あとがき
□あとがき□
(注 このあとがきはネタバレを含みます)
三月某日、雪の舞う空の下で。
皆さん、こんにちは。著者の積木正法です。
昨年春より続いた『ドーン・ストライド』も早くも最終巻。皆様のご愛顧のおかげで、無事に完結させることができました。心より感謝申し上げます。
ついでに、厳しい言葉の中にも優しさを秘めた巨漢、担当のムーアヘッド氏。そして、華麗なイラストでキャラに命を吹き込んでくれたグレイジョイ先生のお二方にも深く感謝です。見捨てないでいてくれて、ありがとう(笑)
そして、担当さんから『ドーン・ストライド』がインバージョン大賞を受賞したと電話で聞いたときには、驚きのあまりぶっ倒れそうになりました。
審査員の皆様、本当に感謝の念が尽きません。
おや、このままだと謝辞であとがきのスペースがなくなってしまいそう(笑)
でも、一番ありがとうと言いたいのは、読んでくれてるあなたたち、読者の皆様なんですよ! 本当に!
紙数にも限りがありますので、原稿はどこ産のパルプを使ったとか、インク瓶の形はどうとかいう話はとばしましょう。
『ドーン・ストライド』そのものについて語ります。
この巻で最終巻。モレリやシェフィールドたちの戦いも一応はこれで終わり。世界も邪悪意識から救われました。
思えば長い道のりで、私自身、モレリたちとの旅の間、多くを学びました。
とくに四巻後半からの急転直下!
予定とは全然違う結末だったのですよ! まさかイリスに対して、モレリがあんな真似をしてくれるとは! 私も書いていてびっくりでした!
パニくりましたよ、もう(笑)
この辺りからキャラは勝手に動いてくれているといいましょうか、何というか、目に見えない力が物語を収束させようとしている? なんて風に思えるぐらいでしたね。
それでも、無事書き終えることができて胸を撫で下ろしています。
この他にも些末な問題はいくらでもありましたが、そんなときに私を救ってくれたのが、皆さんの送ってくれたファンレターの数々です。
皆さんの一つ一つの励ましの言葉が、私をさらに一歩、一歩と進める活力となったのです。
ネット、紙かかわらず、私にファンレターを送ってくれた皆さん、本当にありがとう。全てのファンレターに目を通し、勇気を得ました。
ファンレターを送ってくれた人々は他にも重大な役割を担っていました。
私はここで作品の断層図を記すつもりはありません。それは批評家の方々が永遠にやってくれます。
しかし、このことを私は記していかねばなりません。
読者の方々も知っておかねばならないのです。
執筆のときに、何よりも重要なのは『選別』です。
選別を他にすれば、執筆という作業は文字を並べることに過ぎません。
物語のありとあらゆる場所は著者の選別を必要とするのです。
この道をモレリたちは右に行くべきか、左に行くべきか。
この問いに対してモレリは然りと言うべきか、否と言うべきか。
一つの分岐の選択が、物語を左右する可能性を秘めています。著者はこの選別に持てる力全てを投入するのです。
物書きの最もデリケートな作業が、この選別なのです。
ちなみにこの選別という単語は量子物理学の単語のはずです。学者のボブだかキムだかが、俗人には理解不能な現象を表現するために作ったそうです。
しかし、この言葉を初めて見たとき、私の体を電撃が走ったのです。
これは学者の動きを表す言葉ではない。電話交換手の言葉でも、デパート店員の言葉でもない。
これは、作家のための言葉だ。私は瞬時に確信しました。
以降、選別は私の執筆作業の基準となりました。
この選別は、作家だけがやるものではないのですよ。
読者である皆さんも、『ドーン・ストライド』を含め、あらゆるものを読むときに、心の中でビジョンを生成し、独自の解釈を行っているはずです。
選別は全ての人が行う、包括的な精神の動作といえます。
ときに、読者の皆さんの選別は、二次創作として世の中に現れるのです。
選別という概念を分かってくれましたね?
