか」
私の返答に大蔵さんは奥歯を噛み締め、教祖がはははと声をあげて笑った。両方とも不快だから、話しをすすめることにする。
「立浪さんにそう言われたあなたは、ひとまず話し合うことにした。そしてあの場に出向いた。けど結局、立浪さんを説得できなかった……そういうことかい?」
「あの男はっ、やらなければならないことがあると、そう言ったんだ! 想像できるかっ! 我々は今までずっと、ここに尽くしてきたっ、今回の計画はそれの最たるものだっ! その途中で、事件を公表すると、そう言ったんだぞっ! この協会よりも大切なものがあるとなっ!」
わめき散らす彼を傍目に、昨日の立浪さんとのやりとりを思い出す。なにかを決意したような彼の態度。おそらくだけど、ずっとどこかで揺れ動いていたんだろう。それをただひたすら隠していた。しかし、そのベールを剥ぎとった人間がいた。私なんだけどね。
少し悪いと思っている。こんな結果になってしまったことを本当に後悔している。ただ、ようやく彼という人間に、私は会えたんだろう。
「そして立浪さんを殺害し、いつもどおりメッセージを残したのか……」
「ちょっと待て蓮見。俺のところへあがってきている報告と違うな。江崎のところでは脅迫状は見つかったが、立浪の事件現場にはなかったという話だぞ」
「その通りだよ。ただ脅迫状をおいたことは間違いない。問題はそれが予期せぬことを引き起こしたってことだ」
私は顔を真っ赤にして興奮している大蔵さんに、意地悪で挑発的な笑みを向けた。
「彼を殺害したあなたは当然、他のメンバーにも連絡した。呼びつけたのは桐山さんだ」
死体や現場の処理のことを考えると女性の、いかも高齢の江崎さんを頼るわけにもいかなかったんだろう
「しかし現場をみてみると、あなたがたの予想と反したことがおきた」
「焦らすなよ蓮見。なにがあったか、教えろ」
「簡単だよ。脅迫状が消えたんだ」
大蔵さんの表情が歪む。図星だったようだ。それしかないんだよね。じゃないと、江崎さんの事件と結びつかない。
「あなた方は焦っただろうね。しかし現場を荒らすわけにもいかない、痕跡が残ってしまうからね。探せるとことは探しただろうけど、やはりない。ならどうしようか。もう一通別のものを用意する? いやしかしそうすると、もし最初の脅迫状が見つかったとき、二通発見されることになる。そうなれば脅迫状の偽造が発覚してしまう。どうしようかと考え、実行したのが桐山さんなんだろうね」
私は今度は桐山さんのところへいく。彼は未だに現実が受け入れられないで、俯いたままなにかをぶつぶつとつぶやいて、私のことを見向きもしない。私もそんなことは気にせず喋ることにする。
「脅迫状がなければ、事件はつながらない。ならどうする? 荒業だけど一つ方法がある。同時にもう一件殺人事件を起こすんだ。そしてそこに脅迫状を残す。違和感は残るが、脅迫状はなくても、同時に起こったということで事件は繋がる」
もともと無関係の事件を全部ひっつけていた事件の唯一の頼りだった脅迫状。それがなくなれば、警察が視点を変えて捜査するかもしれない。そうなるのは彼らにとって致命的だ。だからどうしても事件は結び付けなければならない。
そこでもう一つ事件を起こす。同日に起こった事件ということで自然と繋がる。
「桐山さん、あなたは立浪さんの離脱で計画がうまくいかないことを悟った。そこで自分が江崎さんを殺害し、全ての罪をかぶることにした。もしそのまま裁判になれば、死刑だ。教祖の命令通りだね。そしてあとは大蔵さんが頃合いを見計らって責任をとればいい……これで、事件を終わらせるつもりだったんだね?」
なぜ彼がそうしたのか。自分が適任だと考えたんだろう。立浪さんの指示で脅迫状を作っていたのは彼だ。つまり彼はこの架空の連続殺人事件の犯人になれる証拠を持っていたことになる。
そして何より、協会への、いや教祖への献身だ。付き合ってられない。
