メスカル国と帝国
メスカル国での大規模な神事に名代として出席せよと命を受けチトニアは旅立った。
メスカル国は、神話の時代からテキラナ国とは兄弟国と言われている。
古い時代から国交があり、互いに手を取り合い、足りない部分を補い合って今日まで絆を深めてきた。主神が両国とも女神アガベピニャである事から見ても、ただの友好国以上の関係性を築き上げて来た事がよくわかる。
兄弟国であるという所以はもうひとつ。
天壁からもたらされる豊富な水が、メスカル国の中枢にまで行き渡っている事だ。女神の水を飲んで命を繋いできた共通点である。メスカル国は気にしなくとも、テキラナ国はこの事を重視する。むしろ、歴史や神話よりも信頼に値する事実として。
――しかし……。
とチトニアは思う。兄弟国とはいえその性格はあまりにも違う。
女神アガベピニャの水で育った人間は、等しく女神の子。の意識が強いテキラナ国では、それが国全体の共通認識として定着している。よって、メスカル国も女神の子ども達の住む国、となるのだが。
メスカル国ではそれは薄くなる。強く意識する訳ではないが、国民性としてその精神は受け継がれているようだがテキラナ国とは認識が違うようだった。
女神の水で育った人間なら、結束を強くしよう。
そうして育まれたのが、婚姻による関係の強化方法であった。
互いの王族間でも、市井の民間でも婚姻を結ぶ事が多く、アガベアスル家の長女ジャカランダが嫁いで行った例から見てもよくわかる。
メスカル国の在り方が周辺国の価値観に割と近い形で発展をしてきたせいもあるが、地理的な関係でテキラナ国以外の国との政略結婚等も積極的に行われてきた。
古く厳格な気質のテキラナ国に対して、社交的で実質的なメスカル国。
良い点も悪い点もそれぞれにあるが、それこそが「手を取り合い、足りない部分を補い合って」の兄弟国なのだろう。
ビーマン卿の話では、テキラナ国で子を持つ事が叶わなかった女性達が、メスカルで伴侶を得て永住する事もよくあると言う。チトニアとしては、住みやすい環境があるのならそれで良かったと思ったが、テキラナ国で肩身の狭い思いをさせてしまった事を少なからず悔やみもした。
だが、ひとつ確かなのは、メスカル国が有るお陰で幸せになったと感じられる女神の子どもたちが多く存在しているのである。テキラナ国は足りなかった部分を、メスカル国がすくい上げてくれた良い例だ。
そんなメスカル国だが、テキラナ国は昔から崇敬する姉のような存在という。
女神アガベピニャに纏わる祭典や神事は、全て過去の祭祀王からの指南を受けて引き継がれてきた。歴代の祭祀王の言祝ぎや神事の進め方等は全て記され、聖典並の扱いで厳重に保管されているという。
スピリッツ造りもメスカルの神殿の管轄だが、テキラナと違い、祭祀王という役職の者がいない。
出家した神官たちが日々丁寧にリュウゼツランの管理と育成を行い、収穫とスピリッツ製造は神官の音頭で王家が行うという形態をとっていた。
王家が国家事業としてしっかりやってます、という女神アガベピニャへのアプローチであろ、とはピオニアの言葉だったか。
(母様は辛辣ですわね)
苦笑が漏れたところで、チトニアはまた思考を別の方に飛ばす。
メスカル国の神事は、スピリッツへの祝福と、女神への感謝が軸として執り行われた。
神事の進行はメスカル側の神官長が行ない、チトニアが奉納や言祝ぎ等の祝詞奉上を受け持った。
出席者はメスカル国王家の面々と、有力貴族の当主達、周辺国の女神信仰を主とする神殿上層部、スピリッツ製造に携わる部門の責任者も集まっていたと聞く。
大きな神殿の中で数百もの人数が整然と並んで、一斉に言祝ぎ盃を交わす場面では、チトニアの近くで護衛任務に着いていたロゼリアが、思わず鳥肌が立ったと言うくらいの厳かさだったという。
チトニアも気配でその圧倒的な空気感を感じ取ってはいたが、ロゼリアにそこまで言わしめるものであったのなら見てみたかったと、こっそり思うのだった。
名代としてではあったが、概ね成功したのではないかと、自画自賛する。
