親子
「う、嘘だっ!」
そんな悲痛な叫びが響いた。さっきまでうなだれていた桐山さんが立ち上がって、そう繰り返し叫んでいる。警官がその彼を押さえつけて、椅子に座らせるが、そでも彼は黙らなかった。
「嘘だっ! 教祖様っ! そうでしょうっ!?」
「黙れ桐山。今は蓮見と話している。お前はもう黙っていればいい。それが最後の仕事だ。せいぜい全うしろ」
桐山さんの悲痛な声さえ心に響かなかったのか、教祖は彼に一瞥もくれてやることなく、そう冷たく放った。その態度に桐山さんは絶望し、顔をうずめて泣きだした。
そしてそれは大蔵さんと矢倉さんも同じだった。二人共、衝撃のあまりそこに崩れ落ちている。大蔵さんは「バカな……」と言いながら四つん這いになっているし、矢倉さんは顔を真っ青にして尻餅をつく形で頭を抱えていた。
「……そこまで言っていなかったのかい?」
「感じ取ればよかったものを。こいつらが鈍かっただけだ。俺はここを消すことを望んだ。そしてそれには何が必要か考えた。俺が死ねばそうなるが、それでは元も子もない。ならばどうする? 簡単だな。協会の柱をなくせばいい。柱がなくなれば、どんな立派な建物も崩れる」
「どうして、そんなことを?」
「言ったろ、退屈だったからな。レクリエーションといえばいいのか? まあどうでもいいさ。大きくしてばかりじゃつまらないということだ。柱を減らすことを考えた。もちろん、俺の手は汚さない。大村の事件が起きた時、これは使えるなと思ったよ。事件の後、代表代行を集めた。そしてこう命じたんだ」
教祖はその時のことを思い出してか、ニヤニヤとしながら、その言葉を吐き出した。
「協会を混乱に陥らせた責任をとって、お前ら全員死ね――。こう言った」
「そ、それだけ?」
もっと他に色々とあるだろうと予想していたので思わず聞き返してしまった。焦った私に相反して、彼は非常に落ち着いた態度で答えてくる。
「ああ、そうだ。そうだよな? って、答えられないか」
三人は打ちひしがれていて、もはや何も答えることができない状態だった。まるで魂が抜けたような、そんな姿に思わず言葉が出なくなる。
「言ったら、本当にそうすることになった。もっと反抗するかと思ったが、すんなりだったな。もともと、こいつらはこの世にいない奴らを求め、ここへ辿り着いた浮浪者だ。会いたいやつがいるあの世に行く巡礼者になるのもそこまで悪くなかったんだろうな。理解できんが」
「他人ごとだね」
「他人ごとだ。蓮見よ、わかっているだろう? 俺は何もしていない。命じただけだ。こいつらには拒むこともできた。なのにそうしなかったんだ。そんなものに何を思えという?」
それは確かにそうだ。しかしそれでもこの男は何かを思うべきだ。三人に対する同情ではなく、被害者たちに対する哀れみでもなく、ごく普通の正義感がそうするべきじゃないかとい怒りに震えていた。
しかし教祖は、あくまで平然としている。まるでそこに罪など存在しないみたいに。
「ちょっと待て。いくつか納得できん」
そう待ったをかけたのは父だった。
「二人が自殺だったことは納得しよう。それがその男の指示というのも、ここが宗教団体だと考えれば納得できる。しかし、ならばどうしてそれを殺人と偽装する? そんなことになんの意味があるんだ」
「鈍いな刑事。娘はそんなこと、もう気づいているはずだ。なあ?」
父の疑問は至極当然のものだ。殺人を自殺にみせかけることにメリットはあっても、自殺を殺人にみせつけることは正直なんのメリットもないように見える。しかし、それこそ今父が言った「ここが宗教団体だと考えれば」その謎も解ける。
「自殺じゃ駄目だった。なにせ、ここは宗教団体。ここにいるのは教祖に救われた人たち。そして代表代行の彼らはその最たるものだ。ねえ父上、その人達が自殺していったら、信者たちはどう思うだろうね?」
父ははっとなる。言葉を飲み込み、信じられないという顔になった。
ここは宗教団体。そこで自殺者なんて出たら、協会のイメージが悪くなる。
「しかし、教祖はここをなくすことを望んだんだろ? 信者が減ることを恐れるのか?」
「アホか。協会を失くすというのは俺の本望であるが、こいつらにはそれを言っていない。今の状況でわかるだろ。だから協会がすぐになくならないように、死んでもらった。自殺では駄目だ」
