願望
4
「冷たい……」
春川は思わずそう呟いた。水はもう自分の腰あたりまで迫ってきて、彼女は手足を拘束された状態だが、なんとか立って、それをしのいでいた。
体のバランスを崩せばころび、そして起き上がれなくなる。それは死を意味していた。彼女は今、自分の体勢をたもつのに集中しなければならなかった。
それでも確実に冷水が彼女の体温を奪っていく。さっきから震えが止まらない。もともと今日は雨、そして彼女は彩愛を探すためにびしょ濡れになった。
奥歯の震えが止まらない。
自分が思っていた以上に、これは厳しい状況かもしれない。そう理解したが、だからといってどうすることもできない。彼女に今できることは、ただひたすらこの状況を耐えることだけ。助けはくる、そう信じて。
早く――。
5
「面白い推論だが、理解できないな。自分が何をいっているか理解しているか、蓮見よ」
「当然してるよ。大村さんは第三者に殺されて、水島さんと守島さんはそもそも殺されてもいない。それだけさ。そして、おそらくそれを命じたのは……あなただよね、教祖」
それしかありえなかった。二人同時に殺人にみせかけた自殺をするなんて偶然なわけがない。明らかに意図的で、計画性がある。そう、組織的な犯行――そう見るのが妥当だ。
「ふふ、俺が命じたら死ぬのか、あいつらは。ははははっ」
教祖が面白そうに手を叩いて笑うが、その行為が私の中で怒りを爆発させた。
「あなた以外にできないだろうっ! なにが面白いっ!」
「言ったろう、感情はなにもしてくれないぞ。まあ、その様子なら……わかっているようだな」
奥歯を強く噛み締める。感情を抑え込んだせいで思わず両肩が震えるが、その様子さえ教祖からすれば一興だったのかまた声をあげて笑った。
「小娘、教祖になんて言いがかりをつける」
「言いがかりじゃない。これはある人の発言をもとに、ちゃんと推理したものだ。……ねえ、桐山さん?」
桐山さんがびくっと震えて、ゆっくりとを顔をあげた。彼は自分の発言を覚えていないのか、なんのことかわからないという表情をしている。
「あなたと二人で話したとき、あなたが言った言葉だ。あなたは、こう語ってくれたよ」
私と桐山さんが二人で喫茶店で話したときのことだ。彼は急に教祖について語りだして、こう公言した。
『あの人がやれといったら、なんだってやる。きっと、死ねって言われた喜んで死ぬだろうね。あのメンバーは』
なんてことない、ただの信者の戯言だと思っていたけど、この発言こそが事件の根本だ。
「教祖、あなたはあの二人に死ぬように命じた。そして二人はそれに従った。違うか?」
「証拠がないな」
「わかってるだろ、証拠なんかあるはずないだろう。あなたはそう命じただけなんだからね……証拠なんて残るはずもない」
そう、だからこの男はこんなにも余裕なんだ。例え真相が明らかになっても、自分が罪に問われないことをわかっているから。
「大蔵さん、矢倉さん、そして桐山さん、あなた方はこのことを知っていたよね?」
私が確認するために三人それぞれに鋭い視線を送ると、三人とも同じリアクションだった。首を左右に振って、口々に「違う」という旨の発言を繰り返した。
「否定するの? できると思うの?」
私はこの三人がこの事実を知っていたという事を証明できた。それこそがあの「違和感」の正体だったから。
「面白いな蓮見。お前はこの事件は協会幹部全員が関与した事件で、この協会の自作自演だとし、さらにそれを証明できるというのか?」
「できるね。なにせ、あなた方全員、しなければいけないことをしていなかったからね」
そう、これが「最初から感じなきゃいけなかったもの」の正体。それはこの人達の言動が原因で、この協会の自作自演を物語っていた。これが本当の事件だったら、彼らはあることをしていたはずなんだ。
幹部の三人はわからないようで、目を泳がせていた。教祖だけは微笑を浮かべている。
「教祖はあなた方にとって絶対的存在。ねえ、三人とも……どうして誰も教祖の心配をしなかったの?」
その瞬間にホールの空気が凍った。目を見開いた矢倉さんが口元をおさえて、自分の失態に後悔をしはじめる。そんなのお構いなく、私は続ける。
「教祖はあなた方にとって大切な存在だった。なのに、この事件が起きても、あなたがたは自らはともかく、教祖の心配さえしていなかった。これっておかしくないかい? まるで、教祖の身に危険が及ぶはずがないと知っていたみたいだ」
桐山さんがまた深くうなだれて、「ああ……」と声を漏らした。
「知っていたんだよね、教祖は殺されないって。だから心配をすることもなかった。これだけの事件が起きているのに、教祖の心配をしていた人はいない。それどころか、これだけ協会の警備が強化されたにも関わらず、なんと教祖がでかけるときに一緒にいたのは女性の矢倉さん一人だ」
