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罪咎

春川の知った蓮見は……。

 普通の人なら何を根拠にと笑い飛ばす発言だったかもしれない。けど、春川を知り、彼女と交流のある人間ならこれが冗談でも、過剰な自信でもないということはわかる。さよちゃんの話でもわかったが、彼女の記憶力というのは桁外れなんだ。

 ましてやそれが、三年間一緒にいた人物たちとなると、彼女がここまで断言できるのもうなずける。

「私を襲った奴は彼らの中の誰でもなかったわ」

「……なるほど。なら、その言葉、信じさせてもらうよ」

 そもそもその中の誰かとしたら、きっと春川は通報なんかしないだろう。

 一口だけ水を飲み、少し心を落ち着かせる。実を言うと、春川にこうして彼女自身のことを訊くというのは初めてだし、彼女が自分を語るのも初めてだ。もっとこう、明るい話題だったならそれも楽しかったんだろうが、そうもいかない。

「君を襲ったやつは高校の知り合いじゃない。それは信じる。なにせ、君の言葉だ、信じないわけにはいかない」

 冗談でもなんでもなく、私はそう思っている。彼女が嘘をつくメリットがないというのもあるが、彼女が嘘をつくはずもないと信じているのが大きい。

「じゃあ、これはもうただの好奇心で質問するけど、高校三年生の時、なにがあったんだい?」

 彼女の言葉を信じるのは本当だ。そこに嘘はない。ただ、彼女が気づかなかっただけというのを、私は少し考慮していた。高校の頃の友人達を忘れていないけど、それに気づかなかったことはあるだろうから。なにせ、状況が状況だし。

 私の質問に春川はしばらく黙ったままだったけど、小さく、なにか諦めるようにため息をつくと、ゆっくりと話しだした。

「高校三年生のとき、私はクラスメイトをはじめに、今まで関わった子たちと縁を切ったの。もちろん、今思うと本当にありがたいことに、それを嫌がった子もいてくれた。けど私はそうした。みんなに冷たくあたって、今まで使ったこともないような、今後二度と使いたくないような言葉を使って、みんなから距離をとった。ひどい仕打ちもたくさんしたわ。そうして、孤独になることにしたの」

 今の春川からは想像もできない行動だった。それは想像してくださいと言われても、無理だ。なにせ私のしる春川は、私と出会った二年前からもうずっと誰かが側にいたし、今はもう囲まれているといっても過言でないくらいに人望がある。

 そして彼女もその彼らをひとりずつ大切にしている。

「なにか、嫌なことでもあったのかい?」

「別になかったわ。嫌なことなんかなかった。あったのは、良いことよ」

 春川はソファーに腰掛けて、天井を見上げた。

「高校三年生のあるとき、一人で本を読んでたの。別にその本は重要じゃないわ。ただなぜかそのときに、私ってこれでいいのかなって、生まれて初めてそんな疑問を持ったの。私、あなただってわかるでしょうけど、人に頼られること好きなのよ」

「まあ、それはわかるよ。私が知るかぎり、君は世界一の世話焼きだからね」

「そうね。けど私の知る限り、世界一はあなただけど」

 そんなことを言い合って、小さくお互いに笑った。

「子供の時から、ずぅっーとそうだった。人に頼られるのが好きだった。誰かのため、みんなのために動くのが大好きだった。嘘臭いけど、嘘じゃないわ。詭弁に聞こえるかもしれない、偽善と思われるかもしれない、けど私にはそれが本当に自然なことだったの」

 彼女を知っていれば、それが嘘じゃないことくらい、ましてや詭弁や偽善でもないことくらい、簡単にわかる。

「小学校も中学校も、もちろん高校もそうやって過ごしてきた。ありがたいことに私にはリーダー的な役割がよくできた。いつの間にか、いつでも誰かに頼られるようになってた。それが当たり前になってた。嬉しかったわ。幸せだった。だからずっとそうやってきた。けどね、高校三年生のあるとき、ああこうやって学生でいられるのももう少しだなあって思ってたら、なんかね、私このままでいいのかなって思った」

 ずっと誰かに頼られることを当たり前としてきた彼女が、初めてその行為そのものを疑った。それはなんというか……。

「衝撃だったかい?」

「ええ、すごい衝撃だったわ。雷にうたれたみたいだった。そう思ってしまってからは、もう駄目だったわ。もう何をしても虚しいだけだった。その行為が全部、余すところなく全て、無意味に思えた」

 これはもうほんとうに勝手な想像だけど、春川だって子供だったということだと思う。彼女はずっと誰かに頼られることを、それに応えることを当たり前としてきたから、それが彼女の中の大きなアイデンティティだったんだろう。大きなというより、それがほぼ全部だった。

 その彼女をつき動かしていた、彼女を支えていた根本が揺らいだ。他にもアイデンティティがあればそれで正気は保てたかもしれない。けど彼女はそれができなかった。彼女に、他なんかなかった。

 そして根っこかが駄目になった木は、もう倒れるしかない。

「気づけば、私はみんなと縁を切るという選択をしてたわ。恐ろしいことに、それさえどうやればいいか簡単に考えついた。すぐに実行したわ。……本当、思い出すのもいや。私、自慢じゃないけど記憶力はいいの。何があったか、覚えるのは得意。けど未だに、あの時自分が泣かせた人の数だけは覚えてないわ」

