想い出のボロアパート 1
昨日のお話にちらっと出てきた、ボロアパートのお話です。社会の最底辺のお話ですが、私にとっては大事な想い出です。
そのアパートに引っ越す前は、豪華な暮らしをしていました。エリートサラリーマンの夫(一人目の夫)のおかげで、豪華なマンションに住んでいました。外車を乗り回し、いつも外食。贅沢三昧の主婦をしていました。子どもはいないので、ずうっと自由時間です。
夫は素晴らしい方でしたが、ワガママな私は離婚したくて家を飛び出しました。まさに「恩を仇で返す」です。もしそんな友人がそばにいたら「地獄に堕ちろ!」と思います。……最底辺まで堕ちたので、許してください。
知り合いの知り合いがアパートの大家さんだったので、そのアパートへ下見に行きました。急いでいたので、真夜中の下見です。夜で暗いにも関わらず、一目で古いアパートだとわかります。それは住宅街の中にありました。前後を別のアパートに挟まれた、ボロアパートです。一階と二階の部屋が空いているというので、両方の部屋を見せてもらうことにしました。一階の部屋は、建物の端っこです。四畳半一間。めっちゃせまい! 押し入れは、申し訳程度のもの。お布団を入れたら、それだけでいっぱいです。他の物を入れる場所がない……。
せまい部屋なので、お風呂の入り口はすぐわかりました。でもトイレのドアがない。トイレはどこにあるんだろう? と思いながらお風呂場の扉を開けると、洗い場にトイレがはえていました……。
お風呂とトイレが一緒……。しかも浴槽は、見たこともない小さな浴槽です。しかも、台形。入れるのか??
風呂とトイレにショックを受けながら、見学を続けます。畳の部屋に一つしかない小さな窓を開けたら、目の前に墓地が広がっていました。
「………」
さすがに墓地は………。二階の部屋を見せてもらうことにします。きっと墓地とはちがう眺めが見えるはず! 部屋の間取りは同じです。四畳半一間。期待しながら小さな窓を開けると、目の前は壁でした。隣のアパートの壁が……。壁までの距離は、30センチ。手が届く……。そして光も風も、通らない……。
墓地か、真っ暗な部屋か? 選択を迫られます。墓地はムリだと思ったけど、真っ暗な部屋よりマシな気がする……。じゃあ、墓地の見える部屋で……と言うと、大家さんが無言で首を振りました。理由は言わないが、強い意志を感じる。じゃあ、真っ暗な部屋にしときます……。
後で知ったのですがその部屋、住人が次から次へとお亡くなりになる、縁起の悪い部屋だったそうです。いったい何があったんだ??
部屋は決めたので、後は契約です。大家さんから不動産屋さんを紹介されました。「後は不動産屋さんとやり取りしてください。私は今後、一切関知しません」。なんだか不穏な言葉を残して、大家さんは去っていきました。
不動産屋さんと契約手続きをします。お店に行ってアパート名を告げると、「え!?」と驚かれました。なんで驚くかね?
「〇〇アパートですか? あそこに住むのですか?」 はい、そうです。だから契約を。
「あそこは……。治安が……」 もう決めたので。市内で一番安い所に住みたいので。
「たしかに家賃は安いですが……。本気ですか?」 本気です。
「それならこの書類に、署名をお願いします」
それは「何があっても、文句は言いません」という誓約書でした。わざわざ書類を書かせるなんて、いったいどんなアパートやねん!?
意味不明な心配をされながら契約手続きを終え、引っ越すことになりました。引っ越す前にご挨拶をと考えて、上下左右の部屋に挨拶に行きましたが、どこもお留守です。家出なので、部屋は恐ろしく狭いので、荷物はほとんどありません。さっさと作業を終わらせて、私は住人になりました。
再びご挨拶に伺ったものの、どなたもお留守です。みんな、どこに行ってるんだろう?
