パーティー
はぁ、と小さなため息が聞こえる。
「エリス、どうかしたのかい?」
ソファの向かいには、刺繍を指す手を止めたエリス。
「ハロルド兄様、どうしても行かなければいけませんか?」
「そうだね、君の父上はそうお考えだよ」
はぁ、とまたため息だ。
僕は丁度読み終わった本を置いた。
「エリス、そんなにため息ばかりだと、幸せの神様だって逃げて行ってしまう」
「兄様には私の気持ちなんてお分かりにならないんです!」
いいや、良く分かっているよ。
君がこんなパーティーにうんざりしている事は、誰よりも分かっている。
「今日のこれが終わったら、僕から話してみようか?」
「ホントに??………でも、無駄ですわ。父様は人の意見なんか聞いてくれませんから」
良くお分かりで。
「じゃぁ、諦めてそろそろ用意した方がいい。僕は図書室にいるから」
エリスは頷いて鏡に向かった。
後のことを侍女に任せて、僕は図書室へ行った。
さっきの後編を棚から取り出す。
しばらくして、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼いたします。旦那様がお呼びでございます」
ドアを開けたのは執事長。
本を棚に戻して書斎に行く。
「ハロルド、エリスの面倒を見てくれてありがとう」
バーランド家の当主は代々武芸に優れ、特に当代のご当主は国で5本の指に入るほどの強者らしい。
が、その若々しい見た目やスマートな振る舞いは優男といっても過言ではなく、そのギャップに世の老若男(!)女は心打ち抜かれる。
が、彼の本心を知る者は、3年前に亡くなった奥方と、今も彼のそばに立つ執事長だけではないかと思っている。
「いえ、私も華やかな所にお供出来るので、楽しんでいます」
くくっ、と喉を鳴らし、ご当主は笑った。
「ハロルド、そんなおべっかは要らない。君がああいった席を嫌っている事は知っているよ」
………そうだ。
この人は何でも知っている。
「では、エリスも嫌っている事もご存知ですか?」
「あぁ、もちろん。だが、あの子は好き嫌いを言える立場ではないからね」
………その通り。
「いきなり相手を連れてきても難癖付けて放り出す事は分かっている。そうならない為のパーティーだよ」
これでも優しい方だと思うんだがね、とご当主は笑う。
『貴族』にとって、釣り合いのとれた相手との結婚は仕事と同じ。
避けては通れない宿命のようなものだ。
顔も見ずに知らない男といきなり結婚をさせるわけではない、とご当主は仰りたいらしい。
エリスは一人娘だから、何処かの貴族の次男か三男か、とにかく婿養子を貰わなければならない。
「ハロルド、今夜のパーティーの本命は、この彼だ。エリスが彼と話すように仕向けて欲しい」
見せられた羊皮紙にある名前を覚え、はい、と頷き、僕は書斎を後にして図書室に戻った。
エリスの手をとり、パーティー会場へ入る。
今日は………内務省関係だったか?
という事は、さっき教えられた彼は大臣の系譜か何かだろう。
バーランド家はなかなかの名門だから。
エリスの相手に関する事は聞かないようにしている。
知っているのは、名前だけ。
入ってすぐに男どもがエリスに群がる。
次々自己紹介してくるそいつらを上手く捌き、エリスに本命とダンスさせるのが僕の役目。
ダンスの後、二人がどうするかまでは面倒見切れない。
毎回、ご当主は本命を僕に教え、僕は任務を全うし、エリスを連れて帰る。
これでもう何回目だろうか?
「エリス、丁度曲が始まったようだ。彼とダンスしておいで」
「はい、兄様」
エリスはきれいな笑顔を残して僕の手を放す。
一瞬だけ、エリスの目に冷たい光が浮かんだのを僕は見逃さなかった。
あぁ、今回もダメか………
この役目を降りたい、と毎回言うのだが、その度に、今回でエリスの相手が決まるから、と押し切られてしまう。
一体ご当主は何をお考えなのだろう?
父方の遠縁、と言えば聞こえはいいが、辿って行くのも困難なほど離れている事は分かっている。
それなのに僕が12の時、両親が天に召されたのを知ったご当主は、僕を引き取り生活の全てをみてくれた。
おかげで暑さに舌を出すことも寒さに震えることもなく、空腹や将来の不安に怯える事もなく、好きな事に打ち込める日々を過ごすことが出来た。
僕は、恩返しがしたくて、7つ下のエリスの遊び相手兼家庭教師を引きうけた。
だが、エリスのお付きまで引き受けた覚えはない。
エリスに婚約者がいない方がおかしい年齢である事は分かっている。
だが、僕が働き始めた後も休みの度に僕を呼び出し、見合いパーティーにエスコートさせるなんて………その方がおかしくないだろうか?
