たった一つの、善い行い。
生まれて初めて書いた小説が本になり、漫画化されたソウマチです。
気づけば作家になっていました。どんだけ運が強いねん!?と、自分でも思います。
たぶん私は前世で、とんでもない善行をしたのでしょう。前世の私は、全人類を救ったんじゃないか? そのおかげで、現世で幸せになっている。前世の私、ありがとう!!
現世の私は本や漫画化だけでなく、ものすごく運に恵まれています。困ったことがあると、不思議と誰かが助けてくれる。「ありがとうございます! この御恩は、来世でお返しします!」というのが、私の口グセ。今の私が受けた恩は、来世の私が返してくれるでしょう。来世の私、がんばれ!!
前世の私に助けられ、来世の私に頑張ってもらう私ですが、現世で一回だけ善い行いをしました!
今日は、そのお話を……。
私の実家は、私が家を出た後に引っ越しました。私が知らない土地で、たまに訪問するだけの場所ですから、実家という感覚は薄い。ご近所の方が私を見ても「だれ??」という顔をなさいます。数年に一度帰っても、泊まることはありません。馴染みのない実家より、ホテルのほうが落ち着く。
そんな実家を訪問した時のこと。その時の滞在予定時間は、2時間でした。おじゃましてお仏壇を拝んで、ちょっとお茶を飲んだら家族と食事に出かける予定。
母がお茶を準備してくれるというので仏間でボーっとしていたら、家の前に車のとまる音が聞こえました。実家は住宅街にありますから、他のおうちの車でしょう。停車はしたが、エンジン音はそのままです。車のドアの開閉音がしたので、誰かが乗るか降りるかしたのでしょう。私は気にもとめず、ボーっとしていました。すると「ボゴツンっ!」と、聞いたことのない音がした。重いような鈍いような、大きな音です。
「何の音かしら?」と思って耳をすませても、車のエンジン音しか聞こえません。
「どこかで誰かが、何かを落としたのかしら?」 そう思いました。
そのままボーっとしていると「助けて!」と男性の悲鳴が聞こえた。何事かと思って窓から見ると、制服を着た中年男性が私を見つけて「助けてください!」と言いながら、走り寄ってきました。
その両手は、真っ赤です。どう見ても、血………!!!
「そこのお宅で、お客様を降ろしたんです! お客様が石段をのぼっていたら、転倒なさって!」
あわてて飛び出すと、タクシーが停車した家の前に、高齢の男性が仰向けで倒れています。目は閉じていて、顔は真っ青です。頭から流れた出た血は大理石を濡らして、静かに広がっています。
さっき聞いた音は、おじいさんが石段に頭を打ち付けた音だったのです!
血だまりが広がる速さを見て、マズイと思いました。頭を強打して出血、これは一刻を争う!
手を濡らしたまま立ち尽くしているタクシーの運転手さんに、指示を出します。
「家に私の母がいます! 母にスマホで、119番通報させてください! そしてスマホを持ったまま、すぐここに来るよう言ってください!」
母のところへ走る運転手さんの背中に、声をぶつけます。
「すぐに手を洗ってください! 血液を洗い流してください!」 遅いかもしれませんが、血液感染のリスクは避けたい!
私は着ていた上着を脱ぐと、おじいさんの頭の下に敷きます。堅い石段に寝かせておくのは気の毒ですが、頭のケガなので動かすわけにはいきません。
「大丈夫ですかっっっ!?」
大丈夫じゃないのは百も承知ですが、意識があるか確認しないと!
「………」 返事はナイですが、わずかに動いた! 弱いながらも、脈があります!
母がスマホを持って、家から飛び出してきました。倒れているおじいさんを見て、ショックで固まります。
「スマホ! 私に貸して! もしもし!? 救急です! おじいさんが家の石段の角で、頭を強く打って倒れています! お返事はありませんが、呼吸はしています! 頭から血が出ています! 」
母にスマホを突っ返します。「住所とか名前聞かれるから、答えて!!」
私は自分の実家の住所も、おじいさんの名前も知りません。その辺は、母に任せる!
「聞こえますか!? 聞こえたら、目を開けてください!」
おじいさんの手を握って、声を掛けます。本当は頭のキズを押さえて止血するべきですが、ごめんなさい! 素手で血を触って血液感染する勇気は、私にはありません!
