ビーマン卿
ディノ殿下に人質をとられていたのです。
妻と娘を。
逆らうことなどできませんでした。
探られたくない懐は誰にでもあるでしょう。私のような金で爵位を買った新興貴族などは特に、そういったことを嫌います。
過去の私は、先代当主が作った賭け事の借金があり、タチの悪い筋との付き合いも少々あったのです。今は完済してますが、薄暗い事情はいつまでも私の背中にピッタリと貼り付いてまわります。
借金など大したことじゃないと言う者も多いでしょう。借りたものを返せばそれでいいと。
しかし、返せる宛がない程の金額の場合はどうしたら…?
その手の人間の手伝いで稼ぐのです。それで返済しました。
手伝いの内容は様々でした。一つ確かなのは【悪いこと】の片棒であることは間違いないでしょう。詳細は知らされず、私も知る勇気がなかった。だから、完済した時に私は逃げたのです。妻と産まれたばかりの娘を連れて。
そうして事業を興し、ある程度成功したところで爵位を買いました。
数年…しばらくは穏やかな日々でした。
どこから聞きつけたのか…ある夜会でディノ殿下を紹介されました。殿下は私に会うなりこう仰ったのです。
「お前、魔の山の聖獣の密猟やってたんだって?」
血の気が引きました。汗が吹き出す私に、殿下は更に続けられました。
「儲かったのか?」
なんと受け答えしたのか思い出せません。
確かに、テキラナ国との国境の山に入り、聖獣とされる大鷲の卵を盗む手伝いをしていました。見つかれば帝国法に則り投獄されますし、テキラナ国側に捉えられれば処刑されるのも承知の上でやったことでした。
投獄を覚悟していましたが、殿下は違うと仰います。
「昔のツテがあるだろ。色々用意してくれよ」
「恐れながら、私はもう…」
「マリエラとシェリン…嫁と娘は評判の美人らしいな?」
「……!!」
断れるはずがない。妻と娘の動向を監視されていては、私にできることはひとつしか無かったのです。
その日から少しずつ、殿下から依頼を受けるようになりました。
禁止薬物から、密造酒、奴隷商人や密猟者との手引き。国庫の横領をしていた役人や高位貴族の依頼も含まれるようになりました。
私の心はいつの頃からか壊れました。悪事に加担させられていることに耐えられなくなりました。
そんな時、殿下が変わった依頼をしてきたのです。
「テキラナの姫を連れてこい」
一国の姫君を私ごときがどうやってお連れできるのか?!
「殿下、あまりにもそれは…」
「いいから行け。本当は女王の方が良かったが、この際妹の方でもいい。目が見えないんだから簡単だろう?」
姫君を拐かせば、事は私ひとりの命で償える大きさのものでは無くなります。
「恐れながら、テキラナの姫をどうなさるおつもりで」
「嫁にするつもりだ。どんな手を使ってもそうする」
殿下の顔が見られませんでした。どうやって帰宅したのかも分かりません。
数日、宮城に出仕しながら悩んでいた折り…メスカル国での大規模な神事にチトニア姫が臨席すると聞き及びました。そこしかないと思いました。
メスカル国に向かう前日に妻とは離縁しました。娘とも今後会うつもりはありません。大罪人の妻、大罪人の娘の烙印を背負わせたくなかったのです。
チトニア姫を攫うことに失敗すれば、私は殺されるでしょう。
様々な罪に手を染めて参りましたが、もう疲れました。
私はここに、私の罪を認めます。
どんな罰も受け入れます。
許しは乞いませんが、夏の離宮に御座すチトニア姫のご無事だけは祈らせてください。彼女にディオスノエタ神の加護がありますように。
事態は一斉に動いた。
首都の宮城に乗り込んだ皇后リリーマリーが、数名の近衛隊と共に場内を制圧。汚職や密猟、密売に関わっていた諸侯の捕縛を手配するともに、軍権の掌握も完遂。禁軍を動員させ、夏の離宮に最速で向かわせた。
目的はもちろん、チトニア奪還のためである。
同じ頃、ルイ・パスカルは近衛隊と共に、封鎖されていた皇帝の居住区に乗り込む。居室に監禁状態となっていた兄・皇帝ベネディクトを解放した。
「兄上……!!」
見る影もなくやつれきったベネディクトが、寝所から顔を出す。
「ルイ…?」
信じられないように目を見開いたベネディクトがダルそうに身体を起こす。駆け寄って助け起こすと、ルイは痩せた兄の身体を力いっぱい抱きしめた。
「申し訳ありません、兄上を一人にさせてしまいました…」
「構わない。そしてすまなかった。俺が不甲斐ないばかりに」
「いいんです、兄上がご無事で良かった……!!!」
泣きながら兄を抱きしめるルイ。力の入り切らない腕を持ち上げて、ベネディクトはルイの背中をしばらく撫でていた。
