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その男が、リンネの元に到着したのは明け方に程近い時間のことだった。その頃には、リンネもエンマも力を使い果たし、息絶え絶えになっていた。
マークの様子に、目に見えた変化はない。二人は互いの力の限りを尽くしていた。それでも、足りないのだ。
「もう、続けるのは、無理よ。リンネの手だって、もう限界でしょう」
「私は、大丈夫。だから、だからエンマ、もう少しだけ」
リンネの手は、確かにもう極限状態だった。両手共に、ほとんど感覚がない程に消耗している。でも、耐えるしかない。今、放り出してしまえば、全てが霧散し無駄になる。
もう少しだけ。あと一度と、そう繰り返しても、先が見えない。
エンマの唱える術も、声が出ずにほとんど吐息に近くなっている。リンネの意識も、時折飛んでいた。
そんな時、屋敷の外から物音が聞こえた。静寂の中、物音ははっきりとリンネの耳に届いた。それは、馬の嘶きと人の足音だ。リンネは、急速に浮上する自分の意識に追い付かない身体に鞭を打ち、何とか居住いを正そうともがいた。エンマとて、その物音に気がつかなかった訳ではないが、もはや反応する気力が残ってはいなかった。
階下まで出迎えに行く力の残っていなかったリンネとエンマは、扉の外から聞こえてきた声に安堵の息を吐いた。
「姫様、マグヌス氏をお連れ致しました」
入室の許可を得てから、騎士と共に現れたのは酷く痩せた初老の男だった。纏う臙脂のマントはくたびれてはいるが、きちんと手入れをされているのが分かる。男は眉間に皺を寄せ、部屋に居る人間を一通り見渡すように視線を動かした。
毛布を被り、気を失ったまま眠りについているローレンに男が手を伸ばす。それを止めようとしたが、疲弊したリンネは咄嗟に動くことが出来なかった。漸くの休息を得たローレンに対する遠慮など、男にはない。案の定、目を覚ましたローレンの顔を一瞥してから、男は唸るような溜め息を吐いた。
「莫迦者どもが、生命の遣い方を間違えおってからに」
リンネ、エンマ、ローレンの三人に対して男は、ほとんど怒鳴り声に近い言葉をかけた。それが、男の第一声だった。男の怒りはそれだけでは収まらず、寝台にもたれかかるようにしながらやっとの思いで立っているリンネへと向けられた。
手加減されることなく、頬を打たれた。その衝撃で、リンネの身体は簡単に床へと跳んだ。平時であれば、そこまでの力はないが今のリンネには充分に過ぎる暴力だった。
傍に控えていた侍女と騎士は男からリンネをかばい、反撃の命令を待ちながら警戒の姿勢をとっていた。しかし、リンネはいっこうにその命を出さい。
それに気を良くした男は、鼻を鳴らしながら「その位の分別はつくようだな」とリンネに怜悧な視線を向けたのだった。