洗濯機は、廊下に2台あるコインランドリー(1回百円)を20軒が共用(!)で使うことになっていました。私はお風呂場で洗濯をするつもりだったので、困ることはナイと思っていました。甘かったです。すぐにすごく困る羽目になりました。洗濯洗剤を使って手洗いすると、肌が荒れるのです! イタイし、かゆい! たまになら平気なのでしょうけれど、まいにち洗濯洗剤を触っていると、肌が荒れる! 大物は浴槽に湯をためて足で踏んで洗っていたのですが、順調に足も荒れる!
素晴らしい洗浄力は、強い薬剤の賜物だったと、身をもって知ることになります。
さらに洗濯物を干す場所がない!! 下着などは室内に干して、バスタオルなどはアパートの共用廊下の手すり(!)に外干します! 今まで贅沢な暮らしをしていましたから、共用部分に洗濯物を干すなんて、生まれて初めて! みんな、私の洗濯物を見て!
「せっかく洗ったのに、汚れちゃうわ!」と、神経質に手すりを何度も拭いてから干していましたが、3日で慣れました! 拭かずに、干す! 適応力は、バツグンです!
そしてお風呂です。洗い場に、洋式トイレがあるお風呂。最初は衝撃でしたが、すぐに慣れました。だってお風呂に入ったついでに、トイレ掃除もできる! 常に洗いたての清潔なトイレです!
トイレはイイのですが、浴槽は困りました。当時はガリガリに痩せていた私が入るにしても、苦労する小さな浴槽です。台形なので、入ると身動きできません。ふくよかな方は、入れないと思う。浴槽に入ったら、身じろぎ一つせずじっとする。手足を伸ばすなんて、夢のまた夢です。
後で知ったのですがこのアパート、最初は寮として建てられたらしい。だからお風呂も洗濯もトイレも共有で、部屋は寝るためだけの部屋だったらしい。そこに後付けで風呂やトイレを付けたので、おかしな事態になったらしい。さらに洗濯機を入れるスペースは、なかったらしい。
住人の皆様に会わないまま暮らし始めたのですが、すぐに顔を合わせることになります。洗剤で肌荒れして、コインランドリーを使うことにしたからです。「知らない方と洗濯機の共用なんて、やだわ」と思う方もいるでしょうけれど、私も思わないでもナイのですが、背に腹は代えられないです。おそるおそる、ランドリーデビューをしました。一応、下着などはお風呂で手洗いです。
住んでいる方は、中年から高齢のおいちゃんばかりでした。女性は、私だけ。あとは全部、おいちゃん。生活保護か、日雇いの仕事の方ばかりで、会社員は私だけ。私がご挨拶に伺ったのは、晴れた日でした。晴れた日は、現場にお仕事にいくらしい。どうりで誰もいなかったワケだ。
当時は、9~22時すぎまでの仕事をしていました。廊下で会えばご挨拶しますが、それ以外に顔を合わせることはない。雨だと現場が休みなので、朝からおいちゃんたちは酒盛りをして大騒ぎしていますが、私は仕事です。
ある朝、出勤するためドアに鍵をかけていると、一人のおいちゃんが通りがかりました。見た目はめっちゃ怖いです。ヤ〇ザみたい。私が挨拶すると、おいちゃんは話しかけてきました。
「おまえよ……」 いきなりお前呼ばわりも衝撃ですが、治安は悪いと聞いていたので、こんなものなのでしょう。
「なんですか?」
「おまえ、どこの店や?」 「え? 店?」 私は当時、塾の事務員でしたから、お店と訊かれても意味がわからない。
「おまえ今、店から帰ってきたんやろう? どこの店や? 今度、呑みに行ってやる!」
そうなのです! おいちゃんは出勤する私を、朝帰りとカン違いしたのです! 朝帰りのお仕事なら、夜の仕事だろうと。だから今度、呑みに行ってやると!!
「事務員です! 塾の事務員です!」
「ウソつけ! どこの店や!?」 なんで私が、ウソをつかないといけないのですかっ!?