彼は答えない。こんな馬鹿げた推理に否定さえしないということは、つまりそういうことなんだろう。全く、本当に……馬鹿馬鹿しい。こんな人たちのために、色んな人の人生が振り回されたのかと考えると、怒りさえ湧いてこない。
「立浪さん殺害は大蔵さん、そして江崎さんは桐山さん。事件の主犯は教祖。そして二つの事件は自殺。脅迫状は彩愛ちゃん。――これが、真相だ」
そう断言すると、パチパチと小さな拍手が鳴った。もちろん教祖のもので、彼は小さく笑いながら、本当に愉快そうに私を見ていた。
「見事だ。しかし、最後の謎が残っている」
教祖はそういうと私の元へ足を運ぶ。そして見下ろした。
「立浪の脅迫状はどこへ消えた?」
「それは――」
私が答えようとした時だった。携帯の着信音がホールに響いた。それは父のもので、すぐにでる。しばらくなにかを話しこんだあと、通話を終えた。そして深い溜息をつき、私に視線を向けた。
「お前の言った通りの場所に、脅迫状があった」
「そうか……父上、どこにあったか、この人達に教えてあげてくれ」
彼らの計画を大きく狂わせた立浪さんの脅迫状。私はある一つの予想をたてていた。さっきの真相に気がついたとき、あるとすればそこしかないだろうと。父に確認をとってもらっていた。
父は少し躊躇したあと、その事実を告げた。
「立浪さんの胃の中だ」
父の近くにいた彩愛ちゃんが息を飲み込み、目を大きく見開いた。そして口元へ両手で覆う。
「……立浪さんは自分の命が助からないことを悟って、計画を狂わせることを思いついた。脅迫状が消えれば計画がうまくいかなくなることは彼ならわかってたはずだ。最後に力を振り絞り、折りたたんで飲み込んだんだろうね」
たとえそれが最終的に解剖で見つかるものでも、現場に戻ってきた大蔵さんたちが焦るのはわかっただろうし、警察だってなんで脅迫状を飲み込んだのか疑問にもつ。少しでも現状に違いを出せれば、彼としては良かったんだろう。
まさか大蔵さんたちが江崎さん殺害にはしるとは想像しなかったんだろう。
「見つかった脅迫状には、血文字であることが書かれていたそうだ」
父が言葉を続ける。それは私が予想していなかったことだった。
「犯人の名前でも書かれていたのかい?」
「いいや、ある人へのメッセージだと思われる。宛名はなかったが、こう書かれていたそうだ。……『ごめん。愛している』と」
父の隣で少女の瞳が大きくなる。宛名なんて必要ないだろう。それは立浪さんがなにより残したかったメッセージ。伝えたい人は、一人しかいない。
「ぱ、パパ……」
「彩愛ちゃん。立浪さんはやらなければならないことがあったから、死なないことを選んだそうだ。やらなければならないことっていうのは、君だよ」
「え?」
「君とやり直そうとしたんだよ。君のお父さんは、君に許してもらおうと、君と一緒に生きようと……そうしたんだよ」
ただ娘のもとへ戻るのに最後のけじめをつけなければならなかった。まさか犯罪に犯罪で染めた手で、娘の頭を撫でるわけにはいかないから。だから、彼は自首しようとした。協会より、何より、愛娘を選んだんだ。
「彩愛ちゃん、君は立浪さんに、君のお父さんに――本当に愛されていたんだよ」
彼女の目に大粒の涙がたまり、それが頬をつたって流れていく。嗚咽をもらしながら、それを拭う。横にいたさよちゃんが少し戸惑いながらも彼女の頭を撫でると、せきを切ったように泣きだした。
ホールに一人の少女の泣き声が響く。それは胸の奥に突き刺せるような声で、聞いているだけでむなしく、そして悲しくなった。
どうしてこう、うまくいかないんだろうね。せっかく、わかりあえたっていうのに。
「ふ、ふ、ふざけるなっ! そんな理由で我々を裏切っていうのかっ!」
つんざくような大蔵さんの怒号がその空気をぶちこわした。
「娘だと!? あいつはそんなもののために我々を、協会を、教祖を裏切ったというのかっ! 馬鹿馬鹿しいっ!」
彼がが近くにあったテーブルを何度もばんばんと拳で叩いて、その悔しさを表す。私はそんな彼のところへ歩み寄っていく。静かに、特に何かいうこともなく。そして私が目の前に立つと、まだ怒りが収まらない彼は「なんだ小娘っ」と声を荒げた。
