転生エルフのダンジョン教室
とりあえず章立て、段落、改行などはすっ飛ばしてアップするので、読みづらいのが苦手な方は後から読んでみてください!
僕は時々、自分がこの世界の異物であるかのように感じている。
教室の一番後ろの窓際で、校庭を眺めながら、このまま思考を続ければ黒歴史になりそうなどうしようもない囁きを、窓から入ってくる風に流した。数学教師のどうでもいい講義と一緒に。
勉強は嫌いじゃない。でも、ただ内容の丸暗記を求めてくるような単調でモノクロな情報の羅列は見るのも聞くのも耐えられなくなる。だから、興味のあることは自分で調べて咀嚼するから、授業の内容なんて"劣化した切り抜き”になってしまう。
読んでもない教科書を隠れ蓑に、"どうでもいい内容"を話す数学教師を盗み見る。
『どう見ても。エルフなんだよな…』
他の生徒は気づいていないようだ。目を細めたり、目を擦ってみる。すると、エルフは元の教師の姿に戻っていた。
数学教師、大御寺美影はこうして時々耳が長く長身の(通常時は161㎝くらい。身長174㎝の時代感覚参照値)褐色、金色の輝く腰まで届く髪、胸は巨…豊満で長い肢体のエルフに見えた。しかしそれは、時代しか気づいていないらしく、それとなく他の生徒に聞いても美影は普通の女性の数学教師だという感触しか得られなかった。
美影は担任の教師ではないので、時代には話す機会もそれほどない。その少ないチャンスに彼女のエルフ化について聞いてみようと思ったこともあるが、自分の興味のあること以外淡白な時代には割とどうでもいいことだった。教師がエルフだろうと何だろうと授業が詰まらなければ聞かないし、出席とテストさえ押さえておけば極端な話、カカシが立ってても時代は気にしないだろう。そんな性格故と、黒髪(艷やか)とメガネ(銀縁)のために彼はサイコパスと同級生から噂されてることも認識しているが、それすらどうでもいいことだった。
彼の趣味は知識欲を満たすことと、"人助け"だった。他人にほぼ関心がない時代が、人助けを趣味とするのは訳がある。彼は、自分でどうにかできるのにただ人と関わりたいが故に助けを求める人や、自力でなんとかできるのに自力でどうにかすることに思い及ばないような人、単に諦めた人、怠惰な人には力を貸さない。しかし、その人一人ではどう頑張っても事態を打開できないような状況で何とかしようとしている人を見定めて助ける。本当に困っている人は助けてやれ、という祖父の遺言を守っている。(それ以外の奴を助けると碌なことがないとも言っていたが)
ある日、時代はまさにそんなような事態に遭遇した。放課後、時代が図書室に本を返そうとしているところ、美影が大量の資料を両手で持ち、ふらふらしながら歩いていたのだ。エルフの体躯なら軽々と持てるだろうに、なぜか161cmの細身の女性が力一杯資料を運んでいるように見える。
「先生、少し持ちましょうか?」
時代はつい、美影に話しかけた。見てられなかったのだ。資料の重量で顔を真っ赤にしながら、美影は彼を見た。
「お、お願い、できる?」
「はい…」
と、応え時代は美影の持つ資料の半分以上を軽々と持った。時代は、細身な見た目に似合わず力持ちだった。相撲好きな祖父の相撲の相手を取らされたり、居酒屋を営む両親の手伝いで重い酒箱や食材、米などを小さい頃からよく持っていたからだった。重いものを持つにはコツがあり、それさえ押さえれば小六の時代でも酒箱や米を持つことができた。これは祖父や両親から教わった成果である。
「見た目に似合わず力持ちなのね!?明石くん」
美影は目を大きく見開いて時代を見た。
「…先生、これは数学準備室に持って行くんですよね?」
(先生、俺の名前覚えてるのか…)
そんなことを考えつつ、彼は美影の質問には答えないで資料を運ぶ先を尋ねた。
「うん、そうね!明石くん、数学準備室の場所分かる?」
「大丈夫ですよ。校内の配置は大体入ってます」
言う通り、時代は1年生時から暇なときは校内を歩き、どこに何があるか把握していた。その理由は全く合理的なもので、学生として自由に使える学校のリソースを活用するため、把握しておきたいということと、万が一の災害時などに避難経路を複数知っておきたいということ、あとは授業の移動などで効率良く動きたいというものだった。
「ちょっと明石くん!早いよ!待って!」
ということで、目的地が分かれば、彼は歩くスピードも早かった。
先に数学準備室に着いた時代は、中に入らず美影を待った。少し遅れて、美影も数学準備室に到着した。準備室の鍵は開いており、中には誰もいなかった。どうやら他の数学教師は出払っているようだ。彼は美影の席を知らなかったので、美影が資料を置くのを待って、資料を下ろした。
「明石くん、助かったよ。ありがとう」
「いえ、たまたま見かけたので」
時代は軽く頭を下げ、数学準備室から去ろうとした。ふと、美影の方を見ると、手を振る長身の金髪褐色エルフが居た。
「あ…」
先生、見えてますよ。と言おうとして、時代は考えた。見えてますよって、何かおかしいか。下着が見えているわけでもあるまいに。何も見なかったふりして立ち去るのがいいか。と、一瞬で関わらない判断をしてスマホを取り出し、今日はあの日か、と小さく呟き誤魔化しつつ、時代は数学準備室を出た。
と思ったが、目の前の光景が全然進まない。足は歩いているはずなのに。これは…誤魔化せなかったか。時代は覚悟して頭だけで後ろの方を見遣った。視界の端に、数学準備室の出入り口の際に立つ長身のエルフが腕組みの片方の腕を上に向け、人差し指を立てて、ニヤついていた。
「はぁ…」
これ見よがしに大きな溜息をついて、時代は『歩く』のを止めた。
「そんな大きな溜息を吐かないでよ、時代くん」
「口調まで変わって…」
いつの間にか、時代の足は空を切ることなく、地に着いていた。
☆
「さて、いつから見えていたのかな?」
美影、と呼んで良いのかどうか分からないが、美影と呼ぶしかないエルフ様の数学教師と時代は、先生と生徒のように、というかまだ教師と生徒の関係性は変わらないが、教師用のデスクの前に向かい合って座っていた。相変わらず、美影は腕を組んでいる。
「いつからというか、初めて”見えた”のは先生の最初の授業のときからです」
「最初から?気づかなかったな…」
美影は、先ほどまでのレディーススーツ姿ではなく、ジャージにTシャツ、スニーカーというラフ過ぎる格好に変わっていた。時代はTシャツから溢れようとしている彼女の胸部から目を逸らすのに注意力の大部分を使っていた。思春期の男の脳はコントロールが難しいな、と冷静に己を観察しつつ。
(しかし、服装まで変えてたのか…)
時代は内心、驚きよりも呆れる気持ちが勝った。
「君のように、私の正体に気づいた人間は何人か居たが、皆そこそこの名のある人物だったぞ。思うに彼らは多分、無意識に陥る錯覚の類に強い抵抗力のある人間だったのだろう。武芸の達人とか、宗教家、陰陽師に武将、歌人というのもいたが」
時代は、最初美影が何を言わんとしているのか分からなかった。しかし、多分彼女なりに褒めようとしてくれているのだろう、と解釈した。その上で、まだなぜ目の前の高校生が自分の正体に気づいたのか、という疑問が脳の大部分を占めているだろう顔で、彼女は時代をまじまじと見た。
「しかし、見たところ君は普通の高校生だよな…」
時代は美影の考えごとの邪魔にならないように、彼女の頭上ちょっと上を見るようにして何も応えなかった。
「う〜む…まあ、いいか。バレてしまったものは仕方ないし、時代なら言いふらしたりもしないだろう。言いふらされたところで信じる者もおらんだろうが」
一人で納得したように膝を打ち、美影は自身をまた元の数学教師の姿に”戻し”た。彼女の姿は、か細い、スーツ姿で黒髪を後ろで纏めた真面目そうな日本人の顔に変身した。
「さて、明石くん、私の正体に気づいたからには少し手伝ってほしいことがあるの。今日、放課後暇かしら?」
姿は気弱い教師に戻ったが、その有無を言わせぬ圧は変わらず時代を襲った。
「は、はい…」
完全に祖父の遺言、本当に困っている奴を助けてやれ、それ以外を助けると碌なことにならない、そのまんまの結果に陥りそうだと、時代は覚悟した。
