絶叫
現場に駆け付けた彼女に待っていたものは
現場にかけつけると、野次馬と警察でいっぱいだった。そこは寂れたビルで、日頃なら誰の目にもとまることがないような外装だったが、今日ばかりは付近にパトカーが数台停まり、赤いパトランプというライトが浴びせられていた。
なんとか野次馬をかきわけて、最前列へと進む。長細く古びたビルの入口は、狭く暗かった。そこに父が立っていて、私に気づくと寄ってくる。
「……見るか?」
「いいのかい?」
父は一度だけ頷き、『KEEP OUT』というテープを上げると私をいれた。父の背中を追い、ビルの中へと入っていく。ビルの中はとても汚れていたし、廊下の蛍光灯もピカピカと点灯を繰り返していた。
「ここは協会が管理するビルの一つだそうだ。週に一度、信者の一人がなにか変わりはないかチェックするという管理体制をとっていたそうだ」
「それでそれが今日だった……というわけか」
「ああ、意図したことか、偶然かはわからん」
二人で階段を降りていく。私と父が一歩進むたびに、その足音が響く。
地下二階のある部屋の前に、警察官がたくさんいた。
「お前は昨日立浪さんに会っているんだろ。何か変わったことがないか、見極めてくれ」
「遺体は?」
「そのままだ。顔は隠してある」
私は覚悟を決めて頷いた。警察官がふさいでいた入り口をあけていく。私はその中へ、ゆっくりと足を踏み入れる。
まず目に入ったのはひどく荒らされた室内だった。もともと、ここも『交流』に使っていたのか、あの仏壇のようなものがあったが、それが倒れていたし、その中身も床に散乱していた。そして立浪さんが持ち歩いていたカバンがその近くに転がっていて、中身の書類も部屋中に散らばっていた。
そして部屋の真中付近に彼は横たわっていた。
昨日と同じスーツとネクタイ。顔は布で覆われているので見れない。仰向けに倒れていて、その左胸にはナイフが突き刺さっていた。ただ、それだけじゃなく、彼の近くをはじめとして、この部屋には大量の血痕があった。
立浪さんにはいくつものは刺し傷があり、血まみれだった。滅多刺しか……。
思わず目を背けたくなったが、なんとかそれを直視する。
彼の側にいき、片膝をついてゆっくりとその顔を覆っていた布をはがした。右頬に昨日までなかった切り傷がある。殺されているわりに、表情は穏やかなものだった。なにか成し遂げたように、ちょっとした充実感さえ伺える。
布を戻して静かに合掌したあと、ゆっくりと立ち上がる。
「……父上、ご家族には」
「もう連絡してある」
「そうかい……」
きっと彩愛ちゃんにも伝えられたことだろう。
「なにか気づいたことはあるか?」
「特にないんだよ、役に立てず申し訳ない。しかし、かなり争ったみたいだね」
荒らされた室内を見て率直な感想を述べると、父は「ああ」と頷いた。
「詳しく調べてみないことにはわからないが、もしかしたら犯人も傷を負ったかもしれない。そうなれば一気に追い詰められるが……」
部屋の至る所に残っている血痕、それに立浪さん以外のがあれば決定的証拠になる。ただ父も口に出さないがそれは望み薄だろう。それなら一晩かけてでも血痕を消すなり、死体を動かすなりするはずだ。
「滅多刺しというやつか……きついね」
「もう出るか」
「いや、あと少し」
この室内の光景を目に焼付けておかなければ。何か手がかりがあるはずだし、そしてなにより、これは私が背負っていくべき十字架だ。目を背けるわけにはいかない。
ふと、昨日彼に言われた言葉を思い出した。
『あの子を、彩愛をよろしくおねがいします』
そう頭を下げた彼の姿が脳裏から離れなくなった。なんだかまるで、こうなることを予見していたかのような、あの言葉。昨日は普通に受け取ってしまったけど、あれには何か意味があったのかもしれない。
「なにか、警察が見つけたものはないの?」
「ない。今のところ、脅迫状さえ見つかってない」
「脅迫状も?」
犯人がメッセージを残さなかったということか。いや、確か守島さんの場合は自宅に置かれていたし、彼の場合も似たケースが考えられるか。
「江崎さんの方は?」
