発端
協会で仕事をしていた立浪にも連絡がはいり……。
4
立浪が仕事をやめたことを話すと、多くの人がなんて馬鹿な真似をしたんだと怒った。彼が務めていたのは一流の商社、そして彼もまた有望な人材だった。順調にいけば出世は約束されていたし、将来も安泰だった。
それでも彼がそこをやめた理由は一つだけだ。仕事がきつかったとか、人間関係につかれたとか、そんなものではない。そもそも彼はそんなものは感じないタイプの人間だった。仕事はきついものだと理解していたし、人間関係はつかれるものだと妥協していた。だから、何があっても「そういうものだ」と割り切れる性格だった。
そんな彼が仕事をやめたのは、そこで働き続けることにメリットを見いだせなかったからだ。そう、彼がそこでは頑張り、それを応援し、それを支えてくれる人物がいなくなったからだ。
「私はあなたを愛すけど、あなたは別に構わないわ。あなたは、あなたらしく生きて」
結婚式の日、これからずっと君を愛そうと言った彼にしたいして彼女が返した言葉だった。純白のウェディングドレスで、真っ白な心で、彼にそう言った。
そんな彼女のため、立浪は頑張り続けることができた。
しかし、彼女はいとも簡単にいなくなった。彼が彼女のためと頑張り続けいるあまり、彼女のことを見ていなかったせいで、彼女は死んだ。進行性の病気に彼女が蝕まれていると彼が知ったのは、彼女が死ぬ三ヶ月前だった。
「あなたの生き方の足を引っ張りたくなかったの」
彼女が自分に嘘をついてまで彼を偽り続けた理由がそれだった。結局、彼女は死ぬその時まで自分の体の事より、その他のことを心配し、申し訳なさそうにしていた。そして最期はまるで達観したように彼に微笑みかけて「あとはよろしくね」と残し、旅だった。
そこからはもう何をしてもダメだった。彼は自分がなんのために生きてるのか見出すことができなかった。
最初は妻をなくしたショックだろうと周囲も彼に対して同情的だったのが、時が経つにつれ「あいつはもうダメだ」という評価に変わった。気づけば与えられていた役職は奪われていた。
いっそのこと、自分も死んでしまおうとか考えていた時だった。
「死にそうな顔をしているな」
街を歩いていた時だった、そんな声をかけられた。声の主は若い男だった。
「ほっといてくれないか」
「何があったか話してみないか。いっそすっきりするぞ」
それに、と男は付け加えた。
「それに、もしかしたらあんたの望みを叶えてやれるかもしれない」
そんなことを言う男の表情はいたって真面目だった。やはり自分はおかしい、なぜか今のこの男の言葉に魅力を感じてしまった。いつもなら、いやこの前までなら馬鹿馬鹿しいと一蹴するような誘惑を、なぜか全く無視できなかった。
気がつけば立浪はすべてを男に話していた。話の最中、男は一言も発することもなく、ひたすら立浪を聞いていた。時折頷くだけで、表情をかえることもなかった。
彼が話し終えると、初めて表情を変えた。朗らかな笑顔だった。
「嘆くことはない、悲しむこともない。それは悲劇じゃない」
男が何を言っているかさっぱりわからなかったが、なぜか反論する気にはならなかった。
「――会わせてやる、その女に」
男が急にそんな不可解なことをいうと、立ち上がって「ついてこい」とだけ命令して歩き出した。なぜだか彼はそれに黙って従った。自分の精神が弱っていたというのが最も大きな理由だろうが、あの男にはもとよりなにかカリスマ性がある。
そして男に連れて来られたのは、小さな部屋だった。座布団が一枚あり、そしてその目の前に大きな仏壇のようなものがあるだけだった。仏壇ではない、なにか他にも色々と装飾されている。原型は仏壇だったのだろうが、それは仏教とかけはなれたものだった。
「座って、女のことを思い出せ。そして何を言いたいか、何を聞きたいかを考えろ」
