天壁
――二日後。
帝国の人間が天壁を突破した知らせは、速やかにピオニアに届けられた。
「天壁の魔獣を躱し、皇帝陛下の弟君とみられる方と従者1名が逃げおおせた模様。山岳の部族の集落に押し入ったとのこと」
執務机の向こうで、ピオニアの目が険しくなる。
「捨ておけと言いつけたはず。帝国へ追い返せ」
「…部族の女を人質にとり、我が国の両陛下に拝謁を賜りたいと」
「なに」
低く唸るように聞き返す女王に、副官のアドルフォが苦々しく付け足す。
「臨月の女です」
メラッと、怒りの炎が立ち上る幻影が見えそうだった。普段の冷静さで感情の起伏を制御しているピオニアにしては珍しい反応だった。が仕方ない。女神の子を腹に宿している女の保護は、最優先事項だ。そして何よりも大切にされるべき存在だ。
「女王様!!失礼致します。二報目が届きました」
駆け込んできた伝令兵が、書状を持って来た。
アドルフォがひったくるように受け取ると、素早くピオニアに手渡す。
黙って読み進めていたピオニアの顔が、怒りから「おや?」というものに変わった。
「陛下?」
読み終えた書状をアドルフォに返すピオニアが、思案顔になる。
「私の思っていた人物ではなかったようだ」
その言葉に急いで目を通す。そこには、弟君と従者の名前が記されていた。
ルイ・パスカル
サン・エターラ帝国先代皇帝の第三皇子。
リオ・フリオ・リモーン
サン・エターラ帝国近衛騎士団長。
アドルフォが顔をあげる。ピオニアがめんどくさそうにため息をついた。
「チトニアを連れて迎えに行け」
はっ! 礼をとって辞したアドルフォの後を、伝令兵が追いかけていく。
「次代と各方面に伝えよ。我れらはこれより客人を迎える。準備にかかれ」
女官と秘書官が礼をとってから退出した。静謐な館の空気がざわめき始めるのを感じながら、ピオニアは鼻を鳴らして外をしばらく眺めていた。
天壁の山岳部族はいくつもあるが、彼らは国境の監視任務を主に請け負っている。報告を送ってきていたのも彼らであった。
山の知識に富み、戦闘経験値も能力も高いため、テキラナ国になくてはならない存在とも言える。が、何より重視されているのは女神アガベピニャが天壁を征圧した事で聖域とされた地域に住む国の番人であることと、天壁からもたらされる豊かな「水」の管理者の末裔とされてるところにある。よって昔から存在自体を尊ばれてきた民たちでもあった。
天に届く頂きを超えて国境を超えるには、この部族の協力無くして行えない。それは、彼らの使役する大鷲の聖獣のみが、この聖なる壁を飛んで越えられるからで、ピオニアが帝国に出入りしていたのも、大鷲を借り受けて果たしていたからである。
――その夜。
チトニアを乗せた大鷲の編隊が部族の集落の外れに降り立つ。
「ロゼリア?皆さまはどんなご様子かしら」
防寒具を着込んだチトニアが、護衛女官に問いかける。口々にあちこちから囁き交わされる「次代様」の言葉に緊張が滲んでいるのを感じていた。
「いつもと変わらぬようです。首長様もいらっしゃってます」
フワフワの羽毛で覆われた大鷲の背から梯子をおろして、チトニアが降りやすいよう慎重に支えてやりながらロゼリアは答える。足もとから聞こえたぎゅむっという音に、チトニアが下を伺うと、ロゼリアは笑いながら「雪ですよ」と教えてくれた。
「…空気がちがうわ。とても澄み切っていて胸が冷たくなっていく…。寒いとはこのことなのね。素敵だわ」
「チトニア様?」
ロゼリアの不思議そうな声にチトニアは微笑む。
「わたくしはひとつ、学びを得ましたわ」
「??それは何よりです」
杖を組み立てて、ロゼリアの肩に手を添えて歩き出す。すぐにしわがれた声が迎えてくれた。
「次代様、お運びいただき感謝申し上げます。首長のガルムトと申します」