騒乱状態の宮城に伝令兵が数名駆け込んでくる。
「皇后陛下に申し上げます!南の国境より、テキラナ国旗を掲げた大鷲の編隊が接近中です」
「続けて申しあげます。ランヴァリオン付近の国境より、大型の飛行魔獣の大群が接近中です。こちらも同じくテキラナ国旗を確認しております!!」
「テキラナ国軍の侵攻、先頭の旗印はダリア陛下のものと確認!!」
次々に上がるテキラナからの進軍報告に、皇帝リリーマリーが深く息を吐いた。
「騒ぐでない。我らはテキラナ国を怒らせすぎた。軍を差し向けられるは当然のこと」
執政の間にいた全員が嫌な汗を浮かべている。
緊張で凍りつく室内を睥睨してから、皇后は伝令兵に向き直り声を張った。
「全軍に伝えよ。テキラナ国に一切の攻撃を禁ずる。女王を宮城まで丁重にお迎えせよ。くれぐれも粗相のないように」
「殿下!!皇帝軍が離宮に向かって来ています」
扉を蹴破る勢いで入ってきた家令を、ディノは睨んだ。
「うるせぇ!!デカイ声出すな」
チトニアに泥酔させられた後遺症として、終わりそうもない二日酔いに苦しめられている。
そんなディノを無視して家令は詰め寄った。
「この新聞をご覧下さい!これが原因かと…!」
突きつけられた新聞には、脅しつけて縛り上げていた新興男爵の手記が載っている。手記に出ていた横領をしていた者や高位貴族の名前も、解説として丁寧に、追加情報として載せられていた。
全て、ディノの取り巻きの貴族達であった。
「あの野郎が…!!!」
大々的な裏切りに歯ぎしりする。家令が丸められた新聞を拾い上げてディノを見た。
「ここもいずれ包囲されましょう。ここに殿下がおられますと暴動が起きかねません」
離宮の周りには、領民が集まり始めている。
暗に逃げてくれと家令が伝えるものの、ディノは怒りで周りが見えなくなっていた。
「くそ、あの女といい、裏切り者の野郎といい、どいつもこいつも…!!」
猛然と起き上がって手当たり次第に物を投げる。
「何故こうも邪魔が入る!!?」
「殿下!!おやめ下さい!早くお支度を…!!」
声をあげる家令が全力でディノを押さえ込もうとするが、振り払われて倒れ込む。
「うるせぇ!俺に指図するんじゃ…」
家令に馬乗りになろうとした時だった。
「おおお、いたいた!ここにおられましたかー」
場違いに明るい声が室内に響く。
顔をあげると、軽装備の男が剣を片手にゆったりとした足取りで入ってくるところだった。
「誰だお前」
短く整えられた黒髪、翡翠をはめ込んだような怜悧な瞳、上背があるのに身のこなしが軽い。鍛錬を欠かさない騎士の歩き方。
「ああ、もうだいぶ経ちますよね。ラスキア地方の鎮圧後は無様でしたなぁ殿下」
人をバカにしたような表情、顎を上げながら下目でこちらを見る笑い方。この構図。
「お前、ビーマン…!!!?」
「俺を覚えていてくださって感激です」
「なぜお前がっ」
「殿下をど突きに来たんですよ」
言うや否や、ドカッと拳がディノの顔にめり込んだ。
吹っ飛ばされたディノを見てから、倒れ込んでいる家令をビーマンが助け起こした。
「いやぁ、一時は手がかりなくて詰んだも同然でしたけど、証人やら世論やらが動いてくれて助かりましたよ」
殿下がポンコツで良かった♡
にこやかに言いながら、ビーマンが大股でディノに近づく。顔を腫らしたディノが床を掴んで呻いていた。
「お前、良くも…」
「そりゃあこっちのセリフですよ。俺の大事な姫様連れ去っておいて、何もなしはありえないでしょ」
ガスッ。半笑いのまま腹に蹴りを入れる。
「あんた何にも考えてないあたり、あの頃と全く変わってないですよね」
ドスッ。もう一発。ディノが転がった。
「テキラナの女王達はカンカンだし、チトニア姫が滞在してたメスカルもメンツ潰されて大騒ぎだったの…知らないですよねぇ??」
三発、四発、拳を入れる。
顔中血だらけにしながら、ディノはそれでもビーマンを睨んだ。
「嫁に…したかった、だけだ」
「やり方が!!国際問題!!すぎるんですよ!!」
…はぁ……と息を整えつつ、ビーマンは床にうずくまるディノを見下ろす。
「んで??あんた皇帝陛下はどうしたんです?」
ディノが血を吐き出した。ヤケクソになってきたんだろう。ビーマンの質問に口を歪めて笑った。
「あのクソ野郎のことか??!薬物中毒にさせてやったよ!!!ざまぁみろ!!そろそろ死ぬ頃合いだろうなぁァ!?」
「殿下……なんて事を…」
家令の声が震えていた。絶望的な顔でディノを見つめている。その様子を少し観察してから、ビーマンはため息をついた。
「あんたどんだけ一線踏み超えれば気が済むんです?」
血まみれの顔で笑うディノが壊れたように声をあげる。とうとう気が触れたのかもしれない。
