策略
今までのお話をお読みの上、読んでください。
4
その人物は夜道を歩いていた。いつもどおり自宅に帰るため、少し足早に街頭の下を歩きながら、明日のスケジュールを頭のなかで組み立てていた。
人の気配を感じたのはそんな時だ。振り向く前に向こうから声をかけてきた。
「あの事件で奇妙なところは、被害者が襲われただけということだ」
聞き慣れた声。思わずそれに足を止める。
「目的がわからなかった。殺意があったなら、きっと事件の後もチャンスを伺うだろうし、そもそも大声をあげられる前に殺してしまう。じゃあ殺意がなかったと仮定すればどうなるか。事件そのものが矛盾する。単純に脅かしたかった、そんなところか。けど、それもおかしい。脅かす方法ならいくらでもある。なんで犯人はあんな犯行に及んだのか、分からなくなる」
彼女の声がゆっくりと近づいてくるのに、その人物は動かなかった。走って逃げたりすることは可能だが、そうしたところで何もならないことを理解していた。
「なら犯人の目的は何か。そう考えた時、こんなことが思い浮かんだ。事件が起きたことで犯人にとって得なことが起きれば、それは犯行動機になりえる。単純に襲うことが目的じゃない、傷害事件を起こし、警察が動きだすことこそが犯人の目的なら、あの事件の謎は全て解ける」
いつの間にか彼女は自分の真横にいたが、その人物はそれでも動かなかった。いずれこうなることを予想も覚悟もしていたからだ。極めて冷静だった。
「上杉透くんの死……それが原因だね?」
そこまで調べたのかと驚くことさえできない。彼女は目の前にきて、その人物と向き合う。なんだかいつもより疲れた顔をしていたが、目は鋭かった。瞳には怒りと悲しみが入り交じっているように見える。
「答えてくれ……春川」
彼女、蓮見レイの問いにその人物――春川は、小さく頷いた。
5
バシンっという大きく乾いた音が夜道に響く。私の振り上げた平手が、春川の頬を打つ音だった。彼女は打たれて赤くした頬を片手で抑える。
「……痛いわ」
「ふざけるんじゃないよっ! なにが痛いだっ!」
怒りのまままた腕を振りあげるが、頬を赤くした彼女の姿を見て、その手を振り下ろすことができなかった。だけど怒りが収まるわけもないから、近くにあった電信柱を殴った。
「君も私も男だったら良かったのにねっ、そしたら遠慮無く、もっと力強く殴れるのにっ!」
ここが夜道ということも忘れて叫ぶと春川は頬をさすりながら「そうね」なんて呟いた。
「……あなたまで、騙す気はなかったのよ」
「そんな話じゃないっ、私を騙したことなんてどうでもいい! どうしてこんな馬鹿なことをしたんだよっ、私はそれに怒ってるんだよ! 君ならわかるだろ!」
春川の事件が、彼女の自作自演だと気づいたのは父との電話を終えた直後だった。未だに信じられないが、彼女が認めた以上、もうそういうことだろう。
通りで彼女の証言通り犯人を捜しても見つからないわけだ。あんなの全て偽証だったのだから当然だ。そして彼女が時々自分の事件の捜査をやめろと進言したのも、犯行が露見するのを恐れてのことだろう。
「透くんのことまで調べてるんだから、どうしてかってことくらい分かってるでしょ……」
「……さよちゃんのためかい?」
春川がふふっと弱々しく笑った。
「やっぱり会ってたのね。高校時代の話をされたとき、さよから聞いただろうなって思ってたわ」
「やはり君は、さよちゃんが同じ大学に入学してたことを知っていたんだね?」
「当たり前……あの子は、特別。私がちゃんと自立させなきゃいけない子だった……」
春川がさよちゃんの存在に気づくきっかけはいくつかあった。あんな目立った格好で春川の調査をしていた彼女だ、春川が気づいても不思議じゃない。けどおそらく、春川は彼女が入学する前から彼女が自分の後を追ってくることを知っていたんだろう。
そう、春川は言っていた。私が彼女から高校時代のことを聞いた夜、時々OBとして高校を訪ねていたと。きっとそのときにさよちゃんが自分の後をおって同じ大学に入学することを聞かされたんだろう。
