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「ついてこなくて構わないから」
そう侍女と騎士を視線で制して、リンネはローレンに続いて部屋へと入った。
並みの覚悟では、この空気に触れるだけで気を失いかねない。危険を冒してまでも、二人に無理を強いるつもりはなかった。これは、リンネ自身の戦いだ。他の誰のものでもない。
まっすぐに寝台へと足を向けるが、近づく度に心臓がドクドクと跳ねるように高鳴る。嫌な予感より、更に目を背けたくなるような現状に眩暈がする。それでも、ここでリンネが倒れてしまう訳にはいかなかった。
長い詠唱の後、ローレンの治癒魔法が発動する。それでも、寝台の上に横たわる男はピクリとも動かないままだ。
王宮内でつまらない言い争いをして彼らを探っていた間も、ずっと、ローレンは投げることなく、ただ懸命にマークを救おうと試みていたのだろう。憔悴と絶望に混じったローレンは、出し惜しむことなどなく全ての力をマークへと注いでいる。彼が、英雄となった男と心中しようとしているのだと一刻すら共にしていなくても容易に察することができる程に。
前胸部にかけて巻かれた包帯から、じわりじわりと出血が滲む。止血が十分でないのは、受けた傷が深いからだけではない。魔獣との戦いで最も厄介なものは、血の穢れである。魔獣に傷をつけ、その血を身体に浴びると血は怨念のように、人間にまとわりついていく。そして、魔獣は死にゆく間際に、その生命と引き換えに人間を呪うのだ。
「魔法の詠唱をやめなさい。このままでは、彼は助からない」
ぞっとする程に冷めた声だった。リンネという存在に一縷の望みをかけようとしていたローレンだったが、その声に絶望と反発を抱く。
「これ以外どうするというんだ?このまま、死ぬのをただ黙って見ていろとでもいうのか」
「離れて」
憤るローレンの横を抜けて、リンネは寝台に近づく。そして、懐から取り出した小瓶の蓋を急いで開けると、病人に液体を投げかけた。
ローレンが茫然としている最中、リンネは右手で印を結ぶと簡単な詠唱を繰り返す。
本来であれば、魔獣との戦闘を想定したなら尚更、人間は穢れを恐れる。その予防として、教会で布施を払い、祈祷を受け、聖水を持ち歩く。
教会の開示した祈祷者のリストに、マークの名前はなかった。教会以外の潜りの祈祷者や、国に申請していない祈祷所も存在はしている。そのいずこかに彼が立寄っていたならば、ここまで酷い穢れを受けることはなかったかもしれない。あまりに強力な魔獣の穢れに、彼は飲み込まれようとしている。まずは、穢れを払わなければ、治療さえままならない。
ローレンは、治療に必死になるあまり、穢れにまで気が回らなかったのだろう。ずっと傍に居たならば尚更、徐々に侵食していく穢れに疎くなるのも道理だ。
「ヨハンナ、協会に使いを送って。聖水をありったけと、祈祷の出来る人間をつかわせて頂戴」侍女に指示を与えながら、リンネは横たわる男を見下ろす。
彼は私の救いであり、私が彼の救いでありますように。