帝国の恥さらし
チトニアが話し相手を渇望し始めた頃、テキラナ国はようやく居場所を特定するに至った。
夏の離宮として使われる宮で、帝都の宮城から二日ばかりの距離のところにある。
「ランヴァリオン王国との国境に近い…この辺りです」
チトニアが触りまくった壁の地図を指さしながら、軍部の長官ルーカス・ミチョアカンが説明する。
「諜報部によると、離宮の管理は地方貴族が請け負っているとのことで、警備も使用人もその貴族が手配していると」
ふむ。ピオニアの隣で、アココトリが指を鳴らし始めた。
「突入はいつ?」
「警備体制については調査中です。もう少し時間を頂きたい」
「大型の魔獣をけしかければいいじゃない」
「その案はチトニア様が怪我をするやも知れません。再考頂きたい」
ギリッと爪を噛むアココトリの肩に、副官のアドルフォが諌めるように手を置く。ルーカスは続けた。
「チトニア様付きの侍女を買収できたので、そんなにお待たせはしないでしょう」
「わかった。ロゼリアとビーマン達にも知らせてやれ。必要ならそのふたりで潜入などもできよう」
ルーカスがアドルフォに頷いて、知らせに行かせた。
「陛下、これは別件なのですが」
「構わん」
皇后とルイが帝国入りしたようだ。ただ、首都の宮には入らず、懇意にしている貴族の屋敷に身を隠すようにしているという。
「存外早く戻ったな」
「帝国内では、次兄殿の暴挙と、取り巻き貴族の横領や人身売買の噂が静かに広がっている模様です」
「おやおや」
ピオニアが面白そうに口元を歪める。
「ルイ殿下たちが広めているのかしら」
「そう見て間違いないかと」
それと、ともう一つ。とミチョアカンが付け加える。
「伝染性の病の恐れあり、という事で皇帝陛下が監禁状態であるとの噂も」
「実際どうなっているのかしら。ルイ殿下が帝国を脱出する前までは、確かに感冒らしい症状だったのでしょう?」
「リリーマリー皇后は、毒を疑っておったな」
いつ、どのように、とは言わないが、独自の情報網で皇后と繋がったピオニアは、細かくやり取りを重ねていたようだった。その流れで、ルイとの合流のタイミングも計っていたわけだが、チトニアの件で思ったよりも早く向かわせることができたことになる。
「なんにせよ、好き勝手をしているアレも、そろそろ幕引きだろうよ」
帝国側もバカばかりではないのだ。次兄と取り巻きを誅する勢力がそろそろ出てくる。アレ以外の皇族が密かに戻ったということは、そういうわけだ。
「チトニアに会いたいわ」
妹を溺愛するアココトリが寂しげに呟く。寂しさを紛らわせるように、いつも以上にアドルフォ相手に、時にはミチョアカン長官を捕まえてまで、真剣での打ち合いをしているのを、ピオニアは知っていた。
「私の方もチトニアを早く返してもらわねば、神事や執務の手が足りぬ」
憮然と口にしてから、ピオニアはミチョアカンを見据えた。
「早めに頼むぞ」
はっ。礼をとる長官と、手を振るアココトリを置いてピオニアは部屋を出た。
ディノ・セリオ・デ・ミードは、先帝の次男として生を受けた。
彼を形容するなら、みな口を揃えて言う言葉がある。
物語の王子様のよう。と。
幼い頃から美しい容姿をしていたが、成長するにつれてその評価は確固たるものとなって行った。
側妃であった母からの溺愛、侍女達にも甘やかされて育ったせいか、ワガママで傲慢な人格が瞬く間に形成され、いつの頃からか陰で 「難ありの王子」と揶揄されるようになっていった。
ディノの不幸は、ディノ自身が自分の容姿が他の兄弟よりも優れていることを自慢に思っていたこと。何なら皇族なのに愛想もなく黙々と勉強に励む兄のことを馬鹿にしていた。美醜の優劣が人の評価基準の側妃に育てられた影響が、その人生に強い影を落としてしまっていた。
ディノは国民や貴族の受けがいい自分が皇帝に相応しいと信じて疑わず、息子を溺愛する母も「あなたが皇帝となったら、歴代で一番美しい皇帝となるでしょうね」と蕩けきった顔で言うものだから、ますます確信を深める最悪の結果となった。
「政も戦も臣下が行なうのだから、あなたは彼らの仕事ぶりを褒めてやればいいのよ」
