祭祀王と王配
半年後。
帝国の主神ディオスノエタと女神アガベピニャの合同祭祀の神事のため、ペオニアは帝国に訪れていた。
「元気そうでなによりだ、陛下」
薬物中毒の後遺症で体躯は以前よりひと回り小さくなり、筋力が戻りきらないためか、杖をついて慎重に歩みを進めるベネディクトをみて、ペオニアは目を細めた。
今年で30になるはずの彼のそばにはリリーマリーが寄り添うに立ち、ルイも背後を守るようにしている。
「情けない姿だろう。これでも以前よりは大分回復したのだ」
家族の献身と医師団の尽力が垣間見え、ペオニアは微笑む。
「貴殿も努力したのだろう」
「そう言ってくれるか。やはり貴方は優しいのだな」
はっ、と笑い飛ばしたペオニアが「そんなわけがないだろう」という。ベネディクトは苦笑した。
庭をペオニアと二人で歩きたい、という夫をリリーマリーが止めるが、リハビリがてら。という名目をつけられて黙り込む。ペオニアが肩をすくめた。
「仕方がない。私の腕につかまるがいい」
「はは、ほら。そういう所だ」
「突き飛ばすぞ」
ははは、と笑う夫を見て、リリーマリーがため息をついた。
「あまりペオニア様を困らせないで、あなた」
「飽きたら捨ておいて帰国する故、心配するな皇后」
「勝手に帰られる前に、わたくしともお時間を作ってくださいましね」
「あの!!ペオニア陛下、僕ともぜひ」
リリーマリーとルイからそれぞれ時間が欲しいと言われ、ペオニアは面倒くさそうに「わかったわかった」と言い捨てる。
「ほら歩け。貴殿はもう病人ではなかろう」
ベネディクトの腕を軽く掴むペオニアの物言いに、リリーマリーとルイがクスクスと笑った。
「弟達がそれぞれに迷惑をかけた。本当に申し訳なかった」
ゆっくりと歩いていたベネディクトが、人気もはけた辺りで立ち止まる。隣に立つペオニアを見て頭を下げた。
「よせ、ベネディクト」
「病床にいたとはいえ、後から話を聞いた時は肝を冷やした。貴方には助けられてばかりなのに、迷惑しかかけられない…」
「やめろと言うに」
腕に添えられたベネディクトの手を軽く叩いて、ペオニアは苦笑した。
「こう言ってはなんだが、私は元々…あの2番目を見殺しにするつもりでいた。天壁を超えたのがルイと聞いて慌てて次代に向かわせただけの事」
「その次代である大事な娘も毒牙にかけんとした」
「貴殿ではないだろ」
「そうだが」
花が咲き乱れる庭園。ガゼボに入ると二人で腰を下ろした。振り返るとかなり後ろの方で、護衛騎士と侍女達見守っていたことに気づく。
自国の皇帝が頭を下げた事はわかっただろうが、話の内容までは聴かれて無さそうだった。
ペオニアが苦笑した。
「次代が連れ去られた状況を見るに、極めて穏便に済ませてくれたことがわかってな。いきなり突き落とされたりされない限り、娘が自分で対処できるだろうと思っていたまでよ」
実際そうだった。
部屋に同席していた監視役の騎士達はとばっちりを食ったが、チトニアは確実にディノだけを丁寧に潰した。
離宮でディノが確保された当初、顔面と腹部の殴打による出血が激しかったが、それ以上にかなりの量の酒を飲んでいたらしい事は、ベネディクトも報告を受けている。が、離宮に保管されていた酒は消費された形跡がなく、どうしてあそこまで泥酔状態だったのかは皆、首を捻っていた。結論として自分で持ち込んだのだろうとなったが、ベネディクトは納得してなかった。
「血統の能力か」
「そんなものだ」
大真面目に説明したところで、テキラナ王族の継承する能力は奇跡に近い。
ましてやチトニアは祭祀王とアガベアスル家の能力を二つも継承してしまった。
チトニアの強すぎる能力は、体内の水までもアルコールに変容させることができる。これはペオニアですらできない。祭祀王がこれまで継承してきたのは、コップの水をスピリッツに変える程度の事だった。
それを思えば、チトニアの能力が別次元の強さがあり、相手を殺しかねない危険な能力ということがわかる。濃度の高いスピリッツを直に体内に注入されるのだ。その恐怖は酒を知る者なら想像がつくだろう。
