1,麓現象
綾香の喧嘩事件から、数日が経過した。あの事件以来、彼女による夏海イジリはなくなり、クラスは平穏な日常を取り戻した。……ただ、
「こんにちはー」
綾香は今も度々昭裕たちのクラスを訪れていた。そしてその度に例の不良グループと鉢合わせになり、クラスメイトたちをハラハラさせていた。
「お前来ない方がいいって」
悟が言う。
「……ん?誰でしたっけ?」
早速綾香は毒を吐く。
「だっ……」
悟は倒れかかる。
「ああ、そうだ、思い出しました」
「ふう……。まったく、冗談きついぜ」
なんとか壁に寄りかかりながら悟は言う。
「私を助けようとしたけど、何の役にも立たなかったクズさんですね」
言うまでもないが、悟は崩れ落ちている。
「朝からそれやったら、さすがに悟壊れるぞ」
昭裕が言う。そう、今はまだ、朝のホームルーム前の時間なのである。訂正しよう。度々どころか、綾香は以前よりも頻繁にこの教室に現れるようになっていた。ついでに言うと、その度に悟に毒を吐いている。
「あ、昭裕……」
悟がなんとか起き上がって言う。
「うん?」
「俺、こういうのも悪くないような気が……」
「またかよっ!」
昭裕は呆れ顔で突っ込む。
「おーい、お前ら席着けー」
そうこうしている間に、智次が教室に現れた。クラスメイトたちは素早く着席する。……綾香も。
「いやいやいや!そこ俺の席だから!」
綾香に対する時は、完全にツッコミに転職している悟が叫ぶ。
「お前1年だろ?さっさと自分のクラス戻れ」
智次も注意した。
「他のクラス担任と揉め事になるの、面倒なんだから」
「ああ、やっぱりそういう……」
昭裕が呟く。智次が注意するのは自分に都合の悪い時しか有り得ない。
「えー。でもうちの担任、私が何しても大抵のことなら許してくれますよ」
綾香はそう言って、舌をちろりと出した。彼女のクラス担任にも、同じようにしているのだろう。
「あー、じゃいいや」
智次はあっさり承諾。
「いやダメでしょ!」
悟が叫ぶ。
「俺はどーすりゃ……」
「向こう空いてますよ」
綾香は一番後ろの席を指差した。
「……へ?」
確かにその席は空いていた。
「え、今日欠席いないと思うけど……」
「うわ、麓現象?」
夏海が謎の発言をする。
「いや、頂上現象じゃなくて超常現象だから!山の上じゃなくてもチョウジョウゲンショウでいいからっ!」
昭裕が的確に突っ込んだ。
「チョウジョウゲンショウなわけあるか。転校生だ」
智次が言った。
「え!?」
クラス全体がざわめく。
「お前らがつまらんコントやってるから、紹介が遅くなったんだ。転校生廊下で何文字分待たせる気だ?」
智次は呆れ顔で言う。
「いや、先生、そういう発言は控えてください」
昭裕が指摘する。
「そんなことはどうでもいいだろ。とにかく、転校生を紹介する。安藤、入れ」
智次の呼びかけで、教室に転校生が入って……こなかった。
「……先生、俺には見えないのですが」
悟が言う。
「正直者にしか見えない」
智次がそう返した。
「いやここでボケないでくださいよ!」
昭裕が突っ込む。
「安藤、どうした?」
智次が少々声を大きくして呼びかけた。すると、
「すいません!ちょっと……」
と、返事が返ってきた。
「うん?どうした?」
智次は廊下の様子を見に向かう。生徒たちも彼の後に続いた。
「……何やってんすか」
智次が訊いた相手は年配の教師だった。
「あ、いやっ、この子が教室の外にいてね、ホームルームの時間なのにどうして廊下にいるのかと……」
教師は慌てた様子で言い、
「ああ!私もホームルームがあったんだった!」
と、そそくさと隣の教室に入っていった。
「……で、実際のところは?」
智次は、今度は転校生の女子生徒に訊いた。
「あ、あの……。さ、最初はそんな感じでしたっ」
黒髪ショートヘアの転校生は先ほどの教師を庇うようにそう答えた。整った顔立ちをしているが、しかし外見とは別に、何か不思議な魅力を感じさせる少女である。
「最初は分かった。……その後は?」
智次はあくまで追求する姿勢。
「あ、もしかしてエンコ―?」
綾香がずけずけと言う。
「何、エンコン?」
「いいから。君出てくるとややこしくなるから」
話に入ろうとする夏海を昭裕が止める。
「違います違います!」
転校生はふるふると首を横に振って否定した。
「ただ、どこから来たかとか、好きなものとか訊かれただけですっ」
「ナンパじゃん」
綾香がにやにやしながら無遠慮に言う。
「難破?どこの船?」
「やめなさいって」
再び出てこようとする夏海を、やっぱり昭裕が止める。
「教師にナンパされるなんてついてないな。まあ、あの人そっちの気あると思ってたけど」
智次が呆れ顔で言う。
「矢島センセは女子高生ナンパしないんですかー?」
またも綾香が余計なことを訊いた。
「年下に興味はない」
「じゃあ、熟女好き?」
「お前はもう教室帰れ」
面倒くさくなった智次は、綾香を教室の外に追い出した。
「えー?いいじゃないですかァ」
「ダメ。メンバーチェンジ。安藤イン。お前アウト」
智次は綾香に宣告する。
「……さて、安藤、みんなに紹介するから……」
「それで、どうしてこっち来たの?」
「え、ええと……」
智次が綾香の相手をしている間に、今度は悟が転校生に近づいていた。
「何やってんだ、お前?」
智次が訊く。
「え、いいじゃないっすか。友達になろうと思っただけっすよ。……あ、あとご趣味は……」
……と、突然悟の頭にバットが叩きつけられた。
「――――っ!」
犯人は綾香だった。
「って!何すんだお前!?」
悟が叫ぶ。
「なんかウザかったんで」
綾香に反省の色はない。
「なんかウザかったでぶん殴られてたまるか!死ぬわっ!」
「小説だから死にません」
「そういう話ここですん……」
もう一撃が悟に入った。
「帰りまーす」
気絶した悟を尻目に、綾香は自分のクラスに戻っていった。
「……今度こそ、転校生を紹介する。……安藤」
「あっ……、はい」
転校生は黒板に名前を書いた。
「安藤奈菜です。よろしくお願いします」
奈菜はぴょこんと頭を下げた。
「じゃあ、逆行列だね」
夏海が嬉しそうに言う。
「なんでやねんっ!」
クラス中のツッコミがこだました。