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おねーさんに手を引かれて歩くこと数分。霧に包まれた漆黒の森の中を、おねーさんは迷いなくすいすい進んでいる。しかもこれまでに一度も魔物に会っていない。すごい。まさか、おねーさんは幸運の女神…?
「おねーさん、迷子にならないの?」
「あたしはこの森の魔女だから」
何でもないことのようにサラッと答えたおねーさんに驚く。え、だって、いきなり俺たちの探し人が現れたんだから驚くのも無理はないよね?
「……ってことは、おねーさんが二千歳のババアまじょ?」
「違うわよ! あんた会って間もない女に向かってババアなんてよく言えるわね!?」
なんだ違うのか。もしおねーさんが二千歳越えのババアだったらどうしようかと思ったよ。ロリばばあとか、ああいうのは二次元だから許されるんだ。現実に居たら普通にビビる。
「あれ? でもおれたち、この森のまじょに会いに来たんだけど」
「あんた…。普通に考えて魔女が一人なわけないじゃない」
「え、何人もいるものなの?」
俺の疑問におねーさんは呆れたようにため息を吐いた。う……。わ、悪かったな常識知らずで!
「あーら。魔女族が一人しかいなかったら、今頃魔界のゲートが滅んでるわよ」
おお、新発見。魔女は種族だったのか。しかもこの話しぶりだと魔女族はゲートと密接な関わりがあるとみた!
「どういうこと?」
「そりゃ、魔女族がゲートを創ったからね。管理も一任されてるの。初代魔王からの命令で、一族の使命ともいえるわ」
「へー」
初代魔王の頃から続くなんてすごい。まあ何年前から続いてるのか知らないけど。そういえば俺は何代目魔王なんだろ。
「リリスカットさまは何代目まおうなの?」
「あー…あの女は特殊だからねー。今のリリスカットは16代目じゃなかったかしら」
投げやり気味に答えられた。おねーさん、リリスカットのこと好きじゃないの? てか意外と数字が若い。俺は17代目ってことか。
「ま、いいじゃない。そんなことは。それより、見えてきたわよ」
そう言っておねーさんは前方を指さした。おねーさんが指さした方を見るが、そこには何もない。
「? 何が?」
「あーら。あんた、まだ錯乱魔法が解けてないのね。……うーん、こうも錯乱魔法が解けないなんて何かあるのかしら?」
最後の方は何を言ったか聞こえなかったが、錯乱魔法って何だろう。そのまま錯乱させる魔法ってことでいいのか? レオンさんが言っていた目くらましの魔法らしい森の霧もそれなのか。ん? じゃあ森一帯に魔法かけてるってこと? なにそれすごい。
「ま、いいわ。あたしが解いてあげる」
おねーさんはそう言って俺の顔に手をかざした。ぶつぶつ何かを唱えたかと思ったら、手から青い光が出る。突然の光にびっくりして目を瞑るとおねーさんが「ほら、目を開けなさいよ」と要求してきた。いや、貴方がいきなり魔法使うからびっくりしたんだよ? 先に一言あってもよかったと俺は思うな!
と、文句は心の中に留めてパチッと目を開ける。すると、さっきまで森に立ち込めていた霧はすっかり晴れていて、先程おねーさんが指さしていた方には木でできた家が数軒建ち並んでいた。
「うわあ! すごい!」
「ふふん。まあ、これくらいあたしにかかれば朝飯前ってやつよ」
「うん! おねーさんすごい! ありがとう!!」
おねーさんが自慢げだったので素直に褒めてお礼を言う。勿論俺自慢のニカッとした笑顔付きだ。おねーさんは俺が素直にお礼を言ったのが意外だったのか、きょとんとした後ちょっと顔を赤くして誤魔化すようにそっぽを向いた。おねーさん照れ屋なんだね。
「ふ、ふん! さっさと行くわよ!」
「はーい」
いきなり歩き出したおねーさんに手を引っ張られながら慌てて後を追う。ちょ、おねーさん速い! 歩幅が違うから! 俺の脚六歳児相応の長さしかないんだから早歩きされるとついていけないんだけど!
俺の足が縺れそうになってることに気づかないまま、おねーさんは早足で木の家へ向かった。
◆◇◆◇
数軒しか家が無いが、その一つ一つはかなり大きい。俺の実家の三倍ほどはありそうに見えた。おねーさんによると家には拡張魔法がかけられていて、中は見た目よりもっと広いらしい。いいなー。便利だな、魔法って。
おねーさんはこのコミュニティの入り口付近にあった家を素通りして、一番奥にある家まで進んだ。一番奥にあるこの家は他の家よりほんの少し豪勢に見えた。推測するにここがこのコミュニティの長の家なんだろう。
おねーさんは扉の前に立ち、緊張した面持ちで扉の横に備え付けられているベルを鳴らした。すると中から高い女性の声が返事をする。おねーさんはその声に「あたしよ」とだけ言った。名乗らないんだね。オレオレ詐欺みたいなのはこの世界ではないのだろうか。
おねーさんの声で相手も誰か分かったらしく、扉が自動的に開いた。でも内側には誰もいない。え、ま、魔法だよね? 幽霊的なものじゃないよね? いくら魔女でもそういうのを使役していたりしないよね!?
そんなことを思っていると背中に軽い衝撃。そして「なにしてんの? はやく入りなさいよ」とおねーさんの声。いきなり扉があいたことに驚き、自分の想像に背筋が凍りそうだったが、おねーさんに背を軽く押されたことで現実に帰る。うん。幽霊なんていない。大丈夫大丈夫!
