2,初耳ボイス
始業式を終えた2年3組の生徒たちは、担任の「出席番号順って芸がないな」というわけの分からない発言によって早速席替えをすることになった。……で、昭裕は見事に「ニーターパン」の隣の席を獲得してしまった。悟にからかい半分(どころか8、9割)に祝福されて、何はともあれ昭裕の高校生活2年目がスタートしたのである。
始業式の翌日。昭裕は早速、「彼女」に声をかけられた。
「ねえ、総和」
その原型を留めていない愛称で呼ばれることは、昭裕的にも読者的にも、着いでに言うと作者的にもよろしくない。そこで昭裕は抵抗を試みる。
「……いや、新田さん」
「ニーター!」
間髪入れずに修正が入った。
「……じゃあ、ニーター」
「何?」
「その、しぐまっていうのは、ちょっと……」
「ん、シグマ?『そうわ』って書いて総和だよ。『そうわ』。分かる?『そう』は糸偏に……」
「いやいやいや!そうじゃなくてっ!」
昭裕は慌てて、1人暴走を始める彼女を制止する。
「ん、なあに?」
夏海は小首を傾げる。
(全くテンポが合わないっ……!)
昭裕は内心頭を抱えた。
「……あの、ね。俺には『北田昭裕』って名前があるわけだからさ、愛称にしたって、もうちょっと、こう……」
「斬新さ?」
「これ以上どこ行くんだよっ!」
昭裕はそう突っ込んでから、話を戻す。
「そうじゃなくて、原型をも少し残して欲しいなあと。『昭』とか……」
「ああ、そういうこと」
夏海は納得したように2、3頷いた。
「つまり総和だと君らしさが何もないと、こういうことですね?」
「そうだよ」
「なーるほど。じゃあ変えよう」
昭裕はほっと胸を撫で下ろす。
「それじゃあこれからは『平平平平』で」
「ストーップ!」
昭裕は大きく広げた手の平を夏海に向けた。
「何、平平?」
「大丈夫!」
夏海は胸を張る。
「今言ったのはフルネーム。呼ぶ時は平平にするから」
「いやどっち!?活字じゃどっちで呼んでるか分かんねーからっ!」
もう1つ、「どんだけ俺は平凡に見えるんだ」というツッコミも浮かんだが、下手に答えられても悲しくなるだけなのでやめた。
「オシャレでしょう?」
彼女は得意げに言う。
「いや、オシャレじゃないから!いちいちルビふる手間考えろっ!」
作者の声も重なって、昭裕は盛大に突っ込んだ。
「まあ!」
「まあじゃないっ!」
こんなにも読者に不親切な愛称はない。昭裕は諦めて、
「もう総和でいいよ……」
と呟く。
「いいの?分かりにくいけど」
「平平平平の方が分かりにくいだろ!」
「そう」
夏海は何事もなかったかのように読書を始める。
しかし、何かを思い出したようで、再び顔を上げた。
「ああ、そだ。ねえ平平」
「総和!」
昭裕は半分ヤケになって叫ぶ。
「ん、そうだったね。……ね、総和。私ってバカにされてるのかなあ?」
「え……」
突然の問いかけに昭裕は口ごもる。
「ね、どう思う?」
本人はいたって普通に訊いてきているが、何とも答えにくい問いだ。
「……えーと、」
「ずばっと言ってね、ずばーっと」
昭裕は少し考えてから、
「みんな君のこと見て笑うけど、バカにしてるとか、そういうイジメみたいな雰囲気はないんだよなー……」
と答えた。彼の率直な感想である。
「うんうん」
「むしろ、有名人が現れた時のわあーって感じかな。……人気者ってことだね」
「人気者っ!?」
夏海はその言葉に目を輝かせた。
「ねえっ、ホント!?私人気者なのっ!?」
同い年の女子に詰め寄られて、少々気恥ずかしさを感じながら昭裕は
「う、うん……。そう思う」
と返した。
「……わぁお」
夏海は自分で自分に感心するように、小さく声を上げた。
「そいつぁ、『初耳ボイス』だね」
「は?……何て?」
昭裕は一応聞き返す。
「初耳ボイス」
「……何か、余計な部分が追加されてるような気がするのですが」
「斬新でしょ?」
夏海は満面の笑顔を見せた。
「因みに、意味は『初めて聞いた』だよ」
「『初耳』と同じじゃん」
昭裕の指摘に彼女は、
「うん、そだよ」
と事も無げにそう言った。
彼女が時々口にするこのような言葉が『エマーランド語』或いは略して『エマ語』と呼ばれていることを昭裕が知ったのは、この後のことだった。