チトニア
魔獣討伐の前線に戻るアココトリを、チトニアは王の館の正門から見送る。
見送ると言っても、全盲のチトニアにはその勇士を見ることができないが、ひしめく大型の獣の唸り声や重い甲冑の擦れる金属音から、今回の討伐隊の規模が前回よりも大きくなっている事に気づいていた。
「ご武運を」
独り言ちるチトニアに、そばに控えていた女官が慰めるように繋いでいた手を撫でる。
姉の気配を追っていたが、それも遠くの空気に霞むように消えると、チトニアは息を吐いた。何度も様々な形で見送ってきたが、討伐戦に赴く周囲の雰囲気には慣れそうにない。重く張り詰めた緊張感が昔から苦手だった。
「さぁ!!お留守番するわよ!!私たちもがんばりましょうね!!」
気合いで声を張る。周りからクスクスと笑いがもれたが、チトニアも笑った。不安を消すには明るさが1番なのだ。
アガベアスル家には、3人の娘がいる。
長女のジャカランダは28歳。テキラナ国とは古くからの盟邦関係であるメスカル国の王太子、アレハンドロ殿下と結婚をしている。幼い頃からの交流もあり、アレハンドロ殿下自身に請われて、10年前に王太子妃として迎えられた。現在は2人の王子の母親で、3人目の子を妊娠中である。
次女は、25歳の統治王アココトリ。
そして、三女が16歳のチトニアである。
テキラナ国は統治王と祭祀王をそれぞれ擁立させてきたが、チトニアは次代の祭祀王として育てられている。当代はチトニアの母親が務めているが、2年後のチトニアの成人を待ってから代替わりを宣言したのが去年のことだ。
全盲の姫にテキラナ国両翼の一端を任せる事に不安の声が上がったが、祭祀王の条件を満たせる者がチトニアしかいないため、現状は2年後まで適性を見守るという事で諸侯や臣下と合意させた。
統治王とは立ち位置が違うが、祭祀王もまた王。王の決定が全てであるのは変わらないのだが、祭祀王の方がより権威的と見られる節がある。
さて、祭祀王であるチトニアの母が無理やり周囲に合意させることができたのは、祭祀王となりうる「条件」が関係している。
祭祀王は女神アガベピニャのスピリッツ造りを管理製造する事から、神話時代から受け継がれてきた儀式の挙行、周辺国との親善、文献の研究と管理など多岐にわたる。統治王が自国内の管理運営に集中できる事に対して、祭祀王は女神に関わる包括的な活動を行うため、自然と発言の強制力が統治王よりも強く、絶対性も高かった。
また、統治王がアガベアスル家の血統を求める事に対して、祭祀王は「祭祀王の子であること」を求められる。アガベアスル家の血であれば農村の子でも、他国の子でも統治王となる機会はあるが、祭祀王は祭祀王の血統のみが継承できる。よって、現在祭祀王のピオニアの子はチトニアひとりであったため、皆が黙る他はなかったのである。
三姉妹の父はアガベアスル家の当主だが、それぞれの母親とは婚姻関係にない。
先代当主の四男であった内気で、ブルーアガベの土壌研究しかしてこなかった彼は、娘を3人も授かったのは女神の思し召しと信じている。美しい三姉妹をアガベアスル家は当然のように大切に養育した。それぞれの母親に対しても丁重に扱い、家系の系譜に細かく血統を記したことを見ても、当時の一族の喜びようは容易に想像がつく。
特に祭祀王の血統を持つピオニアに関しては、チトニアが無事に産まれてからある程度育つまでは、母子ともにアガベアスル家の本宅で慎重に保護し、養育に必要な環境を整えるまでの徹底ぶりを見せた。また、アレハンドロの地位も全会一致で当主に据えるという本気の後押しで、未来の祭祀王の前途を守る保険までつけたのだった。
アガベアスル家から祭祀王が指名されるのは100年ぶりとも言われるので、力の入れようが極端なのもそれだけ本気で擁立させるつもりがあるからだろう。
統治王と祭祀王の両翼を一族から送り出すのは、アガベアスル家なりの、プライドの表れでもあった。
チトニアが光を見れない全盲の子である事がわかったのは、1歳になるくらいの頃だった。
母親譲りの銀色の髪に、血管が透けて見える程の白い肌、全身の産毛から体毛に至るまで色素を持たない娘が、歩く度に躓き、壁にぶつかるのだ。虹色の彩虹をもつ瞳と微妙に視線がずれる様子を見れば、ピオニアは腹を括るしか無かった。