加えますと、ファンレターを送ってくれたあなたは、あるい意味、私の執筆作業に参加しているのですよ。
ファンレターには多くの言葉がありました。
「~の結末はよかった」
「~はこうするべきではなかったのか?」
「~のキャラをこうしてくれ」
「~のキャラを死なせないでくれ」
様々な言葉でした。
遠回しな勧めから、半ば脅迫にまで近い言葉まで、多くのメッセージが私の元に届けられたのです。
これから私は影響を受けました。
そして、私は考えます。
読者を喜ばすために、連載前から作っておいた予定を動かすことはできないか?
読者の提案に従った方が、より物語はよくなるのではないか?
私はファンレターを見るたびに考え、悩み、時には物語を分岐させることさえしました。
一つは予定に従った物語。一つは読者の提案に従って筆を進めてみた物語。
こうして二つの結末の物語が産まれていきました。
しかし、分岐したとしても、私が発表することが許された『ドーン・ストライド』は一つだけです。私は分岐した物語を選別して、一方のみを残さねばならないのです。
選別の結果、二通りのキャラの行動は一方をなかったものとして消されます。もう一方の選択のみが残り、読者は初めからキャラはそうするものだったと、認識するのです。
私が書いた物をあなたが読むまでに、この重大なプロセスが挟まれたということを、知ってください。
この選別。何かを想起しませんか?
現実世界にこの選別に当たるものは、存在しないのですよ。
例え過去の物事を、選別しようとあれこれ考えたとしても、過去に戻ることはできません。未来を知ることもできません。
それはナンセンスな後悔でしかありません。
私たちは自分たちを選別できない生き物なのです。
しかし、そんな私たちにも選別を許された存在があります。
それは自分の小説の中の、被造物たちです。
小説家が小説の登場人物を、客観的に説明する際に、少し皮肉を込めて『神の視点』と言いますよね。
しかし、この選別に言及すると、小説家は神の視点のみならず、ある種の神の力を得ることになるのです。
小説家は選別を操り、キャラを操ります。
私たち自身は、自分の選別を操作できません。
なぜなら、それは自分より上位の存在が操作することを許されたことだからです。
この上位の存在を、世では神と表現しています。
小説家は神の幼稚な真似を楽しむ生き物なのです。
しかし、全身全霊で神の真似をすることが『ドーン・ストライド』を少しでもよくするのであれば。
私は喜んで神を演じます。
こうして、私は神の力を手に、『ドーン・ストライド』を書き進めていきます。
分岐した物語を選別で一つにまとめていきます。
しかし、あなたには想像できるでしょうか?
この行為は多大な苦痛を伴ったのです。分岐した物語は多くの場合、優劣つけがたいものでした。
連載は続き、『ドーン・ストライド』は好評を博し、ファンレターは増え、そこに書かれた言葉も増えました。
私は苦しんだのです。
やはり天地の創造は神の仕事。これは分を越えた私への応報でした。
当時のことを思うと、今でも胸が苦しくなります。
あとがきを書いていてさえ、私はペンを投げ捨てたい衝動に襲われます。
しかし、私はペンにしがみつくのです。
ちなみに、私は執筆にパソコンを利用していません。それは部屋の隅に鎮座していますが、物を書くときには出番がないのです。
ペンで書くのが、やはり、入魂といいましょうか、小説という分野と正しく向き合えるように思えるのです。そして、そのことが私をいっそう『ドーン・ストライド』の世界に近づけます。
……いや。
……もしかしたら、一方で私はパソコンを恐れていたのかもしれません。パソコンに潜む力を。
パソコンを介して、ネット世界により濃密に接続される時。私が感じるのです。まるで、自分にもう一度、へその緒をつけられたかのように。
その利便さを否定するつもりはありませんが、しかし……話がそれてしまいました。
とにかく、私はパソコンの向こうの、あまりに活気に満ち、あまりに猥雑なネット世界を恐れ、それに『ドーン・ストライド』が汚染されるのを避けたのです。
でも……いま思えば、それも無意味だったかもしれません。
人間の生み出す、意識と影響力のネットワークは、文字通り、あまねく存在するのですから。
『ドーン・ストライド』を完結したことが私に作用して、世界はよりはっきりと見えてきたように思えます。
皆さんの中にもこのエピソードを知っている方が多いと思いますが、もう五十八年も昔のことになります。サンタグールの片田舎で、ピーター・チャルマンという作家が一つの物語を作りました。