と言う風に交流が始まりまして、コインランドリーの前で顔を合わせると、雑談もするようになりました。他の方から「愛人として囲われてるんじゃないのか?」と訊かれても「こんな安いボロアパートにしか囲えんヤツと、愛人契約するワケないですやん! 愛人ちゃいますよ!」と反論できるようにもなりました。ww
ある日、私は急いでいました。雪の降る寒い朝です。日曜日で世間様はお休みですが、私は仕事。仕事に行く前にお洗濯をして干してから出勤しないと、洗濯物が乾かない! コインランドリーの廊下には、洗濯物が順番で並んでいます。廊下に直置きもどうかと思いますが、皆さん気にしてない。お洗濯をしたい人が洗濯物を置いて順番を取って、前の人が終わったら次の人が洗濯する。ところが洗濯機の一台が壊れてしまって、残りの一台を20軒で使わないといけない。順番を待っていたら、遅刻する。でもお洗濯しないと、後で困る……。
洗濯物を持って途方に暮れている私の後ろから、おいちゃんがやってきました。
「おまえ、洗濯待ってんのか?」
「はい。でもだいぶ後になりそうです……」
「これから、仕事か?」
「そうです」
話していると、また別のおいちゃんが来ました。なんせおいちゃんは19人いますから、おいちゃんばっかりです。2人のおいちゃんが話し始めました。
「コイツ、今から仕事やねん」 大丈夫です。コイツ呼ばわりにも、すぐ慣れました。
「そうか。偉いな!」
「でも洗濯の順番が、来ぃひんねん」
「よっしゃ! 抜かせ! 順番抜かせ!」
他のおいちゃんたちも、数人来ます。5人くらいで「ねえちゃん、先に洗濯しいや! 文句言うヤツおったら、おっちゃんがちゃんと言うたる!」 たぶん、言わない。言わずに実力行使。ww
「そやそや! 仕事に遅れる! さっさとしいや!」
言葉は荒っぽいですが、すごく優しい(涙)。ありがたく順番をすっ飛ばして、お洗濯させてもらいました。ありがとう! おいちゃんたち! 私も順番を抜かさせてもらっているのですから、朝ビュッフェで抜かされたくらいで、怒ってはいけませんね……。反省。
洗濯といえば、別の日においちゃんに何気なく「今日は晴れますか?」と聞きました。
「おう! 今日は晴れや!」 「それなら今日は、廊下の手すりに干そうっと!」 私は大量の洗濯物(下着とかは、室内です)を、外に干して仕事に行きました。 午後から雨が降り出しました。
「あああ、雨が……! 洗濯物が濡れちゃうわ!」 でも仕事中なので、帰るワケにもいきません。
帰宅したのは、夜中です。ションボリして濡れた洗濯物を回収しようとすると、キレイに畳まれた洗濯物が、濡れない場所に置かれていました。
「えっっっ!?」
数日後、おいちゃんに会ったので「この間、洗濯物を取り入れてくださいました?」
「おう! 入れたで!」 「すごいキレイに畳んでくださって……。ありがとうございます」
おいちゃんは褒められ慣れてないようで、日に焼けた黒い顔を真っ赤にしました。
「なんでか言うとな!」 「はい?」 「なんで畳んだか言うとな! オレが晴れる言うたからや!」
おじさま、ご自分が晴れると言ったせいで私の洗濯物が濡れるのに責任を感じて、わざわざ取り入れてくださったらしい……。 すごくすごくキレイに畳んでくださっていたのは、私に気をつかってだと思います。ご自分の物なら、あんなにキレイにしないと思う。本当に、ありがとうございます!
お酒に酔って大騒ぎ、たまに大ゲンカするおいちゃんたちでしたが、私にはすごく優しかったです。いつも「困ってないか?」 「大丈夫か?」と、我が娘のように心配してくれていました。
そんなおいちゃんたちに、何か恩返しをしたい……。
私は恩返しする機会を、虎視眈々と狙っていました。
そんなある日……。
(まさかの続く。自分でも、ビックリ!です!)