第5話
第5話
リーネと出会った日から、さらに五日ほど歩き続けた。
崩れた街道を越え、倒れた標識をいくつも通り過ぎ――アリアがようやく辿り着いたのは、王都だった。
「……」
言葉を失う光景が、そこに広がっていた。
かつて侵入者を寄せ付けなかったはずの城壁は、ところどころが崩れ落ち、巨大な瓦礫となって地面に転がっている。威容を誇っていた白亜の城は、塔が折れ、壁は裂け、王の象徴であったはずの玉座の間すら天井が抜け落ちていた。城下町もまた同じだ。人の営みで満ちていた通りは、瓦礫と灰に覆われ、どこにも生の気配はない。
「……ここが、王都?なんですか?」
リーネが小さく呟く。
その声音には、恐怖よりも、ただの困惑が混じっていた。
アリアは頷く。
「そう。世界が無事だった頃の、中心だった場所」
その言葉に、リーネは何か言いかけて、結局口を閉ざした。
崩壊前を知らない彼女にとって、この光景は“失われたもの”ではなく、“最初からこうだった世界”に過ぎない。
アリアは胸の奥に鈍い痛みを覚えながらも、首を振って思考を切り替えた。
感傷に浸っている場合ではない。
「慎重に行くよ。建物の中に魔獣がいる可能性もある」
「は、はい……!」
二人は言葉を交わしながら、王都の中を進んでいく。
まず探すのは、水と食料。
次に、雨風を凌げる場所。
王都であれば、倉庫や貯蔵庫、保存の利く施設が残っている可能性が高い。アリアはそう当たりをつけていた。
実際、時間はかかったものの、成果はあった。
地下に半ば埋もれた貯蔵庫から、腐っていない乾物と瓶詰めの水を見つけ出すことができたのだ。
「助かった……」
リーネがほっとしたように息をつく。
アリアも同じ気持ちだった。これで、しばらくは飢えを心配せずに済む。
探索を続ける中で、二人は一際大きな建物の前に辿り着いた。
崩れかけの石段。その奥にそびえる、重厚な石造りの建築。
「……王立図書館」
アリアは、掠れた文字を読み上げる。
歴史書や記録を保存するために建てられたこの建物は、王都の中でも特に頑丈に造られていた。外壁には亀裂が走り、屋根の一部は崩れているものの、全体としては比較的形を保っている。
「ここなら……」
雨風は凌げる。
それに――情報がある。
今のアリアは、魔王を探している。だが、その居場所も、手がかりも、何一つ掴めていない。世界がこうなった理由を知るためにも、過去の記録や伝承は必要だった。
「しばらく、ここを拠点にしよう」
アリアの言葉に、リーネは少し不安そうにしながらも頷いた。
「……ここ、静かですね」
「そうね、静かすぎるくらい」
アリアは剣から手を離さず、図書館の中へ足を踏み入れる。
埃に覆われた床。倒れた書架。散乱した無数の本。
それでも、ここには“人が積み重ねてきたもの”の痕跡が、まだ残っていた。
――あてもなく彷徨う旅は、終わりにできるかもしれない。
アリアは、そう思いながら、図書館の奥を見据えた。
まずは、旅の疲れを癒すことにした。
王立図書館の中庭に近い、崩れかけながらも壁と屋根が残っている一角を選び、アリアは手早く火を起こす。
今日の収穫は悪くなかった。乾物に保存肉、それに――運よく見つけた香辛料。
瓶の蓋を開けた瞬間、鼻をくすぐる刺激的な香りが立ちのぼる。
「……久しぶりだな」
思わず、そんな独り言が漏れた。
崩壊後、味を楽しむ余裕などなかった。ただ空腹を満たすためだけの食事。それが当たり前になっていた。
だが今日は違う。拠点も決まり、今夜だけは少し気を抜いてもいい。
アリアは鍋に水を張り、具材を刻み、香辛料を加える。
火にかけると、やがて湯気とともに食欲をそそる香りが広がった。
「わあ……いい匂いです!」
リーネがぱっと顔を輝かせる。
「そんなにすごいものじゃないよ」
そう言いながらも、アリアの口元は自然と緩んでいた。
出来上がった料理を二人で分け合い、簡素な器を手に向かい合って座る。
「おいしいです! すごく!」
リーネは目を丸くして、何度も頷く。
「……よかった」
その反応が嬉しくて、アリアは少しだけ誇らしい気持ちになる。
食事をしながら、他愛もない話をした。
道中で見た奇妙な瓦礫の話。遠くで聞こえた魔獣の鳴き声の話。
意味のない、けれど確かに“生きている”会話。
気づけば、鍋は空になっていた。
満腹になったリーネは、大きなあくびを一つ。
「……ねむいです」
「無理もないね。今日もたくさん歩いた」
図書館の中は、思った以上に静かだった。魔獣の気配もない。
アリアは、今夜は情報収集を後回しにすることを決めた。
「今日はもう休もう。続きは明日」
「はい……」
二人は簡単に寝床を整える。
いつものように、リーネはアリアの腕にしがみつくようにして横になった。
「……離れないでくださいね」
「大丈夫。ここにいる」
アリアはそう答え、リーネの背中を優しく叩く。
トン、トン、と一定のリズム。
少し高めの体温。
呼吸に合わせて上下する小さな背中。
その温もりを感じているうちに、アリアの中に張り詰めていたものが、ゆっくりと溶けていく。
――不思議だ。
リーネと出会ってから、あの悪夢を見ていない。
崩壊の瞬間。救えなかったすべて。
夜ごとに心を引き裂いてきた光景が、今は訪れない。
アリアはその理由を考えようとしたが、思考は次第に霞んでいった。
「……」
気づけば、リーネの寝息が規則正しく聞こえている。
そして、そのすぐ後を追うように、アリアの意識も静かに沈んでいった。
瓦礫に囲まれた世界の片隅で。
二人分の温もりだけが、確かにそこにあった。
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