「ガルムト様。集落が大変な中、お出迎えまでありがとう存じますわ。怪我人はいなくって?」
「ご心配には及びません。我らは聖域の番人。どうかご安心を」
力強い言葉にチトニアはホッと息を吐く。
一時人質とされた臨月の女は、ガルムトの娘という。見舞いの品を手に家に立ち寄ると、彼女は恐縮仕切りで、子どもの父親とされる男と何度も感謝を述べていた。
「夜も遅いですが、このまま弟君のところに向かいますか?」
ロゼリアが気遣うがチトニアはうなづく。
「切羽詰まった状況なのでしょう。このまま面会したいわ」
「その事なのですが 」
ガルムトが声を潜める。
「従者として付き添って来た近衛騎士の男が深手を負っております」
魔獣との戦闘での傷だろう。
「…他の従者の皆さまは?」
捜索させているが、生存は絶望的と見られていた。
「わかりましたわ」
案内されたのは、集落のまた外れにある干しレンガ作りの建物のようだった。乾いた土と干し草の匂いがする簡素な造りのもので、付近には部族の戦士が数名、見張りをしているようだ。ガルムトの言葉に、何人かが付き従った気配もするが、部族の女に飽き足らず、次代の祭祀王にまで危害を加えないための配慮を感じた。
「部屋の奥の寝台に1人の男が横たわっています。傍に成人前後の若い男が座って…看病をしているようです」
ロゼリアが小声で室内の状況を教えてくれるが、チトニアにも読み取れるほど、室内には極度の解けぬ緊張と、芯からの疲れと、不安が色濃く漂っていた。
「……君は?」
かすれ気味の声が若干震えている。容器に入れた液体の揺れる音が聞こえた。消毒液か何かにぶつかったのだろう。
「テキラナ国次代祭祀王、チトニア殿下です」
ロゼリアの凛とした声音に、男が息を飲む。
「し、失礼。僕はルイ。ルイ・パスカルという」
忙しない衣擦れの音と、崩れ落ちるような音に、周りが慌てた。
「初めてお目にかかりますわ。お疲れのところごめんなさいませ。わたくしはチトニア。…ルイ殿下とお呼びしても?」
「……ッ……っ」
「大丈夫だそうです」
頷いていたのだろう。ロゼリアの言葉にチトニアが意識的に穏やかに微笑む。
ガルムトと戦士たちに助け起こされたらしいルイは、手を引かれてソファに座った様だった。チトニアも勧められ、近場の柔らかな椅子に腰掛ける。暖房のための火が近くにあるのか、とても暖かかった。
「迷惑をかけるつもりはなかったんだが、結果的にそうなってしまったことをお詫びする。ガルムト殿の娘御にも…」
「顔を上げてくだされ。満身創痍の騎士様ひとりに遅れをとる我らではありませんからな」
杖を折りたたみながら、チトニアは2人のやり取りを聞いていた。人質をとったことは本当に彼らにとっては不本意なことだったのだろう。半ば泣きながら謝罪を繰り返すルイに、ガルムトは慰める言葉をかけ続けていた。
出立前に母から、ルイの人となりをチトニアは聞いていた。帝国との合同祭祀で垣間見た時の様子だったらしい。
思慮深く慎重な性格で、周囲の機微に敏感。出しゃばることなく、静かに周りの声を聞き、相手に寄り添う思いやりを持った人物であることを。
ピオニアに対しても、来訪を心から悦び丁重にもてなす姿勢を見せていたとか。
ついでに、兄のディノ・セリオは軽薄で派手好き。不勉強な言動を隠すことなく、生まれや権力をかざすことに執心している…と吐き捨てるようにも言っていたが。
「殿下。やむにやまれぬ事情があったとお見受けしますけれど、お聞かせ願えます?」
チトニアののんびりとした声に、ルイがごくっと喉をならした。「ついでにお茶もいただきたいわ」と朗らかに言うと、ガルムトが少し笑って外に声をかける。ロゼリアが「姫様…」と呆れたように呟いた。