そして、上杉透くんの死も。
「さよは……元気?」
「春川、それは自分で確かめろ。いいかい、これは命令だ。君にはその義務がある」
おそらく出会って初めて私は強い口調で春川にそう命じた。
「……意地悪ね。私がそんな勇気ないこと、気づいてるんでしょう?」
「だから勇気を出せって言ってるんだ。いいかい、彼女は君を追ってここへ来た。そして君は……君は、彼女のためにこんな事件まで起こした。……方法の是非はどうあれ、もうわかってるだろ? 彼女は君を恨んでなんかいないんだよ」
春川がさよちゃんの存在を知りながら会わない理由は想像できる。さよちゃんが春川との再会に怖がっているのと同様だ。春川もまたさよちゃんに許してもらえるだろうかという恐怖があった。
「君は……さよちゃんを守りたかったんだろう」
春川は答えない。それでも私は続けた。
「なにからかなんて愚問だろうね。『クロスの会』、あの教会さ。君は透くんの死と、さよちゃんの入学を同時に知ったんだろうね。そして、透くんを失ったさよちゃんが『クロスの会』と関わりを持つことが、怖くなった」
それが、春川が自作自演の事件を起こした動機。彼女はさよちゃんの入学を知り、それ自体は喜んだかもしれない。しかし、透くんの死も聞かされた。
さよちゃんにとって、透くんはただの幼馴染ではなくいつも一緒にいるパートナーみたいなものだった。それは春川のほうがよく知っているだろう。だからこそ彼女は、その存在を失ったさよちゃんがどれだけ傷ついているかもよくわかったはずだ。
そして同時に、『クロスの会』のことを思い出した。大学の自治会長である彼女のことだ、学内でも布教していたり、生徒の中に信者がいる協会がどういう宗教か知っていたんだろう。そう、死者に会いたいと願っただけで会えるという、あの教会のことを。
だから春川は焦った。今までは大学に迷惑もかかっていなかったので、見過ごしていた宗教だったが、入学したさよちゃんがもし『クロスの会』のことを知り、そしてそこに入信してしまったら……彼女はこれを危惧した。
「ええ。怖かったわ、本当に。別にあの教会がってわけじゃなかったわよ……さよが、あの子が現実から目を背けるかもしれないって考えると、ゾッとしたのよ」
「そう。だから君は、さよちゃんと協会が繋がらないようにすることにした。本来なら、君がさよちゃんとすぐに再会して、協会と関わらないように導くべきだったが、君はそうしなかった」
「違うわよ、できなかったのよ」
「いいや、しなかったんだよ、春川。君は怖くて逃げただけだ。かつて自分が傷つけた後輩にもう一度会うのが、もしかしたら今度は自分が拒絶されるかもしれないというのが、怖くなったんだ。だから望めばすぐにそうできたのに、会うことを拒んだ」
今度は春川も反論してこなかった。自覚がなかったわけじゃないんだろう。
「だから君は考えた。自分が見ていなくても、彼女が協会と関わりを持たないようにするためにはどうすべきか。そして君は、大学から協会を追い出すという極論を導き出した」
もっと他に手段はあっただろう。しかし春川は絶対に彼女と協会を近づけたくなかったので、徹底的にすることにした。だから大学内から協会の排除ということを選んだ。
「しかし正当法でいっても協会がはいそうですかというわけもない。だから君は、大村さんの事件を利用することにした」
彼女のことだ、排除するにしてもいくつかプランは用意しただろう。しかし一人の大学生ができることなんて限られている。例え彼女が自治会長でも限界がある。だから、彼女はその範疇でできる、最悪の方法を選んだ。
「……どうせ警察が調べれば、あの事件とは無関係と分かったはず。それも計算だった。お父様には申し訳ないことをしてしまったわ」
「私でも父上でもなく、自分が誰に一番ひどいことをしたか、言わなきゃ分からないかい?」