放課後、時代は職員室を尋ねた。彼は教師たちがまだ仕事をしている中、美影の席を見つけ、そちらへ歩いて行った。道中ちらほらと教師と話す生徒の姿があった。美影は、時代が近づいてくるのが分かると笑顔で迎えた。
「ごめんなさいね、まだ少し仕事があるから教室で待っててもらえるかしら」
美影は教師デスクの横に立つ時代に向かって言った。
「分かりました」
時代は事も無げに言う。
「ありがとう。それから時代くん、ジャージは持ってるかしら?」
「ジャージ?多分教室に置いてると思いますけど…」
恐らく、時代のクラスの今日の授業を把握したのだろう。ジャージの有無が何に関わるのか、この段階で時代に知る由もなかったのだが。
☆
教室のドアが開いた。自分の席に座り、傍にジャージの入ったバッグを置いて、スマホを見て待っていた時代は顔を上げる。エルフ姿に”戻った”美影が入ってくる。
「待たせてすまないな。これから、お前には特訓をしてもらうことにした」
「へ?」
そう言う美影もTシャツ、スウェット姿から、ジャージ、運動靴、竹刀の昭和の体育教師姿になっていた。
「わたしは何事も形から入るタイプでな」
白い歯がキラメキそうな笑顔で美影は言った。
「あの、急に”特訓”という今時SNSでも聞かないような言葉を使って、僕に何させようっていうんですか?」
しかし、実は時代は母方の祖父、相撲好きな方の祖父から”特訓”という名の遊び相手をさせられていたから(尚、遺言を残した父方の祖父は居酒屋の初代店主で時代が小六の時に亡くなっている)、特訓という言葉に嫌な思い出を感じても、言葉の意味自体は身に染みて知っていた。
「わたしの正体を見破った者は名のある人物ばかりだったと言っただろう?中には、"わたしが名のある人物にした”者たちもいたのだ。素質のある者を育てるのはわたしの趣味のようなものでな」
(めんどうな趣味を…)
舌打ちでも出そうな思考を読んだのか、美影は竹刀をカッカッと地面に軽く当てて自分に注意を促した。
「徒特訓を施すということではない。特訓には目的がある。先程言った手伝ってほしいことというのがそれだ」
確かに、手伝ってほしいことがあると言われたが、特訓という名の活動が手伝いには当て嵌まらないという違和感を時代は抱いていた。それが暗に解消した。
「手伝いと言いますが、エルフである先生に手伝いなんて不要だと思うんですが」
「そんなことはない。世の中何が役に立つか分からないものだ」
目の前の褐色エルフは不穏なことを言い出した。
「あの、まさかとは思いますが、僕に手伝わせようと思った根拠は勘、ですか…?」
一瞬、美影の目が泳ぐのを時代は見逃さなかった。
「いやいやいや、久しぶりに鍛え甲斐がある生徒に出会ったものだから、特訓しがいがあるなと思ってな」
(図星を突かれてあからさまにはぐらかしたぞ)
「まあ、何にせよ、わたしに気づいたのは才能だ。これから社会で生き抜いていくのにそれを開発しておくことはプラスに働くと思うがな」
確かに、と時代も思う。いくら日本に生まれたことが世界基準で幸運だとしても、その日本でもこれからの時代、生存競争は過酷になっていく。あからさまに自分の長所、アドバンテージとなる個性があるなら、それを伸ばしておくことは生涯を多少は保障するだろう、と。高校生にして合理性に極振りしている時代は、美影の苦し紛れの言い分に納得してしまった。その先の後悔を乗り切るほどに。
☆
とにかくまずは体力と言わんばかりに、美影は時代を走らせた。周囲からは、ひょろ長の生徒を走らせる黒髪ポニテの細身教師が自転車に乗って日夜生徒を鍛えているように見えているだろう。その教師の顧問している部活は漫画部なのに。実際は。
「ほら、走れ走れ!いいか?何事も体力なければ話にならん!」
パシンッと後ろで竹刀が唸る。自転車に乗るジャージ姿の褐色エルフはどこで見たのか、まんま昭和のスポ根教師になり切り時代を鍛えていた。勿論神社の石段を駆け足で登らせることにも余念がない。
最初に走らされた日、つまり特訓をすると美影が宣った日の下校時からかれこれ一ヶ月、時代も我ながらよく付き合ってると思っていた。確かに毎日走らされ、筋トレも課され、一ヶ月見るからに時代の体は、ひょろ長から見る者が見れば、そのYシャツの下の体付きが細マッチョのそれになっていると分かるだろうほどになった。それも、特訓終わりに美影が施す、回復魔法によるのも大きい。乳酸を消し去り、筋肉疲労をキャンセルしながら、程よく思春期の体の成長ホルモンを刺激し、回復力を増強する。彼女は魔法によるドーピングと言っても過言ではないやり方で時代を鍛えていた。それに気づきながら時代は、彼女が野球に興味がなくて良かったと思った。もし美影が万年弱小の我が校野球部の顧問にでもなったら、メジャー選手を量産する謎の数学教師としてプロ球団から彼女にスカウトが殺到するだろう。
また、そんな生活を半月ほどした時点から、美影は時代に竹刀を振らせる。お前の得物は剣だ、と言わんばかりの圧で美影が横向きに突き出す竹刀を、時代は辟易しながら受け取った。内心、これはじいちゃんの言う"本当に困っている人を助ける"という道理に適っているのか自問自答しながら。
彼女の教える剣は剣道のそれとは違った。どうせ振るなら竜すらも斬れる剣がいいだろう、と異次元に物騒なことを言い、美影は時代に型を教えた。彼は、最初のうちは剣道の型を崩したような、時代劇のチャンバラの殺陣の一部分のような動きをゆっくりと繰り返した。時代がそれを覚えると、今度は極力速くその動きをするよう、美影は注文した。
☆
そんなことをして二人は3か月の特訓を終えた。季節は学校の裏山に色が差す秋口。いよいよ、美影は時代に特訓の目的について説明すると伝え、彼を神社の鎮守の森の奥、少し開けた場所に連れて行った。
「まず、目的を伝えるに当たりこれを渡しておこう」
そう言うと、美影は宙から一本の剣を現した。緑色の光を纏い、風のように揺らめきながら、鞘のない一振りの剣は宙に浮いていた。
「これは、風を纏う剣、魔力の小さい者でも念じれば風を起こせる。風を起こすことで体勢を崩したり、斬撃に乗せて切り裂く風を放つことができる。まあ、君が使うなら、風はお守り程度になるだろう。刃のついた剣を持ち歩くことができない日本では好都合だから使っている」
美影は、宙に浮いた状態で時代の前に剣を差し出した。時代は剣の柄を握った。その瞬間、風が自分を覆ったような気がした。しかし、目の前の状況がいくらファンタジーでも、時代の内面ではアラートがけたたましく鳴っていた。風が起きるという部分を除いても、刃のついた、刃渡りがゆうに1mを超える剣を持つことになるとは只事ではない。そもそも、こんな山奥には来ないだろうが、警察にでも見られたら犯罪者だ。
「あの、これは何に使うんでしょうか」
困惑の中から、時代は絞り出すように質問した。
「そうだな、端的に言うと、これから迷宮探査を行う」
『メイキュウタンサ…?』
時代の頭は、漢字変換を拒否した。
「メイキュウと言うと、あのゲームなどに出てくるアイテムとか魔物とかが出てきて、罠とかもあるアレですか?」
そこはさすが時代である。脳が漢字変換を拒否したまま、その固有名詞について質問を繰り出した。生存本能が情報を集めることを優先した結果と言ってもいいかもしれない。
「その迷宮で間違いない。巷ではダンジョンと言われているが、まさに迷宮だろうな」
迷宮という部分を強調するあたり、美影は迷宮を地下牢を語源とするダンジョンとは差別化したいようだ。つまりそれだけ…
「それは、危険なのではないでしょうか?」
迷宮とは、まったくの素人が付け焼き刃の特訓とちょっとしたファンタジーな剣で乗り切れる代物ではないだろう。しかも、エルフとはいえ、教員が生徒を命の危険にさらすのはどうなのか。時代の頭の中では至極まっとうなクレームが吹き荒れていた。
「それについては、すまない!」
美影は、時代に対して深く頭を下げた。
「わたしは、これから向かう迷宮を必ず攻略しなくてはいけない。しかし、どうしても抜けられない場所がある。そこに君の能力が必要なんだ…わたしが必ず守る!命の保証はする!怪我についても問題ない!」
そうは言っても…ん?最後不穏過ぎることを言ってなかったか…?
