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夢幻  作者: 甲斐柄ほたて
1/5

1.0

机の上に一通の封筒が置いてある。その表面には丁寧に書こうとしたのだろうが、どうしても子供らしさの残る字で「お父さん・お母さんへ」と書いてあった。中身はおそらく手紙で、そこには書いた者の親に対する余すところのない愛情と感謝が込められているのだろう。


その手紙の主は今、マンションの正面で地面に血にまみれて倒れている。


***


今は夜。深夜。今日と明日が入り交じる時間。

寝ずに家の中の気配を窺っていた少年は、静まりかえった家の中、一人起きた。マンションの一室の中、月明かりに照らされたせいかその横顔は蒼白かった。そしてかなり長い間起きあがった姿勢のままでじっとしていた。まるでそのまま朝が来ることを待ち望んでいるかのようだった。自分の生まれた理由を理解できない怪物もこうするんじゃあないだろうか、と少年はぼんやりと思った。


しかし、少年は朝が来るのが待ちきれなかったのか、それとも夜に急かされたのかベッドから立ち上がった。机から数日前から準備していた手紙を取り出し、机の上にそっと置いた。その手紙の全てがまるで羽のようだった。そしてなるべく音が出ないように、しかし思ったよりも音が出ないことにより恐怖を感じながら部屋のドアを開け、廊下を通り、玄関のドアを開け、立ち止まった。

廊下を振り返り、耳を澄ませ、両親の寝息が相変わらずしっかりしているのを確かめ、泣き出しそうになった。

涙が出る前に少年は家を出た。靴は履かなかった。


***


ぺた、ぺた、と足音がマンションに響く。しかし誰も気づかない、誰も彼を認識していない。それがまるで住人が彼の行為を認めているようで、少年は断頭台に向かう罪人の気分はこんなものだろうか、と特に表情もなく考えていた。


エレベーターが下へ向かう。誰とも会いたくない、誰かに出くわしたい、その両方の矛盾した願いが心の中に去来していることを少年は淡々と受け止めていた。

エレベーターは一階についた。少年は冷えて感覚のなくなってきた足を引きずるように、しかしその歩みを止めることなく出口、あるいは入り口へと向かう。

出口は開かなかった。どういう訳かいつもは開くドアが開かなかった。予想もしていなかったことに少年の眉がひそめられる。

深夜になると、中から出られないのか・・・・・・?

いや、出られるだろうが何かしらの操作が必要なのか・・・・・・?

少年はしばらくドアの周りのボタンやら何やらを眺めていたが、結局何も押さずにエレベーターへ戻った。


エレベーターは今度は上る。天国へ向かうみたいだ、と少年はぼそりとつぶやく。天国行きにしてはずいぶんとチンケだが。

エレベーターが屋上へ着く。

びゅううぅうぅ・・・・・・。冬のマンションの屋上に木枯らしが吹き荒ぶ。しかし、少年は寒さに震えるなんて下らない、と言わんばかりにぺたぺたと歩きだした。足の感覚はもうない。しかし、まだ歩ける。

四階のマンションの屋上のへりに立ち、地面を見る。深夜なので暗くて見えないかと思ったが、人間の文化は偉大だ。明かりが煌々と地面を照らし出している。四階とは言え、目のくらむような高さに少年は恐怖を覚えつつ、安心していた。この高さなら十分に死ねるだろう。四階しかないから心配していたが大丈夫だろう。

しかし、少年はへりから少し離れた。そしてエレベーターの方を見やる。その無意識の行動に気づいて少年は無理矢理口元に笑みを浮かべる。そして笑みを消し、一度悲しい目で足下を見、そのままぺた、ぺた、ぺた、とへりに立ち、母の胸に飛び込む子供のように、夜の闇に飛び込んだ。


***


少年が四階という中途半端な高さから落ちたばっかりに少年は死ななかった。正確には即死せずに、致命傷を受けた。ついでに最悪なことに意識もまだあった。飛び降りたときの音は小さく、誰も気づいていないようだった。


少年は右目を開けた。右目は無事だった。左目はつぶれてしまっていた。色々なところの感覚がおかしかった。腹の中が血の海になっているように感じた。実際その通りになっていたのだが。


少年の感覚は明らかに普段と違っていた。まず、視界が固定されていた。見渡せず、遠近もどこか狂ったように見えた。遠くのものが近く、近いものが遠く感じた。

光が聞こえ、音がにおい、冬の冷たさが見えた気がした。

全身の骨という骨が折れているように感じたが、痛みは感じなかった。脳がやられたのか、神経がやられたのかわからなかった。自信の状況を考えながら頭の中には様々なことが駆け巡っていた。

痛い。いや、痛くはない。寒い?寒い。キリンは黄色かったっけ?今流れてる曲の題名はなんだっけ?黄色だった。手が動かない。足の親指がくすぐったい。「ブラックアウト」だ。死ぬのか?はは、「停電」か。目の前に何か白いのが・・・・・・ああ、歯か。死ぬな、これは。正確には見えてるから停電じゃないな。死ぬのか・・・・・・。俺は死ぬんだな・・・・・・。

生きたかったのかな・・・・・・?


少年はもう意識すら安定せず同時に複数の思考が並列し始めた頭でぼんやりと問いかける。先ほどから自分がしきりに死について考えていることが不思議だったのか。

視界が曇る。まぶたが落ちたのではない。そもそもまぶたが動かない。無いのかもしれない。そして頭の中にこんな問いかけが浮かんできた。


生きたい?

      ・・・・・・わからない。

死にたい?

      ・・・・・・死にたくない、でも生きたくもない。

こんなふうに死にたかった?

      ・・・・・・絶対にお断りだった。

もう一度やり直したい?

      ・・・・・・何を?

人生を。

      ・・・・・・わからない。

じゃあ、このまま死にたい?

      ・・・・・・嫌だ。


そこで少年は「ああ、俺は生きたかったんだ」と思った。


どうしたい? 

      ・・・・・・生きたい。

生きたい?さっきと違うけど?

      ・・・・・・今は生きたくなった。

・・・・・・どんな代償を払っても?

      ・・・・・・。

・・・・・・どうなの?

      ・・・・・・お前は何だ?俺じゃないのか?

あなたじゃないわ。それでどうなの?払えるの?払えないの?


もはや冷静な思考を保っていたのが不思議な程の意識の中で少年はその声の主の正体もその代償の内容もどうでもよくなった。


      ・・・・・・払う。だから俺を生きさせてくれ。

・・・・・・承知したわ。


***

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