「……あなたが、どんなものを信じていても構わない。そんなものどうでもいい。勝手に死ぬなら、罪を償ったあと、そうすればいいさ。でもね、絶対にね」
彼の胸ぐらを掴んで、そのまま力いっぱい彼の上半身を持ち上げるようにして、勢いのままテーブルに彼の背中をうちつけた。突然のことに彼は言葉を発することも忘れて、目をぱちくりとさせているが、そんなの知らない。
「一人の女の子からたった一人の父親を奪ったことだけは、絶対に許さないっ! 必ず償ってもらうからなっ! 大切な人を亡くしてここに辿り着いたくせに、彼女にそんな苦しみを味あわせたことだけは、死ぬまでずっと償ってもらうからなっ!」
喉がはちきれそうなほどに声をあげて、私はそう怒鳴っていた。大蔵さんはあまりの迫力に黙ってしまい、何か反論しようとはしたが私と目を合わせた瞬間に目を逸らした。
「レイ姉……もういいから。私なら、大丈夫だから」
気づけば彩愛ちゃんが私の側にいて、怒りで我を忘れてる私の服をひっぱてくる。……本当に、強い子だ。見習わないとね。
私は大蔵さんをはなして、今度は教祖に目をやる。
「さて教祖、春川はどこにいる。どうせ、彩愛ちゃんを誘拐して脅迫状の件を隠蔽するつもりだったんだろう。そして信者を使って誘拐しようとした」
おそらく、春川は脅迫状の犯人が彩愛ちゃんと気づいた瞬間、彼女の身が危ないと察したんだろう。だから大慌てて追いかけた。結果としてこういう事態になったわけだけど。
教祖は誤魔化すことも焦らすこともなく、素直にしゃべり出した。
「邪魔が入ったがな。お前の友達には参ったよ。だから少し反省してもらっている」
彼はポケットから鍵束を取り出すと、それを投げてきた。私はそれを片手で受け取る。そして急にあるビルの名前を口に出した。
「ここから走れば五分ほどの場所にある、協会が管理しているビルだ。その地下にお前の友達はいる。早く行ってやったほうがいいぞ」
彼はちらりとホールにかけられた時計をみて、にやりと笑った。
「そろそろ限界だろうからな」
「あなた……春川になにをした」
「なに、ちょっと早いプールだよ」
その言葉に頭に血が一気にのぼり彼に向かって行こうとしたが、また彩愛ちゃんが服を引っ張る。首を左右にふって、そんなことをしてる場合じゃないと視線で訴えかけてきた。
「早くいけ蓮見。じゃないと、お前も大事な者を失うぞ?」
7
水はすでに首元まで迫っていた。彼女は必死で体勢を維持することに集中するが、ときどき波打った水が顔にかかったり、口に入ってきたりするので、集中がもたない。
このままじゃ、あと数分で限界だ。春川がそう覚悟すると同時に、今まで自分が歩んできた人生が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。嫌な感覚だった。まるで死ぬことがきまったみたいだ。
その記憶の中でも特に強く引っかかる、一人の顔。蓮見レイの顔だけが離れない。
結局、喧嘩したまま終わった。春川は大学では多くの友人と出会った。高校時代の失敗を取り返すかのように多くの人と関わったのだから、自然とそうなった。その中でも特に蓮見という存在は特別だった。
自分にあんな下世話な冗談を言ってくるのも、偉そうに説教をしてくるのも、彼女一人だった。
だから、本当に大切な友人だった。なのにそれを自ら裏切ってしまった。ちゃんと謝らなきゃいけないと思っていたが、とうとうその機会さえ回ってこなかった。自業自得とはいえ、虚しさが胸にあふれる。
今回の件だって、きっと彼女にひどく心配をかけてしまっただろう。本当に申し訳ない。
その時、彼女は大きく体のバランスを崩した。彼女がなんとかそれを立てなおそうとしたときにはもう遅かった。手足を拘束された体は、水中に沈んでいく。
レイ――。
沈んでいきながら、彼女は心のなかでそう呼びかけた。意識が遠くなっていく。
こにて解決編は終了。
次回で最終回です。