なんでこんな簡単なことに疑問を持つことがなかったんだろう。こんなことはここで話しあったときに気づくべきだった。守島さんが教祖が犯人なはずないって激怒したのに、どうしてその逆を考えなかったのか。自分の頭の悪さを呪いたくなる。
しつこかったのは、大蔵さんだ。
「きょ、教祖のもとに脅迫状は届いていなかったっ! だから心配しなかったんだっ!」
「ふーん。そうかな。おかしいなあ。それでも矛盾は発生するね。なにせ、最初の被害者とされていた大村さんは協会の人間でもなかったんだよ?」
私は大蔵さんに顔を近づけていく。その泳いだ瞳を捉えるため、少しも視線をそらさず、一歩ずつ彼に近づいていく。彼はそのたびに一歩さがるが、しばらくしてテーブルに背中をぶつけた。
「大村さんの事件があり、水島さんの事件が起きた。遅くても『最終警告だ』のメッセージが見つかった段階で『協会幹部じゃなくても殺害される』という可能性はわかったはずだ。そこで教祖の身だって案じてしかるべきだったんだ。そうできたはずなんだ。なのにあなたがたはそれをしなかった。ねえ、どうして? 答えてくれるかい? ねえ?」
大蔵さんは私に追い詰められて、顔を背けた。私はそれでも彼の視線を追い、その顔をとらえる。
「ねえ、答えてくれよ? 教祖のこと、心配じゃなかったの? あなた方の信仰心ってその程度のものだったの?」
「だ、だまれ」
「黙らせてみなよ。あなたが答えてくれたら、黙ってあげるさ」
「だまれぇっ!」
大蔵さんが私を突き飛ばす。思わず体が仰け反ってしまうけど、なんとか転ばずにすんだ。そして混乱している彼を見て、ふんっと鼻で笑ってやる。
「否定出来ない。あなたは今、そう表明したんだよ」
私は教祖に向き直る。彼は自分の部下たちが追い詰められている様子さえ、にやにやしながら眺めていた。
「蓮見、なんだか事件がややこしい。お前の推理を勝手にまとめるぞ。まず、大村はこの協会とは関係のない第三者に殺され、水島と守島は俺に命じられて自殺した。そしてそのことをここの幹部たちは全員知っていた。大村の事件と水島たちの事件をメッセージを使いつなげたのは、協会の無罪を証明するフェイクのため。これでいいか?」
「ああ」
「面白いな。やはりお前は最高だ。立浪はこの協会に色々してくれたが、お前を事件に参入させたことが最大の功績かもしれん。しかし、足りないな。お前の推理の穴というべきか、まだ語っていないだけだろうが、おかしな部分がある。一つ、どうしてそんな大掛かりな芝居を協会がしなければいけなかったのか。二つ、脅迫状についてまだ矛盾が残る。そして三つ、今日の江崎と立浪は間違いなく殺人だ。では、誰の犯行なのか。さあ、蓮見――答えろ」
そう、まだ謎は残っている。もちろん、それらを解決させる術もある。むしろ、それこそが一番重要だった。私は、まだ依頼を果たしていない。立浪さんからの依頼、脅迫状の犯人。
しかし、その前にあることを解決させよう。
「芝居をうった理由は、はっきり言って推測だ。けどあなたは代表代行にこの先協会をどうするか決めろと投げかけた。結果として維持派と拡大派ができた。ただ……あなたはここで私と初めて会った時、こんなことを言ったよね?」
私がどうして協会を割るようなことをしたのかと質問したときの、彼の回答が私の頭に蘇る。
『代行の連中に言ったわけだ。今後ここをどうすべきか。面白い意見でもあればよかったのだが、見込み違いもいいところだ。やつらは維持するか大きくするかしか案を出さなかった。まったく……使えない』
彼は、退屈そうにそうため息をついていた。
「拡大派も、維持派もあなたにとっては見込み違いだった。いやもっというなら、つまらないものだった。けど、じゃああなたが望んだものはなんだよ? 拡大派は当然増やすこと、維持派はこのままでいること。そのどちらも違うとなると、答えは一つしかないよね」
増やすのでもない、維持するのでもない。その二つが違うのなら、彼が望んだ回答は一つしかないたわけだ。
「減らす。もっというなら失くす――それこそがあなたの望んだ、この協会の未来だ」
ホール全体に沈黙が落ちた。私の出した回答は意味不明かもしれないが、これしかない。もとより、意味不明なのは今に始まった話じゃない。
しばらくの沈黙のあと、クククッという小さな教祖の笑い声が静かにホールに響き、それは段々と大きなっていき、しまいには大笑いした彼の声が、ホール全体を揺るがしていた。
一通り笑い終えた彼は唇を曲げたまま、私を見る。
「蓮見、お前が代表代行だったら、こんな面倒なことをせずに済んだのか?」
自供と言えるものかもしれない。しかし、それはまるで本当に、先生にわからない問題の答えを尋ねる子供のような、そんな質問の仕方だった。
「……ごめんだよ」
それが私の回答だった。
自分の望みをかなえるためなら、どこまでできるますか?
できる範囲の分だけ、あなたは素直なんです。




