根城
蓮見と春川は「クロスの会」の本部で、幹部の男とあうことに。
「立派な建物だ。一見するとどこかの企業かと思うね」
春川とともに着いた『クロスの会』の本部の建物を見上げながら、私は素直にそんな感想を漏らした。ガラス張りの高いビル。そしてその周りにはいくつか小さな、小さなといっても一軒家くらいの大きさの建物があった。
「私も来たのは初めてだけど、すごいものね」
さすがの春川も驚嘆していた。ここまで大きなものだとは思っていなかったらしい。
「君、『クロスの会』についてはどのくらい知ってるのかな」
「おおざっぱなことばかりよ。今の信者は五千人弱、ほとんどこの周辺の人間よ」
「ここが本部ってことは、支部もあるのかな」
「いえ、この周辺に根付いた宗教だから、そういうのはないみたいよ」
つまり、ここにある建物は城だ、この周辺を統べる組織の。今にも怪しい霧でも立ちこめるじゃないかという雰囲気は持っている。ミステリ小説が好きな人間ならよだれを垂らすところだろうが、私からすればちょっと悪趣味に見える。
「変なことにならないことを祈るよ」
本心からそう思う。さすがにここまで巨大な組織と何か問題を起こすのは、得策じゃないどころの騒ぎではない。向こうからすれば私たちなど小さな存在だろう。
「心配いらないわ。話し合いだけよ、今日は」
「それは向こう次第だけどね」
本部であるガラス張りの建物の中へ入る。回転ドアを通って、正面玄関に入るとそこには広大な空間があった。きれいなタイルの床に、日差しがよく差し込んでくる窓、そしてところどころにある植物とベンチ。
そしてその空間に一人の女性がいた。受付カウンターの中に、毅然として座っている。彼女へと近づいていくと、丁寧に頭を下げられた。
「ようこそ、『クロスの会』へ。入信希望でしょうか」
「いえ、そうではないんです。立浪さんと約束をしていた者なんですけど」
「立浪様と」
ふつう、訪問者は人の名前に敬称をつけるが、身内はつけないだろ。それを「様」という最大級の敬称をつけるあたり、ここがやはりふつうの場所ではないということ表していた。
「確認いたしますので、お待ちください」
彼女はカウンターの中にある電話に手にした。
「何か大物が出てきそうだよ」
私が春川に耳打ちすると彼女は澄ました顔でうなずいた。
「望んでいたことよ」
この物怖じしない姿勢、素晴らしいね。怖いもの知らずというやつだ。私もこういう図太い神経を持っていたかったものだよ、まったく。
カウンターの中の女性、胸に小さな名札がついていて矢倉というのが分かった。矢倉さんは電話に向かってはいはいと応答を繰り返し、最後に分かりましたと締めくくり、電話を置いた。
「立浪様がこちらにいらっしゃるそうです。しばらくお待ちくださいませ」
よかったらあちら方でと、ベンチの方を指さした。春川がいいですと断ろうとしたのを遮り、私は「ありがとうございます」と礼を言ってベンチの方へ向かった。
「何、足がふらついてるの?」
「さすがにそこまで弱っちゃいないさ」
私はベンチに腰掛けて、春川を隣に座らせた。
「いいかい、君。心得ていてほしいけど私たちはまだ二十歳の女だ。何かあったら何もできない。今日は本当に話し合いだけだ。決別したら、素直に退くんだよ」
「何よ急に。分かってるわ」
なんで私がこんな釘をさしたかというと、妙にこの建物に漂う空気に嫌な感じがしたからだ。静かすぎる。この空間に女性一人しかいないのも異様だし、その彼女がそれをいやがっていないのも少し怖い。
彼女が「様」という言葉を使ったとき、この人たちはお金でつながってるんじゃないと理解した。そしてそれが怖かった。何か見えないものでつながっていて、それで主従関係が成り立っているんだとすれば、何をされてもおかしくない。お金なんかよりずっと束縛する力が強い。
ましてや、ここは言うならば敵陣だ。気をゆるめちゃいけないだろう。
無駄に広い空間に、静かで落ち着いた靴音が響いた。私たちよりも先に矢倉さんが立ち上がり、そちらの方へ体を向けて深いおじぎをした。
エレベーターから一人の男性が降りてきて、こちらへ向かってきていた。私たちも立ち上がって頭を下げる。若くはない、もう四十代手前だろうという男性だ。前髪に少し白髪が混じっている。
「わざわざこちらまで来ていただいてすいません」
それが向こうの第一声だった。
「いえ、会いたいと言ったのは私ですから」
春川が屈託のない笑みを浮かべる。彼女のあたりさわりのない返事に、彼はそうですかと言った後、私の方へ目を向けた。
「今日はおひとりだと伺っていましたが」
春川が何か言う前に私が口を開いた。
「初めまして、蓮見レイです。今日は『クロスの会』の見学と春川の付き添いなんですけど、ダメだったでしょうか」
隣で春川が目を見開いて驚いていた。私が丁寧口調で話すのがそんなに驚きかな。私としていつものハートフルな口調の方が可愛らしくて好きなんだけど。
「いえ、それなら構いません。どうぞこちらに」
彼は私たちを連れてエレベーターに乗り、十五階のボタンを押した。ボタンをみる限り、この建物は二十階まであるらしい。どうりで大きなわけだ。
「ずいぶんと大きな建物ですね」
「ええ、莫大な費用がかかりましたが信者が増えていたので仕方なかったんですよ」
「信者が多いと部屋数も必要に?」
「はい。『交流』はできるかぎり一人でやりたいでしょうし」
いきなり『交流』という単語が出てきた。この宗教で行われてる儀式か何かだろう。
「そういえばお名前を伺ってません」
『交流』について聞きたかったのに春川が口を挟んできた。
「ああ。申し遅れました、立浪、立浪寬司と申します。この『クロスの会』の代表代行です」
「代表代行ということは、かなり上位の人ですね」
いえいえと彼は苦笑いで首を横に振った。
「ここは基本的に上下関係はありません。ただ代表、つまり教祖が選んだ六人が代行を勤めています。その一人だということです。信者たちからは頼られますが、教祖があまり外へ出たがらないのでその代わりをやっているだけですよ」
「つまり、代表代行が六人もおられるんですか?」
「はい。おかしな話でしょう?」
おかしな話だというのなら、代行が六人もいるということより、代表である教祖が外に出たがらないということだ。教祖なのにそんなのでいいのだろうか。いや、これだけ大きくなるとそっちのほうが神秘的なのかもしれない。
しかし、六人組の組織か……。なんとなく、不吉な数字だと思ってしまう。
話しているうちにエレベーターが止まった。降りてから案内されたのは「相談室」と呼ばれている部屋で、彼が扉を開けてくれたのでそのまま入る。
「ここは私とほかの代行、そして教祖が話しあったりする場所です。ただ私が信者の悩みなどを聞くので相談室と呼ばれることが多いですね」
「悩みの相談までやるんですか」
「邪心や迷いがあっては『交流』がうまくいきません」
また出た。春川は不思議そうな顔をしてない。おそらく彼女はここに乗り込むにあたって、この宗教のことはおおまかに調べているんだろう。予習復習しっかりするまじめタイプの人間だから。
相談室は何かのファイルが並べられた本棚が壁を覆っていて、部屋の真ん中にソファーがテーブルを挟んで設置されている。
私と春川が並んで座り、立浪さんが向かいあうように座った。
でかい宗教の本部って空気やばいですよね。なんか独特で。