「僕はただの高校生です。先生が思っているような力も魔法も持っていません」
「それは分かっている…」
「すみません、帰ります…」
時代は剣を置き、美影を背にし一顧だにせず歩き出した。合理的な回答を得られないどころか、宛にならない身の保証まで持ち出されて、例え相手が目上の先生であっても、躊躇なく時代はその場を立ち去ることを決断した。
「明石、この通りだ!」
(まさか…)
後ろから聞こえてきた決め台詞に、時代は後ろがどのような状況になっているか振り返らなくても思い浮かび、戦慄を覚えながらおずおずと振り返った。そこには土下座姿のエルフがいた。
祖父のもう一つの遺言が思い浮かぶ。
『目上の人間がお前に土下座したら、事情を聞かずに助けろ』
まさかじいちゃんはこの状況を予想してたんじゃないだろうな。目上というには恐らく数千年という規格外の目上になるが。と、あらぬ方向に思考が飛ぶほど、時代は動揺していた。
時代は覚悟をしてゆっくりと美影に近づいた。時代の気配を感じ、美影は顔を上げる。
「先生、分かりました。協力します。立ってください」
「ありがとう…」
目に涙を浮かべながら一言呟き、美影は立ち上がった。
「…でも、さっきも言った通り、僕には何もできませんよ」
「大丈夫だ。わたしの正体を見た段階で役割を果たせることは確信している」
そうか、やはりあの時反応しなければ。時代は数ヶ月前の数学準備室前のことを悔やんでいた。
「それでは、今日はまず、迷宮の浅い部分で迷宮探査に慣れていこう」
今しがた土下座していた人とは思えないくらい、目の中に燃え盛る炎が見えるようなやる気を見せて美影は言った。
(ほんとうに、あの時気づかなければ…)
☆
迷宮の入り口は広場の更に奥にある林の中の小高い斜面にあった。といっても一見ではただの低い崖だ。そこで、美影が手をかざし呪文を唱える。どこかで聞いたような言葉だったが、時代にはなんと言っているか理解できなかった。すると、崖の表面に五芒星が浮かび、紫色の光を放つ。
「さあ、入ろう」
見た目は先程の崖壁と変わらなかったが、美影は壁に吸い込まれるように中へと入った。時代もそれに続いた。
中に入ると意外と明るかった。入り口からの光が入ってきているからだ。崖面はまるっきり幻影で光を遮るような物理的な実体は持たないようだった。しかし、光が届かない洞窟の先は当たり前に真っ暗だった。このままだと洞窟の入り口付近でも暗さで詰んでしまうのではないかと、時代が思った瞬間、自分たちの周囲が仄かに明るくなった。天井や横壁、地面、前後2メートルぐらいを視認できる優しい光に二人は包まれていた。
「これは、先生の魔法ですか?」
「そうだ。これでも、"地元"にいた頃から迷宮には好きで通っていたくらいで、迷宮好きのエルフ連中の中でもマニアと呼んで差し支えない位の冒険者だったと自負している」
美影は何やら自慢げに答えた。聞いてもいないのに余計な情報を言ってくるあたり、見た目(実年齢25・6歳で戸籍などは取っているだろう)にそぐわない年齢なのは頷ける、と時代は思った。しかし、その情報を聞くと土下座までして時代をダンジョンに連れて来たのは、ダンジョンへの異常なまでの情熱のためなのではないか?と疑われても仕方ない。実際、時代はそれが迷宮探査に巻き込まれた理由の半分以上なのではないかと、疑念に駆られつつあった。
「どうした?先に進むぞ」
「は、はい」
☆
美影は慣れた様子で洞窟の奥へと進んでいく。
「念の為、渡した剣は構えておけ」
その注意に時代の体は緊張で強張った。こんなありきたりな洞窟で何か、それこそダンジョンにありがちなモンスターなど出るのだろうか。大体、初心者用のチュートリアル的な敵と言えばスライムや骸骨型モンスターだろうか。どちらもこの風の属性が付いているだろう剣なら簡単に倒せそうな気がするが。何ならこの剣、自分でも迷宮マニアと自称するほどの不死のエルフが持っているのだからレジェンダリー級、伝説の剣レベルの代物じゃないだろうか。
「先生、この洞窟にはモンスター的な存在が出てきたりするんでしょうか」
「出ない」
「はっ?」
モンスターが出ない?ということは何で剣を構えさせたんだ?その時、時代の頭の中のハテナに応えるようにズズ、ズズ、と奥の方から何か重量のあるものが引きずられるような音がした。
「時代、止まって少し下がれ。剣は構えていろ」
そう言うと美影は立ち止まり、洞窟の先の闇を見据えた。美影は右足を半歩下げ、右手を下げて、左手は腰に当てた姿勢を取った。下げた右手の先には、鈍い金属の光が音もなく現れた。少し後ろに下がった時代にはそれは刀のように見えた。ズズ、という音が止まる。辺りに緊張感が走る。
「時代!見ておけ!ここに現れるのは”亡霊”だ!」
そう美影が叫んだ瞬間、ギンッ!という金属が強くぶつかる音と、火花が散った。
「刀…」
時代がつぶやいた瞬時に、三度続けてぶつかり合う金属音と光が見えた。凄まじい速度だ。しかし、美影と切り結んでいる相手が全く見えないのはどういうことだろう。
美影は鍔迫り合いをしつつ、右足を軸にその長身を後ろへ反らし反動で正体不明の相手を前へ押した。その力の反発を利用して、素早く後ろに飛び退ると、刀を左手に現れた鞘に収め、体を大きく縮める。居合だ。そして、一閃。鈍い刀の反射する光を後ろに残して美影は闇に飛び込んだ。瞬間、グァッ!と断末魔が洞窟内に響く。しばらくして、ぼうっと輝く光の中に長身のエルフが姿を現した。少し汗ばんではいるが、見たところ怪我もしていない。
「先生、大丈夫ですか?」
時代が駆け寄る。
「ああ、問題ない」
そう言って、フッと強目に一息息を吐き、右手に持つ刀を左手の鞘に収めた。その瞬間、刀は鞘ごと虚空に消えた。
「今のが、モンスターではなく、亡霊」
「そうだ。日本の迷宮に出るのは基本的に幽鬼の類か妖怪もどきだ」
幽鬼、亡霊、刀を振っていたようだから、落武者の怨霊だろうか。
「幽鬼には実体がない。実体のある生物の延長線上のモンスターとは違う」
「実体がない…でも先生は刀で斬りましたよね?」
「ああ、これか?これは魔力を帯びた刀。いわゆる、妖刀だ。魔力耐性がない者が握れば一瞬で精神を汚染され、操り人形と化すだろう」
「ええ!?」
僕は一歩飛び退いた。
「大丈夫だ。間違っても時代には握らせないから」
美影は笑って言った。
「…実体がないことは分かったんですが、だとすると先生は見えない敵と戦っていたんですか?」
「いや、本体には実体がなかったが…」
そう言って美影は少し歩く。時代もそちらに何かあることを察し、黙って美影に付いていく。
「これだ」
そう言って美影は地面に落ちたあるものを指した。
「篭手?」
「そう。わたしにはこの篭手を付けた朧気な鎧武者が見えていた」
「ここで死んだ武士のものでしょうか」
「うーん、あの崖壁の幻影は少なくとも千年以上はこの迷宮を隠しているから、自力でここに入るのは相当な魔法使い、日本で言うと陰陽師や行者の類じゃないと入れないだろうな…」
「ということは、この霊は迷い込んだということでしょうか?」
「その可能性が高い。更に悪い想像をすると、この迷宮の何かが、死してなお強い怨念を持つ者を招き寄せている、か」
「その何かって…」
「大体はこちらの世界で言うところの、いわゆるボスモンスターだな」
「ボ、ボスモンスター…」
やはり、エルフが関わると物事はファンタジーになっていくものか。ボスモンスターなんて出てきた日には美影に何とかできるのだろうか。
「心配ならいらないぞ。地元の迷宮の恐らく10メートル近くある巨像モンスターを一人で灰燼に帰したこともあるからな」
また、心を読んだかのような回答が美影からあった。言葉通りなら、10メートルのゴーレムを粉々にするなんて一体どんな芸当をすれば可能なのか、時代には想像もつかなかった。