「……それで会えるのか?」
男は不敵に笑った。
「お前が彼女を思っているなら、会えないはずがない」
そして立浪は男に言われたとおりにする。
そして――会えた。
「立浪様」
そんな声で現実に引き戻された。視線をあげるとお盆を持った矢倉さんが、相変わらず物静かに立っていた。お盆の上には水のはいったコップがのっている。
『相談室』にこもって書類を整理していたら、どうやらパソコンの前で少しうたた寝をしてしまったらしい。目の前のパソコンにはご丁寧に製作途中の書類が表示されていた。
しかしおかげで懐かしい夢を見た。自分とこの協会の出会うきっかけになった出来事だ。まだあの頃は小さかった協会も、今じゃここまで大きくなった。そう、あのあとすぐに仕事をやめてこの協会のために尽力した甲斐があって。
「ああ、君も夜遅くまでご苦労だね」
そんな気遣いを彼女は首に左右に振るだけでなんてことないと表す。
「どうぞ」
差し出されたコップを受け取り、一気に飲む。ほどよい冷たさが体に染み渡り、眠りかけていた脳も少しだけ目をさます。
「少しお休みになってはいかがでしょう。最近、気疲れすることが続いておりますし、一度しっかりおやすみになったほうがよろしいかと」
「いいや大丈夫だよ。これよりきつい仕事をずっと続けていたからね。それに今は休んでる場合じゃない」
そう、とても休んでいられる状況じゃない。脅迫状の件を警察に報告してから、また色々と仕事が増えた。代行の他の五人には仕事があるので、自分が一人でこなさなければいけない。しかも、藁をもすがる思いでほぼ無関係の女子大生まで巻き込んでいるのだから、ここで休むわけにはいかなかった。
「ならいいのですが。ただ、教祖様より立浪様のことは時より気をかけるようにと言われております。教祖様もやはり立浪様が心配な様子でした」
「大丈夫だよ。教祖にもちゃんとそう報告しておこう」
立浪と出会った頃の教祖はまだ活発的で自ら布教活動に勤しんでいたのに、最近はなぜか外に出たがらなくなた。それでも今の信者のことなどがあるので、教祖も忙しい。
「そういえば、今度の会合ですが全員ご出席ということになりそうです」
「そうか。よかったよ、さすがに今回の話し合いは重要だからね」
会合とは代表六人が全員集まり、定期的に話し合う場だ。時々教祖も出席するが、そこは教祖の意思にまかせているので、その時になるまでわからない。しかし教祖を除いたとしても、全員が揃うことは少ない。全員がそれぞれ事情を持っているので強制はできない。
しかしやはり事態を察してか、今度のは全員集まるらしい。
パソコンで時刻を確認すると、もうすぐ日付が変わりそうな時刻だった。
「私は今日もこっちで過ごすけど、矢倉くん、君は?」
「私はそろそろ失礼させていただきます」
「そうか。気をつけて帰るんだよ」
はいと彼女が返事をしたところで、机の上の電話がけたたましく鳴った。こんな時間に電話があるというのは、非常に珍しいことだった。
「誰だ。非常識だな」
そんなことをこぼしながら電話に出た。
『夜分遅くに申し訳ございません。警察です』
「ああ、ご苦労様です。しかしなんでしょうか、こんな時間に」
さすがに警察ともなればあからさまに文句を言うわけもいかないので、早く会話を切り上げることにした。
『確認したいのですが、水島修さんはそちらの関係者でしたよね?』
「ええ、間違いなくそうです。あの、水島さんが何か?」
妙な胸騒ぎがする。それはどうやら矢倉も同じのようで、何事にも無関心な彼女が珍しく電話をする立浪を興味深そうに見ていた。
『非常に心苦しいのですが……亡くなられました』
もうクリスマスも終わりですね。
皆様、今年は楽しまれましたか?
ちゃんと、誰かのぬくもりにふれましたか?