故にペオニアは能力の発動を抑えるよう、徹底させていた。
「後処理が大変だっただろう。これで相殺してくれ」
「…恩に着る」
「貴殿は生真面目が過ぎる」
ふんと鼻を鳴らしながら笑うペオニアを見て、ベネディクトも笑った。
「ディノだが、今回の事が堪えたのだろうが…。結局精神が壊れた」
「…。そうか」
「チトニア姫とどのようなやり取りがあったのかは、誰も分からん。立ち会った護衛騎士達も記憶があやふやでな。だが、ディノが怒ったり喚いたりと騒がしい中で、チトニア姫だけは静かで穏やかだったそうだ」
ペオニアも実は、チトニアがディノと対峙してどのような会話をしたのか知らなかった。本人から漠然と女神の話をしたということのみだった。
「裁判も終わりきっていないが、ディノが関わった犯罪があまりにも多い。よって皇位継承権をまず剥奪し、宮城の端にある塔に幽閉とすることにした。裁判は本人不在で進めるが情状酌量の余地はもうない」
いずれ全ての犯罪について結審がつくだろうが、数年はかかる見込みと言う。
「諸々承知した」
ペオニアが立ち上がって伸びをする。それを見てベネディクトは小さく笑った。
「チトニア姫が成人したら隠居するというのは本当か?」
「本当だ」
「その時が来てもまだ36だろう、早くはないか」
「…貴殿は皇后に怒られる理由をよく学ぶべきと思うぞ?」
不快そうに睨んでくるペオニアだったが、ベネディクトはよく分からなそうに首を傾げる。
「何か目的でも?」
「決めてはおらん。子を成すか、国内の子ども院で教師をするか…どちらにせよ、子どもに関わる何かはしたいとは思ってるがな。王となった娘の邪魔はするまい」
ベネディクトの手を引いて立ち上がらせながら、ペオニアは小さく笑う。実は目的のない未来を少し楽しみにしている。
テキラナ国の女らしい考え方にベネディクトが少し考える顔をしてから、パッと顔を輝かせた。
「その時は、こちらで骨休めなどどうだ」
「考えてはおこう。ほら、戻るぞ」
「絶対にそうしてくれ。リリーもルイも、息子も喜ぶが、何より俺が嬉しい。ほら俺にはディオスノエタから継承した先見の能力がある。きっといい事がある」
「わかったわかった。先のことより今は歩け」
貴殿、このままでは老人になるぞ。
面倒くさそうに流すペオニアを見ながら、ベネディクトは笑う。
ここだけの話、ベネディクトの初恋はペオニアであった。
幼い頃から先代の祭祀王に付いて帝国での神事に携わっていたペオニアと。皇家の人間として神事に立ち会ってきたベネディクトは、数十年来の付き合いにもなる。故にここまで砕けた物言いが互いに通用するわけなのだが。
神事のための交流はあるものの、互いの国に利益を見出さない国家間。テキラナ側の強烈な女神信仰と、帝国とは異なる結婚観が、皇家としてのベネディクトの想いを封じさせた。
年月を経ても、ベネディクトにとってペオニアが憧れの人であることに変わりはない。何かと理由をつけて神事後に対話の時間を設けるのも、彼なりに想いを昇華させる努力とも言える。だがペオニアが隠居をし、帝国に少しでも逗留してくれるのなら。
ベネディクトの先見が疼く。
「体力の回復が先か」
「…そんな当たり前のことを今頃言うか」
ペオニアの呆れ返った声にベネディクトは苦笑するしか無かった。
カナリアが戻ってきた。
祭祀の館、チトニアに割り当てられた執務室の窓辺。
虚空に手を差し出すと、指の先にひんやりとした魔獣特有の気配が乗り、硬質な爪がチトニアの指を掴む。
「おかえりなさい、カナリア」
ギィギィと鳴くカナリアを、手探りで籠に入れてやる。籠の中でバタバタと暴れていたが、少しすると落ち着いたようだ。
「チトニア殿、元気か?魔獣に向かって話しかけるのは初めてだ。君、ちゃんと僕の話を聴いてるのか?これで良いのか?」
うわ、いきなり鳴くな。
ルイの慌てる声が可笑しくてチトニアが笑う。
ペオニアが帝国を訪問した際、ルイから手紙を預かったようなのだが。
―― チトニアは一人で手紙を読めぬ故、誰かに音読させるが…それで良いか?