「アガベピニャ様が娘の視界を塞いだのであれば、それは女神からの試練であろ」
世界を見ることはなくても、この世界は存在するのだ。なら、他のやり方で女神の創ったこの世界を守るしかない。もう一人二人と子を成せば諸侯は安心するだろうが、そうするくらいなら、母親として娘に課せられた女神の試練に立ち向かう方がずっと自分らしいとピオニアは判断した。
こうして、チトニアは唯一の未来の祭祀王となったのである。
「来月がブルーアガベの収穫予定となっているが、各地の生育状況はどうであろう」
祭祀王ピオニアが執務室に積まれた関係書類を掴んで、上からパラパラとめくっていく音がする。テキラナ国の各州から寄せられたブルーアガベの細かい飼育状況がぎっしりと書き連ねられている報告書は、1枚では終わらず、数十枚単位で束ねられていたようだった。
執務机の前の椅子に腰掛けたチトニアが口を開く。
「問題ないと報告を受けてますわ。去年のハリスコ州であった水害が尾を引いてるようですが、一部収穫が遅れそうな区域があるようですけど、大部分は事前の対策が幸をなしたようで、問題なく収穫に入れるとか」
「収穫量の見込みは?」
「例年と同じくらいかと。他の州も特に大きな不安要素は無いので、一斉に収穫体制に入れるように準備を終えてるそうですわ」
王である母と顔を合わせる前に、各州の責任者と面談していたチトニアが、淀みなく現状を伝える。
ピオニアがふむ、とうなずいた。
「ならば予定通りに取り掛かるように」
女王の決定に、祭祀分野の文官が返事をして退室する。女王は次の書類の束を掴んでいるようだ。
「次は収穫後の神事だが…」
淡々と執務をこなす女王の横で、チトニアは書類の補足事項を伝える。目で書類が見れない分、関係者との面談や懇談で仕入れた情報を、全て頭に叩き込んでいた。目が塞がれているのなら、耳で仕入れ、手足で状況を知り、空気で本音を読み取るしかない。成人までに残された時間は少なかった。使えるものは全て使ってチトニアは即位を確実にするしかないのだ。
各執務の担当文官がほぼ退室したようだった。部屋に残されたのは、母とチトニア、そして女王の秘書官と給仕をする侍女だけのようだ。
「1年の流れが完璧に身についたようだな」
母の言葉にチトニアが微笑む。
「褒めてくださるの?」
「できて当然のことだ。祭事に使う祭礼具の不備があると報告があった。…まだまだ甘い」
「…気をつけます。ちなみに何が足りなかったのでしょう?」
「ロウソクが2本と、スピリッツの樽の汚れだよ」
「!!」
「それくらいで?と言いたいのだろうが、女神に関わることは全て完璧に美しく、統制が取れてなければならない。以後気をつけるように」
呆れ声の母にチトニアがむくれた。はぁい、と気の抜けた返事をすると、執務室の戸が叩かれた。
「ピオニア様、執務中に失礼致します」
何度か耳にしたことのある文官の声だ。少し緊張しているのか、上擦って息遣いも荒い。
「アドルフォ・パトロン様が至急の面会を要請しております」
「軍部の副官が?」
アドルフォのことはチトニアもよく知っている。アココトリの戦闘稽古相手をずっと務めてきた優秀な軍人だ。機会が合うのならアココトリと子を持つ可能性の高い男性のひとり、と認識している。
「失礼する」
返答を待たずに押し入っただろう気配がした。ピオニアが鼻を鳴らしたが、その人は短く無礼を詫びると切り出した。
「申し上げます。北の天壁(国境)に武装した複数名の侵入者有り。服装や装備からサン・エターラ帝国の人間の模様。報告のあった時点で天壁の魔獣と戦闘中。およそ2時間前のことです」
「帝国の?」
ピオニアの低い声に、パトロン副官がはっ、と短く返答する。帝国と言えばアココトリを…無駄に悩ませていた王配の件があったはず。昨日の姉の様子に思いを巡らせるチトニアとは逆に、ピオニアは報告の続きを促す。統治王が不在の今、留守を守る祭祀王が国内の緊急事態を取り仕切るのは当然の事だった。
「人数は?」
「10名程。内1人は軽装ながら仕立ての良さそうなコートを着用しているところから、身分のある人間とみて間違いないとか」
「人相は見えたか」
「短い金髪、細身、年齢は20から23くらい、戦闘経験は皆無の様子」
「…はぁぁ…」
ピオニアのため息が重い。
「恐らく、皇帝の弟君で間違いなかろう」
