No.1
大学校の学長より、魔術の包括的知識を纏めた百科事典的書物の編纂を依頼された。元々何処かのタイミングで今まで学んできた知識の整理はしたい所だと思っていたので良い機会だろうと思った。
一旦は下書きと言う事で無秩序に様々な記事を書いてみようと思う。ある程度量が積もった後に体系的に纏め、足りない箇所を埋めるように記事を書く予定だ。
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【魔力とは】
魔力について学ぶ事は、魔術を学ぶ上での最も基礎的な要素である。現在存在する魔術はごく少数の例外を除いて全て魔力が関与している。
魔力とは、様々な性質へと変化をする事が可能なエネルギーの事である。この力の呼称は霊力であるだとか神通力、霊感、呪力等、文化圏ごとに様々であるが、その本質は共通である。ここでは我々の文化圏にならい魔力と呼称する。
魔力は非常に摩訶不思議な存在であり、ほんの些細な手順によって一瞬にして真逆の性質へと変貌させる事が可能である。魔力の利便性は電力を遥かに上周る。
我々はこれを用いて炎を生み出したり雨を降らせたり、魔導具(今後触れる予定。)を動かしたりしている。
魔力は命ある者のみに宿る。したがって石や水等の無機物に魔力は無い。
命ある者のみとは語弊があったかもしれない。魔力は生命が死に絶えた後に残る生体鉱物、生き物の一部として存在していた物にも宿る。例として挙げるならば歯や骨、亀の甲羅等の動物の死後形を保って残る事ができる物質達である。
無機物に魔力が宿る事は無く、有機的な物質には多くの場合魔力が宿ると書くのが正しいのだろう。(魔力を無機物に流す事は可能。これについても今後言及予定。)
そもそも魔力とは何なのか、という問いがある。
これについては現在クレオ・カークランド氏が1940年に提唱した魔力生命説が最も有力である。
性質がコロコロと変わる魔力において、どのような状態においても唯一変わらない性質として放置すると時間経過と共に増殖する、という性質がある。
一見無から魔力が湧き出ているかのように見えるが、これは魔力の付近に存在する様々なエネルギー、例えば熱エネルギーや音エネルギー等を一時的に取り込み魔力へと転じさせているのだ。
〝一時的に〟と言った理由については、魔力は体や生体鉱物等の添え木無しには一定以上の量までしか存在を保つことは出来ないからである。
この魔力が増殖する、という性質は我々生命体が食事や光合成を行い成長、つまり細胞分裂を行うという仕組みに非常に似通っている。
加えて魔力は有機物、つまり生命的な物に宿るという性質がある。
これらの要素からカークランド氏は、「魔力とはその性質から推測するに生命の本質である。細胞が分化するように魔力は変質し、その効力を成す。魔力は最も原始的な生命の形である。」と論じた。
ちなみに添え木無しで増殖する魔力は増殖速度を空気中に魔力が霧散する速度が上周り、いずれ消滅する。
【魔力の知覚】
我々は既に魔力の存在を視認、知覚する事が出来ているが、実際の所世界の人々の中でこれを知覚出来ている人間は非常に少数派である。
利便性の上では魔力が上回っているにもかかわらず、未だ魔力ではなく電力が地球の最も重要なエネルギーとして扱われている理由はこれである。
知覚出来ている者達は霊能力者であったりだとか、魔法使い、シャーマン、魔術師等文化圏ごとに様々な呼称で呼ばれている。
しかしながら私の所感では単に魔力が知覚できているのみであり、魔力へと干渉するすべを持たない者を魔法使いや魔術師、等と呼称する事は正しくないように思う。
近年改訂された魔術規定に則り、ここでは魔力の知覚が出来る者を総じて以下、知覚者と記載する。
魔力を知覚できるようになる明確な条件は現時点でも明らかとなって居ないが通説としては
・血筋
・本人の才能
・何らかの生命的危機に瀕した経験
・鍛錬
・知覚者からの助力
等が挙げられている。勿論これ以外にも魔力を知覚できるようになる原因、きっかけは無数に存在する。
1.血筋
これについては身近に多く居る事だろう。両親のどちらか一方が知覚者であるだけでも、そうでない者と比べて知覚できるようになる割合は多い。多くの場合は両親と共に育つので無意識下の内に5番目の「知覚者からの助力」にも該当する事が多い。知覚できるようになる時には単一の理由だけではなく、複合的な要因から成る事が多い。
2.本人の才能
いわゆる〝カンの良い人物〟の多くが当てはまるのがこれである。明確なきっかけが無ければその才が魔力を視認できるまでに至る事は無いが、誰も居ない筈の空間に気配を感じた。声が聞こえた。心霊スポットに行くと体調を崩す、等の現象に遭遇する事が多い。
因みにではあるが心霊現象とされている物の何割かは魔力が原因である。私が過去出会った事例としては〝幽霊トンネル〟として有名であった地方のトンネルが実は構造上魔力が吹き溜まりやすくなっており、そこで炭酸の泡のように生まれては消えてを繰り返していた魔物(魔物についても今後解説)が幽霊として扱われていたという事象がある。
このタイプの人物は一般人に多く、知覚の程度も中途半端である事が多い為に原因も分からず日常生活に苦労する事が多い。
3.何らかの生命的危機に瀕した経験
事故、大病等の一歩間違えれば命を落としていたような経験をした事のある者にも才が開く事がある。通説では死の危機に瀕した時に生存の道を探そうと本能的に眠っていた才能が開いているのだ、と言われている。