「あの、今日の目的は迷宮探査に慣れるということだったんですが、僕も怨霊と戦うのでしょうか」
時代はおずおずと尋ねる。
「勿論、戦わせない。さすがにいきなり、実体のない相手と戦わせるようなスパルタはしないさ。練習というのは、迷宮の雰囲気に慣れたり、どのような立ち回りをすれば怪我をしないかを見極める練習だな」
それを聞いて時代はホッとした。目の前であのような戦いを見せられて、やってみろというのはエルフ姿の美影ならあり得ないことではないと思ったからだ。
「だが、今の武者くらいなら時代も勝てるだろうがな」
安心させた後に不安になるようなことを言うのは止めてほしい。
「根拠は…」
つい聞いてしまう。
「まず、速さだが、外から見る速度と体感は違う。わたしと打ち合いの練習をしてたら、意外と遅く感じるだろう。それから、恐さだが、これは慣れだ。そんなの感じなくなるくらい打ち込めばいい。膂力は、やつらは幻影だからない。ただ、亡霊との戦いは精神力がそのまま"肉体の力"として体感されるから気圧されたら負ける。精神力で負けないようにすればいい」
なるほど、根拠はあるみたいだ。だからといって戦える気はしないが。
美影と時代はそのまま30分ほど洞窟内をうろうろした。その間、亡霊とのエンカウントは3回。すべて美影の一刀のうちに終わったが、中には幻影の矢を飛ばしてくるものもおり、時代も逃げ回らざるを得なかった。しかし、一本だけ風の剣で打ち落とし、美影に手放しで褒められたときは悪い気はしなかった。
「さて、この先更に30分ほど行くとわたしが到達した最奥、つまり時代の手を借りたいポイントに着くが、今日はここまでにしよう」
確かに、時代は入り口から合わせても1時間弱しか洞窟内にいなかったはずだが、体感は何時間もさまよったかのように疲弊していた。ただでさえ暗い視界に、空気も若干薄く、なおかつ定期的に亡霊に襲われる。それらが極度に心身に緊張をしいて、体感時間を引き延ばしていた。
「助かります…」
時代は家に帰るなり、食事と風呂を済ませ即寝た。美影にしごかれ始めたときはこのような生活だったが、体力がついてきてすぐに寝なくても体が保つようになってからは、勉強なりゲームなり本なりに手を付けられるようになった。それが逆戻りだ。しかも、今回の疲れは体力的なものよりも精神的な疲弊が大きい。それでも若さ故の適応力か、悪夢にうなされるようなこともなく、ぐっすり寝た。
☆
基本、迷宮探査の訓練は土曜日朝に行われた。
一応、美影の受け持つ漫画部は土曜日も登校してくるのだが、部長が現生徒会副会長でなんなら美影よりも実務能力がありそうな生徒ということもあり(美影よりも実務能力がある、とは断言できない。エルフはどうしても時間感覚が間延びしているので、現代日本に慣れた美影でも、基本"おっとり"してしまうからだ。その分、締切りを含めた実務に関わる意識は薄くなる)大体のことは彼女に任せれば問題ない。何かあれば携帯に連絡が来るし、諸経費なども事後報告でいい旨を伝えてある。
最初の迷宮探査から4回目、いよいよ、美影が探索した最奥部へ向かう。その先がどれくらい長いか分からからないため、美影と時代はいつもより多めの装備を用意した。相撲を取る方の祖父が登山も嗜んでいるそうで、靴以外は全て借りた。美影から靴は動きやすいスニーカーの方がいいということで時代は自分のスニーカーを履いた。
「目的地に向かう前に、改めて確認だが、時代にやってほしいのはわたしでは見破れない幻影の看破だ。しかし、時代にその幻影が見破れるかは実際、現地に着いてみないと分からない。もし時代が見破れなかった場合速やかに引き返すので、そのつもりで」
「分かりました」
「ちなみに、そこに至るまでの罠は解除してあるが、幻影を解除したあとに何があるかは分からない。恐らく、罠と亡霊どちらもあるかもしれない。心して挑むように」
「はい…」
今までの訓練で迷宮探査の初歩的なガイダンスは教わったが、美影が未踏のエリアではこれまでよりも一段危険度が上がるだろうことは予想が付いたし、美影のオリエンテーションの雰囲気でも察した。
二人は、手早く美影が進んだ最奥部という場所の手前10数分のところまで進んだ。ここまでは訓練で来ている。
訓練では罠がないこともあってか、枝道なども探索した。亡霊も訓練の最初に出会った数体以外は訓練中出くわさなかった。そのためか、迷宮探査と言いながら洞窟探検の様相だった。ゲームのダンジョン探索はアイテムや冒険上のヒントなどが得られるが、現実世界の洞窟探検ではそのようなものもない。強いて挙げれば、亡霊が落とした篭手や錆びた刀の柄のみ等、どちらかと言えば遺留品と言った方がいいものばかりだ。それらは美影の伝手で博物館に寄贈されるらしい。
時代たちが止まったところは、美影が探索したエリアの最奥部手前10数分の場所、三叉路だ。どれを進めばいいかは分かっている。また、残り二つの道についても訓練で探索した。最奥部で何が待ち構えているのか、二人とも緊張しながら進んだ。
「もうすぐで、時代に手伝ってもらいたい場所だ。油断せず行こう」
「はい」
一本道をしばらく行くと二人の前に吊橋が現れた。崖の下は昏く何も見えない。不可思議な洞窟の吊橋なんて架けられてから何年経っているかも分からないため、美影が物質強化の魔法を掛ける。先に美影が吊橋を渡ったが、魔法のせいかミシリともいわなかった。次いで、時代が吊橋を渡る。下からは少し強めの風が吹いていたが、吊橋自体はあおられもせず、どころか微動だにしない。まるで石橋を渡っているような感覚で時代は吊橋を渡ることができた。
「これ、すごい魔法ですね」
「まあな、普通は戦場で武具に掛けて戦うためのものだ。後方支援の魔法使いは集団で城壁に掛けてたりもしたかな」
美影は急に遠くを見るような目になって言った。元の世界の戦を思い出したのかもしれない。感傷的に見えるのはその戦で誰かを、もしくは何かを無くしたためかもしれない。そんなことをふと、時代は思った。
橋を渡って少し広めの踊り場のようになった場所の先が二股に分かれている。美影は踊り場を横切って右の道に入る。時代もそれに続く。その先は左右に鍾乳洞が広がる場所だった。二人は鍾乳洞の中で歩ける道のようになった場所を進む。鍾乳洞の左右から青い炎のようなものが近づいてきた。時代にも分かる。それは鬼火だ。
「あれなら」
時代はそう呟く美影を見た。あれなら、なんなのだろう。その言葉に、時代は不安と同時にいよいよか、という気になった。
「時代、あれを一個斬れるか?」
「…やってみます」
「よし、鬼火は基本的に体当たりしかしてこない。当たれば、魂がチラッと燃える」
「え、魂が燃える!?」
不穏過ぎる言葉を聞いた。火の玉の火は伊達じゃないのか。
「心配するな。何もしないで魂が燃え尽きれば死ぬが、火がついたらわたしが消すから安心しろ」
安心できるようなできないような言葉だった。
「分かりました。とにかく斬ればいいんですね」
時代は右から来る鬼火に集中した。右からは1体、左からは3体の鬼火が二人に迫っていた。時代は鬼火を引きつけてから斬ろうと思っていたが、不意に自分の持っている剣が風を産み出すことを思い出した。自分にできると思わなかったが、試してみようと思った。意識を剣に集中する。体中の力をイメージして剣に注ぎ込む。剣が緑色に光るようなビジョンを思い浮かべて、それを迫り来る鬼火に放った。果たして、鋭い疾風が鬼火を切り裂き、その先の鍾乳洞を割った。
「おお、凄いじゃないか!」
洞窟の中に美影の拍手がこだました。見ると、美影も鬼火を倒した後らしい。鬼火をすぐさま片付けて、弟子の初舞台を観覧しようと黙って見ていたようだ。時代にとって普段から手放しで褒められることは稀だったので悪くない気がした。このようにして時代の初陣(2戦目、3戦目があるのかは分からないが)はレジェンダリー武器に頼り切りの勝利となった。これをして時代の実力だと美影は思わなかったが、武器の力を使ったことについては自分の変装の魔法を見破ったことといい、彼の才能を感じざるを得なかった。その才能が現代の日本社会でどれほど機能しないかについても、教師として美影は分かっていたが。