そして、彼は偏執的な作家でした。彼は物語が、読者によって選別されることを極度に恐れたのです。
彼は決して互いに会うことはないだろう、と思った少数の人間に、一回だけその物語を読ませたと言われています。
物語の純粋さを守るため。彼はそう言い残しています。
確かに、こうすれば、読者たちの心の中で選別が行われることはありません。先に誰かからその物語のことを聞いて、勝手に予想し、先入観を作り上げてから、いざじっくり実物を拝見、ということができないのです。
全ての読者は『純粋』な状態のピーター・チャルマンのメッセージを読まざるを得ません。
連載を終え、大胆になった私は一言で言えます。
臆病の極地、だと。
読者に選別を許さないことに腐心してどうしたいのでしょう? 反吐の出そうな臆病さです。
そんなものなら物語の発表をやめてしまえ、と強く思います。
ただ、一方で発表をしない物書きに存在する意味はありません。
私もピーター・チャルマンや他の全ての著者同様、自身の集大成『ドーン・ストライド』に至高の単一性を望んでいます。
しかし、著作を自分の中に閉じ込める行為に発展可能な余地は知られていません。せいぜい退屈で無邪気な自己満足と言った所でしょうか。
私は『ドーン・ストライド』で違う手法をとりました。
ピーター・チャルマンの真似をして、自分の物語を守るのは容易い方法でしょう。読者の選別に物語を汚される心配も、無慈悲な批判の目にさらされることもないのですから。
ところが、唐突なインスピレーションを経た後、私は決心しました。
私は徹底的に、読者の選別に『ドーン・ストライド』をゆだねたのです。
私は無数の読者からのメッセージから影響を受け続けました。
読者も、容易に著者に影響を与えて、物語を自分の望む形へと動かしていける、自分は読者という立場を超越できる、と察したのでしょうか、ますます多くのメッセージが私を襲います。
同時に当然、私も大量の情報を外へ向けて送り続けていました。すなわち、連載は続き、モレリたちは前進し続けたのです。
『ドーン・ストライド』の産んだ、影響力の奔流でした。
『ドーン・ストライド』は私を介して、現実世界との双方向性、隣接性を得たのです。
私の作品に触れた全ての知性は、それに影響を受けるのです!
直接読んで、感動を覚える読者もいるでしょう。
あるいは不思議な角度から『ドーン・ストライド』を読んで、私の意図しなかったことを学んだ読者もいるはずです。意外ではありません。人間は羊の臓物から天気を予言する生き物なのですから。
そして、当然のようにつきまとう、妬みとねじれた噂。
『ドーン・ストライド』の売れ行きが作る、金の渦。
『ドーン・ストライド』が産んだ影響。それは世の中の全ての要素同様、予測できないことがぎっしりつまっていました。
そして、すべての要素は、選別へと迫ってくるのです。
私がやるべきことは、分岐と、選別だけでした。
私は迫ってきた情報量に驚き、それでも『ドーン・ストライド』を分岐させていきます。
読者からの言葉は一蹴するには重すぎたのです。
物語は分岐し、分岐し、分岐し、複雑極める形に育っていきます。
そして、締め切りが近づくと、のたうち回りながらその選別を行うのです。
一体、なんという苦しみだったの日々だったのでしょう。
連載は、もはや地獄そのものでした。
選別という、『神の力』を行使することが、私自身をこうも消耗したのです。
被造物たる我らには、連続した選別で、完全な物語を作ることは許されないのでしょうか。そう疑いたくなるほどの困苦でした。
一時などは、その苦しみから逃げることばかりが私の頭を占めました。
しかし、私は逃げませんでした。
私にもプライドがありました。
苦労の末に勝ち取った、プロの作家の座。
それを失ってなるものか、と『ドーン・ストライド』にかじりついたのです。
苦しみは続きました。
いまなお、あの苦しみを表す舌も文字も、私は持っていません。
当時の私の前に積まれたファンレターの山。その影が私を押し潰さんばかりでした。
民主主義を重んじるのなら、届けられた全ての情報の統計をとり、モレリたちの進路を決めたでしょう。
しかし、悲しいかな、民主主義には根本的な欠点がありますし、『ドーン・ストライド』をそんなものに託すことはできません。
神の役は私がやるしかなかったのです。
連載は続き、ついには賞までも受賞しました。そのようなものを頂戴する名誉にふさわしいのかどうかはさっぱり分かりません。
しかし、結局、この賞も、選別のために私へ届けられた情報の一つに過ぎないのでは?
