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リンネは、男に打たれた頬に手を伸ばした。しかし、その頬よりもその手の痛みが酷い。穢れに触れ続けたリンネの手は、全体が熱傷を受けた皮膚のように仄黒く爛れてしまっていた。
元の肌に戻るだろうかと、そんな現実逃避に似た思いを抱く。そんな風に無駄な思考が働くなら、まだ動くことが出来る。そんな風に前向きに決意をして、リンネは両手を握りこんだ。奔る激痛も、皮膚が細かく裂ける音にも気付かない振りをして、今はただ強がることしかできない。
「お前には言いたいことが山程あるが、ここまで来て何もせずに帰る訳にもいかないだろう」
おい、そこの娘。とエンマを起すと、男は懐から緋い小瓶を取り出して与えた。咳き込みながら、その液体を嚥下したエンマは自身の変化に驚きの声を上げた。その反応を待つことなく、男はローレンに今度は緋と緑の小瓶の二本を与えるとまた踵を返した。騎士と侍女の背に隠されていたリンネは、何とかそこから這い出るようにして男に対峙した。
「莫迦な弟子にやる薬はないぞ」
「それは、構いません。でも、彼には薬が必要です」
リンネが寝台に目線を動かす。縋るような懇願をしても、男が何の感情を動かさないことをリンネは嫌という程によく知っていた。
男にとって、リンネ達が半ば生命をかけていることですら、嘲笑の対象でしかない。それ程に、男は死にゆく者に容赦がなかった。そんな風にしか生きられないから、何も期待はするなと幼い頃から何度も言い聞かされて育った。そんな男に譲歩させるには、リンネは可能性を示さなければならなかった。
「私は、まだやれます。それに、穢れさえ除ければ、ローレンの治癒魔法が使えます」
「それだけでは、まだ足りないな。なにより、お前が浄化の術を使えたなら、俺も考えたかもしれない」
確信を突かれた。それは、何よりもリンネが悔やんでいることだ。
男は、言っている。見捨てるべきだと。
無意味に術を行使することも、薬を使うことも無駄であると。
けれど、それでもと、リンネは男に言い募ることしか出来ない。そのリンネを後押ししようと、ローレンは「俺の生命と引換えでも、本望です。どうか、力を貸して下さい」と頭を下げた。男に与えられた薬を飲んだことで、男の持つ力に希望を持ったのだろう。
何度目かもう分からない程頭を下げたリンネを見ながら、男は溜息まじりの苦笑をこぼす。
「お前は、こうして俺に頭を下げる必要などなかっただろう。長にでも、俺にお前の言うことを聞けと命令させれば、それだけで良かっただろう」
「その命令で、あなたが全ての力を貸してくれるとは到底思いません」
「お前はそこまで、俺に求めているのか?」
「私は、あなたに共犯者になって欲しいのです。ただ、命令だけを聞いてくれる木偶人形が欲しいのではありません」