4.鍛錬
脳筋と言った所であるが、全く才のない者においても独力での習得は理論上可能ではある。但し非常に時間がかかる割に得られる物が少ない、という事が多々ある。おすすめしない。もしも友人や親戚に知覚者が居るのならばその者の協力を得る方が手っ取り早いだろうと思う。
とはいえ、一旦魔力の輪郭を辿る事が出来るようになった後には皆鍛錬を必要とする。ここでおすすめしめいないのはあくまで0を1にする段階であり、1を2にする鍛錬を非推奨としているわけでは無い事を留意しておいてほしい。
5.知覚者からの助力
もしも血筋も才も無いのであれば最も簡単に魔力を知覚できるようになるのはこれであろう。助力、とあるが特段何かをしてもらう必要は無く、知覚者の人間と暫くの間共に生活する事で魔力の知覚を習得できる事例が多い。原因は不明であるが、習得出来るようになるメカニズムとして予想されているのは、知覚者の立ちふるまいを自然と学習する事により同じものが見えるようになる、であるとか、知覚者の魔力によって眠っていた才が半ば強制的に開かれるであるとかである。今後機会があればこれについても詳しく記載しようかと思う。
因みにだが本校含めて魔術学校の多くが寮制を敷いているのはこの効果を期待しての物でもある、という側面もある。当然寮制である理由はこれのみでは無いが。
【魔力の増やし方 初級】
ここでは魔力の増やし方について解説する。
まずは初級編という事で基礎的な感覚、そもそも魔力が我々の体を巡っているという感覚、イメージを理解する所から始めるのが良いだろう。
理論無しに感覚を掴もうと努力をするのは結果的に遠回りとなるのでおすすめしない。
魔力は細胞に宿る。
成人の体を構成する細胞数は通説ではおよそ60兆個前後存在するとされているが、その細胞一つ一つに魔力が宿っている。
多くの場合新生児や児童が大人に比べて魔力量が劣っているのは体を構成する細胞量の差異によるものだ。
一つの細胞あたりの魔力量は人それぞれであり、基本的に鍛錬を積んだ者の方がより多い魔力量をその身に宿している。
そして、一つの細胞あたりの魔力量は物質的制約を無視する。
どういう事かと言えば、細胞それ自体の大きさに宿ることが出来る魔力量が制限される事は無いという事である。非常に極端な事を言うならば、細胞一つに平均男性の総量程度の魔力が宿る事も可能であると言う事である。
これにより、長期間の間鍛錬を積み続けた者とそうでない者の間には魔力総量の観点において時に何倍、何十倍の差が付くという事象が発生している。
魔力は細胞個々に宿ると記載したが、魔力がより多く宿りやすい部位、経路が存在する。魔力の知覚に手こずった時は下に記載する部位に集中してみると良いかもしれない。
頭頂部から後頚部にかけての直線。
後頚部を前方に回って両方の胸鎖乳突筋から下にかけ、胸骨剣状突起にかけての線。
後頚部を通り脊柱部、仙骨部、尾骨にかけての直線。
ここで紹介したのは最も有名かつ重要な経路である。万が一この経路を損傷した場合魔力操作が非常に行いにくくなるので注意が必要である。
ついでに言えば上記の経路はそもそも人体が生命を維持する上で重要な部位である。魔力どうこう以前にここの損傷は可能な限り避けるべきである。
雑学
先程のカークランド氏が提唱した魔力生命説の根拠の一つとして、魔力が宿りやすい部位の殆どが生命維持上非常に重要な部位である事も論じられている。
一旦魔力がどのように我々の肉体に宿っているのかふんわりと理解した所で、初歩的な魔力量の増加方法をお伝えする。
それはよく食べ、よく寝、よく動く、という事である。
一見小学生に向けたスローガンの様ではあるが、実際の所初級者にとって最も効率良く魔力総量を増加させる事が出来る活動はこれである。
というのも既に記載した〝魔力は生命エネルギーの本質〟という要素から考えるならば、至極真っ当な論であろう。健康的な生活習慣を送る事は生命エネルギーを高める上で最も手軽かつ効率的な行動である。
少なくとも日に8時間は就寝し、三食抜く事なくバランスの取れた食事を摂り、適切な運動量を確保する。
かつては今よりも魔力が身近にあった時代があったにもかかわらず、現代人の多くが魔力を知覚できなくなってしまった理由には生活習慣の乱れも含まれる。
具体的な食事の献立や運動内容等は世間一般に流通する健康関連の書籍に多く記載されている為ここでは省く。
重要なのは健康的な生活を送る事である。
更に言えば最早必需品となったスマートフォンやパソコンと言った類の電化製品も本来体には余り良く無いが、それら一切と関わらずに現代を生き抜くのは困難であろうと思う為、出来るだけ使用量を抑えるよう意識するのが良いだろう。
特に液晶画面のブルーライトカット機能は目の疲労感を軽減させる事に大きく役立つ為、特にこだわりが無いならば機能をオンにする事をおすすめする。
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一旦の所初級者向けに、と意識はしたものの雑記と言った形式でここまで色々と書いてみた。説明が足らぬ部位、適切な表現でない部位は恐らく多々あるではあろうが、今後ある程度記事が溜まったタイミングで纏めて推敲しようと思う。
この記事は一旦誰でも閲覧可能な書架に置いておく。もしも先生方、生徒諸君らの中で訂正であったりだとか、書いてほしい事柄等の要望があればこの紙の下部に記載してもらえると幸いだ。検討の後に対応を行うつもりである。