 それは興味が無いから数えてなかったのか、本当に数えきれなかったのか、本能のどこかで数えたくなかったら数えていなかったのか。

 きっと春川に甘えていた生徒はさよちゃん以外にもいただろう。同じような仕打ちをされたんだろうな。ただ今の話を聞く限り、春川を恨むのは、無理難題だが、やめてあげて欲しい。

「結局、逃げるようにこっちの大学に進学して、地元から離れることを選んだわ。一人暮らしがしたいなんて嘘よ。あそこにいられなくなっただけ」

「ふふっ、なら私は悪いけど、君の高校三年生のときの悪行を責められないね」

 春川が首をかしげる。全く、鈍いなあ。

「君があの大学に来なきゃ、私と君は出会わなかったわけだ。君の地元の人達には悪いけど、私にとっては運命みたいなものだよ」

 冗談めかしで言っているけど、彼女との出会いというのは本当に良かったと思っている。大学では色んな人達と関わりを持ったが、彼女ほどの出会いはない。いい友人をもてたと、それだけで私は大学生活に価値を見いだせる。

 春川は一瞬に呆気に取られたあと、またため息をついた。

「呆れるわ……ありがとう。――結局、みんなと縁を切った後一人の時間が増えた。そこでまた気づいた。とんでもなく、虚しかった。なにもしないなんて性に合わなかったし、誰にも関わらないなんて辛かったし、一人は……怖かったわ」

 当たり前だ。人は一人で生きられない。一人で生きられるという人は強いんじゃない、壊れているんだ。孤独は嫌なものだ。ただ、彼女の場合は子供の頃から誰かがずっと側にいてくれたからそういう恐怖とも無縁だったんだろう。

 そしてそれを知った時、目がさめる。

「そこで初めて、間違ってたって気づいた。だけどもう後の祭りだったわ」

 彼女が具体的にどんなことをしたかは、怖くて訊けないし、聞きたくもない。彼女も口にしたくないだろう。しかし、それだけの人を傷つける行為をしたのだから、もう取り返しはつかなかったはずだ。

「だから、大学に入ってからはまた元に戻った。それがあなたの知っている春川という人間よ」

 全部失ったから、ここでやり直した。そういうことか。彼女にしたら辛い一年だっただろうな。もちろん、彼女以外にとってもそうだろうけど。

 春川は笑顔を向けて「どう?」と尋ねてくる。

「これが私のエピソード。はっきり言うわ。恨まれてるでしょうね。どう、軽蔑した?」

「軽蔑? まさか、むしろ萌えたよ。君の意外な一面を知れたんだから」

 私はソファーに座る春川に詰め寄り、顔をうんと近づける。

「私を舐めないでくれ」

 たかがそれだけのことと言うと、さよちゃんをはじめとした春川の高校時代の友人たちを怒られてしまうだろうが、私から言わせればそれはもう本当にそれだけのことだ。私が知ってる彼女は、大学時代からの彼女で、そしてその彼女の姿は彼女がそうあろうと思い、そうありたいと願った姿だ。

 どうしてそれを軽蔑する必要があるのか、私にはわからない。

 春川は私の顔をしばらく見つめた後、照れたように微笑んだ。

「あなたは、やっぱりすごいわ」

「そうだよ。ちなみに脱いだらもっとすごい」

 下世話な冗談を二人で笑った後、私は彼女の隣に腰掛けた。

「君からそういう話を聞く日が来るとは思ってなかった」

「私だって、あの時のことは誰にも話さないつもりだったわよ」

 やはり春川はその時の行動をひどく後悔しているようだった。

「地元には戻らないのかい、後悔しているのなら尚更」

「今でも時々戻ってるわよ。高校だってOBとして訪問することがあるくらいよ。一人、未だに私を頼ってくれる後輩がいたの。その子にも相当ひどいことをしたのだけど、去年、その子が卒業するまではそのツテで地元に帰るたびに高校へは行っていたわ。けどね、もう私がなにをしたって以前の関係に戻すなんてできない。それはもう、罰なのよ」

 罰。彼女がした罪に対するもの。彼女自身がそう感じてるのなら、それはもう私がどれだけ言葉を費やそうとそうなのだろう。人と人とは繋がれる。しかしつながっていた縁を切って、修復するのは存外難しい。

 彼女のことだ、なんとかできないかくらい考えただろう。結果として彼女が考えて出した答えがそれなのだから、もうそういうことだ。

「……レイ、あなたが何を疑っているかくらいわかるわよ」

 そりゃそうだろうね。私もそれくらいわかっている。

「私たしかにひどいことはいっぱいしたけど、あれが殺されるほど恨まれることだったかはわからないわ。人を傷つけておいてそんなことを言うのは、本当に勝手だけどね」

 いや、それは私も考えていた。確かに彼女に恨みを持っている人間がたくさんいるというのは大きな手がかりになるけれど、彼女が犯罪にでも手を染めていないと襲われるほどのことに発展するだろうかという疑問はある。

 そもそも彼女が恨みをかったのはもう三年前のことだ。高校の関係者だとしたら、どうして今になって行動したのかという疑問だって出る。

次回で三章お終いです。

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