神事は滞りなく終わり、神官長からもメスカル国王からもそれぞれ興奮気味な労いの言葉ももらえた。神事後の晩餐会でも、次々と貴族達がひと言挨拶をと引きも切らず、王太子殿下が割って入らなければチトニアは恐らく空腹のあまり倒れていたと思う。
(ジャカランダ姉様も、幼い王子達もお元気そうで良かった)
ふふふ。と思い出し笑いが漏れる。
ロゼリアがそばに居るのに、もみくちゃにされそうになる中。王太子殿下が周囲をとりなしている間に、ジャカランダがチトニアの手を引いて別室に連れて行ってくれたのだった。
――ちとにあぁ
別室には四つと二つになる王子たちがいた。たどたどしい口調でこちらを呼ぶのが可愛らしくて、今度はチトニアが王子たちをもみくちゃにする番となった。
見えないから顔を触らせてとお願いすると、王子たちは無警戒にチトニアの懐に飛び込んでくる。そこを、ムチムチモニモニをいじくり回すのだ。柔らかな頬と髪を混ぜる手つきに、王子たちがそれぞれに笑いながら逃げ、わざとションボリしてみせるとまた、ソロソロと近寄って来てはもみくちゃにされる。この事をひたすら繰り返す。ジャカランダが呆れながら笑う声に、チトニアも微笑み返した。
しばらくぶりの姉との再会は楽しく心が満たされるひと時だった。
姉達とのひと時の最中に、侍女らしき人物がチトニアを呼びに来た。護衛のロゼリアと共に廊下に出て、しばらく歩いたところで、横にいたロゼリアの気配が下に移動している。音もなく倒れたと気づくと、先導していた侍女が声を出さぬようにと言ってきた。周りを数人の大きな人間に囲まれた気配に、チトニアは降参するしかない。
見えないのなら何もするな、はアココトリやビーマン卿から日頃から口酸っぱく言われている。実際、そうする他はなかった。
そうして今。
チトニアは絶賛、拐かされ中だ。
帝国からの使者を追い返してから一週間後のことであった。
(……今、何日目でしょうか)
ため息は、広い空間に溶けていく。
どこだか分からないここ。
とりあえずは広めの室内であることと、見張りのような者が二人いること、フカフカの椅子に座らされていること、窓があり風が当たっているらしいこと以外に分からない。
縛られていないのは、チトニアが何も見えない故に、暴挙に出る恐れがないと判断した。という見方もできるが、恐らくそうではないらしい。
彼らは客人としてチトニアを迎えたようだった。
(まぁお客様を縛るなんてありえませんわね…)
ふむ。と状況を確認して座り直す。監視が身じろいだ気配があったが、すぐにまた姿勢を戻したようだった。
手荒なことはされていない。
彼らはチトニアを丁重に扱い、歩かなくても済むように輿に乗せて、時には担ぎ上げるなどして運んでくれていた。(チトニアに合わせていたら速攻で捕まる恐れがあるから、でもあるのだが)
船や馬車のような高速で移動する乗り物を何度も乗り継ぎ、いい加減腰や身体中の関節が固まりそうだと思い始めた頃、ようやくこの部屋に辿りついた。
部屋についてからも、ひとりの侍女が専属に付いてくれたようで、身の回りの世話をしてくれている。
ご飯も布団も温かいものが提供され、風呂も使わせてくれる。着替えも用意してくれたと思えば、髪型や化粧等の高位女性の嗜みとされるものは、侍女が楽しそうに全てやってくれる。困ったことは無いか、欲しいものは無いかと定期的に確認までしてくれる好待遇。
ここまできめ細やかに面倒を見てくれるのなら、誘拐ではなく招待をしてくれればいいのに。とも思うが、大っぴらにそれができない事情があるんだろう。
まぁ、心当たりがあるとすれば一箇所だ。
サン・エターラ帝国。
姉のアココトリを激怒させた帝国。
舌の根も乾かぬうちに妹と拐かしたとなれば、全面戦争は避けられないであろうに。
(何も考えていないのか、勝算があるのか、全く読めないのが困りますわね)
でも戦争は困る。良くない。両国に利があるとも思えない。
ぐるぐる、ぐるぐると、チトニアは思考を巡らせる。
…というか、いい加減にこの状況に飽きつつある。
考えても分からないものを考える続けるのは時間の無駄。とは母の言葉だ。無駄はやめよう。首を振ってチトニアはまた思考を飛ばす。
せめて話し相手でも寄越してくれればいいのに、と思う。楽しく帝国の流行りや美味しいものの話しでもして気を紛らわせたいところだ。