さりとて二人は鍾乳洞のエリアを進み、いよいよ最奥部へと到達した。そこは少し広めのドーム型の空間となっていて、壁の低い位置、二人の目線の少し下くらいに帯状に梵字が刻まれているのが、美影の灯りで浮かび上がっていた。
「ここがわたしが到達した最奥部だ。ここでわたしはあらゆる方法を試したが、何も起こすことはできなかった。そこで時代、君の、わたしの魔法を見破った力を試してもらいたい」
「お役に立てるか分かりませんが、やってみます」
時代は先ほどのレジェンダリー武器でやったように、今度は自分の目に力を集めるようにイメージした。そして、美影が普通の黒髪スーツ姿の先生から長身褐色豊満エルフに見えたときの感覚を呼び覚ました。時代は無意識に魔法を見破る力を使っていたため意識して使うのはこれが初めてだった。時代の視界が青白く霞む。そのまま更に集中すると、ボヤケた視界が、うっすらと青いままクリアになる。洞窟の中はそのままだったが、梵字が仄かに光を帯びていた。文字の意味は分からないまま、時代は梵字の帯を眺めた。洞窟の中を一周ぐるりと見ていると、一か所だけ梵字がゆっくりと点滅している場所があった。時代はそこまで行って触ってみるが何も起きない。次に、風の剣を構え、先ほどやったようにして風の力を纏わせ、梵字に向けて放った。
「おっ!」
後ろから美影の驚く声が聞こえた。剣から出た疾風は梵字まで届かずに透明な壁に阻まれて霧散した。魔法による攻撃も意味がないようだ。
「時代、そこの梵字に何かあるのか?」
「はい、この字だけうっすらとした光が点滅しています」
恐らく、美影には見えないのだろうが、これだけはっきりしたサインが出ているのだから、先へ進むのにこの字がキーであることは間違いないと時代は思った。
「わかった。わたしが触ってみよう」
美影は前へと進み出、時代が点滅していると言った梵字の前まで来た。まずは疾風が霧散した場所で手をかざす。美影の手の平から周囲よりも昏い塊が生じる。灯りの魔法が効いているから逆に浮かび上がっているだけで、真っ暗な場所では暗闇が更に濃くなるだろう。そのような黒玉が美影の手の平から離れゆっくりと前へ進む。そして、10数センチ進んだところで何かとぶつかり激しい光を放った。しかし、次の瞬間その光が全て黒玉に吸われて辺りは何事もなかったかのように静まった。
「よし」
そう一言つぶやき、今度は岩壁の梵字に手を添えた。美影は、壁に手を当てている状態でしゃがみ、俯いて意識を集中し始めた。時代から見える梵字の部分が激しく明滅を始める。
「先生、文字が先ほどより強く点滅し始めました」
美影は意識を集中したまま、時代の言葉に頷いた。そのまま、時間にして1・2分だろうか、ガタッと少し重めの解錠音が響いたと思うと、梵字のあった壁が凹み、そのまま奥へと吸い込まれて横へスライドした。
「開いた…」
美影は呆然とつぶやく。そして、後ろを向き、時代の前まで来ると、両手でその手を握り、ありがとうと言った。
「いえ、こんなことで良ければ…」
実際、時代にとってはそれほどの労苦ではなかった。迷宮探査の練習の方がよっぽど大変だった。だから、時代のセリフは謙虚からではなく本心からの言葉だった。しかし、次の瞬間、美影の顔に緊張感が走るのが時代にも分かった。"扉"が開いた先から奇妙な冷気が流れ出してきていた。洞窟内も涼しい空気だったが、それとは別の恐怖心を醸すような冷たい空気が時代の足元まで漂ってきていた。
「なるほど、これがいわゆる"ボス部屋"ということですね」
「恐らくな。多分、この洞窟は扉の先の存在を封印するために出来たものなのだろう。陰陽師か、山伏か、それとも名もなき能力者か、その全てか。彼らの遺志がわたしすら寄せ付けない結界となっていた…」
美影は"ボス部屋”に続く通路の前に立ち、じっと見つめる。
「開けたからには責任がある。この先の存在はわたしが消し去ろう」
誰に向かって言うでもなく、ただ虚空に決意表明をするが如く美影は宣言した。
「僕もお手伝いします…まだ、この剣に込める力も残っているように感じますし」
時代は美影の宣言に続いて言った。
「ダメだ、君はここに居てくれ。危険すぎる」
通路に向かって立っていた美影が慌てて時代の方を向いて言った。
「分かってます。そもそも、ここに入るのに危険だと渋った人間です。でも、こんな…素人の僕ですら怖くて冷たくて堪らない存在を、封じることしかできなかった人たちのいたたまれ無さを感じたら、何か、できないかと」
「そうか…時代は優しいな、分かった。君は後衛に徹し、わたしが合図を出したら必ずここまで撤退すること。必ずだ」
「了解です」
美影と時代は前衛と後衛に分かれ、恐怖と冷気が漏れ出す通路へと入っていった。時代の体は震えていた。それは武者震いではなく、明らかな恐怖へと向かっていく震えだった。しかし、彼の立ち向かうという決意が歩を進める勇気を導いていた。
いよいよ、通路の奥、広くなっている場所へ出ようかというとき、その入り口付近は酷い靄がかって美影の魔法の灯りも遮られた。
「中の様子が伺えないな。恐らく中には洞窟の魑魅魍魎を招き寄せた存在がいるはずだが、入った瞬間正面で待ち構えられていたら二人とも危ない。中の様子を探る必要があるが…」
美影は、入り口の前でじっと立ち作戦を練っていた。時代も何か手はないか考える。中の敵が今まで出会った怨霊の類なら、美影に魔法の防護を掛けてもらい、自分の目を魔法を見破る状態で飛び込んで何秒か見る。何か攻撃が飛んできそうなら早急に後ろの通路に飛び込む。それを繰り返して中の様子を探る。これは自分でもできそうだ。そう時代が美影に提案しようとしたとき、足元で何かの鳴き声がした。
ピィ…
時代が下を向くと、膝ぐらいまでの大きさの黄色いアヒルのような鳥がいた。少し震えているようだ。鳴き声も心なしか小さい。
「先生、これは…」
「これは精霊だ」
「精霊?」
時代の中で、ファンタジーの世界に登場する神秘的な存在のイメージがアヒルに置き換わった。
「あ、勘違いしないでくれ。精霊とは本来形を持たない自然の性質、エレメントを擬似生命として召喚したものだ。だから、この精霊の見た目はわたしの、趣味だ」
暗闇だが美影の顔がほんのり赤い。
(照れて、いるのか…)
「いやいや、こう見えてこの精霊は強いんだぞ?見た目通り光属性の加護で周囲の人間を闇の攻撃から守れるし、いざとなれば光の光線を吐く」
「吐く?」
「そうだ、口から吐く…炎を吐くの吐く…」
「…分かりました。とにかく、このアヒルは光属性で闇に強いんですね」
「その通り!恐らく、この先にいる存在はバチバチの闇。中の敵を偵察するどころか、倒してしまうかもしれないな!」
(バチバチ…段々キャラが崩れていている…)
照れ隠しの強気なのか、本当にこのアヒルの実力が凄まじいのか、悠久を生きるエルフの言葉なので、時代は判断に迷った。
「僕も先生の魔法の庇護があれば偵察はできそうなので、このアヒ…精霊がうまくいかなかった場合は協力します」
美影の言葉に震えながら涙目になるアヒル、もとい光の精霊と時代の目が合った。代わってほしいと訴えているようだ。
魔法生命なのだから死に対する恐怖も痛みもないはずなのだが、目の前の光の精霊は明らかに怯えている。相性的に良いはずの闇の存在(闇属性はあくまで美影の予測)を前にしてこの怯えようは多分光の精霊なだけに争いが嫌いというか苦手なのかもしれない。平和を好むアヒルと考えると、途端にマスコット味が出てきた。
(案外、可愛い、のか?)