「実は数ヶ月前から兄が伏せっているのだ」
「皇帝陛下のことですね?」
帝国内の領地巡回から戻った頃から体調を崩しがちになり、徐々に政務をこなすことも起き上がることも難しくなっていたという。
「質の悪い感冒と言われていたが、薬も効かず、打てる手は打てど良くならない…。離宮に居を移していた先帝である父が代理を務めたりもしたが、元々が皇帝の激務を嫌い隠居したので、それも長くは続かず…。兄が姿を見せないことを好機と見たのか、その頃から次兄が兄の代理を高々と宣言し一部の諸侯と議会を支配し始めた」
花や薬草を干して煎じたであろうお茶が、手の中で少しずつ温度を失っていく。暖房機だろうか。薪の爆ぜる音と、風が窓を揺らす音が大きく聞こえる。
「僕は成人まであと半年。未だ議会に参加することはできない。兄の息子…皇太子もまだ幼く、次兄を止めらる者が僅かしかいなかったせいもあり、我が国は非常に危うい状態となってしまった」
もちろん議会も馬鹿ではないため、ディノ・セリオの独壇場とはさせなかったが、ある時からディノ・セリオを本格的に次期皇帝として擁立しようとする派閥ができたという。当然、反対勢力として皇太子擁立派、僅かながらルイ擁立派も立ち上げられた。
「これまで一枚岩とまでは行かなくとも、兄は皇帝として、家族兄弟が血を流さずに済むよう、早々に第一皇子を皇太子とし、周囲にもそのつもりでいるよう言い含めてきたんだが…。それが今や三つ巴の混沌とした帝位争いへと発展してしまったのだ」
苦く息を吐き出してからルイは続ける。
「宮廷の不穏さも増して、いくらなんでもおかしいと次兄に抗議をしたら、以降は軟禁されてしまってな。病床にいる皇帝である兄の見舞いも叶わなくなった」
皇子宮から出られずとも、情報収集は欠かさなかった。その中には皇太子の母である皇后とも密かにやり取りをしていた。その中で、次兄と対立する皇太子派の貴族が急死した知らせを受け取る。
「甥は…皇太子は母親の、義姉(皇后陛下)と共に里帰りの名目で先に国を出たので問題はない。ただ…兄はそのことを知らないままだ。兄の家族をバラバラにしてしまった…」
―― ルイ殿下。どうかご無事で。
最後の密書には、滲んだ文字が散見された。皇后としてもここで身を隠すのは不本意だったのだろう。だが皇太子の命まで狙われかねないのなら。覚悟を決めたのだろう。泣きながら筆をとった様子をチトニアは想像した。
「義姉上は脱出間際まで僕を案じてくださっていたそうだ。理由をつけて一緒に行こうとしてくださったときいている」
ルイが断ったのは、せめてもの次兄への抑止力となるためだった。
「軟禁されてはいたが、次兄のしていることは自然と耳に入ってくる…。皇太子派の貴族を亡き者ににしたのもやはり、次兄の指示だったと。勢いがついたのだろうな。その次は僕だった」
「……お命を狙われましたの?」
「僕が宮を出ることは禁じられていたが、来客の制限はなかった。僕が次兄の脅威にはなりえなかった故、誰でも面会できていたのだ。あそこの……リモーン卿が尋ねてきたのもその日のことだった」
剣術の教師と生徒という関係だったため、近衛騎士団長となった彼の来訪を誰も不思議とは思わなかっただろう。週に何度か皇子宮に来ては稽古をつけるという名目で、情報や差し入れをよく持ってきていた。
その中で、ルイの暗殺計画を感じ取ったらしい。身代わりをたてることで事なきを得たという。
捉えた犯人は、尋問する間もなく自害した。
「リモーン卿にも説得され、帝国脱出を計画したのだ」
「…言葉もありませんな」
ガルムトが低く唸る。彼には確か、似たような年頃の息子もいたはずだ。姿を重ねたのだろう。
