よくあるタイプではないのかも。
色々あったことを思い出しつつ、ちょっと改変して書いています。
昭和の中程が過ぎたトイレットペーパーを買い漁る人々が溢れんばかりに押し寄せていたころ。
その家族としては待ちに待った子供が生まれた。
それが私だ。
ベビーブームで産婦人科も人がたくさんいるなか、三人目の出産である母は一人で生んだ。
男の子を希望していたけれど一人目、二人目は女子であった。
三人目は性別のわからぬまま流産し、私が母のお腹に宿ったのだそうだ。
その当時は性別の判定も難しく、父も母も男子の誕生を心より祈っていた。
待望の男子が生まれたと聞いた父は本当に嬉しそうだったという。
成長とともに記憶が残っている。
しかし幼稚園、小学校の中の所々だけである。
母は内職はしていたが基本専業主婦であった。
だけれども忙しい日々を送るため、三歳の私を幼稚園に送り出すことにしたのだそう。
小学生になってもその当時のことは大勢の人にからかわれた。
なにしろ最初の何日かは息が詰まるほど泣き叫び、見かねた人たちが「可哀想だからやめてあげたら」
と、母に声をかけるほどだったそうだ。
それでも母は強かった。
泣き叫ぶ私をバスで待ち受ける先生に預け、幼稚園に送り出した。
やがて幼稚園にもなれ、私は先生にプレセントをあげたいと言い出した。
今思えばあれが初恋だったのかもしれない。
幼稚園児が母親に頼み、プレゼントを買ってもらう。
内容などは覚えていないが、そういうことをしたというのはおぼろげながら覚えている。
ああ、可愛らしい子供時代だ。
子供時代といえば大きな思い出が幾つかある。
二人の姉とは歳が9歳と6歳離れている。
9歳上の姉は親のいないときの親代わりでとにかくうるさい人、怖い人だった。
対象的に6歳上の姉とは仲が良かった。
ある時家の中ででんぐり返しをどっちが上手にできるかという勝負をした。
姉はその足で風呂場に続くガラスの引き戸を突き破った。
その時二人で思ったことは、父ちゃんに怒られる。だった。
姉も傷だらけ、血だらけの足もそのままガラスを片付け始めた。
残念ながら大きな音は家に響いており、真っ先に飛んできた長女に怒られた。
続いて帰宅した母からも怒られ、父からも怒られた。
怪我は病院にはいかなくても良い程度だったが、父は心配をしていたようでもあった。
ある時6歳上の姉と買い物に行くことになった。
私は自転車の後ろに乗せてもらい、これから出発というとき魔が差した。
当時はやっていたカンチョーを姉にしてやろう。そう思ったのであった。
姉が家から出てきた。
さて自転車にまたがり…くらえっ!
ぎゃー!いたいー!
ジーンズを履いている姉のおしりには私の指は勝てなかった。
思いっきり突き指となり泣き叫ぶ私、姉は何がなにやら。
母が家から出てきて何があったのか尋ねる。
指を押さえて泣いている私を見て察したのか、あんたはアホかと一蹴。
そのまま家に引きずられ、買い物はお預けとなった。
うちに家にはだいたい犬か猫が居た。
小学校低学年になった私は姉とともに公文に通うようになっていた。
ある日公文への行き道、姉がヒソヒソと話しかけてきた。
今日、この袋に猫入れて帰るから。
え?と思ったが公文をやっていた場所は長屋の一軒で、その裏に猫が沢山いることは知っていた。
私も猫が好きだったので公文に行くと猫を触っていた。
その中の一匹を連れて変えると言うことだった。
猫を飼える、とても嬉しいことだった。
どの子にするかなどは姉の決定権である。私には何も権利がない。
ただ帰り道姉の自転車のカゴには猫の入った袋があった。
連れて帰ると母は激怒。もう一度公文の裏に返しに行くことになった。
悲しかったが仕方なかった。母は強し。
そんな我家の毎日は朝の本堂に行きなさい。
から始まった。
そう、これは大きなお寺の一角にあるふつうの家の出来事である。
中学校になるとき引っ越しが決まった。
当時は道も悪く、片道2時間ほどの距離への引っ越しだった。
二時間ほどとはいえ、まだ昭和が続いていただころのことであり、初めて行ったときはとても田舎に行った気分だった。
母は夜が静かすぎて悲しくなっていたそうだ。
父は以前のところと兼ねての努めとなり、以前よりも忙しくなっていた。
今となっては分からないが、色々と大変だったのだろうと思う。
私は中学生になるとともに体が急成長していた。
私は体が弱いのを克服するため引っ越す以前、小学校3年位から柔道を始めていた。
引っ越しと同時に柔道はやめ、生活が一変したのだが食事量は変わらなかった。
そして一気に3桁寸前まで膨らんだ。
その姿のまま中学校に入学した。
柔道部を望んでいた私に父が夏休み等を使う部活禁止令を出した。
結果、将棋部に入部した。将棋は知らなかった。
夏休みは元いた寺での修行があったのだ。
いつの間にか跡継ぎ認定されていただ私はその為の準備を着々と進められていた。
ただし、私も父の姿を見て憧れた時期があった。
それが両親の思いを加速させてしまったのであろう。
申し訳なく思う反面、もう少し歳を重ねるまで待ってほしかったと今更ながら思う。
引っ越した家は寺と一体であり、中で棲み分けをしている状態だった。
そのためへy数は圧倒的に足りていなかった。
中学生の男子が何を考えているのかなど、言わずもがなである。
とにかく一人部屋にしてほしい。
けれど権力者が2人。
勝てるわけがないのである。
やがて姉が転職を気に引っ越した。
このことで平和が訪れたのであった。
棲み分けしているとは言え、一つの建物である。
お参りに来る人は朝が早い。
人が夜更かしして眠かろうが、遊びに行く準備をしていようがお構いなしだ。
それでも皆さん優しかった。
とてもかわいがっていただいた。
愛情というものを教えてもらえたのだと思う。
家族が暮らす家に他の人がたくさん来る。
そんなふつうの家のお話。
-つづく-
思い出したらまた書きます。