他国との交流分野は祭祀王の管轄であり、帝国にも親善やアガベピニャの祭典出席の名目で何度か訪れていた。その関係で帝国の皇帝一族と顔を合わせる機会も多かったため、すぐに思い至った。
「天壁は我が国の聖域ゆえ、帝国との国境を超えるなら宣戦布告とみなす。これは帝国との過去の合意に基づく判断である。警告を発せよ。手段は問わぬ」
「はっ」
「魔獣との戦闘で全滅したのなら捨ておけ。助ける義理はない」
「御意」
「母様それは…」
あまりに無情なのでは、と続けられなかった。
舌打ち混じりのピオニアの言葉に黙り込む他なかった。
「チトニア、アドルフォ、よく聞け。帝国は現在、非常に危うい。皇帝の帝位転覆を目論む勢力が一定数を超えたと報告がある」
ピオニアの役割上、間諜を各地に放つことは必須であり、不可欠だ。特に帝国には相当潜りませているという。優秀な諜報員がそういうのなら、不穏な空気と火種が静かに時を待っているのだろう。
「それなら、姉様にもそのことをお伝えしなければ」
「我らが統治王なら、帝国相手であろうと拒絶するのは明らかだ。現に断る文言の事で悩んでいたではないか」
そうだったけど。
「アドルフォ。この際だから言うが、統治王との子を望むのであれば早く行動に移せ。あの娘が魔獣を根絶やしにするまで何もしないつもりなら静かに去れ。目障りである」
「…ご忠告感謝申し上げます」
少しだけ笑った気配を感じたが、それも一瞬のことだった。伝令の為に足早に去っていく足音を聞きながら、チトニアは母に訊ねる。
「もし、もし仮に事がなってしまったら、我が国も無事では済まないのでしょうか」
「…大陸の友好を掲げる皇帝の何が不満なのかは謎だが、良識のある人間も多いだろうよ。何かを思い通りにしたいごく一部の人間の不満が、悪意を持って膨張していく果ては…大抵が自滅と決まっている。なに、関わり合いにならなければいいだけの事だ」
ピオニアが秘書官を呼び寄せる。
「サン・エターラ帝国の皇帝陛下にお知らせしておけ。我が国は大陸の平和に尽力する貴殿を支持するとな」
秘書官と入れ替わりに、別の役人が数人、入室を求める声がする。
「さて、次の仕事だ」
女官からお茶のお替わりをもらいながら、チトニアは背筋を伸ばす。この国の祭祀王を任せられるには、不足している事があまりに多い。
やはり残された時間はあまりにも少なく感じられた。
伝令に使われる魔獣は小型の飛行鳥類で、超速飛行種が主に使われる。手紙や暗号を脚に括り付けた筒に入れて運ばせる事ができる。調教に時間は要するが、捕獲しやすく寿命も長いため、あらゆる機関で重宝されている。天壁からの伝令もこの魔獣が使われたわけだが、その他には、言葉をそのまま覚えて相手に伝える種もいる。手紙を書けないチトニアの為に、頭のいい飛行種を調教して開発された、新しい伝達手段だ。
調教が施されたうちの1羽をチトニアは大事に飼育している。カナリアと名付け、公務がある時もない時も共に過ごしていた。
あれから、一通りの執務を終えたチトニアは、祭祀の館の庭に出ていた。
1年を通して気温が安定的に穏やかではあるものの、昼過ぎの日差しは少し強く、咲いてる花の香りが濃く広がっているのを感じた。
侍女に頼んで持ってきたもらった鳥籠を受け取ると、中で飛び跳ねる感覚が直に手に伝わってくる。
カナリアは羽ばたきながら「チトニアげんき?ご飯食べた?」と繰り返す。自然と笑顔になる。声はアココトリそのものだった。
「カナリアですか、チトニア殿」
「!!ごきげんようビーマン卿」
声をかけてきたのは、長姉ジャカランダが嫁いだメスカル国より遣わされた駐在騎士の青年だった。名前は、ラウル・エンゾ・ビーマン。テキラナ国とメスカル国の友好関係の為に、自ら志願してやってきた。
武道大会での好戦により平民から男爵位を得たは良いが、メスカル国の貴族社会における社交を苦手としていたため逃げてきただけだ、と本人は悪びれずに言う。過去に目が見えないチトニアに対して、生まれつきなのか、不便ではないのか?と悪気なく率直に訊ね(直後に誰かに頭を叩かれたらしかったが)、後日メスカル国から取り寄せたバラを手に、丁重に詫びを申し入れてきたことがある。そのバカ正直な人間性をチトニア好ましく思っていた。
