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邂逅

さよは、春川との出会いを語り出す。



 胡桃沢さよはその日、一人だった。こんな言い方をすると彼女が常日頃は大勢で行動しているように思われるかもしれないけれど、彼女は基本的に一人でいることが多い。ただいつもは幼馴染が一緒に行動することもある。その彼も休みだったので彼女は一人だった。

 中学に入学して一ヶ月近くが経っていたが、さよは未だに中学に全く慣れていなかった。もともと適応能力というものがろくない彼女にとって、六年も過ごしてきた小学校の感覚がそう簡単に抜けるはずもなく、また急に中学校に対応できるはずもなかった。

 人見知りの彼女にとっては、知らない顔が一気に増えたのも悩みの種だった。同じ小学校出身の友達たちがフォローしなかったら、彼女は倒れていたと思う。

 そんな彼女にしたら、学校というところは決して気が休まる場ではなかった。むしろ長居すればするだけ、彼女に何らかの影響を出す場所だった。

 だから彼女はその日、授業が終わってすぐに帰ろうとしていた。帰りのホームルームが終わって、カバンに教科書の類を詰め込んで、さあ帰ろうと席を立った時に、担任に声をかけられた。

「胡桃沢、悪いけどこれを図書室に返しておいてくれないか」

 担任がそう言って差し出してきたのは授業で使った本だった。さよとしては断りたかったが、彼女にそんな勇気があるはずもなく、はいと口で返事をすることもなく、ただ担任の目を見ないように本を受け取り、そのまま教室を出た。

 さよはあまり本が好きではない。それは小説とか、漫画とか、そんなジャンルは関係ない。本が好きになれなかった。理由は簡単で、彼女は小難しいことが嫌いだったのと、物語の中の登場人物たちがいつも誰かに慕われていたりするのが、彼女からすれば遠い世界だった。遠すぎて、羨望を抱くこともできない。

 だから図書室も場所は知っていたけれど、入室したことはなかった。

 音を極力たてずにそこの扉をあけて入室してみるが、中は静まり返っていた。カウンターの中に司書さんさえいない。その代わり『返却の書籍はこちら』と書かれた小さな、図画工作の授業で作られたような本棚があった。

 どうやら司書さんは席をはずしているらしい。それは彼女にとっては朗報だったので、彼女はほっと息をはいた。

 早く用事をすませて帰ろうとしていた時だった。

「いらっしゃい」

 そんな声を後ろからかけられて、心臓が口から出そうになるほど驚いた。そのままの勢いで振り向くといつの間にか誰かが立っていた。

 そこにいたのは一人の女生徒。制服をこれ以上ないといわんばかりに着こなしていて、それには汚れどころかシワひとつ見当たらなかった。そして整った顔立ちに、川のように綺麗に流れた黒い長髪。

 自然に綺麗だと思った。

「見ない顔ね。一年生?」

 思わず自分が彼女の顔を見つめてしまっていたことに気がついたさよは、すぐに目を伏せて、とりあえず小さく頷いた。

「そう。私は春川というの。図書委員長よ。別に、何か仕事をしているとうわけでもないんだけど」

 彼女はそう自己紹介をすると、ごく自然に「あなたは?」と訊いてきた。

「ここにきた一年生の顔はもうだいたい覚えているけど、あなた初めてよね? 名前、教えてくれないかしら?」

 どうしようかとさよは混乱した。彼女は初対面の相手に自己紹介ができるほどの度胸など持っていなかった。

 しばらく黙ってしまっていると、彼女が先に口を開いた。

「あなたの持っている本、堺先生の借りていった本ね。ということは、三組?」

 思わず「えっ」と声を漏らしてしまう。

「言ったでしょ。図書委員長だって。放課後はいつもここにいるの。だから誰が何を借りていったかは覚えてるわ。堺先生、いつも本の返却を生徒にさせるのよ。しかも断れない生徒を狙ってね……今度がつんと言わないといけないわね」

 さよには図書委員長の仕事なんてわからないけど、そんなことができるのかという疑問は普通に持てた。

「三組ね……」

 彼女はそう一人で納得するとカウンターの中へ入り、そしてカウンターの中から薄い本、というか冊子みたいなものを取り出した。よく見るとそれは名簿のようだ。

「うーん……。ああ、胡桃沢さよさんでいいの?」

「ふぇっ」

 声を出すつもりなんてなかったのに驚きのあまり、みっともない声をあげてしまった。

「三組で貸出と返却の履歴がないのって少ないわ。あなたを含め十人だけ。うちの学校、漫画の貸出もしてるからここ人気なのよ。で、あなたを除いた九人は知ってるから。部活とかで知り合ってるの」

 だからあなたは胡桃沢さよさんよねと、確認してくる。もう頷くしかなかった。

 さっきからの言動でわかったけど、この人、春川先輩というのか、とにかく彼女はすごい記憶力なんだということだけは混乱する頭でなんとか理解した。

「そう。さよ……いい名前ね。これからよろしく」

 それがさよと春川の出会いだった。



「むしろさよ、よく春川先輩を知らず生活してたよね」

 翌日のお昼、さよは幼馴染の透とお弁当を食べてた。透は幼稚園に入る前からさよと仲良しで、彼女としては彼なしでは学校生活が送れないというほど、彼を頼りにしていた。この人見知りの彼女がとくに悪意に晒されずにいるのも、透がいるからだったりもする。さよとしては彼に感謝してもしきれないけど、彼はお礼を言うといつも顔を真赤にして「気にしないでいいからっ」となぜか逃げてしまうから、はっきりと感謝を表せたことはあまりない。

 そしてそんな透に昨日のことを話すと、透は春川にではなく、さよに驚いた。

「……有名な人、なの?」

「有名だよ。超をつけてもいいね。三年生で、図書委員長なんて役職にいるけど、本当はもっと色んなことをしてるよ。彼女が関わってないものなんて、この学校にないんじゃないかって言われてるくらいだから」

 透のその説明はおよそ信じられないものだったけど、納得はできた。だからこそ春川は昨日、瞬時にさよの名前を特定できたんだろう。

「先生たちからの信頼も厚いみたいだからね。僕も一度会ったことあるけど、本当、なんかとても中学生って感じがしないよ」

 たしかに、とても大人びて見えた。しかも先生からも信頼されてるのか。だから、堺先生にがつんと言うなんて言えたんだ。

「……スゴイ」

「うん。だからいくらさよでも、知ってるものだと思っていたよ」

「……ごめんね」

「い、いやっ、僕の方こそごめん! 知らなくてもいいよ! そうだよ、むしろさよが自然だよ!」

 透がすごく焦りだしたのを傍目に、さよは「世の中すごい人がいるんだな」なんて純粋に驚嘆していた。彼女からすれば、それはどんな物語よりも遠い世界で、信じられないものだったけど、昨日の彼女を思い出すたび、あの人なら可能なんだろうなと納得した。

 それからしばらくさよはいつも通りの生活を送った。変わったところといえば、校内でよく春川を見かけるようになったということ。いやもともと彼女は目立っていたのだけど、さよがそれを意識してなかっただけで、一度その存在を知ると無視できないものだった。

 いつも誰かと話していて、その誰かも非常に楽しそう。やっぱりさよからすれば遠い世界の人だった。

 そんなある日、さよは失敗した。

さよの過去編は次回に続きます。

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