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三路

作者: 九JACK

 僕の師匠は馬鹿だった。

 筋金入りの馬鹿だ。

 でも僕は大好きだった。


 師匠は僕の名付け親らしい。血の繋がりも何もない、ただの近所のおじさん。いや、年代的にはおじいちゃん、かな、僕からすると。

「人にゃあにゃあ、三つの道があんのよ」

 僕の名前を説明するとき、師匠はそう切り出していた。

「一つは生きる道。一つは死に向かう道。この二つはなあ、どうしたって避けて通れにゃあもんだからにゃあ、嫌でも諦めて歩くしかにゃあのう」

 にゃあにゃあ言っているが、猫語を喋るイタい人ってわけじゃない。師匠は「ない」と発音するとき「にゃあ」っていう人なんだ。それに加えて「なあ」も「にゃあ」って発音するから、猫みたいに聞こえる。

 なんだか愛嬌がある、と周囲からは「ゴロちゃん」って猫みたいな愛称をつけられていた。本名が「ゴロー」なのか「何ゴロー」なのかは知らない。僕はじいちゃんとしか呼ばなかったから。

「三つ目の道が、大事なんじゃあ」

「三つ目の道って?」

 何度も何度も聞いた。僕はじいちゃんのその言葉がとても好きだったんだ。

「見つけていく道、じゃあ。三路(さんじ)や。お前さんの名前は、この三つ目の道を、大事に歩いてくってことなんだでえ」

 見つけていく道。生きていくにしろ、死んでいくにしろ、その過程で必要なことや好きなこと、人生を豊かにする楽しみは自分で見つけなきゃいけない。見つける道を選んで歩くのは、大切なことで、見つけたもので飾った道は、自分以外には作れない唯一無二になるという。それはとても素敵なことだと思った。

 その言葉がとても好きで、大好きで、僕はじいちゃんのことを「師匠」って呼ぶことにしたんだ。

 自分より年上の人間は人生の先輩って考えがあって、それで偉ぶる人を見ると、眉唾だなぁと思うけれど、じいちゃんは偉ぶることがなくて、素直に師匠と呼べた。

 ただ、僕が馬鹿だと思ったのは、ハイカラな親戚のおばちゃんが、鉱石店とかいうのでお土産にって渡してくれた石を見せたときだ。

 タンザナイトという石で、綺麗な紫色をしている。タンザニアの夜というのが名前の由来で、夜というか、日の入りの空の色に宝石の色合いが似ているらしかった。

 きっと綺麗な景色なんだろうね、みたいな話をしたら、じいちゃんは言った。

「なら、本物を見にゃあにゃあ」

「無理だよ。タンザニアってすごい遠いんでしょ?」

 アフリカにある国だと聞いた。日本にとって外国は全て海の向こうであり、近くの、例えば韓国とかに行くにしたって、一苦労だ。それを、アフリカだよ?

 アフリカって言ったら、韓国や中国の何倍遠い国なのか。幼い僕は具体的にはわからなかったが、途方もなく遠いことだけはわかっていた。

 そこに行くだなんて、あまり気軽に言えるものじゃない。言ったところで、そう簡単に実現はできない。

「にゃあ、三路や。本物を見るにゃあ、大事なんやあよ」

 どれ、ちょっくら行ってくっぺ、と月曜日にごみ捨てに行くみたいな気さくさで、じいちゃんは旅立った。

 それから、帰ってくることはなかった。


 本当に、馬鹿だ。

 じいちゃんはずいぶんと探された。本当にタンザニアに向かったらしいが、辿り着いたのかは不明。飛行機によれば、行きの搭乗記録はあるので、タンザニア近くまでは着いたと思われる。が、飛行機以降の記録はない。

 パスポートを持っていないとかだったら、入国時に捕まるだろうし、捕まったら連絡が来るだろう。そんなことはなかった。

 そうして、一年、二年、三年、と年月が瞬く間に過ぎていき、便り一つなく、じいちゃんは行方不明のまま、死亡扱いとなった。

 あれから、十年が経つ。六十も半ばを過ぎていたじいちゃん。七十半ばを迎えれば、医療が発展した現代においても「老衰」の文字は見えてくる。ただでさえ、いつお迎えが来てもおかしくない年齢の人。じいちゃんを知るみんなは、じいちゃんが戻ってくるという期待を抱くのをやめていた。

 無理もないことだ。みんなじいちゃんのことは好きだけれど、人間は年に勝てない。じいちゃんが語った三つの道の一つ「死んでいく道」は避けて通れないものなのだ。

 その過程を楽しむために「見つけていく道」として、タンザニアに行くことを選んだのだろう。確かに、おばちゃんからもらったタンザナイトは深い色をしていて、これが本当に空そのままの色なら、きっと綺麗な景色だろうとは思う。

 でも。

 本当に綺麗な空が見られるかどうかなんてわからないのに。成長して、学校を出て、学んで。僕はアフリカについて、歴史や土地柄などを学ぶ機会があった。アフリカはヨーロッパなどの国に植民地にされていた歴史がある。明るいことばかりではなかった。時間は経ったけれど、蟠りが完全になくなることはない。

 蟠りのある人間が多ければ多いほど、その土地に募った人の心の澱は不穏を宿して、いずれ何かしらの取り返しのつかないことを引き起こす。だから、弾圧された歴史のある場所は、安全とは言えないのだ。

 そんなところに行って。いくら老人とはいえ、無事でいられるだろうか。本当に綺麗な景色だけを眺めて、帰って来られると思っていたのなら、師匠はとんだお気楽だ。

 馬鹿だ。本当に馬鹿だ。


「ゴローなら、ウチらが看取ったヨ」

「トテモ気さくデ、イイやつだった」

 カタコトしか喋れない現地の言葉で、会話して、そんな証言を得た。

「ゴローは本物の【タンザニアの夜(タンザナイト)】を見て、トテモ綺麗だ、と褒めテくれタネ」

「みんなゴローが大好きだったヨ」

 本当に、本当に馬鹿だ。

「サンジも見てくとイイ。タンザニアの夜くらい綺麗なのハ、他じゃあなかなか見れニャアよ」

「ゴローの真似カ? ハハハ!」

 本当に、師匠は馬鹿だ。

 でも、人のことは言えない。

 師匠を探しに来たのも本当だけど、タンザナイトのネックレス握りしめて、「本物」の色と熱心に見比べている僕がいる。

 見てみたかったんだ。本当なら、じいちゃんと。……それは叶わないけれど。

 それでも、綺麗な藍色の空を見て、僕は「見つけていく道」をちゃんと歩いたよ、と心中で呟いた。

 おかしくって笑ってしまった。


 僕の師匠は馬鹿だった。

 筋金入りの馬鹿だ。

 そんな師匠が大好きな僕も、同じくらいかそれ以上に……どうしようもない馬鹿だった。

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