それが皇帝の仕事なの。とにこやかに言う母の言葉を疑うことはなかった。
だが結果は、兄が皇帝となった。
勉学に励み、剣術の稽古にもひたむきに取り組み、議会にも出席して法案を通す働きぶりを、先帝が評価しないわけがなかった。
ディノがしてきたことは、格好だけ騎士団に所属し、少しばかり他国との戦争の陣頭指揮をとったくらいで、兄との差は歴然。前線で剣を振るうことも無ければ、魔獣の討伐など行こうともしなかった。
差を埋めるために地方紛争の鎮圧に行ったが、制圧後の略奪と虐殺行為を咎めた部下に殴られ気を失った。
議会でもディノの残虐性が問題視され、軍事会議にもかけられた。先帝に口添えを頼んだが、即位した兄から侮蔑の眼差しと共に「帝国の恥さらし」と吐き捨てるように言われ、先帝からも冷たく無視された。
皇家の一員であるのに先帝から、元から何も期待していなかったと聞いたのはいつだったのだろう。頭から冷水をかけられたくらいのショックを受けたことは記憶している。
側妃の母が亡くなったのはその頃だった。最愛の息子に、あなたが皇帝に相応しいと最後まで讃え息を引き取った。愚かな女だったと今になって思う。
騎士団もいつの間にか籍を抜かれ、ただ漠然と酒を飲み、取り巻き連中と遊んで暮らして来た。
それがディノ・セリオであった。
「だからといって、姉様の伴侶になれるわけがありませんでしょう」
呆れ返った少女の声がする。
泥酔した時のような身体の感覚。立ち上がることもできず、絨毯の上に横たわったまま、ぼんやりと顔を上げた。
銀色の髪の少女が、行儀よく椅子に座っている。彼女の手にした細い杖が、チョンチョンと自分をつついていた。
「遊んで暮らしてきて、姉様の相手になってやろうだなんて」
心底憤慨してる様子の少女は誰だったか。
「聞いてますの?姉様が素敵なのは賛同致しますけれど、それ以外の部分は本当にどうしようもありませんわね、あなたは」
数年前、騎士団の演習試合に招待した他国の姫。
魔獣討伐に出るだけあり、剣さばきも迷いがなく、相手を切ることに躊躇いもなかった。あっという間に伸されてしまったが、兜を脱いだ姫があまりにも美しく一目惚れをした。帝国内の貴族令嬢にない凛とした雰囲気。情熱的な真紅の髪、意志の強そうな瞳が特に気に入った……そんな話をしていた気がする。
「うるせ…嫁にもらうなら……ああいう女が、良かっただけだ…」
数年経てば、母国の統治を任される女。帝国から離れて婚姻を結べば、属国として迎えてもいい。そうしたら父である先帝も考えを改めるかもしれない。
つらつらと、口からそんな思いがこぼれる。
「クズなんてお断りですわ」
辛辣な物言いに、いつもなら腹をたてて殴っていたはずだ。でもそれができない。
頭が回らない。身体も重い。深酒をしたはずはないのに、何故座ることすらできないのだろう。
動けば吐き戻しそうになる中、寝返りをうって少女を見上げる。
焦点を結ばない虹色の瞳。人形のような整った顔立ちと柔和な微笑み。育ちの良さがわかる話し方。帝国内で似たような雰囲気の令嬢は多くいるが、彼女らに足りないのは、少女の持つ圧倒的な神秘性だ。
「お前は、なんだ…?人なのか??」
ズキズキと痛む頭をあげる。少女が不思議そうな表情をした。
「人でなければなんだと思いましたの?」
バカなの?とも言われたようだ。
「妖精か…妖……」
「話になりませんわね」
呆れたように言う少女が座り直す。
手を伸ばすとディノをつつき回していた少女が、ぐっと力を込めて脇腹に杖を差し込んでくる。
「わたくしに触れない方が良いと、先程も申し上げましたわ」
ふわっと、また濃いスピリッツの香りが漂う。
「うっ…!!」
そうだ。
この部屋に来て、この少女を見て…綺麗な顔立ちだったから触れようとしたんだった。
ぼんやりとする頭が、最初の光景を思い出す。
触れようとした途端、ガクッと膝から崩れ落ちた。
扉の前にいた護衛の二人が慌てて駆け寄ってきたが、同じように崩れ落ちる。ひとりは吐きそうにえづいていて、もう一人は頭を押さえて呻いていた。
「監視のおふたりは、お酒に弱いようですわね」
少女が気の毒そうに呟く。
「なにを、した……っ」
