駄目
さよが春川たちを追いかけると
4
胡桃沢さよは自分の選択を後悔していた。蓮見の指示に従い、大学へ向かうのが正解だったと反省している。というのも、彼女は人見知りがゆえに、他人の喧嘩や、激情といったものと接するのが苦手だったからだ。
彼女から少し離れたところには、二人の人物がいた。春川と、ビルから飛び出してきた少女。
あの後、さよはやはり二人の行方が気になったので周辺を軽く捜索した。すると二人があの現場から少し離れたところにある駐車場の隅にいたのを見つけた。
少女が嗚咽を漏らしながらうずくまっていて、その背中を春川が優しくさすっていた。彼女はさよに気づくと、人差し指を唇へ持って行き、静かにするようにと伝えてきた。
少女の泣き声が耳に届くたび、居心地が悪くなった。彼女がなぜこうなっているのかわからないが、事件現場から飛び出してきたところからさよなりに嫌な予想はできた。
「彩愛ちゃん……」
少女の泣き声があまりにたたまれなかったのか、春川が自然と名前を口に出した。彩愛と呼ばれた少女は相変わらず泣いてばかりで、それに応えることはない。
春川はさよを手招きで呼ぶと、彼女にポケットから五百円玉を出して渡した。
「なにか、冷たい飲み物を買ってきてあげて。あなたのも」
さよは頷いて足早にそこから離れ、道なりにあった自販機へと向かった。あそこから離れられるというだけで、ひとまず落ちつけた。泣き声は苦手、誰のでも。
彼女が自販機でジュースを三本買ったところで、雨が降ってきた。彼女の頬に冷たい雨粒があたる。
「……傘、いるかな」
彼女は予定を変更して近くのコンビニに出向き、そこでビニール傘を三本買って、二人のいる駐車場に戻った。
「先輩」
さよがジュースと傘を差し出すと、春川は「ありがと」と小声で礼を言い、ジュースを少女に渡した。気づけば少女はもう泣き止んでいて、真っ赤な目をこすっている。春川がそんな少女と自分の上に傘をさした。
「落ち着いた?」
「……ぅん」
少女がまだ少し震えた声で答える。
「立浪さんのこと、聞いたわ。ごめんなさい、力になれなくて」
「ち、違うよっ。ハル姉は悪くないもんっ。ハル姉も……レイ姉も……」
どうやらこの少女、彩愛ちゃんは二人の知り合いのようだった。
「レイとは、会った?」
「ぅん……どうしよう、ハル姉。私、レイ姉にひどいこと言っちゃった。レイ姉が悪くないことわかってたのに……」
「大丈夫。落ち着いて、なかないで」
春川がぽんぽんと焦りだす彩愛ちゃんの頭を撫でて、落ち着かせる。
「レイも彩愛ちゃんが本心からそう言ったとは思ってないわ。あなたがショックを受けて、平常心じゃないことくらい、分からないわけないもの」
「でも」
「大丈夫。私が保証する。今度謝ってあげればいいだけよ。許さないわけないもの」
「……ハル姉も一緒にしてくれる?」
彩愛ちゃんが上目遣いで春川にそう尋ねると、春川はなんともいえない表情になった。笑っているようで、悲しんでいるようで、そして困っているような。
「そうね……そうするわ」
ただ最終的にはそう答えていた。
「立浪さん、お父さんとはあれから会ったの?」
彩愛ちゃんが首を左右に振った。
「ううん。あれが最後」
「そう……」
「ハル姉、私……私、許せない」
さっきまで震えていた声が、ここにきてしっかりした。ただ今度は彼女自身が全身を震わせていた。
「誰がっ、パパにあんなことをしたのか、わかんないけど、そいつが――許せない」
彩愛がその計り知れない怒りを口に出しても春川は落ち着いていた。頷いたあと、少女を抱き寄せる。
「気持ちはわかるわ。でも大丈夫、犯人はきっと捕まって、罰を受けるわ。世の中は勧善懲悪なの。きっと、大丈夫よ」
「かんぜん、ちょーあく?」
「ふふ。悪いことをしたら、懲らしめられるってことよ。難しかった?」
「うん、ちょっと……」
春川が彩愛を放して、彼女の目元を拭った。
「戻りましょう。おじさんやおばさんが心配してるわ」
彩愛がこくりと頷くと、春川は彼女に傘を渡した。彼女はそれを受け取るとゆっくりとした足取りで歩き出す。さよは濡れる春川にまた別の傘を差し出した。
「ありがとう。ごめんね、こんなところに付き合ってもらって」
「ぃえ、それはいいんですけど……」
「さよ、ここまでしてもらってなんだけど、あなたは大学へ行くといいわ。ここからはまたややこしくなるだろうし」
「先輩は?」
「私はあの子を送り届けていくから今日は休むと思う」
さよは今度ばかりは指示に従うことにした。春川に別れの挨拶をして、そこから去ろうとしたのだけど、その時突然、春川が「え」と声を漏らして、口元を覆った。目は大きく見開いている。
さよには何があったのか分からないが、とにかく目の前の春川は何かに驚いていた。
「せ、先輩?」
そう呼びかけても返事はない。ただしばらくはその状態で固まっていて、そして「ああ」と何か納得したように息をはくと、そのままポケットから携帯を取り出すと突然それを操作しだした。
「……だめ、出てくれない」
誰かに電話をかけたようだが、その人物は出なかったようで春川は目に見えて落胆した。
「先輩、どうしたんですか?」