壁際でエリスが踊るのを見る。
会う度に、エリスは少女から女性に変わっていく。
初めて会った時は子どもだったエリスも、もう16歳。
一緒に暮らしていた時には気にしていなかったその美しさも、離れた今ではまぶしいほどだ。
あの手をとってダンスをしてみたい、と思い始めたのはいつ頃からだろう?
会う度に胸が苦しくなっていくのは何故?
会えない時もエリスの事を想うのは?
これが『恋』?
そう気付いたのは何時だっただろう?
呼び出されて苦しい思いをする事は分かっているのに、それでもエリスに会いたい、と来てしまう。
学校始まっての秀才だ、と、もてはやされたこの僕が、こんなにもバカな事をするなんて、と自嘲気味に笑うばかりの日々。
こうなっては一日でも早くエリスの婚約者を決めて、僕がエリスに会えなくなるのを待つしかない、というのに。
曲が終わると、エリスはさっさと僕の所に戻ってきた。
「さぁ、帰りましょう、兄様」
僕に出来るのは、差し出された手をとり、家に連れ帰る事だけだった。
帰るなり、エリスは着替えもせずにご当主の元へ行く。
「父様、あの男、最低です!!」
ノックもせずに書斎のドアを開け、いきなり捲し立てる。
「下品で、礼儀知らずで、過去最高に最悪です!!」
執務机の前まで行くと、バンっと手を突いた。
「おやおや、今日も気に入らなかったのか?」
毎回、エリスはパーティーが終わるとその足で書斎に行く。
父親にその日の男がどんなに酷い者だったか報告する為に。
僕は毎回、それをドアのそばで聞く事になる。
「当たり前です!見た目の拙いのは………目を閉じればいいと思います。でもっ!少なくとも中身はもう少しどうにかならないんですのっ??!!」
ご当主は苦笑を浮かべ、背もたれに体を預けた。
「前回は確か………もう少し見た目のいいのを、その前は賢いのを、その前は………忘れたな」
「今回のは全部ダメです!お話になりません。あの男、ダンス中にずっと何を話していたとお思い?」
「さて………哲学でも語ったかね?」
「SEXの事です!私とベッドインしたらこうする、とかなんとか。あの男の頭の中はどうかしています!!」
………顔を赤らめもせず父親にそんな事を言えるエリスも、どうかしているんじゃなかろうか?
「キスが上手いから試してみろ、なんて、バカにするにも程があります!!」
ご当主は……指を組み、机に頬杖をついた。
「エリス、君は一体何が望みなんだね?今日のは………酷すぎたようだが、過去、様々なタイプを揃えてきたつもりだよ?」
「私の相手は、私が決めます。父様のフィルターなど無しに」
エリスはご当主に挑むように前のめりになった。
もう決めた男がいる、という訳だ。
僕はなんという茶番に付き合わされているんだろう?
「では、その男をここに連れてきなさい。今すぐに、だ。出来ないなら私が決める」
「そんなっ!相手の方の気持ちも分からぬのに、無茶です!せめて明日「ダメだ。これ以上、お前の我ままには付き合いきれん」………」
エリスは、はぁ、とため息をついた。
「分かりました。5分だけお待ち下さい」
エリスはその男に連絡しに行くのだろう。
ドアに向かって歩いて来る。
僕の役目も今日で終わりだ。
エリスはどんな男を連れて来るんだろうか?
「ハロルド兄様、お話があります」
??何だ?
時間がないんじゃないのか?
僕の前に立ったエリスは手を胸の前で組み、僕を見上げた。
「私、ハロルド兄様が好きです。私と結婚して頂けませんか?」
「は?………エリス、こんな時に冗談はいけないよ。お父上がお待ちだ」
「ですから、父の所へ一緒に行って頂きたいんです。私じゃダメですか?兄様にとって私はまだ子どもでしょうか?」
「ぃや…そんな事は………でも私は『貴族』じゃない。『釣り合い』が「そんな事はどうでもよろしいのです。兄様は心に決めた方がおありですか?」………うん」
エリスは、はぁ、とため息を吐き、ご当主に向き直った。
「父様、私、振られてしまいました。もうどんな方でも結構です」
「ちょっと待って!僕が決めてる相手っていうのはっ………」
言ってもいいのか?