「わたくしは、わたくしの女神に仕える者。むやみに触れませぬように」
「な、に…」
「ただの目が見えぬ者と思わないで頂きたいのですわ」
穏やかに微笑みながら、少女が袖から細い棒を取り出しながら組み立てる。組み上がった細い杖で床を叩きながら、倒れている人間との距離を測っているようだった。
「さて。そのままで構いませんわ。わたくしとお話致しましょう」
にこりと微笑む少女を怖いと思った。
「ディノ様と仰いましたわね?わたくしはテキラナ国のチトニアと申しますわ。…テキラナ国はご存知?」
酒を飲んだはずはないのに、身体がどんどんアルコールに浸されていく。受け答えも危ういのが自分でもわかる。
「俺に、何をした…!!なぜこんなに酔っている……っ」
酔っている。本当にその感覚だった。
強い酒を立て続けにあおった時の感じだ。時折香るスピリッツの強烈なアルコールが更に感覚を麻痺させてくる。絨毯に倒れ込むと一気に全身に酒がまわり始めた。
「わたくしの特殊能力、とでも思ってくださればよろしいですわ」
ふふ。と微笑む少女を睨みつける。
「ふざけるな…っ!特殊能力、とか…そんなわけが」
呂律が怪しい。それでも悪態をつこうと口を開くと、少女がアハハ!!と可笑しそうに喉を鳴らした。
「何がおかしい」
「本当に何もご存知ないのですね…」
残念そうな口調が、明らかにバカにしたようなものだったので、掴みかかろうとしたが。
「っぐ……ぅえ…」
吐いた。突き上げる不快感に耐えられなかった。
「時間もありますし、少しばかり我が国のことをお教え致しますわ」
吐き続けるディノを心配する様子はない。少女は淡々と話し始めた。
「今のあなたの状態は酔いつぶれてるだけですわ。不思議ですわね、なぜ突然そうなったのでしょう?そこでわたくしの特殊能力ですわ。わたくし、テキラナ国の歴代の祭祀王達から受け継がれてきた【水をスピリッツに変える能力】を継承してますの。あとそうですわね…。生家のアガベアスル家の血統に表れる【身体からスピリッツを香らせる能力】もありますわ。そのふたつを掛け合わせてあなたを泥酔状態にしたのです。簡単なカラクリでしたわね」
ふふふ、と可笑しそうに笑いながら少女は続けた。
「この世界の王家や王族が、なぜ血統を重視しているか考えたことはありまして?その様子だと何も疑問に思わなかったようですけれど、大事なことですのよ?先ほどもお話しましたけれど、血統に表れる特殊能力がそれぞれにあるのですわ。テキラナ国は女神アガベピニャ様に由来する能力ですけれど…。帝国ですとディオスノエタ神ですわね。大陸の神々の筆頭神で、天空の鍵の保持をされてますわ。そして女神アガベピニャ様の旦那様でもある立派な男神でしたわね」
帝国の神の話は知らない。吐き疲れてうずくまるディノを気にとめず、少女は続けた。
「ディオスノエタ神はサン・エターラ帝国の管理をミード家に任せたとか。適正のある者が代々皇帝となった歴史は…当然ご存知でしょう?ディオスノエタ神がミード家に授けた能力はなんでしょう?」
「知るか…」
喘ぎながら答えると、少女はため息をついた。
「先見、ですわ。現在の皇帝陛下は早々に皇太子をたてられたとか。……残念でしたわね」
「く……くそったれが…」
吐瀉物にまみれた絨毯に沈みながら少女を睨む。
「テキラナを知らず、ご自分の国の祀る神も知らず、ご自分の価値観でしか物事を見れないディノ様、可哀想なディノ様…あなたがとてもお気の毒ですわ」
「なんだと…っ」
「凄んでも無駄ですわ。そしてあなたがどれだけ美しいお顔をしていたとしても、私にとっては無意味ですのよ。わたくしにはあなたが見えませんもの」
「……っ」
椅子に座ったままの少女が、疲れたように欠伸をする。
「監視役の方はまだおられます?侍女を呼んいただけません?」
頭を押さえていた護衛が部屋を出ていく。しばらくしてやってきた侍女が小さく悲鳴をあげた。
「疲れたので寝る用意を手伝ってくださる?」
「それは、もちろん…!」
「ディノ様はもうお帰りくださいませ。今日はとても有意義な時間でしたわ。感謝申し上げます」
悠然と微笑んだ銀色の少女の顔が歪む。
ディノの意識はそこで途絶えた。