チトニアもルイと歳が近い。次代の祭祀王と呼ばれるが世間知らずで、まだまだ子どもの域を抜け出せてない自覚がある。目が見えないハンデ抜きにしても大切にされ、家族にも周りにも慈しまれている自分に、ルイが突然突き落とされた状況と恐怖、ましてや血の繋がった家族から殺意を向けられた絶望に対して……チトニアが何か言えるはずもない。
「お気の毒様ですわ。……本当に」
「ありがとう。でも過ぎたことだ。僕はこうして生きている。…こんな形でやって来て保護までしてくれた礼をちゃんとしたい。…いつになるか分からないが」
少しだけ笑った気配に、チトニアが微笑む。
「夜半ですが、少し腹に何か入れましょう」
気分転換も兼ねて、とガルムトが提案すると、ルイがありがたいと返答した。人を呼んで軽食を持ってこさせる。スープとパンと色々な皿を持ち込ませたようだ。ロゼリアがチトニアの手を引いて、皿の位置と何があるかを丁寧に説明する。スープとパンを手元にもらうチトニアを見ていたのだろう。ルイが声をかけてきた。
「チトニア殿、いつか帝国に来てくれるだろうか」
パンをちぎってスープに浸していたチトニアが顔をあげる。何となくルイの声がした方に顔を向けながら「もちろん!」と声を弾ませた。
「母様から聞き及んでますわ。帝国の宮殿や祭祀殿は白亜の立派な造りで、季節ごとの花が庭園を彩り、それは美しい場所だとか。あ、あと草原と穀物地帯が本当に圧巻だとか」
ビーマン卿の話していた事も思い出す。
「わたくしでは見ることは叶わないのですけど、きっと、美しい場所と言われるのなら素敵な国なのでしょう」
腹が満たされ始めたのか、ルイが自嘲気味に笑った。
「…そうであるよう頑張らないとダメだな」
柔らかくしたパンを飲み込んでから、チトニアは何気なく聴いてみる。
「殿下。天壁を越えようと思われたのはなぜでしょう。かなり無茶苦茶なやり方でしてよ?」
ルイが力なく笑ったようだ。
「無謀なのはわかっていたが、僕には頼れる後ろ盾がなくて…咄嗟に思い出したのが、テキラナ国の祭祀王陛下だったのだ」
「母様を?」
「何度か帝国に神事でおいでになった時に、お話する機会をいただいた。皇族とはいえ、末席の僕の話を面白そうに聴いていただいたのだ。あの時間がとても楽しくて…」
つい、頼ってしまったのだ。と小さな声で呟く。
「神事や祭典で関わりはあっても友好国ではないし、かなり悩んだのだ。それを、リモーン卿が行きましょうと背中を押してくれてな」
寝台に寝かされている男の規則正しい寝息が聞こえる。
「15人の騎士が僕に付いてきてくれた。……途中でみんなとはぐれてしまったが…」
声が震えている。鼻をすすって気丈に皇族として振舞ってはいるが、ルイの受けたショックは大きかったようだった。
スープを飲み干してからチトニアは「事情はわかりましたわ」と言った。
「お疲れなのにお付き合い頂き感謝申し上げます」
「いいんだ。祭祀王様に近い方と…まさか次代とされるチトニア殿と話が出来るなんて思わなかったのだから。こちらこそ感謝する」
「…。そちらの騎士様がお目覚めになって身体が動くようなら、王の館までお連れ致します。こちらも…色々とルイ殿下にはお話しなければならない事もありますので…」
「そうか。……何から何まで不甲斐ない僕のためにありがとう」
立ち上がるチトニアにロゼリアが寄り添う。杖を組み立てながら、チトニアは微笑んだ。
「殿下のお人柄が素敵だから皆さまが動くのですわ。今夜はゆっくりおやすみくださいませ」
帝国式の礼をとってから部屋を辞する。ガルムトが後ろから「次代様も休んでくださいよ」と声が飛んできたが、チトニアは「ご馳走様でした」と朗らかに返事をした。ルイから聞いたことをまとめてから、王都にカナリアを飛ばす仕事が残っていた。




