3,シンガーカ
奈菜の人気は、全く衰えを見せなかった。毎日昼休みになると多くの男子生徒が3組の教室にやってきては、撃沈していた。
奈菜は決して首を縦に振らなかった。誰に対しても同じように微笑みながら、心持ち首を傾げ、姿勢を正して相手の話に耳を傾け、そして柔らかに相手の誘いをかわした。
「もしかして、もう彼氏いるんじゃねーの?」
悟が半分投げやりな調子で言う。
「逆行列、ボーイいるのー?」
夏海が訊いた。
「おい、いきなり何訊いてんだよ!」
昭裕が慌てて止めに入ったが、
「……?」
エマ語に馴れていない奈菜は、小首を傾げるだけだった。
「ああ、そりゃそうか……って!」
昭裕ポジションは忙しい。
「『ボーイ』ってパシリのことだろ!?何でそんなこと訊いてんだよ!」
「え、え!?パシリなんていないよっ!」
奈菜が首をぶんぶん横に振って否定する。
「……!」
と、ほぼ同時に悟が身構える。
「……どうしたの?」
「いや、ちょっと既視感……」
「……ックション!」
綾香がくしゃみした。
「『ボーイ』にはカラシの意味もあるんだよーっ」
夏海が言う。
「カレシだろ」
昭裕が訂正する。
「……彼氏も、いないよ」
奈菜が呟くように言った。
「えっ、マジで!?」
悟が身を乗り出す、と同時にバットで打ち据えられる。
「いつもたくさんの男の子に囲まれていたいんですもんねー」
悟に制裁を加えた綾香が毒づく。
「違うよっ!」
奈菜が、彼女にしては大きな声で否定した。
「じゃあ、なんで誰とも付き合わないんですか?」
「……私は、恋愛しちゃダメなの!」
奈菜はそれだけ言うと、教室を出ていった。
「何してんだよ、お前」
例の不良グループが綾香に絡む。
「ん、もっかい喧嘩します?」
「やめろって!」
昭裕が止めに入る。
「シンガーカッ!」
夏海が叫んだ。
「……」
教室は静まり返った。しかしその状況は、喧嘩をやめたというよりかは、いつも以上に意味不明な夏海のエマ語に皆困惑したという方が正しい。
「シン……何だって?」
さすがの昭裕もお手上げである。
「連れ戻さなきゃ!」
昭裕の問いには答えずに、夏海は奈菜を探しに教室を出ていった。
「……」
残されたクラスメイトたちは、ただただ立ち尽くすしかない。
「……え、どーすんの、この空気?」
昭裕が呟く。
結局、夏海が奈菜を連れて戻ってくるまで、このどーすんの的な空気は続いた。「シンガーカ」が「信号赤」をなまらせたものであって、「止まれ」もしくは「やめろ」を意味するものであったことも、夏海が帰ってくるまでは誰にも分からなかった。