第7話
第7話
出立の準備は整った。
水と食料、簡単な寝具。地図と、図書館で書き写した走り書き。
王都跡を拠点に情報を集めるつもりだった計画は、思いのほか早く崩れた。残されていた知識は十分だったし、これ以上ここに留まっても得るものは少ない。
アリアとリーネは、王立図書館を後にする。
崩れ落ちた城下町を歩くのは、来たときよりも少しだけ慣れていた。瓦礫の隙間を縫い、かつて人が行き交っていたであろう道を辿る。風に舞う灰と埃が、終わった世界の時間をゆっくりと流していた。
そのときだった。
「……アリア」
リーネの声が、どこか上擦っている。
気づけば彼女は足を止め、瓦礫の山へと近づいていた。まるで何かに呼ばれているかのように、迷いのない足取りで。
「待って、危ないわ」
アリアは即座に声をかける。積み上がった瓦礫は不安定だし、魔獣が潜んでいてもおかしくない。
だがリーネは振り返らず、ただ一点を指差した。
「……あそこ」
仕方なく視線を向けた瞬間、アリアは眉をひそめた。
赤い。
瓦礫の隙間、石と崩れた木材の上に、あり得ないほど鮮やかな赤が横たわっている。
刀身まで染め上げた、真紅の剣。
来るときには、確かにそこには何もなかったはずだ。
まるで――
誰かが、わざわざそこに置いたかのように。
「……気味が悪いわ。触らないで」
アリアはそう言って、引き返そうとした。
だが、リーネが振り向いた。
「だめ」
その声は、普段の怯えや遠慮を含まない、異様なほど強いものだった。
「絶対に、拾ったほうがいい。お願い、アリア」
熱を帯びた瞳。必死というより、切迫している。
まるでそれ以外の選択肢が存在しないと、最初から知っているかのように。
「どうして……」
問いかけるアリアに、リーネは首を振るだけだった。
「わからない。でも……放っておいたら、だめな気がするの」
その様子に、アリアは言葉を失う。
取り憑かれている――そう表現するのが一番近かった。
短い沈黙のあと、アリアは小さく息を吐いた。
「……わかった」
不本意そうにそう告げ、慎重に剣へ近づく。
剣は、重さも温度も、ただの鉄のそれと変わらない。それなのに、手に取った瞬間、胸の奥がざわついた。
嫌な感覚だった。
だが、捨て置く理由も見つからない。
アリアは剣を背に背負う。
腰に佩いた愛用の細剣は、長年使い込んだ相棒だが、さすがに年季が入っている。予備があるに越したことはない――そう自分に言い聞かせた。
「……それでいい」
リーネが、ほっとしたように呟く。
なぜ、態度が普段とまったく違うのか。
その疑問を、アリアは気味が悪すぎて深く考えなかった。目を逸らしたかった。
二人は王都を後にした。
瓦礫に埋もれた街を抜け、崩れた街道へと足を踏み出す。
背には、あの赤い剣がある。
だが、不思議なことにほとんど重みを感じない。
背負っているというより、そこに在るだけのような感覚だった。
(……気味が悪い)
それが正直な感想だった。
リーネは、剣を見つけたときの異様な様子が嘘のように、すっかり元の調子に戻っている。
いつも通りの丁寧な口調で、道の荒れ具合や遠くに見える瓦礫の山について話していた。
一度休憩を挟み、二人は再び歩き出す。
そのときだった。
空気が、変わった。
重く、湿った気配。
地面を踏みしめる低い音が、規則正しく近づいてくる。
「……リーネ、下がって」
アリアは即座に判断し、リーネを背後へ下がらせた。
姿を現したのは、大型の熊のような魔獣だった。
崩壊前でも危険視されていた種だが、今目の前にいるそれは、明らかに異様だった。
筋肉は異常に発達し、分厚い毛皮はまるで鎧のように見える。
(一人で倒すのは無理……でも、撃退くらいなら)
そう判断し、アリアは腰に佩いた剣を抜いた。
切りかかる。
だが、刃は毛皮と筋肉に阻まれ、浅く滑るだけだった。
何度か打ち込むが、致命傷にはほど遠い。
逆に、魔獣の一撃一撃が重く、確実に体力を削ってくる。
そして――
魔獣の前脚が振り下ろされ、それを剣で受け止めた瞬間。
嫌な感触が手に伝わった。
次の瞬間、
ポキン、と、乾いた音が響いた。
長年使い続けてきた愛用の剣が、根元から折れていた。
「……っ」
舌打ちが漏れる。
迷っている暇はない。
アリアは即座に背中へ手を伸ばし、赤い剣の柄を握った。
その瞬間だった。
――流れ込んでくる。
この剣の扱い方。
この魔獣の、どこを斬れば致命になるのか。
力の入れ方、踏み込みの角度、振り抜く軌道。
考える前に、すべてが理解できていた。
同時に、身体の奥から魔力が湧き上がる感覚がある。
血が熱を帯び、世界が鮮明になる。
アリアは剣を抜いた。
そして、頭に流れ込んできた映像のままに、剣を振るった。
――抵抗は、なかった。
赤い刃は魔獣の身体をすり抜けるように走り、
次の瞬間、熊の魔獣は真っ二つに断たれていた。
巨体が崩れ落ちる。
あまりにも呆気ない、勝利だった。
アリアはその場に立ち尽くし、剣を握ったまま息を吐く。
自分の唇の端が、わずかに持ち上がっていることに、そのときの彼女はまだ気づいていなかった。
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