そんなことを考えながら、しかし、時代は思った。召喚された魔法生命としては召喚者である美影の命令は絶対だ。いかに苦手でも挑んでもらわなくてはならない。時代は、じっとアヒルの目を見て、深く頷き、靄の方を指差した。アヒルが愕然とした表情をして、覚悟を決めたのか靄の方を向く。何度か時代と美影の顔を見て、靄の方をじっと見たかと思うと、次第に輝き出し、辺りに強力な光を放つまでになった。時代は思わず手を翳して目を庇ったが、美影はアヒルの姿を真剣に見つめた。次の瞬間にはアヒルは靄の闇の中に飛び込んだ。靄の中は音さえかき消されるのか、中の様子は伺えない。時間にして数十秒か、外の二人にとっては長い時間が経過したように感じたが、靄の中から行く筋もの光の線が漏れ出てきた。
「これは、もしや光の光線??」
時代は誰にともなく独りごちた。
「恐らくそうだ」
そう言って美影はじっと靄を見つめた。すると、中の様子を全く覆い隠していた闇の靄が次第に消えていく。通路から中の様子が伺えた。靄が消えて、美影の放つ明かりが洞窟の奥を照らした。奥には何本もの腕を持つ鎧を着た骸骨がそびえ立っていた。何かそのような趣味の仏像のようだったが、全身は黒光りし、目には赤い光が宿っていた。
「精霊がやってくれたんですね…」
「そうだな…」
美影は少し涙目になっている。
(そんなにやられるのが嫌なら召喚しなければいいのに…)
時代は精霊の働きに対してグッドを送りつつ、心の中でツッコんだ。
二人はアヒ…光の精霊が靄を晴らした洞窟の部屋へと入る。目の前の巨大な骸骨像がいつ襲ってきてもいいように武器を構えつつ。骸骨は具足を一通り纏い、8本ある腕には全て刀を握って仁王立ちになっている。光の精霊の光線によって一時的にフリーズしているのか、二人を見ても微動だにしない。
「先生、動きませんね…」
「多分、何百年も闇の中にいて光に触れてこなかったせいで、突然光の強烈な攻撃を受けて動作に使うエネルギーが混濁してるんだろう。先制を掛ける」
そう言うと、美影は居合の姿勢に入る。時代はその後ろ2歩ほど下がり、剣を構えていつでも陽動できるように風の力を溜める。二人の殺気に応えるように、骸骨は僅かに腕をジャラッと鳴らした。体は動かないまでも、骸骨を形成する亡霊は二人を捉えているようだ。一瞬の溜めの後、美影は骸骨武者に向かって飛んだ。右下方の腕の小手に覆われていない部分を狙う。しかし、先程までの動きと違い、骸骨は素早く左腕に持った全ての刀で美影の攻撃をガードした。
「チッ」
攻撃に失敗した美影は時代の前方に飛び退る。
いよいよ動き出した骸骨武者はその場ですべての腕を掲げた。そこに黒い靄の塊が渦状に溜まっていく。
「マズい…時代!まっすぐ右手に走れ!」
美影の大きな一声を合図に時代は右の壁に向かい猛烈なダッシュをした。美影も左側に飛ぶ。二人の間を黒い塊が長い尾を引き地面をこそぎ取りながら抜けていく。
「時代、骸骨の今の動作見逃すなよ!」
そう言って、美影は避けた場所から二撃目の居合を打つ。今度は技を打った反動で硬直している骸骨武者に右側から斬り込み、右の4本ある内の2本の腕を斬った。斬られた腕は霧散し、残った部分は黒くぼんやりとしている。時代は、放っておくとそこからまた腕が出てくるのではないかと訝しんだ。美影もその考えになったようで、手薄になった右から間髪入れず頭部を狙って飛び袈裟斬りを仕掛ける。骸骨武者は4本残っている左腕でのガードが間に合わず、右腕2本でガードしたが、美影の速度が上回り、兜と鎧の間、人間で言う鎖骨の辺りに上から直撃が入る。これが人間だったらひとたまりもないが、亡霊の場合、いくら魔剣で斬ったとて結果がどうなるか、見ている時代には未知数だった。しかし、歴戦のエルフはクリーンヒットした攻撃の結果を予期し、右首筋から黒い靄を吐き出している骸骨武者の今度は左腕を2本斬り落とす。大きく崩れる骸骨武者。しかし、その赤く輝く目は一層妖しく光った。次の瞬間、全身から黒い靄を吹き出し始めた。美影は攻撃の手を休め、一度大きく距離を取った。骸骨は靄に包まれその姿を完全に隠してしまった。
「先生!手応えはあったんですか?」
右の壁に寄っていた時代は、少し広場の中へ戻りつつ美影に、聞いた。
「手応えはあった。しかし、まだ倒せるような感じはない。恐らく今は実態を再構成しているところだろう」
「今のうちに攻撃できないんですか?」
そう言いながら、時代は剣に溜めていた風のエネルギーを骸骨を覆う黒い靄に向けた。
「止めておけ。今は魔法の攻撃は吸収されてヤツのエネルギーに変換される。そして、わたしの魔剣も物理攻撃はスカされる上に魔法部分を吸収されるだろう」
つまり、今の状態では骸骨にダメージを与えられないということか。時代は現状を理解したが、何もしない敵に対して、何ならむしろ現在進行形で回復しているかもしれない敵に対して何もできないことが歯痒いと感じた。
「よし、敵の情報を整理しよう」
気分を変えるように美影は努めて明るく言った。
「まず、敵の属性は闇で間違いない。そして、洞窟内で会った他の亡霊のように物理的な実態はないに等しい。恐らく具足に大元の怨霊が取り憑き、その怨霊に引き寄せられた亡霊たちが集合して巨大な骸骨の姿を取っている」
「見ていたところ、先生の刀で確実にダメージは与えていましたよね」
「ああ、物理的な実体を伴わない存在に対する妖刀の攻撃はあの骸骨にも通用している。しかし、相手の溜め込んでいる亡霊の数が底知れない。斬っても斬っても湧いて出てきそうな気すらする…」
と、対しているのは一体の骸骨武者なのに、戦っているのは数多の亡霊達なのだと言うように、美影は狼狽した。たくさんの亡霊の集合体なら、時代は考えた。一体の強大で屈強な武者ではなく、亡霊の寄り集まりで力を得ているなら一体一体を縛る結界のようなものは張れないのだろうか。強大な一体を縛る結界はそのために割くリソースが大きそうだが、範囲は広めに網のような結界ならそれよりは省エネで済みそうな気がする。
「先生、光の魔法を網のようにして亡霊達を捕らえられないでしょうか」
「ん?なんとか蜘蛛マンみたいにか?できないこともない、が…」
「それでは、今繭みたいになっている敵の下に置いて、中身が出てきたらすぐに捕まえてください。恐らくそれで敵の力を多少は削ぐことができると思います」
「なるほど、分かった。面白そうな作戦だな!」
美影は楽しそうに言った。そして、早速片手を骸骨を内包した闇の繭の下に向かって翳す。翳した手の前に光の粒子が集まり、数メートル先の闇の繭の下に蜘蛛の巣状の光の紋様を浮かび上がらせる。その状態なら敵に接していないため魔力を吸収されることなく敵の動きに合わせて攻撃も可能だろうと、美影は気づいた。しかして、しばらく待つと繭から黒いガスが音を立てて漏れ出して来た。黒くて分からないが、繭に亀裂が入ったらしい。
「そろそろお出ましか」
「そのようですね…」
二人は少し緩めていた感覚を引き締めた。
繭は内部のガスの圧で爆発し、飛散した繭の欠片は靄となって消えた。霧散した靄の中から現れたのは黒光りする具足を纏った先程より大分小さくなった骸骨の武者だった。美影はそれに対して今までよりも大きな危機感を抱いた。
「体が小さくなったが、闇のエネルギーの濃度が反比例して高まった。非常に危険なレベルだ」
時代は、歴戦のエルフである美影からの警告を聞き、現れた骸骨武者へ警戒を強めた。自分に出来ることはそもそもが多くない。魔法を飛ばして気を引くぐらいだ。しかし、それも新たな形態の骸骨武者相手には意味がないかもしれない。
「しかし、今が発動のタイミングだな!」