私や父、警察を騙したことに怒りを覚えていないというと嘘になる。けどそんなものを圧倒する激怒を感じているので、今はどうでもいい。春川は私の怒気を感じ取ったのか、それには答えなかった。
「少なくとも殺人事件が関係しているかもしれない宗教というのは怪しい。しかしそれだけじゃ大学から排除はできない。大学にそう提言しても協会とのいざこざを疎ましくおもって腰をあげなかっただろうし、協会は協会で自分たちの自由を主張しただろう」
事実、春川が立浪さんにそうして欲しいと要請しに行ったが、受け入れられなかった。あの時は彼女には残念な結果になったなと同情していたけれど、実は違ったようだ。
あの出来事さえ彼女の予想通りで、計画通りだったんだ。
「君は正当法じゃいくらやっても無駄なことを察し、強硬手段にうってでた。どうすれば大学が協会に布教活動を止めるように要請するか、そしてまた協会がそれを受諾するにはどういう状況が必要か。事件を知った君ならすぐに思い浮かんだはずだ。もう一件怪しい事件が起き、その被害者が大学の生徒ならば、大学も協会も自分の思い通りに動くとね」
もちろん都合よくそんなこと起こるはずもない。だから起こすしかない。……どんな理由があろうと、私はその理屈を理解しない。いや、したくない。
「私と君が協会に行った日、君の目的は立浪さんと会うことなんかじゃなかった。君の本来の目的は、自分があそこに訪れていて協会を敵視したという事実を作ることだったんだ」
今思い出せば、あの日の彼女は随分と疲れているように思えた。だからこそ声をかけたんだけど、あれは疲れていたんじゃない。これから自分がすることに、不安を覚えていたんだ。いくら彼女でも警察を騙すとなると、平常心ではいられなかっただろう。
それに立浪さんとの話し合いもそうだ。あの時彼女は彼の話にいとも簡単に黙ってしまい、反論もろくにしなかった。いつもの彼女ならもっと食って掛かっただろうに。そうしなかったのはそうする必要がなかったからだ、あの時すでに彼女の中では腹は決まっていたし、計画も動いていた。
「そしてその日の夜、自作自演の事件を起こし、警察に通報した。そして警察に何か思い当たるフシはないかと質問され、協会のことを答える。警察がそれを無視するわけもない」
そして警察は当然協会に連絡する。協会だけじゃない。彼女が大学の自治会長として協会に足を運んでいた以上、大学にも確認に行ったはずだ。自治会長が、危険を提唱していた協会に足を運び、その日の夜に何者かに襲われたとなると大学も動かざるをえない。
そしてそんな状況では協会も真っ向から対立するということもできない。
なにせ結果として本当に大学は協会に学内での布教活動の自粛を要請し、協会はそれを受け入れている。あの出来事こそが春川の計画で、計算で、望みだったんだ。
これで協会は学内から排除され、さよちゃんと協会が関わることもない。彼女はさよちゃんさえ気づかない場所で、後輩を守ってみせたんだ。……方法は歪んでいるけど。
「……あの日」
春川が自分の上にある街頭に視線を向けて話し始めた。
「私とあなたが協会に出向いた日。私の計画じゃ一人で行くつもりだった。けど、あなたに声をかけられた」
あの日、確か私は部室で春の風景を楽しみながらビールを飲んでいた。そしてたまたま彼女のことが目に入り、追いかけた。
「あの時よ。あの時ね、ああダメだって思った。計画の最初なのに、そこで失敗したって確信したわ。だから……いつか、こういう時が来るんだろうなって覚悟はしてたわ」
春川の計画に私は入っていなかった。当たり前だ。だけどあの日、私は彼女に声をかけて、そして彼女が向かおうとしている場所に同行すると言い張った。彼女にとっては最悪だっただろう。
「……でも、思いとどまらなかったんだね?」
春川がこちらに目を向ける。今にも泣き出しそうな表情だった。
シンプルプラン。
5章の章題です。
これはあるクライムのベルからいただいたもの。