前に侍女に声をかけてみたが、監視の男に止められ叶わなかった。で、監視に声をかけたが無視された。
(退屈ですわねぇ……)
はぁぁ…。何度目か分からないため息を吐き出したところで、扉が数回叩かれた。
「お前がテキラナの姫君か」
入室するなり、耳に残る嫌な声だとチトニアは思った。黙っていると、足音荒く近寄ってきた声の主が上からジロジロと見下ろしてくる気配がする。
(ビーマン卿、わたくしは貴方の言葉が正しいと証明致しますわ)
心の中で笑い転げるビーマン卿の姿に向かって、にっこりと笑いかける。
「失礼ですが、どちら様でしょう?」
穏やかに問いかけると、例のアレ(先帝の次男)がハッとバカにしたように笑った。
「ディノ・セリオだ。知ってるだろ?」
「存じ上げす申し訳ありません。どちらのディノ様でしょう」
「は?」
声に僅かな怒りが含まれたのを感じた。
やれやれ、チトニアは心の中で頭を振る。
退屈しのぎにはなるが、コレの相手は面倒くさい。
顔に出さず、穏やかな微笑みを浮かべたまま、どこまで情報を引き出してやろうか。
母から禁じられた「実力行使」も辞さない覚悟で、チトニアはそっと先を促す。
数日分の退屈感を精算する勢いで、チトニアはディノ・セリオと遊び始めた。
メスカル国からチトニアが消えた知らせは、すぐに届けられた。昏倒させられていたロゼリアは幸いにもすぐに意識を取り戻したが、気の毒なほど動揺していたという。
捜索には両国であたるとし、情報収集と実働部隊で別れて行なう事となった。実働部隊にロゼリアと、チトニアの一行に付いて帰国していたビーマンが名乗りをあげたため、早々に現場検証を済ませ足取りを追っているという。
アココトリとピオニアは動けない。帝国が拐かしたのだろうと予測はついても、居場所が分からないため沈黙するしか無かった。
――チトニアが馬車に揺られ、そろそろお尻が割れそうだと思っていた頃…。
「僕は帝国に戻る」
テキラナ国。祭祀の館の一室で、ルイはアココトリとピオニアを前に、拳を強く握って宣言する。が、素気無くピオニアに却下された。
「お前が戻ったところで何もならん」
「しかし! ピオニア陛下は心配じゃないのか?チトニア殿がどんな目に合ってるのか不安にならないのか?怖い思いをしているはずだ。一刻も早く助けてあげたい」
苦そうに茶を飲むピオニアの隣で、アココトリが苦笑している。
「優しいのね、殿下は」
「ダリア陛下。あんなにチトニア殿をかわいがっておいでだったのに。なぜそんなに落ち着いているんだ」
心底分からないという表情のルイをみて、ピオニアはおや?と首をかしげた。
「チトニアをそこまで心配してくれるか」
「当たり前だろう?!心配にもなる。チトニア殿は目も見えないのにどうやって…」
胸が痛むのか、ルイが眉を寄せて耐えるように顔を伏せる。ピオニアが茶をすすりながら、ルイの顔を観察するように見つめた。
「ピオニア様?わたくしはルイ殿下の人柄が好きだわ?」
意味ありげに微笑むアココトリを横目に見てから、ピオニアは「…そうだな」と同意する。
「お二人ともなんださっきから。僕ひとりなら宮に潜入して目ぼしいところを…」
「ルイ殿下よ。そんなことせずとも良い」
ルイが首をかしげる。
「お前にしか頼めぬ。どこまで信頼していいものか迷っていたが…」
そこまでチトニアに心を砕いているのであれば及第点だ、とピオニアはニッと笑った。
引き出しから紙切れを取り出すと、内容を一瞥してから、それをルイに差し出す。受け取るとそこには義姉である皇后の名前が書かれていた。
「これは…」
「他国のお前に詳細は語らぬ。結論だけ言うからよく聴け」
居住まいを正すルイに向かってピオニアは告げた。
「リリーマリー皇后の合意が得られた。会いにゆくがいい」
「!!」
「チトニア救出はその後だ。お前にしかできぬ仕事故、任せる」
「…っはい!!」
目に力がこもったのを見て、ピオニアが頷く。
アココトリが笑った。
「わたくし達も引き続き捜索するわよ?どっちが早くチトニアを見つけられるか競走ね」
「受けて立つ」
そうして、ルイはリオと共に義姉リリーマリーの母国に向けて旅立った。