ペオニアが半笑いで告げると、顔を赤くして引っ込めたらしい。
友人としての近況報告程度ならば、カナリアでやり取りしてはどうか。との提案にはすぐに飛びついたようだったが、やはり魔獣相手に何かを言付ける事には不安があるようだった。
ルイが話すのは、宮城のヒマワリが咲いたことや、騎士団長に再び就任したリオの剣術稽古が厳しくなってきて大変だという、何気ない日常のことばかりであった。
「お元気そうで何よりですわ」
一通りの話しが終わる頃に、ルイが最後に付け加える。
「チトニア殿、その、僕はまた君に会える日を楽しみにしている。君もそう思っていてくれると嬉しい」
カナリアはそこで沈黙した。終わったようだった。
チトニアは籠を撫でる。帝国を訪問できるのは、きっと代替わりしてからになるだろう。
「どちらにしても2年後…1年半しかありませんわね」
「代替わりですか」
いきなり話しかけられて、チトニアの肩が揺れた。
「ああ、すみません。驚かせましたか」
ははーと笑うビーマンの声にチトニアが息を吐いた。
「ビーマン卿、お久しぶりですわね」
「思ったより時間取られましたが…ラウル・エンゾ・ビーマン。ただいま帰還致しました」
やや真面目くさった声音にチトニアが微笑む。
ビーマンはチトニア奪還の功労者として、メスカル国で褒賞を受け取るためにしばらくテキラナを離れていた。しばらくと言っても、あの後から今日までなので半年はかかったことになる。
「メスカル国王に何をオネダリしましたの?」
チトニアの言葉に、ビーマンが笑う。
「そうですねぇ、実物はそんなに大きくは無いですが。でも俺にとっても国にとっても存在は大きいものですね。至宝と言ってもいい。メスカルでは手に入らないので国を抜けてきました」
チトニアが首を傾げる。
「国を出なければ手に入らないもの?」
笑ってばかりではぐらかすビーマンに、チトニアが苦笑する。
「では欲しいものは貰えずじまいでしたの?」
「いやいや。これから返事をもらいます」
「返事?」
ますます首を捻るチトニアの手を、ビーマンは断りを入れてからそっと重ねた。
「ビーマン卿?」
傅いた気配にチトニアが狼狽える。
「俺が望んだのは、チトニア殿の傍にあることなんですよ」
「…それはどういう…」
「俺をチトニア殿の王配にしてください」
チトニアが固まった。
「チトニア殿が承諾してくれたら、俺はこの生涯をかけてチトニア殿を護ると誓います」
「…は??」
「メスカル国からテキラナ国に籍を移すための調整に時間がかかったんで。ここでチトニア殿から拒絶されると俺、無国籍の無職になります」
情報が濃すぎてチトニアが絶句する。
「ああ、大丈夫ですよ。テキラナにおける王配の役割は承知です。大丈夫、俺が精神を病むわけがないのはチトニア殿もご存知でしょう?」
はっはっはと笑うビーマンの声を聴きながら、チトニアは思考停止が溶けない。
外堀を埋め、相手に多少の罪悪感を抱かせる程度の狡猾さをビーマンは持っていた。
「あら、ビーマン卿じゃない。久しぶりね」
ドアを軽く叩いてアココトリが入ってくる。
「う、あ、姉様…」
「チキータ?顔が赤いけど」
どうしたの、と言葉が出る前に室内の状況を見て、アココトリは察する。耳を赤くしたビーマンが苦笑していた。
「陛下、今いいとこだったんですけど」
「…あなた、あの件は本気だったのね」
チトニアの王配になりたい旨の報告はとっくにテキラナにもたらされていた。アココトリは冗談と思い取り合わなかったが(ビーマンの人柄のせいで)、ペオニアは「チトニアに任せる」として特に関与するつもりもないらしい(ディノをボコした所に評価をしたため)。
メスカル国としては優秀な騎士を一人失うので散々渋っていたが、王太子妃ジャカランダの口添えと、ビーマンの頑固さに根負けして、移籍を許した格好となった。テキラナとしては、ビーマンが来ることは特に問題視しておらず、本当に当人同士が良ければどうぞ。という具合。
よって、ビーマンは現在無職のテキラナ国民であった。(無国籍の無職は半分嘘なのだ)
「チキータから返事はもらえたの?」
「陛下が入ってきたからチトニア殿が固まったんですよ」
「ち、違いますわよ?」