少なくとも、受賞は私を驚かせ、私の選別に影響を与えました。
そうです。
この賞も選別のための道具だったのです。
無限の選別のはざまで、私は選別そのものの意味を掴み始めていました。
他にも無数の選別待機者が私を待っていました。
当然でしょう。
私は『ドーン・ストライド』への唯一の窓であり、唯一のインターフェースなのですから!
選別。選別。選別。
いまや私は選別の機械となりました。
選別を通して、世界を知覚しました。
このために、私は他の全ての作業を止めました。
これは試練の一つなのでしょうか?
それとも。
これが。
これが、神なのでしょうか?
神とは、世界を作るための機械、物語を作るためのワードプロセッサーでしかないのでしょうか?
この作業は私が抱いていたような、壮大なものとは、あまりにかけ離れていたのです。
この苦しみ。
私にここまで血反吐を吐きながら、選別を続けさせたのは愛です。
選別をすればするほど、私は愛に染まっていきました。
選別を果てしなく続けながら、私は『ドーン・ストライド』を愛しました。
モレリやシェフィールド、そして全てのキャラを愛しました。
『ドーン・ストライド』という世界を愛しました。
私と私の属する現実世界を忘れ、『ドーン・ストライド』に愛を注いだのです。そうせずに十分な選別を行う手なんてありませんでした。
私が彼らの全てを作ったのです。
彼らを愛さないわけがないじゃないですか!
私の愛は、他のいかなる作家にも負けません。私の愛し方が、親が子を愛するそれに負けているとは決して言わせません! それどころか、これは人間関係の一側面や性的なそれを、完全に凌駕した愛なのです!
そうです。
この愛は、造物者が被造物へと向けた愛なのです。
いまや選別を行うことは身を斬るような苦痛を伴いました。愛するがために、選別でキャラの行動や出来事をなかったものとして消去する苦痛です。造物者の苦痛です。
選別の苦しみの中で、私は理解します。
もし人間を作った神というものが存在するなら、彼らが人間を愛さなかったはずはないのだ、と。
連載が続く中、私の正気は失われていったのかもしれませんが、そんなこと気にはなりませんでした。
私はただ、全てを愛で、選別し、物語は続きました。
唯一の光は、物語には終わりがあるという事実でした。
作家は哲学者ではありません。
物語は終わりなき周航ではなく、いつしか終わるもの。
そう、モレリたちは成長し、いつの日か悪を打ち倒すのです。ここに偶然的不確かさはありません。
しかし、その道筋のなんと険しいことでしょう。
私はモレリたちへの愛のためにも、『ドーン・ストライド』を完結へと導きます。
完結。
それにたどり着くことが、彼らの幸せへ直結すると考えたのです。
完結さえすれば、彼らはもう選別にさらされ続けることもない。
そのために、私は選別し、選別し、選別し、また選別しました。
その下で、モレリたちは冒険を続け、戦い、笑い、そして泣きました。
私の努力と比べて、彼らの冒険のなんと小さなことか!
それでも、彼らへの私の愛が減じることはなかったのです。
選別の作業を他の者の手にゆだねるという考えは、一度たりとも浮かびませんでした。
無数に集まる選別待機者を選別するのは私。
これは誰にも模倣させません。
『ドーン・ストライド』は私のものなのです!
誰にも渡しません!
物語は進みました。
『ドーン・ストライド』の本は売れ、私は賞をとり、インタビューを受け、人は私を褒めそやしました。
そして、それら全てが選別を待つ情報として、私を取り巻くのです!
全ては選別です!
全ての音は選別を待つものとして、私の耳に届きます!
私は全身全霊で選別し続け、『ドーン・ストライド』の世界の全ての分岐が選別されました。
一つの石、一枚の葉、一ひらの雪までも。




