7,夏海
「風音、ちょっといい?」
キャンプ場に戻ってきた昭裕は風音に声をかけた。
「うん、……何?」
風音は小首を傾げる。
「……中学ン時のこと、まだちゃんと謝ってなかったから」
「やっぱそれかァ」
風音は溜息をついた。
「気にしなくていいのに」
「でも俺……、約束破っちゃったから」
昭裕は下を向く。
「……あのね。私がそんなことネチネチ言うような女に見える?」
「見えない」
「でしょ?」
「……むしろ、約束覚えてる?」
昭裕は不安になって訊く。
「覚えてるよ!失礼なっ」
風音は声を荒げる。
「……本当に大切なことは忘れたりしないよ」
「ああ、ごめん……」
昭裕は謝る。
「一緒にインターハイに行くって話だよね?」
「いや、何か違うぞ」
昭裕がツッコミを入れる。
「えぇっ、違ったっけ?」
「俺が言ってるのは……」
言いかけた昭裕の口元に、風音の人差し指が当てられた。
「……忘れちゃってるんならいいじゃん。そのままなかったことにしちゃいなよ」
風音は優しい笑みを浮かべながら言った。
「……お前、ホントは覚えて」
「さぁて、この話はこれでおしまい!」
風音は強引に話を切ると、昭裕に手を差し出した。
「改めてよろしくね、昭」
「……風音、」
昭裕は何か言いかけて、……しかしその言葉を口にするだけに留まった。
「ありがとう」
◆ ◆ ◆
翌日。昭裕は学校に来ていた。向かった先は調理実習室。
「……やっぱここか」
扉を開けると、中には夏海がいた。
「見つかったか」
夏海は悪戯っぽく笑う。
「『私に初めて会った場所に来て』って言うから、最初は3組の教室かと思ったんだけどさ」
「じゃあ、何でここに来たの?」
夏海は笑顔のまま問う。
「『私』って『ニーターパン』じゃなくて『新田夏海』の方だと思ったから」
「……正解」
夏海の笑顔がさらに輝く。
「……それで、昭裕の知りたいことは何?」
「ニーターがどうして『ニーターパン』でいなきゃいけないのか」
昭裕は答える。
「……綾香ちゃんの暴力って、きっと自分がひどい目に遭ったからなんだよね」
「え?うーん、どうだろ……」
なぜいきなりそんなことを言うのか分からず、昭裕は曖昧に返事する。
「奈菜さんみたいに好かれることを苦痛に感じるっていうの、私も分かるんだ」
「そうなんだ……」
「私も、風音さんみたいにいられたらよかったなって思う」
夏海は俯いた。
「……ニーター?」
昭裕は夏海に歩み寄る。と、突然彼女は顔を上げて昭裕を見た。
「私も、約束破られちゃったんだ」
「……!」
昭裕は自分のことを批判されたような気がして、思わず目を逸らす。
「だめっ」
夏海が彼の顔を両手で包み、自分に向けさせる。
「私のこと知ろうとしてくれるなら、目は逸らさないで」
「……分かっ、た」
昭裕は夏海に視線を戻す。
「……中学の時、私桧枝岐村から別の町へ移ったの。村では私結構人気者だったから、みんな私のこと見送ってくれたんだよ」
夏海はその時のことを思い返すように遠い目をして話す。
「移った先の町の中学でも、私すぐに馴染んで人気者になった。村の時と同じようにね。……でも、違うこともあった」
彼女は俯いた。
「人気者を良く思わないやつがいたんだな」
昭裕が呟く。夏海は頷いた。
「最初のうちは、良かったの。クラスのみんなが、大丈夫ずっと私たちがいるからって言ってくれて。……だけど、だんだんそういう人たちがいなくなってきて……」
夏海の表情が険しくなる。
「ニーターを庇うことでひどい目に遭うことを恐れたってところか……。そうとう力のあるやつがいたんだな……」
昭裕も苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「卒業の頃には、私の傍には、もう誰も……」
夏海は目元を拭った。
「……」
昭裕は両手を握りしめる。耳に響くのはあの時の言葉。
―――辛い時はあるよ。でも昭がいるから……―――
「私、恐くなっちゃって。人と、心通わせるのがね。……だから、高校に入る時に『仮面』を作ったの」
夏海は苦笑する。
「『エマーランド』に閉じこもったの。……なのに、」
彼女は昭裕を見る。
「『総和』が入ってきちゃうんだもん」
「……悪かったよ」
昭裕は苦しげに、消え入るような声で言った。
「悪いと思ってるなら、今度こそ私の質問に答えて」
「え?」
「……どうして、私のこと知りたいって思ったの?」
夏海はじっと昭裕の目を見つめる。
「ああ……。その答えなら、もう見つかった」
昭裕はそこで一旦深呼吸する。夏海に会ってから今日までの様々なことを思い返し、そして昭裕はその答えに確信を持った。
「俺が新田さんのことを知りたいって思ったのは、新田さんのことが好きだからだよ」
「……!」
夏海の目が大きく見開かれる。
「好きな人のこと知りたくなるのは、当然のことでしょう?」
「……分かった、昭裕。許してあげる」
夏海は照れ笑いしながら言う。
「良かった。これで許さないとか言われたらどうしようかと……」
「ただし!」
夏海が声を張り上げる。
「新田さんじゃない」
「ああ……」
昭裕は苦笑する。
「そうだったね、ニー……」
「私は夏海だよ」
「……えっ?」
驚く昭裕に、夏海はにっこりと笑った。
「エマーランドにようこそ、昭裕!」
もうすぐ夏休みが終わり、新学期が始まろうとしていた―――。