「お疲れ様~」
廊下をしばらく歩いた先、辿り着いた部屋の扉を開けると先程聞いた女性の声が聞こえた。内容から察するにおねーさんへの労りの言葉のようだ。声の方を向くと桃色の髪に赤い目をした美少女がいた。歳は十くらいに見える。
……俺、桃色の髪って二次元しか許せないと思ってたけど、こうして見るとありかもしれない。
いきなりのロリ登場に、そんなことを思いながら観察しているとおねーさんは俺の手を離し膝をついた。え?
「はい。ただいま帰りました、ウリヤーナ様」
自分より年下であろう相手に敬称を付けるおねーさんの様子から、このロリが徒者でないことを察する。長の子供とか?
ロリは当然という顔でおねーさんを見ている。そして俺の方をちらっと見た。……さて、俺も跪いた方がいいんだろうか。
「この子がそうなの? え~見えな~い!」
「はい。道中確認しましたが、確かに『紋』を持っています」
きゃいきゃいと楽しげに俺を指さしながらそう言うロリ。何の話だ? 『紋』と聞いて心当たりと言ったら『魔王紋』の事だけだ。え、まさかばれちゃった? 魔王ってばれちゃった?? いやー、やっぱ隠してても分かるもんなのかな? ほら、溢れ出るオーラ的なもので?
「そっか~。じゃ、はやく殺そっか!」
にこやかな顔で言うロリ。俺は今言われた言葉をうまく理解できずに困惑顔だ。え? この幼女、殺すって言ったの?
うまく状況を飲み込めずに立ち尽くしているとロリはゆっくりと手を挙げた。俺に掌を向けている。手が徐々に青い光を放ち始める。最近よく見る、魔法が発動する兆候だ。え、まじ?
俺、殺されるの?
◆◇◆◇
「えーっと…、これはどういう状況なのかな」
霧が立ち込む森の中、呆然と立ち尽くす男がいた。男は赤い衣を身にまとい、背には身の丈ほどある槍を背負っている。槍の重さをものともせずに平然と立っている様からも、男が相当体を鍛えている事が窺えた。
「どういう状況も何も、トラップに引っかかっただけでしょう」
そんな男に声をかけるのは、青いローブを着た小柄な女だ。ブロンドの髪はシニヨンにされていて、真っ直ぐに切りそろえられた前髪から覗く瞳はルビーを思わせる輝きを放っている。陶磁器のような肌は、森に住んでいることを疑いたくなるほど綺麗だった。
女はその手に木製の杖を握っている。杖には所々宝石が埋め込まれていて、光の下で見れば多彩な輝きを見せてくれただろう。しかし今は霧の中。杖はその美しさを十二分に発揮することもなく女の手に収まっている。よく見ると、杖と地面の間に黒い影がある。黒い影は小さく呻き声をあげていて、必死に杖を除けようともがいているが杖はびくともしなかった。
「全く……。知らせがあったから迎えに来てみればこれですか。あんな莫大な魔力をこの森で垂れ流しにするなんて、無謀としか言いようがありませんよ」
咎めるような視線を男にやりながら、女は握っている杖に力を込めた。黒い影はより一層抵抗を激しくするが、女は何とも無い様に杖を握っている。
「すまないね。心配をかけたかな」
「そうですね、心配はしました。あなたではなく新魔王様に対してですが」
女の言葉に男は驚いたように目を見開いた。
「おや、ばれていたのか」
「分かりやすすぎです。所で、いいんですか? 彼、緑派の子に連れていかれましたけど」
「それはいけない」
視線を彼方に移して呟かれた言葉に、男は焦ったように否定した。そんな男の姿を見て女は呆れたようにため息を吐いた。長い付き合いで男の性格を理解している女だが、それでもこの男の考えなしに行動するところは受け入れがたい。落ち着いた雰囲気に騙されやすいが、女はこの男ほど信用ならない男はいないと思っている。
「じゃあ、いきましょうか」
「おや、付いて来てくれるのかい?」
黒い影を杖で潰し男を先導するように歩き出した女に対し、男は片眉をあげながらさも意外だという風に言った。女はそんな男を横目で一瞥し「白々しいですよ」とだけ言った。女が男の大方の性格を理解しているように、男の方も女の事をそれなりに理解している。
「ああ、そういえば、あなたが腰に付けている迷子紐ですが、それ偽物ですよ。本物は装備者にしか目視できませんから」
「なに!? ……また騙されてしまったな。今度こそ本物だと思ったんだが…」
「あなたそういう買い物やめた方がいいですよ。目が節穴ですから」
男は途中で千切れてしまった腰の紐を外し、目の前に掲げながら首を傾げている。女はそんな男を憐れむように見て真実を告げた。
二人の間に流れる空気はどこまでも軽く穏やかだった。偶に談笑しながら歩くさまは友人や旅の仲間に見える。この二人が過去に度々対立し、殺し合っていた仲であることなど想像もつかない程、二人の距離は近かった。
暫く穏やかな雰囲気で歩いていた二人だが、唐突にその足を止めた。ピリッと肌を刺す殺気。二人の目が剣呑に光る。ここから僅かに離れた場所で、大きな魔法が使われようとしている。そのことを察した二人の行動は早かった。
「どうやらゆっくり歩く暇は無いようですね」
「そうだね」
凍えるような冷たい声でそう言った女に、男も固い声で同意する。女と男を青い光が包む。女が何かを呟くと、青い光は量を増し、二人を飲み込んだ。一瞬後には光も、そこにいたはずの男と女の姿も消えていた。