ベンチに誘うと、ビーマンは「失礼」と断りを入れてからチトニアの手を取り自身の腕に導く。そして、カナリアの鳥籠を丁寧に受け取った。
チトニアはポケットを探って折りたたみの杖を取り出す。慣れた手つきで杖を伸ばすと、ようやくビーマンは最初の1歩をゆっくりと踏み出した。テキラナ国にはないエスコートをしてくれるのは、バラをもらった日から続けられる2人の歩き方だった。
「それで、何か悩みでも」
ベンチにチトニアを座らせたあと、拳2つ分の距離を開けてビーマンが腰を下ろす。
チトニアがカナリアを手元に置いてる時は、何となく気落ちしてる事が多いように感じていた。
「悩みなど尽きないものでしてよ?」
苦く笑いながら不勉強や知識の無さを痛感したのだと簡潔に説明する。帝国の事情などはもちろん伏せたままだ。ビーマンは茶化すことなく静かに聞いてから口を開いた。
「俺でわかることがあれば教えますが…」
「本当に!?」
パッと明るい表情に変えたチトニアを横目に、ビーマンは「わかることだけです」と念押しする。
「身の上話になりますけど、俺は帝国の辺境地域の出身で、15の時に帝国軍に入って、反乱軍の鎮圧や国境地域との戦争に従軍してました」
元々、身体には恵まれていたので、軍の基礎訓練から特殊訓練まで、命令された事は一通りこなすことができたし、新兵ながら少しずつ功績をあげる機会も増えていったが。
「18の頃、上官を殴ってしまいまして軍を追い出されました」
「…まぁ」
帰る家も寄るところもなかったので、メスカル国で開かれる武道大会の噂をきき、暇つぶしに出てみたら上位入賞を果たしてしまったという。
「辞退はしましたが、メスカル国の騎士団長に説得されまして、それからはメスカル国騎士団の職につき、騎士団の武道大会で優勝して男爵位をもらった……とまぁ、こんな感じです」
「その…帝国の辺境とは、どんな地域なのでしょう?」
「北の外れの方で、季節が冬しかないような場所で…土地が痩せているので、緑が茂る草原や畑なんかは、軍に入ってから初めて見た感じです」
想像を巡らせるが、ずっと冬が続くという肌感覚がまず分からない。
「氷菓子は好きですか」
「もちろん!!」
あの氷が一面…大地に敷かれているようなものとの説明に、何となく実感が伴った。そうなると、氷室の中にずっといた時の、肌を刺すような痛みも思い出す。
ビーマンはそうです、と笑った。
「俺のいた村だけが特別貧しかったわけじゃなくて、帝国に統合された小さな国々や、辺境地域のほとんどが、一日を生きていくのに精一杯の努力を必要とするんです」
「それでは小さな子や、体の弱い人は……?」
「………もたないことがほとんどでしたね」
「それでも救済措置などはあったのでしょう?」
「俺が知る限りでは、平民にそういった手を差し伸べてくれることはなかったですね。手が回らないくらいに国が広いから。という見方もできますが…。領主が手厚く領民を保護したりしている地域の話も聞きましたが、多くはない、といった印象です」
ビーマンが語る帝国内の状況は、思っていたより疲弊しているようだった。カナリアのカゴを膝に乗せたまま、チトニアは考える。
「皇帝陛下はどうお考えなのかしら」
「あの当時は休む暇もなく政策を打ち出して、どうにかしようと奮闘されていたようですが、今はどうなんでしょうね」
帝国を離れて数年経つという。状況も情勢もかなり変化しているのは間違いなさそうだった。
「ちなみにメスカル国ですが」
そういえばチトニアは、長姉の嫁いだ国をあまり知らない事に気づく。
「テキラナ国と似たような温暖な地域ですから、国全体が食べ物と幸福に満ちているような雰囲気ですよ」
「まぁ!!ジャカランダ姉様は素敵な国に住んでますのねぇ」
「テキラナ国も、ですよ」
「え?」
「女神信仰に厚く、温厚で愛情深い国民性。ここはいい国ですよ」
「まぁ…うふふ。他国の方に褒められると嬉しいものですわね」
嬉しそうに笑うチトニアの気が晴れたことを感じて、ビーマンも微笑む。
「他には何を知りたいですか」
「そうですわね……」
調べておこうと思っていた事を思い出しながら質問をする。
焦っても仕方ないのでひとつずつ、不安要素を消していくしかない。
丁寧に教えてくれるビーマンに感謝しつつ、チトニアは彼の話を全て頭に叩き込むのだった。