電話を終えた母に大声で言います。「タオルと毛布を持ってきて! たくさん!」
おじいさんが、目を開けました。けれども何も見ないまま、すぐに閉じた。
「いま救急車が来ます! 痛いでしょうけど、我慢してくださいね!」
手を洗った運転手さんが、戻ってきました。倒れているおじいさんの顔も真っ青ですが、運転手さんもショックで真っ青です。どうしたらいいかわからないようで、突っ立ったままです。
「運転手さんは、このおじいさんと知り合いですか?」
「お得意様です。奥様は亡くなられて、お一人暮らしです。いつも病院の送迎をしています……」
「今日は調子が悪くて、病院に行かれたのですか?」
「ちがいます。いつもの薬をもらいに行くと……」
「後で今日のようすとか、既往歴やご家族のこととか、救急隊員の方に色々と訊かれると思います」
「たしか本社は、緊急連絡先を訊いていたはずです。すぐ確認します!」
できることが見つかったので、運転手さんはほっとしたようすです。スマホを取り出して、話し始めました。
お一人暮らしか……。どうりで誰も出てこないわけだ。
母が持ってきてくれたタオルをおじいさんの頭に敷いて、毛布をかけて保温します。
これ以上は何もできないですが、話をして気を紛らわせるくらいはして差し上げたい。手を握って、声を掛けます。
「寒いのに、すみません。頭をケガしていらっしゃるので、動かすことができないのです。痛いでしょうけれど、我慢なさってくださいね。もうすぐ救急車が来ますから」
おじいさんが力を振り絞って、目を開けました。やっと焦点が定まって、私の顔を見つめます。私も目を合わせて、励まします。
「すぐに救急車が来ますから、もう少しですよ」
おじいさんは私の顔を、じっと見ます。何か言いたそうですが、言葉が出てこない。
「無理なさらないでください。 ケガが治ってから、ゆっくりお話しましょう」
その言葉で安心したのか、おじいさんは目を閉じました。そして私が握っていた手の下からご自分の手をゆっくり引き出すと、私の手の上に重ねてきました。おじいさんの手が、私の手を撫でます。
「っっっ!?」
見ていた母も、驚いています。私だって、ビックリです。
おじいさん……。 今すぐ死ぬかもしれないおじいさんに、とても失礼な言い方になりますが、その手つき、エロいです………。
サワサワサワ……、私の手が撫でられます。まるで手だけが、独立して生きているような動きです。
頭から血を流して顔は真っ青、身動き一つできないのに、手だけがサワサワと動きます。
「………」
普段なら、確実に振り払います。私の許し無しに、勝手に手を触られたくありません。でも、この時だけは我慢しました。
「だって、死ぬかも………」
死ぬかもしれないおじいさんが、私の手を触りたいと思うのなら、ここは私が我慢をして………。
おじいさんの手は、救急車で到着した隊員が私を押しのけるまで、ずっと動いていました。
救急車と入れ違いに買い物から帰ってきたサユリ義姉さん(仮名・私の兄の配偶者)が話を聞いて、盛大に私をねぎらってくれました。
「救急対応してくれたの!? 怖かったでしょう!? よく頑張ったね!」
お義姉さん、ありがとうございます(涙)。めっちゃ怖かったです(涙)。私よりずっと大人が二人もいるのに、二人ともフリーズしているのですもの(涙)。私、めっちゃ頑張りました! 怖かったけど、頑張りました!
おじいさんはICUに入ったまま、10日後に亡くなられたそうです。
私はすでに滋賀に帰っていたので、自分の部屋で訃報を聞きました。
おじいさんはご家族に「とても親切にしてもらった。すごく嬉しかった。くれぐれもお礼を伝えてほしい……」と何度も言いながら、帰らぬ旅に旅立たれたそうです。おじいさんの死後、感謝を伝えにご遺族が、わざわざ母を訪ねて来てくださいました。
「亡父はとても感謝していました。私どもも、心から感謝しています。本当に、ありがとうございました」
おじいさんの喜んでくださった「親切」が、迅速な救急対応だったのか、それとも「おさわり放題」だったのか、今となってはわかりません。でもたぶん、おさわりのほうだと思います。実はおじいさん、お若い頃はかなりモテモテだったそうです。そしてかなりの「女好き」だったらしい……。私も一応「女」ですから、おじいさんのお気に召したのでしょう。どっちにしても! 喜んでくださったのなら、私は光栄です!
ご本人が「すごく嬉しかった」と言ってくださるのですから、善い行いをしたのは間違いない!
私が生きている間にした「たった一つの善い行い」です! 他には何も、しておらん! でも最後の最後まで感謝してくださったのなら、素晴らしく善い行いだ!!
ただ一つだけ、残念なことがあります。
おじいさんが感謝してくださったのは、事実です。
「とても親切にしてもらった。すごく嬉しかった。くれぐれもお礼を伝えてほしい……」
そう何度も言いながら、帰らぬ旅に旅立たれた。それは、事実。
でもこの後に、続く言葉がありまして………。
「とても親切にしてもらった。すごく嬉しかった。くれぐれもお礼を伝えてほしい……サユリさんに………」
おじいさん! 間違ってますから!! おじいさんが手をサワサワしたの、サユリさんじゃなくて、私ですからっっっ!!!!!!
たった一度の善い行いだったのに、サユリお義姉さんだと思われてしまった! っつーことは、アレですか!? 私まだ、一つも善いことしてナイってコトになるんですかっっっ!?
これは、ノーカウントですかっっっ!? ダメですかっっっ!?
生きてるうちに、もう一つくらい善いことします………。