ご当主を見る。
彼は面白そうにこっちを見ていた。
あぁ、そうだ。
あの人は何でも知っている。
だからエリスの相手にあんな男達を選んだんだ。
僕はエリスの肩を掴み、向き合わせる。
「エリス、僕が好きなのは、君だ。僕と結婚してくれないだろうか?」
「え?兄様、どうかなさったの?私の事を気遣って下さらなくてもいいんです。どうぞ、その方とお幸せになって下さい」
エリスは僕の話を聞いていない。
落胆したままで、瞳に生気がない。
僕がエリスに同情して言ったと思い込んでしまっているんだ。
小さい頃から思い込みの激しい子ではあった。
だが、こんな時までそんなスキル、発動しないで欲しい。
「だからっ!エリス、話を聞きなさい!僕が結婚したいのは君なんだよ。思い込むと他の意見を聞かなくなるのは変わってないようだね」
エリスの瞳に光が戻ってきた。
「ホントに?間違いじゃありませんの?もし嘘だったら私、立ち直れなくなってしまいます」
「本当だ。だから、君の父上の所に行こう。そろそろ時間だろう?」
「はっ!そうでしたわ!」
エリスは僕の手をとって、ご当主の前に立った。
「父様、この方が私の結婚相手です。賢く、優しく、見目麗しく、私の事を大事にして下さいます」
「ほう、それはそれは、なんとも貴重な方だ。いや、奇特な方、と言った方がいいのかな?」
ご当主は僕に笑顔を向けた。
「何とでも言っていただいて結構ですよ。貴方にはどれほど感謝してもし足りないくらいですから」
ご当主は肩を竦め、席を立った。
「さぁ、忙しくなる。来週にはお披露目のパーティーだ。エリスの成人を待って結婚式を挙げる」
「はい、父様」
「分かりました」
って、エリスの17の誕生日は来月。
忙しい、の度合いが違うんじゃなかろうか?
「ハロルド、仕事は続けなさい。家の事はエリスが把握している。君は立派な教育者になるべきだ」
「………はい、ありがとうございます」
僕の夢が教師だと話したのはもう何年も前の事だというのに、憶えてくれていたのか。
そういえば、卒業した寄宿学校の職を得た時、一番喜んでくれたのもご当主だった。
「あす朝から打ち合わせをする。ハロルド、今夜は泊って行きなさい。部屋は………エリスと一緒でいいね」
「え?僕の部屋は?」
「今から用意させるのもメイド達がかわいそうだろう?さ、おやすみ、エリス。ハロルド」
「おやすみなさい、父様」
「………おやすみなさい」
ご当主に挨拶して、顔を赤らめたエリスと一緒に部屋を出た。
「エリス、君のお父上は何でもお見通しだね」
「しょうがありませんわ。父様は人間観察が趣味ですもの。私の相手もとっくの昔に兄様に決めていらしたんだわ」
「………そうか。パーティーは僕を煽る為のものだったって訳だ」
「私の事もですわ。なんだか掌で遊ばれているような気分。兄様、悔しいと思いになりません?」
「………そうだね」
何を考え付いたのだろう?
エリスの目が輝いている。
「ですから、今夜、私達は同じベッドで休みません。父様の思うようにはなりません!!」
………エリス、それこそが君の父上が望んでいらっしゃる事だと思うよ?
きっと彼はエリスの負けず嫌いを見越して僕達を同じ部屋にしたんだろう。
「兄様には窮屈でしょうから、私がソファで休みます」
「いや、エリスがソファなら僕は床で休まなければならなくなる。お願いだからベッドへ行って」
渋るエリスをバスルームに押し込んで、眠れないだろう、今夜の事を考える。
エリスが出て来る前に休んでしまおう。
とにかく顔を合わせないようにして、寝たふりでもしていなければっ!!
上着を脱いでソファに横になる。
「兄様、もうお休みですか?」
バスルームの戸が開いたので、慌てて目を閉じる。
エリスがそばに来たのだろう、石鹸かシャンプーのいい香りがする。
「兄様、寝たふりなどしないでください。父様の思う通りでもいいですから」
僕は目を開ける。
目の前にエリスの顔があった。
「兄様、私を大事にして下さいますか?」
「うん、約束する。僕の一番大切なものは、いつもエリスだよ」
エリスはにっこり笑って、目を閉じる。
僕は、その少し湿った唇にキスをした。
僕は体を起こし、エリスを抱きあげ、ベッドに向う。
ご当主のお考えはどっちだったのだろうか、と思ったのは翌朝。
僕の腕の中にいるエリスの寝顔を眺めながらだった。