ただびっくりしただけだと小さな声で、モゴモゴとらしくなく言い訳をするチトニアを見て、アココトリは微笑んだ。溺愛する妹の珍しい表情がとても可愛かったからだ。
「その、返事はいつかする、でよろし…」
「ダメです今ください。俺無職なんでせめてチトニア殿の専属騎士くらいの身分は保証して欲しいですけど。本音はよろしくお願いしますって言われたいですが、ダメですか??俺、絶対いいサポートしますよ?今までもそうでしたよね?」
口調は変わらないがいつもより早口で、食い気味に捲し立てるビーマンの必死さに、アココトリは手を差し伸べたくなった。
「姉様ぁ…」
助け舟を乞うチトニアに歩み寄って、アココトリは頬を撫でてやる。
「チキータ(チトニア)、あなたの気持ちが追いついていないのはわかるけど、わたくしとしては、あなたを任せてもいいと思える男性はビーマン卿しかいないと思ってるわ?」
「陛下?!!嬉しいっ」
本当に嬉しかったのだろう、ビーマンの声が裏返った。
「すぐに婚姻とはならないし、王配候補としての彼を時間をかけて見ていったらどうかしら」
「姉様」
どこかぼんやりとした表情のまま、チトニアがノロノロと頷く。
「チトニア殿…?」
縋り付くように顔を上げるビーマンが、チトニアの表情を窺う。
「そのぅ…ビーマン卿?」
はいっ。食い入るようにチトニアを見つめるビーマンが、短く返事をする。
「わたくし、男女のそういった機微に疎くて歯がゆい想いをさせてしまってきたとは思うのですけれど」
「はい、あ、いえ…はい」
急にしどろもどろ、ふにゃふにゃの返答をするビーマンの後ろで、アココトリは両手を組んで祈りのポーズのまま固唾を飲んで見守る。
「ビーマン卿から将来的に子種を頂けるのがわかっているなら、今後も頑張れそうな気が致しますわ」
はぁぅ…っ!!
ビーマンの口から聞いたこともない変な声がもれた。ドン。と自分の胸を強く叩いて気つける。チトニアが驚いて肩を揺らすが、ビーマンは「続けてください」と言う。子種という言葉の強さだけで死ねるかと思った。
「ええと、よろしくお願い致しますわね」
へへ。と、年相応のはにかんだ笑い方のチトニアを、ビーマンとアココトリが呆然と見つめた。
「やった」
小さな小さな声のビーマンの肩をアココトリが、力いっぱい叩く。
「やった、やったァ…!!!」
実感が伴ってきたからか、ビーマンが破顔してチトニアを抱きしめる。アココトリも遅れて二人を抱きしめながら「おめでとう」と何度も言った。
姉と、王配候補となったビーマンの二人にもみくちゃにされながら、チトニアはロゼリアに掘り起こされるまで身動きが取れずにいた。
顔も全身も暑かったが、チトニアはもみくちゃにされながら覚悟を決めていた。
――ビーマン卿と姉様が付いていてくださるのなら、わたくしは立派な祭祀王になるしかありませんわね。
と。
ペオニアに報告だ、とビーマンがアココトリと共に部屋を飛び出してゆく。ロゼリアがふふと笑いながらチトニアの髪と衣類を整えた。
チトニア・アガベアスルが歴代一の祭祀王と讃えられるようになるのは、即位してから二十年後の事だった。
積年の問題であった帝国との国交を正式に樹立させ、外交部の大臣となったルイ・パスカル・デ・ミードと共に、二国間の行路開拓と交易場の設定など、多くの課題に根気よく取り組んで実績を残していった。
また祭祀王にふさわしい活躍も多く、神事の最中での言祝ぎは類を見ない美しさと称賛されるほどであった。
王配となったビーマンとの間には、男児が一人、女児を四人授かった。子ども達の中の一人をルイの息子の伴侶として送り出し、両国間の関係維持に努めた点も実は評価が高い。
健康上の理由で50を前に隠居はしたが、隠居後も傍にはビーマンが伴侶として、そして専属騎士として必ず控えていたという。
チトニアの生涯は長くはなかった。
だが、全盲であることを抜きにしても、周りを愛し、周りに愛される人生であったと言える。
棺の中で満足そうに眠るチトニアを見つめながら、ビーマンは笑いかけた。
「おやすみ、俺の姫様」
ヒマワリの花に囲まれて眠るチトニアの手を、ビーマンはいつまでも握って離さなかった。
終わり