協会幹部の人間が連続して自殺すれば協会そのものの存続が危うい。教祖からすればそれこそ望みだったが、それを代表代行に打ち明けていなかった。あくまで責任をとって死ねと命じた手前、協会は存続し続ける前提で計画をたてなければならない。
だから殺人にみせかける必要があった。自分の意志で死んだのではなく、何者かの悪意に晒され殺された。そういうシナリオが必要だったんだろう。
「そこで大村の事件だな。この事件の犯人に罪を押し付けてしまえ。そう考えた」
きっと、ニュースを見てどこの誰かもわからない犯人は焦っただろう。しかし、二人を殺していないと白状できるはずもない。犯人からすれば黙って教会の芝居に付き合うしかない。
こうして本来協会と関係ない事件と、二つの自殺は、見事に「連続殺人」となった。
「しかし……それはおかしい。脅迫状はどうなる?」
そう、この事件の根本である、その謎が残る。
「……じゃあ、次はそれを解いていこうか」
5
「冷たい……」
胸下辺りまで迫った水にやられ、思わずそう漏らしてしまう。体力は確実に奪われて、春川は今、ほとんどの気力だけでその状況に耐えている。いつまで保つか、彼女自身分からない。そんなギリギリの状況だった。
あと三十分もすれば、完全に口元にまで水は届くだろう。
彼女は手足を拘束された状態ながら、なんとか立ってその状況に耐えていた。体のバランスを崩せば、起き上がれなくなり、溺死してしまう。犯人からすればそれこそが望むところなんだろう。
「……やばいかも」
屈辱的なことに、弱音を吐いてしまった。彼女は覚悟しているし、そしてなにより信じている。しかしそれでも目の前の冷たい絶望は、彼女にそうつぶやかせた。
「早く――」
誰にいうでもなく、一言口に出した。
6
「まず脅迫状のおかしさを指摘していこうか」
ファイルのあるページをひろげる。今まで犯人が残していったすべての脅迫状のコピーが収められているところだ。その中から二枚を取り出す。
「これと、これだ」
私が取り出したのは今日江崎さんの事件のものと、大蔵さんのもとへ届いた一枚。
「どうかな、おかしいだろ?」
その二枚にはそれぞれこう書かれている。『償え』と『つぐなえ』。ただ意味は同じでも明確に違う。
「どうして片方は漢字で、もう片方はひらがななのか。これもだ」
その二枚をテーブルに置くと今度は水島さんの事件のものを取り出す。『贖罪せよ』と書かれたメッセージ。
「どれも意味は同じだよ。しかし、この違和感はなんだろうね。ちなみにひらがなの方は、立浪さんにも届けれられている。父上、これどういうことかわかるかな?」
父になげかけると、眉間にしわをよせてしばらく何か考えはじめたあと、目を見開いた。どうやら分かったらしい。
「そう、これらのメッセージは別々の人間が出したものだ。正確にいうなら、事件現場に置かれていた脅迫状と、代表代行のもとへ届いたものは、同一人物の犯行じゃない」
教祖がまたククッと笑う。本当にこの状況を心から楽しんでいるようだった。
「それだけでは証拠として弱くないか?」
「もちろんそうだね。けど、さっきも言ったろう。守島さんに届いた脅迫状。事件のあとに見つかったものは自宅の中、それまでに届いていたものは家のドアに糊付けされていたんだ。同一人物とは思えない。それにね……」
私はファイルからまた別の脅迫状を取り出す、また守島さんのもとへ届いたものだ。春川が指摘した、あの漢字間違いの脅迫状。『代行を止めろ』というもの。
「これを見た時、犯人は国語が苦手なんだと思った。けど、事件現場にあった、『贖罪せよ』や『償え』は難しい漢字だよ。なんか違和感がするね。もちろん、他にもある」
今度は『天罰がくだる』と、『厳罰はくだった』という二つのメッセージを取り出した。
「これも意味は一緒だけど違う。やっぱりこれらを送った人物は別人だろう。じゃあ誰か……。事件現場にあったものは、協会の偽装だ。それこそ桐山さんの部屋から新聞が見つかったのなら、彼が作ってたんだろう。なら問題は、代行に届いていた脅迫状。誰がなんのために、こんなことをしていたのか」
私は息を飲む。そしてゆっくりと吐き出して、目を閉じた。
「もういい。君はよくやったよ。だから勇気を出してくれ」
誰に言うわけでもなく、そうつぶやく。ただ確かにその人物に届くと確信していた。もう、彼女も限界だろう。あとは素直になってくれればいい。