続けて、美影は楽しそうに言うと、光の魔力を高めた。それに呼応するように骸骨武者の足元にあった魔法陣が輝き出す。骸骨武者もそれに気づき、その場から飛び去ろうとしたとき、美影の掛け声とともに魔法が発動する。光り輝く蜘蛛の巣状の魔法は下から骸骨武者を包むように持ち上がり、上で閉じて包囲が完成する。そのまま骸骨武者に吸い付くように収縮し、光の網の模様が骸骨武者に映る。骸骨武者は苦しそうに叫び、もだえた。
「効いている、ようですね」
時代はその様子を見て呟く。
「ああ、しかし思ったよりこの敵は力を溜め込んでいたらしい、先程の巨人の状態が弱く見えるほど、今のやつのエネルギー濃度は高まっている。光の結界はやつに効いているし、その力を削いでもいるが、果たしてどれほど弱体化させられるか…」
光の網は発動したらオートで敵を縛り付けるようだ。その証拠に美影は話している間、特に魔力を消費しているように見えない。その割に、強化した骸骨武者を話す余裕が産まれるほどにその場へ縛り付け、あまつさえその強大な力を削っている。一見地味な魔法だが、これは応用すれば相当な敵にも通用するだろうと、骸骨相手に実証され、美影は内心ほくそ笑んだ。
「そろそろ魔法が切れる。時代は風の魔法が届くギリギリの距離で力を溜めて待機していてくれ。私が合図を出したら奴の気を引いてほしい」
「分かりました」
そう言って時代は目測で敵との距離を見極め数歩下がった。
「さて、再戦と行こうか兵よ」
美影はそう言うと右足を半歩引いて刀を左腰の辺りに刃を上向き、刀身を斜め下へ。すると瑠璃色の鞘が現れ、左手で鞘を持ち、右手で柄を握った。
その時、ちょうど光の網の魔法も切れ、骸骨武者は猛り狂うように腕を振り回して濃密な闇のエネルギーを辺りに放出した。そして、骸骨武者も、二本になった両腕に黒色の禍々しい靄を宿した刀を持ち、初めて構えを取る。左手を正面、右手を上段に構えて右足を下げ半身の構え。自然両者に隙はなく膠着する。
と思いきや、美影は骸骨武者が構えを取り半呼吸分ほどの間で飛び込む。そして、相手の右下から逆袈裟斬りを放つ。骸骨武者は右手で袈裟斬りを捉えつつ左の刀で上段からの振り下ろしを浴びせる。しかしなぜか、骸骨武者の右手は空を切り、左手の上段を美影の刀で弾かれて、返す刀で胴を抜かれた。骸骨の着けた胴は真ん中に大きな亀裂が走り中から真っ黒い空洞が見えた。
「光魔法は確実にこいつの強度を削っているな」
残心のあと、振り返りざまに美影はそう言った。骸骨の実態は鎧だけと踏み、それ以外は怨霊から集められた闇のエネルギーの塊であるなら、光魔法の網がエネルギーを削り取れば骸骨の強度が下がるのも必然だろう、と時代は思った。提案がうまくいって良かったと安堵しつつ、今の戦いの不自然さに考えがいく。美影は左に刀を構えていたのに、骸骨が刀を迎撃しようとした右手は空を切り、美影に振り下ろされた左手の方が弾かれた。これは一体何を見せられていたのだろう。
残心のあと、両者が向かい合うと、またしても美影は左に刀を構え、居合の体勢に入った。骸骨武者も右手上段、左手正眼に構える。今度は半身を下げずに正面に立つ。より相手の打ち込みに対応しやすくしたようだ。
「怨霊のクセに小細工を。それとも、元を辿れば高名な剣士様なんですかね?」
言葉が通じているか分からない骸骨に対して、美影は煽りつつ、微笑を湛える。そして、動く。またしても美影は骸骨の右下を狙った逆袈裟斬りを放つ。しかし、骸骨は構えを解かず動かない。そして、美影の刀が届くか届かないかの一瞬、キーンと甲高い音と共に火花が散る。今度は美影の"右上"からの袈裟斬りを骸骨が両手の刀で防いだ。
「ほう…」
反撃を恐れて咄嗟に後ろへ飛んで残心した美影が一言呟く。
「もう見切られたか…」
ゆるりと前へ刀を構え、半歩ずつずらしながら美影は骸骨武者の動きを見つめた。骸骨武者はゆっくりと二振りの刀をバツの字に重ね合わせる。時代には嫌な予感がした。美影も同様に感じたようで、大声で警告を出す。
「時代、今度は思いっ切り壁側へ飛べ!」
その刹那、骸骨武者が重なる刀を振り下ろすと共に、二筋の斬撃が地面を削ってくるのが見えた。すかさず、時代は横に飛ぶ。斬撃はその先の壁に当たり、辺りは土煙に覆われた。その中、赤く光る骸骨武者の目だけが漂っていた。
「飛ぶ斬撃を使う剣士…やはりか…」
美影は素早く後ろを振り返り時代の状況を確認した。土埃で視覚では十分じゃなかったので、暗視の魔法と状態異常探知能力を使い確認する。擦り傷は負っているが、問題なく躱しているようだ。武者の予備動作と美影の警告もあったが、自分で危機察知し回避したのは大きかった。
それだけ確認すると美影は風魔法を起こし土煙を払った。
飛ぶ斬撃は、初撃のような魔法ではなく物理的な攻撃で、二発目を放つにはそれなりの溜めが必要なはずだが、それでもすかさず二発目を放たれる可能性もある。予備動作が見えるのと見えないのとでは回避のしやすさも変わる。土煙が消え去り、露わになった骸骨武者の姿。やはり。先程と同じ態勢で飛ぶ斬撃を放つ準備をしていた。美影だけなら飛ぶ斬撃をいくら放たれようが問題ない。初見を躱した段階で単なる隙だらけの技と成り果てた。しかし、後ろの時代にとって何度も躱すのは体力的にも難しいだろう。
美影はある決意をした。ここは温存している場面ではない。先程編み出した、光の網の魔法を、予備動作中で動かない骸骨武者の足元に放った。骸骨武者は刀をバツの字にしたまま光の網を横に飛び躱す。しかし、美影が腕を横に振ると光の網は地面をスライドし骸骨武者を捕らえた。こちらも初見ではないため、武者はすぐに網を振りほどくだろう。その数秒間で美影は「召喚」の準備をした。
詠唱を始めると同時に美影の前にエメラルド色の渦が現れた。何かを感じ取ったのか、光の網を解こうともがく骸骨武者はその動きを激しくする。光の網が引き千切られ、骸骨武者の腕が再度飛ぶ斬撃を放とうと刀をバツ字に戻し、ぐっと力を溜めた瞬間、エメラルド色の渦からこれまた翠緑に輝く鎧が現れた。
骸骨武者が二度目の飛ぶ斬撃を美影に放つ。しかし、斬撃は翠緑の鎧に当たり霧散した。骸骨武者は危険を感じ一歩飛び退る。翠緑の鎧は後ろに立つ美影と重なり光り輝いた。
時代は、飛ぶ斬撃を躱すために飛んだ衝撃で少し気を失っていたが、意識を取り戻し美影を見ると、エメラルド色に輝く繊細な意匠の鎧兜を付けた美しいエルフがそこにいた。鎧以外の部分は白銀の帷子に覆われており、完全に防護されている。その美影が右腕を下におろすと先程まで持っていた黒い妖刀は消え、代わりに鎧と同じ翠緑の細い剣が現れた。
それは、時代が借りているレジェンダリー武器と同じ色だが、輝きが違う。光魔法で全体的に周囲が見える程度に明るくなっていた洞窟内が、剣が現れた瞬間昼間のように明るくなり、骸骨武者がたじろぐほどであった。
美影は翠緑の剣を両手で振り上げる。骸骨武者はまたも刀をばつの字に構える。先程、美影の鎧相手に霧散した技だが、この攻撃が骸骨武者の最高度の技のようだ。そして、それを防いでみせた鎧を着た美影には最早、骸骨武者では相手にならないことの証左でもある。
美影は振り上げた剣を垂直に下ろす。骸骨武者は間合いの範囲外のはずだったが、垂直に振られた剣からは骸骨武者と同じような飛ぶ斬撃が発生していた。それは、エメラルド色に輝く激しい威力の斬撃だった。ばつの字に構えた刀を防御に変えて構える骸骨武者に当たった瞬間、刀は砕け、着ていた黒い鎧は消し飛び、黒い影が現れたが、それもエメラルドの光に飲み込まれ消え去った。
「先生が、勝った…」
美影の後ろに立っていた時代が呟く。