「あっちは別の班がやっていて、状況だけはきいている。撲殺だそうだ、トンカチかなにかで頭を殴られて亡くなっていたらしい。ただ向こうは脅迫状が見つかっている。たしか……『償え』だったらしい」
「『償え』……水島さんが『贖罪せよ』だから、似てるね」
犯人は一体、この協会になにを償ってもらいたいんだろう? いや待て、何か引っかかる。なんだ、この違和感。なにか……なにか。
「どうした?」
「いやちょっと……なんだか、喉元まで出てるんだけどね。何か、おかしい」
そう、私が、いや私達がもっと早く何か気づけることがあるはずだ。絶対、なにかがおかしい。メッセージか? いや、そうじゃない。そんなことじゃない。
その時、足音が聞こえてきた。激しく早い、だけどどこか軽い足音。同時に「ちょ、ちょっとっ!」という男性の制止の声もする。そして足音は部屋の前で止まった。
彩愛ちゃんが息を切らしながら、目を真っ赤にしてそこに立っていた。彼女は最初私を見た後、すぐさまその足元に横たわっている立浪さんの遺体に目を向ける。顔は覆われているが、実の娘がそれを誰か分からないはずもない。
「…………」
彼女は最初、あまりの絶望に言葉が出せなかったみたいで、唇を小さく震わせ、何かを否定するかのように首を左右に降り、大粒の涙が続々と滴り落ちていく。
「彩愛ちゃん……」
「……嘘つき」
見ていられなくなった私が彼女に言葉をかけたけど、返ってきたのはその言葉と、鋭く尖らせた視線だった。
「嘘つきっ! 守るって言ったのにっ! 約束したのにっ! 嘘つきっ、嘘つきっ、嘘つきぃっ!!」
そう叫び終えると彼女は泣き声をあげながら、どこかへ走り去っていった。現場にいた全員が言葉をなくす。あんな悲痛な声を、私は聞いたことがなかった。
そしてそれが私の胸をえぐっていた。あの叫びが、その中身が、鋭利な刃物のように心に刺さる。
「知り合い、だったのか?」
「うん……やってしまったよ。私の責任だ。自業自得だよ」
父が気まずそうにするが、私は強がってなんてことないと嘯いてみた。
「私軽率な行動のせいさ。あの子は悪くない。むしろ……強いね」
「強い?」
「ああ。言っておくけど、父上がこんな目にあったら、私はあんなのじゃすまない」
「……バカをいうな」
「だね。ちょっと、血の匂いにやられたよ。外に出る。なにかわかったら、教えてくれ」
血の匂いだけじゃなく、この部屋の空気、そしてあの叫び、それら全部だけど。
「ああそうだ、父上」
「なんだ」
私はフッと笑ってみせた。
「長生きしてね」
逃げるように退室して、ビルの暗い雰囲気が嫌だったので、外に出ることにした。外では野次馬がまだいたが、その中に思わぬ人物がいたことに驚いた。
「は、蓮見先輩?」
野次馬の最前列にさよちゃんがいた。なんでここに彼女が? と思いつつ、近づいていく。彼女も警察が保存している事件現場から私が出てきたことに驚いている様子だ。
「さよちゃん、どうして君がここに?」
「先輩こそ……ぃえ、あのそうじゃなくて。春川先輩と一緒に大学へ行こうとしてたんです。その時に先輩に電話がかかってきて、そしたら先輩が急に走りだして、ここに」
どうやら春川にも事件の連絡がいったようだ。多分父だろう。
「で、その彼女は?」
「さっきまではここに一緒にいたんですけど、ビルの中から女の子が走って出てきたのを見るとその子を追いかけてどこかへ行っちゃいました。私も追いかけたいんですけど……」
彼女は周りの野次馬のせいで身動きがとれなくなっているみたいだった。春川は彩愛ちゃんを追いかけるために押しのけていったんだろうけど、彼女にそのバイタリティはないね。そもそも何がどうなっているかもわかってないだろうし。
「先輩はどうして? と、というか、どういう状況なんですか?」
「落ち着いて。簡単に言うとある事件に私と春川は関わっていたんだ。細かいことはまた今度にしよう。今はとにかく、君は大学に行くといい」
今事件を最初から説明する暇はないし、そもそも私にその精神的余裕がない。彼女はどこか納得していない様子だったけど、最終的には頷いてくれた。そしてなんとか野次馬をかき分けて去って行った。