ゆっくりと、その人物が立ち上がった。小さく体を揺らし、目を伏せながら、色んな物なものを背負ったその体を、幼い足で支えながら。
私は彼女に、はっきりと告げた。
「そう、君が犯人だ――彩愛ちゃん」
春川が私に伝えたかった答えを、ようやく導き出した。
「わ、わ……私、こんな……こんなこと、するつもりじゃ」
彩愛ちゃんが自分の顔を覆って、そう後悔しだす。私は彼女のもとへ駆け寄っていき、その体を優しく抱きしめた。
「分かってる、それは分かってるよ。私こそ、遅れてすまなかったね。ごめんよ」
「遅れて……?」
彩愛ちゃんが私を見上げながら、首をかしげる。私は彼女の目元の涙を拭いながら説明した。
「そう。遅刻だよ。もっと早く君にたどり着くべきだった。春川にヒントをもらう前に私はちゃんと、君からもヒントをもらっていたんだからね」
春川が彼女こそ脅迫状の犯人と気づいたのは、今日彼女と交わした会話からだろう。さよちゃんの話では、二人はこんなやりとりをしていたという。
『かんぜん、ちょーあく?』
『ふふ。悪いことをしたら、懲らしめられるってことよ。難しかった?』
『うん、ちょっと……』
本当なら他愛もないやりとりだと微笑むところだろう。春川も最初は気にもとめていなかった。しかし、彼女の中で「国語が苦手」というキーワードが、彼女と脅迫状の犯人とを結びつけた。だから春川はいち早く私に伝えようとしたんだ。
警察でも協会でもない、私に。
「私も気づくべきだった。昨日の君と交わした、あの会話で」
昨日、彼女と公園のベンチで交わしたあの会話を思い出す。
『水と油?』
『仲良くできないってことさ』
これも大した会話と感じていなかった。しかし、ここからちゃんと導き出せたんだ。彼女が少し国語が苦手だということを。そして十分に脅迫状と結びつけることができた。
春川より早く気付けるはずだったのに、まったく本当に鈍い。
「待たせてごめんよ。私の役目は、君と会うことだったのにね」
「ど、どういうこと?」
私は彼女を放し、膝を床につけて彼女と視線を合わせる。そしてその小さな両肩をしっかりと掴んだ。
「私は、君と会うためにここにいたんだ」
それが私のこの事件の最大の役割だった。いや、それこそが全てだったんだ。
「私は君のお父さんに脅迫状の犯人を見つけることを頼まれていた。ずっと疑問だったんだ。どうして私だったのか。警察でも、協会の信者でもいくらでもいたのに、どうして私だったのか。――彩愛ちゃん、君のためだったんだよ」
赤くなった小さな瞳が揺れたのがよくわかった。私の言葉の意味を彼女は瞬時に理解したみたいだ。
「そうだよ……君のお父さんは、君が犯人だとわかっていたんだ」
だからこそ私に依頼した。警察なんて国家権力じゃない、協会なんて怪しげな組織でもない。もし何かあっても娘に危害を加えるはずもない、ただの大学生。立浪さんが私に求めた役割はそれだった。
私は彼に脅迫状の犯人がわかったら、警察にいうと宣言していた。けど、もし辿り着いたのが彼女だったら。幼い、この少女だったら。彼はわかっていたんだ、そうなればまず自分のところへ報告がくるだろうと。
事実、もし彼の生前にこの事実に気づいていれば、私はそうしただろう。
「けど立浪さんは、それを君に言えなかった。実の娘に確かめられなかった。だから第三者の私に、決定的な証拠を求めた」
「レイ姉に?」
「私でも誰でもよかったのさ。君に危害を加えない人ならね。本当に、不器用な人だよ。君のお父さんは。けど……」
私はある人物のほうをちらりと見たあと、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「父親っていうのはそういうもので、それを許すのが、娘ってものなんだよ?」
笑いかけてやると、彼女は複雑そうな表情をしたあと、精一杯の気持ちで笑ってみせた。やっぱり強いな、この子は。私なんか足下にも及ばない。
次の瞬間、嫌な声が聞こえてきた。
「蓮見、感動的なところ申し訳ないが謎がまだ残ってるんだ。早く解決していこうじゃないか。お涙頂戴は趣味じゃないし、興味もない。お前の仕事はその娘を見つけることだけじゃなかったはずだぞ」
「うるさいな。すぐに片付けてあげるよ」
私は立ち上がって、不安そうな顔をする彩愛ちゃんの頭をぽんぽんと叩いて、また全員に向き直る。
まだなぞは残ってます。




