1ビット
とある施設では粒子同士を衝突させることで小さなブラックホールを発生させ、これを観測できないかと日々実験を繰り返していた。そんなある日ついに博士たちの念願が叶い、極小のブラックホールを発生させる気ができた。ブラックホールの生成を反対する活動家たちの懸念とは裏腹に極小のブラックホールは発生直後すぐに蒸発し、博士たちは自身の理論の正当性と新たなデータの入手に喜んだ。
翌日、博士たちはまた施設に籠り2度目のブラックホール生成を目指していた。しかしマシンの調子が良くないのか一向に粒子を射出することができない。それどころかエラーが発生し始め、マシンの小さなディスプレイは文字化けしたように解読できないものとなっていた。
コンピュータエンジニアを呼び、すぐに修理に取り掛からせた。コンピュータエンジニアは自身のラップトップをマシンに接続し、原因を調べた。すると、驚くことに今までどうやって動作していたのか分からないほどプログラム言語が出鱈目になっていた。コンピュータエンジニアは視界が歪んだ、立っていられなくなった。しかしそれは後に彼を待つ膨大な修理作業を予想したからではなかった。まるでモザイクアートのように彼の視界が歪んでいる。それは彼だけではなかった、博士たちも同じことを訴え始めたのだ。
マシン内の化学物質の漏えいによる幻覚症状だと博士たちは叫び、全員を屋外へ退避させた。退避中もますます視界は壊れ、ついに施設から外に出る頃には上も下も分からないほどになっていた。
もっとも、この問題は博士たちやコンピュータエンジニアたちだけに降り注いだものではなかった。そして、その原因はマシンの故障でも化学物質でもなかった。博士たちが生み出したブラックホールが蒸発する直前にこの世界からたった1ビットだけ情報を奪ったのだ。この世に情報は溢れている。ハードディスク上にあるものだけでなく本や新聞、テレビやラジオで配信されているものも情報だ。隣人との会話だけでなくファミリーレストランで聞こえてくる会話もまた情報だ。もっと見落としやすい、今、目に入ってる文字や画面などの光、聞こえてくる音、息遣いそんなものもすべて情報なのだ。この世の全てと言い換えても良い。そんな中からたった1ビットだけでも情報が欠けると、それはスライドパズルのように欠けた部分を埋めようと横の1ビットがズレる。またその横も、そのまた横もとズレ続ける。これが無限に繰り返され地球にあったあらゆる情報は宇宙と混ざり合い続けた。混ざり合い、希釈され続けることで宇宙と同化しやがて地球そのものの痕跡も消えた。
この偉大な発見を喜ぶ博士たちの情報も、1ビット単位で分解され、今となっては宇宙のスキマを埋める緩衝材にしかならない。