彩愛ちゃんを追いかけないといけないと思っていたけど、春川がいるのなら大丈夫だな。彼女は春川に懐いていたし、春川なら私なんかより気の利いたことができるだろう。
春川には会いたくないし、彩愛ちゃんには合わす顔がない。私が出る幕はないね。
『安請け合いじゃないの?』
彩愛ちゃんと約束した時に春川にそう指摘されたことを思い出した。全く、本当にその通りさ。弁明の余地が欠片もない。
そうこうしている間にぽつりぽつりと雨が降ってきて、次第にその勢いを増していくと野次馬が雨を嫌がって散っていった。私はそのすきをみて、ビルから少し離れた、今はもう閉店していてシャッターがおりたままになっている商店の雨よけに避難した。
そしてポケットからタバコを出して、それを吸おうとしたときに黒のセダンが目の前に止まった。そして後部座席から、教祖が出てくる。
「……遅いね」
「早いほうだ。少し遠方に出向いていてな。これでも急いできたほうだ。その様子だとお前はもう立浪と会っているようだな。どうだった、やつの死に顔は?」
「そんなもの、自分で確かめろ」
「なるほど、そうさせてもらおう。しかし凹んでいるな、顔が青いし、心が暗い。らしくもないな。そんなにショックだったか? お前は死体を見るのは初めてじゃないだろう」
「二度目でも三度目でも、慣れるものか」
「そうか、そういうものか」
まるで理解できないとでも言いたげだ。いつもの笑顔こそ浮かべていないが、教祖は飄々としている。代行が二人も死んだ、その連絡を受けているはずなのに、そんなことなんてことないような表情だ。
「あなたこそショックじゃないのか。立浪さんは、あなたの右腕だったんだろ?」
「そうだ。あれのおかげで協会は大きくなり、俺は立場を確立できた。今の教会があるのは俺よりあいつの功績のほうが大きい。だが――言ったろう、人は死ぬものだ。それが今日だった、それだけだ。あとはこちらが受け入れればいい。人の死はありふれていて、溢れかえっているのだから。あいつは俺の右腕だった。だから、ちょっと体のバランスが悪くなる。しかし、すぐに慣れるだろう。そういうものだ」
拳で思い切り、名も知らない店のシャッターを殴ると、周囲に大きな音が響いたが、教祖は何のリアクションも示さなかった。
「なんであなたはっ、そうやって命を軽く見るんだよっ!」
「激情か? そうやれば何かなるか? 感情は何かするきっかけにはなるが、何もしてくれないぞ。命の重さの感じ方は人それぞれだ。それを正したいなら人権団体にでもなれ。俺は俺の感じたままのことを言っているだけだ。そういう意味においてお前と大差はない」
「ふざけるなっ」
「立浪は優秀な人材だった。亡くして惜しいとは思っている。それが俺なりの悼みだ。江崎も長く協会のために尽力してくれた、年のせいで体がそこまで自由ではなかったからな、そういう信者のケアはお手の物だった。守島のおかげで女性信者が爆発的に増えた、少々ヒステリー気味だったのが残念だったな。水島はがさつな男だったな、片付けや整理整頓が嫌いな奴だったが、そんな男でも協会の中では見事に役割を果たしてくれた。仕事で忙しい中、社会人の信者を増やしたやつの功績は素晴らしい。――しかし、もう死んだ以上、何か思うだけ無駄だ。あとはせいぜい、向こうで幸せになればいい。俺は興味が無い」
まくし立てるように教祖が亡くなった幹部たちへの思い、いや評価を口にしてる間にも雨は強くなっていき、傘をさしていない彼を濡らしていく。運転席から矢倉さんが出てきて、すぐに教祖のために傘を広げて、そして自分が濡れるのをいとわず教祖にさした。
「蓮見よ。人なんて、そんなものだ。呆気無く死ぬし、そしてそれはすぐ忘れられる。忘れられるし、忘れるんだ。人はそうしてきた。それに従ってるだけだ」
「本当に……なんとも思わないのか?」
「心から悼んでいるぞ。心が痛んでいないだけだ」
もう話すことはないと言わんばかりに教祖は事件現場のビルへと向かっていき、警察と何か話したあと、中へと入っていった。
彼らが消えた後、思いっきり黒のセダンのボディを蹴った。
「長生きしてね」