最後の一発を鼻に叩き込んだあたりで、ディノは白目を向いた。
手の皮が剥けている。部屋の隅に佇んでいた家令がハンカチを差し出してきた。
「家令さん、逃げたら?」
「私はこのまま留まります」
離宮の内外が騒がしくなってきていた。窓から外を見れば、皇后の旗印がはためいている。軍がだいぶ近づいてきたようだった。
「チトニア姫のお部屋にご案内致しますが…」
「それは助かります」
「その前に…その、返り血を拭かれた方が…」
再度ハンカチを差し出されて、ビーマンは顔などを拭った。思ったよりハンカチが血で汚れたことに驚いて、思わずハンカチを放り投げてしまった。
ビーマンが部屋に着くと、ロゼリアがチトニアに取りすがりながら泣いていた。
「姫様、本当にごめんなさい。怖かったでしょう?私がついていながら、本当に、本当に……」
大泣きしながら何度も謝るロゼリアだったが、肝心のチトニアはぼんやりとした様子でされるがままになっていた。傍には世話役の侍女がオロオロとした様子で二人を見ている。
「こんなに、こんな……こんな…かわ、可愛いぃ!?姫様なんてお可愛らしい格好を??帝国の衣装ですか?とてもお似合いでっ!!それに、なんか……少し頬がふっくら……」
色んな感情が大渋滞を起こしているらしいロゼリアが、泣きながらチトニアの頬をモチモチといじる。
「え、な…なんですの」
寝起きだったのだろう。少ししゃがれた声のチトニアが戸惑っている。見えていない状況で、縋られたり頬をモチられたりで明らかに困惑している様子だった。
「ロゼリア殿。そのくらいにしないと」
「え?ビーマン卿?と、ロゼリア…?」
覚醒し始めたのか、ビーマンの声にチトニアが反応を示す。
「姫様ぁぁ!!」
またワァッと泣き出したロゼリアを剥がして、ビーマンがチトニアの手をとった。
「遅くなりました、チトニア殿。お迎えに参りました」
騎士らしく膝を着いてチトニアを見上げる。とられた手を、両手で確かめるように触ってからチトニアはようやく微笑んだ。
「ありがとう存じます、ビーマン卿。ロゼリアも。心配をかけてごめんなさいませ」
テキラナにいた時と同じ笑い方を見てようやく、ビーマンは肩の力を抜いた。
ざっと見ても怪我らしいものは無さそうだし、何ならロゼリアが言うように少しふっくらしたようにも見える。アレがアレではあっても、この離宮では丁重に扱われていたらしい。現に、専属の侍女がつけられている点を見てもそうなのだろう。家令も忠義には厚そうだが、他国の姫をぞんざいに扱うこともなかったようだ。
離宮の外から飛行魔獣の鳴き声が聞こえ始める。周辺にいた領民や帝国軍の怒号や悲鳴などが飛び交い、穏やかな室内とはまるで異なる雰囲気になっていた。
「まさか、テキラナの軍が来てますの…?」
不安げなチトニアの声に、ビーマンは手をしっかりと握り返した。
「ここだけの話ですが、アココトリ陛下と皇后陛下の間で、格好だけ進軍を取っているようですよ。女王に対しての段取りすっ飛ばした求婚に加えて、次代祭祀王の誘拐。二度も侮辱されたとあれば国としてこれくらいはしないとダメです」
でも本当に内緒ですよ。と釘を刺すビーマンにチトニアが安心したように笑う。家令と侍女を振り返ると、二人とも必死に頷き返した。
離宮の庭に降り立った一頭の飛行型魔獣…大型の竜種の背中から降りてきたのは、アドルフォ副官だった。
「次代様、お迎えに参りました」
ビーマンの腕に手をかけてゆっくりと離宮から出てきたチトニアを見て、離宮の周りに詰めかけた領民から感嘆の声が上がった。
「妖精姫だ」
チトニアが不思議そうな顔をしたが、すぐにアドルフォに抱きかかえられて魔獣の背に上がる。
「アドルフォ様、姉様は?」
「アココトリ陛下は宮城です。皇后陛下と話があるようですよ」
「ならわたくしも…」
「いいえ、次代様」
でも、と続けようとしたチトニアの頭を、アドルフォが優しく撫でた。
「あなたの母上様がお待ちですから」
「…わかりましたわ」
ふっ、と力の抜けた笑い方をしたチトニアを、アドルフォがしっかりと懐に抱き直す。
下から見あげていたビーマンと目が合うと、
「先陣、感謝する」
「別にいいですけど、あんまりチトニア殿に馴れ馴れしくしないでくださいよ」
「してない。ではお先に。御免」
軍人らしく颯爽と飛び立ってしまった。
「取られちゃいましたね…」
ポソッと不満げに口を尖らすロゼリア。
「とりあえず俺たちも帰りましょ」
手を振って、上空の魔獣部隊に合図する。二頭が旋回し始めて降り立つ準備をし始めるのを眺めながら、ビーマンは久しぶりに大欠伸をするのであった。