骸骨武者の消え去った洞窟内の奥に、朽ち果てた武士の具足と思われる残骸と、これまた風化しかけている人骨が横たわっていた。エメラルド色の光が消え去り、鎧も剣も無くなって、ただジャージ姿のエルフがその遺体に歩み寄る。
「真之介、か…」
美影は遺体に向かって屈み込み、そう呟いた。時代は、美影の側でその様子を見守る。
「予感はした…お前を見送った後、戻らないだろう、と。しかし、こんなところで朽ち果てていようとは…」
どうやら、その遺体の主を美影は知っているようだった。
「先生、お知り合いの方でしたか」
「あぁ、かつての弟子だ」
そう言って立ち上がると、美影はその遺体に手を翳し何やら光の魔法を放った。光は遺体に吸収され、そこから白く輝く靄が立ち上る。その靄は一瞬だけ笑顔の袴姿の背の高い男になって消え去った。美影はその姿にフッと笑ったかと思うと寂しそうな顔をした。そして、火の魔法で遺体に火を放つ。遺体は炎を上げて燃え、しばらくすると消えた。二人はそれをぼんやりと眺めていた。
「さて、戻ろうか」
美影が言うと、時代は、はいとだけ応え、二人は戦いの場を去った。
☆
洞窟ダンジョンの探索から2日後の月曜日。時代のもとに美影から呼び出しが掛かった。時代のクラスの漫画部部員に話しかけられ、放課後数学準備室に来るようにとのことだった。それまで、その漫画部の女子生徒とは話したこともなかったなと、用件を聞いてから、ふと時代は思った。話せる人とは話せるときに話しておいた方がいいのかもしれない。美影と真之介と呼ばれた遺体の人との邂逅を見たことを思い出して、時代はその部員兼同級生とも話してみようと思った。
「お待たせしましたー」
時代は、あの濃い洞窟探索以来美影と会うが、ぶっきらぼうに数学準備室の前でのたまう。
「入っていいぞ」
美影も普段の姿の数学教師キャラを装わず、ぶっきらぼうに応える。時代はガラガラっと扉を開け、数学準備室に入った。そこにはエルフジャージ姿の美影が、窓のカーテン越しの西日に照らされ後ろ姿でデスクに向かっていた。
「呼び出してすまなかったな」
そう言って美影は振り返った。いえ、と言って時代は空いている椅子を美影の前に寄せて座った。
「呼び出したのは、洞窟探索のお礼をしたいからだ」
「お、お礼なんていいですよ!」
いつものポーカーフェイスを崩して、慌てて時代は返した。彼は彼の理屈、もっと言えば祖父の教えに従って美影に協力したのであって、純粋な親切心からではなかったので、お礼と言われると一抹の居心地の悪さを感じた。
「そういうわけにはいかない。時代を危険に晒してしまった。まさか神話級の武具を持ち出すことになるとは思わなかった…」
神話級とは、あのエメラルド色の鎧と剣のことだろう。神話級ということは、神の力が宿った武具ということだろうか。それだけあの骸骨武者が危険な存在だったということだろう。そして、恐らく。
「むしろ、僕が謝るべきだろうと思います。僕がいなければあの骸骨にそんな大きな力を使うことはなかった」
「それは違う!私が助力を頼んだんだ。君じゃなければ、あの奥の場所への道を開けなかった!」
時代の勘違いを正すように、美影は少し声を荒げた。
「助けてくれて、本当にありがとう。お礼と言っても大したものはないが、これを受け取ってほしい」
そう言って美影は、先日時代に貸した風の剣を出し、両手で差し出した。
「レファエンドル。神話級には劣るが、祖国ではちょっとした城が立つ代物だ。君なら使いこなせるだろう」
「これは…しかし、僕が貰っても生かせないと思いますが…」
「まあ、そう言うな。普段は隠しておける上、隠したまま斬撃も放てるし、その威力もちょっと叩く程度から車を斬るレベルまでコントロールできる!テレビショッピングで宣伝されてもいいくらい便利だぞ?」
「べ、便利さについてはよく分かりました。勿論、その価値にも恐らく取得にものすごく苦労したことも理解してますが、その上で自分に相応しいとは思えません」
「うーん、それぐらいのモノを持っていてもらわないと、今後の活動に支障が…」
「今後の活動?」
美影の不穏な物言いに、時代は耳ざとく気づいた。美影は分かりやすく、ギクッという効果音が見えるほどのリアクションをした。
「いやぁ、なんだ、実は同郷の友達がこの学校にいてな?君のことを話したら、是非とも仲間に引き入れたいという話になって…」
「待ってください!"同郷の友達"?同郷、というと先生の元の世界の、ということですか?」
「そうだが?」
「その、言ったよな?っていう圧を言外に出すの止めてもらえますか」
その時、時代の後ろで数学準備室の扉が開く音がした。
「あ!先生、姿!」
時代は焦って中腰で美影を隠そうとした。
「ああ、問題ない」
そう言って、美影は時代の肩を抑えて椅子に座り直させた。自分は立ち上がり扉の方へと進む。そして、隣に立った白衣の化学教師を紹介する。
「ドラゴニュートの朱音だ」
目の前の、白衣を着て黒髪を後ろで束ねポニーテールにした黒縁メガネの化学教師は、一瞬でエルフ時の美影と同身長の細身、黒髪ショートボブ前髪パッツン、薄緑色の肌の美女になった。
「こんにちは、明石くん。美影と"同郷"の朱音といいます。化学の授業のとき会ってるわよね」
「…はい、話したことはないと思いますけど」
まさか、同じ学校にエルフとドラゴニュートがいたとは。
「あの、大御寺先生は一人でこの世界に住んでいると思ったんですが…」
「ああ、この世界に来た時は一人だったが、長い年月を日本や世界を見聞して回ってるうちに実は何人も同じ世界から来ていた存在を知ってな。それぞれ訪ね歩いてるうちに友達になって、何なら元の世界の友達もこっちに来ていた」
と言って大笑いした。
(なんてことだ。不老不死のエルフ一人でもとてつもないのに、同じく不死のドラゴニュートや同郷の仲間までいたら、その気になればこの世界なんて…)
「時代、安心しろ、乗っ取ろうなんて思ってない。そんな野望抱くのは魔王と相場が決まっているではないか」
「でも一人、この世界を牛耳ろうと誘ってきた人がいたじゃないですか?」
朱音が穏やかに聞いた。一方、時代はやはりと戦慄する。
「ああ、そんなやつもいたな。結局今はピザにはまってピザ屋に弟子入りしてピザ職人になってるがな」
またも美影は大笑いして言う。
「ピザ屋…」
時代は頭が付いて行かず呆然と聞く。
「ダークエルフの男がいてな?イタリアで女に振られて腹いせに世界を滅ぼしてやる、と闇堕ちして、マフィアやら世界を裏で操るとかいう資本家やその他諸々を消して回っていたんだが、さすがにこの世界のバランスを損なうと思って、有給を使って、知人のツテやら仲間を集めて、ぶん殴ったら改心したという話だ」
「あら、そんな楽しそうな話だったなんて…私呼ばれてないんですけど?」
ドラゴニュートの朱音がジトっとしたドラゴンの目で美影を見る。
「いやいや、さすがに担任を持ってる朱音を誘うわけにはいかないだろう。学年末で卒業式も控えていたのに」
「あ、あの時ですか!美影が結婚するからとか言い出して、教頭に土下座する勢いで有給もらってた!」
「そうそう、あの後、結婚は取りやめになりました、と泣いて教頭に謝ったら、めちゃくちゃ高価な地酒をくれて、人生は長いから落ち込むな、と慰められたな…」
「心が痛みますね…」
なんのコントを見させられているのかと、時代は唖然とした。
美影の話が本当なら、世界は一度征服されかけて、何事もなく続いているということだ。
「まあなんだ、だから、時代は何も心配せず我らに付いてきてほしい。今後も日本のダンジョン探索をして、何なら朱音センセイも魔法のエキスパートだから、二人で鍛え上げてやるからな!」
「これが地獄の始まりか…」
完




