2
陰鬱な雰囲気が隠せないのは、仕方のないことだろう。魔獣自体は、国が回収し、この街から姿を消した。しかし、その魔獣が破壊した建物や荒らされた田畑の被害が消える訳ではない。
街の人々の何とも言えない表情を眺める余裕もなく、馬車はひとつの建物に到着する。
馬車から降り立つのは、この国の第三王女であるリンネ・アズウェルと侍女のヨハンナ・プレガーだ。馬に騎乗していた騎士が貴人の手を取り、二人を扉へと誘う。その姿を確認してから、御者は、馬車ごと王都へと帰還した。
騎士は何度かローレンの聴取に従事したが、マークの姿は見ていないのだという。
緊張した面持ちで英雄の従者ローレンと対面したリンネは、彼のその姿に驚きすぎて言葉をなくした。しかし、姫様と己を呼ぶ侍女の声で何とか我に返り、なんとか名を名乗る。
眼前に立つ男の顔色は生気が感じられないほどに蒼白く、何日眠っていないのか分からない程の隈が深い。憔悴しきっているだろうに、その瞳に宿る力強さに彼の意思を感じた。
「何をしに来た?ここにお前達は必要ない」
平時であれば、王族に対してこの物言いは有り得ない。侍女や騎士が抗議の声を上げようとするが、当のリンネがそれを制した。
「どうか、私をマーク様に会わせて下さいませ」
彼の瞳が、諦めないとリンネにそう告げている。ならば、これから妻となろうとしているリンネが諦めてはいけないだろう。
それに、王宮を出るにあたり、リンネは自分と賭けをした。夫が儚くなってしまえば、この賭けは成立しない。容易に王宮へと連れ戻されて、この結婚が白紙に戻されるのは目に見えているからだ。
「アナタが倒れてしまえば、この国は英雄を失い、私は夫を失うことになるのです。私が彼を害さないと、ここに誓います」
治療に必要となるものも、権限の許す限りでかき集めると約束すると、ローレンは漸く渋る動作でリンネ達に背を向けた。
マークの眠る部屋の扉の前で、ローレンは重い口を開く。「覚悟が必要だ」と。
その言葉に、リンネが深く頷いたことを確認してから、ローレンは扉をうっすらと開けた。
そこから漂う鼻が曲がりかねない腐臭と、部屋全体を覆い尽くす瘴気に、一同は顔色を変えた。重い足取りながら、その部屋の内部へと進んでいくローレンを呆気にとられて見送る。
この部屋へリンネを近づけようとしなかったのは、彼なりの優しさだったのかもしれない。そう思える程に、とてもではないが、この部屋は異様だった。ローレンが簡単にリンネの言葉に説得されたように見えたのは、この状況を予測してのことだろう。
じっとりと、身体の外側を覆うようにまとわりつく瘴気が、リンネの決意も何もかもを奪っていく。それでも、恐る恐る震える足を動かすことが出来たのは、彼女が普通の王族とは違うからだ。奪われていく生命の重さも尊さをも知る彼女は、自分の運命と向き合うために足を進めた。