「ちょっと待って……え、嘘よ、そんなことって……」
「先輩?」
「――駄目」
さよの呼びかけに一切答えず、なにか一人でぶつぶつと呟いた後、春川はいきなり走りだした。あまりに突然のことに、さよはその場に取り残されて、立ち尽くしてしまった。
「な、なに?」
混乱してどうなっているかわからなかったが、なんとなく春川を追った方がいいと思い、彼女も雨を気にせず駈け出した。
5
春川からの着信があり、一瞬でるかどうか迷ったが、結局拒否した。自分がまだまだ子供だと思い知らされる、情けない行動だ。それでも未だに静まらない怒りがそうさせた。
「電話じゃないのか?」
「なんでもない」
私と父は今、パトカーの中にいた。運転席に父が、助手席に私が座っている。今は父の勤め先である警察署に向かっていた。
「江崎さんの現場もさっき撤収したそうだ。向こうにいけば、それなりに情報があるはずだ。お前も知りたいだろ?」
「そうだね。教祖は?」
「現場を見て、俺にわかることはないって一言だけだ。協会に戻ると言っていたな。奇妙なやつだ。本当に落ち着いていた。あんな現場を見てよく平気でいられるものだな」
「あれは、そういう人間なんだと思うよ」
他人の痛みに興味ない。だから、傷ついたりすることはない。彼は本当に形式上、あそこに行っただけだろう。
警察署につくと「受付で待ってろ」という父の指示通り、私は受付付近のベンチに座って、事件について考える。
さっきから、ずっと気持ちわるい。それは現場を見て気分が悪くなったというわけじゃない。なんだか、言葉が出そうで出ない。魚の小骨が喉に刺さったような、どうにかしたいけどどうしようもない違和感がずっとある。
なんだろう? 私は何を感じている? 明らかに、感じなきゃいけないことを、今日の今日まで感じていなかった。そんな気がする。ただそれが何か分からない。違和感があるはずなのに、それが自然になってる。
違和感は存在する。いや、存在しなきゃいけない。それ程の矛盾があるはずだ。
「なんだ、これ」
自然とそう漏らす。一体、私は何を感じているんだろう。
「レイ」
うんうんと頭をひねっていた所に、なにか大きなファイルを持った父が声をかけてきた。
「江崎さんの事件のデータ、もらってきたぞ」
「父上、そのファイルってこの事件のこと、全部載ってる?」
「これか? 大体な。俺が自分で作っているやつだから大雑把なものだが、第一の事件から詳細を書いてる」
「見せてくれ」
父は訝しげに私にファイルを差し出してきた。それを受け取って、復習を始める。とにかくこの違和感の正体を明かさないといけない。きっとこれは、勘違いなんかじゃない。私は何かに気づいている、それに気づいていないだけだ。
ファイルを開けて、事件のことを頭の中で整理しはじめる。
最初の事件、大村庄司さん殺害。今年の三月二十日に発生。自宅にて胸をナイフで刺された状態で発見され、殺人と断定されている。彼はクロスの会の顧問弁護士であるとともに、協会の発展に大きく貢献していて、特に立浪さんとは深い仲にあった。
警察は当初、この事件は協会が関係している可能性があるとして捜査を始める。協会の関係者、主に幹部である代表代行と、教祖を中心にアリバイ調査などをするが、全員のアリバイが証明される。このような結果から警察は「大村さん殺害事件と協会は無関係」と決定づける。
しかし、後になって『最終警告だ』というメッセージが見つかる。これで再び大村さん殺害事件は、協会関係していると判断された。
その約三週間後、四月十七日に代表代行の水島さんが殺害される。焼殺、手首と足首に手錠をされた状態で隣の市の空き地で燃え盛る姿が発見され、近隣住民たちの手でなんとか炎は消し止められるが、結局助からなかった。
彼の体内からは微量の睡眠薬が検出され、警察は「犯人は睡眠薬で眠らせ体を拘束し、炎をつけた」と判断している。
そして事件現場から『贖罪せよ』というメッセージが見つかった。
その六日後、私と代表代行が顔をあわせた日、その場で守島さんが毒殺される。彼女が常備していた薬の小瓶に毒が仕込まれていた。いつ毒が瓶に混入されたかは判断不能。
そして自宅から『厳罰はくだった』というメッセージが見つかる。これもまたいつ置かれたかは不明。ただ犯人は守島さんのカバンに入っていた小瓶に毒を仕込めたことから、そこから鍵を持ちだした可能性もあるとされている。
そして、本日、江崎さんと立浪さんの殺害された。
「父上、江崎さんのところにはメッセージが残っていたんだよね?」
「ああ。なんでも『償え』だそうだ。コピーがこれだ」
そういって父はそのコピーを差し出してくる。確かに『償え』とあった。
「そして立浪さんのところにはなにもなかった……妙だね」
メッセージは犯人がいままでずっと残してきたものだ。犯人にとっては手がかりを現場に残しているのだから、とんでもないリスクをずっと背負ってきた。それでもそうしてきたのは、それがどうしても伝えたかったことだからだろう。
それなのに今回はそれがない。なぜだ?
違和感の正体がまだ分からない。私はまたファイルを見返す。
そろそろ6章もおわります。




