前編
「あのさ、町外れに古い神社があるじゃん?」
「うん、あるね?」
「その奥に大きな桜の木と池があるんだけど。」
「うん、あるね。」
「そこ、出るらしいよ?」
実家に帰る前に一息と、ふと立ち寄った昔なじみの喫茶店。
木のぬくもりを感じる、年季の入った色合いの壁。
緑と茶色の色合いが落ち着いた感じな、ベロア生地の椅子に、飴色をした一脚のテーブル。
床は濃い緑色をした毛の短いカーペットが、敷き詰められている。
室内は、ほんのり薄暗い照明がついてはいるが、日当たりのよい窓際からは、日の光が優しく差し込んでいて、そんなに暗い感じはしない。
俺が居た頃から変わることのない、たった一軒しかない喫茶店。
そこの無口無表情、白髪口髭黒縁メガネのマスターが入れるコーヒーを、一人で飲んでいた。
フラスコの中の沸騰したお湯が、上へと上がって行き、コーヒーの粉と混ざり始め、さらに攪拌されるときに出る香りが、何とも言えない。
そんな時、ふと耳に入ってきたのだ。
よく見れば、奥の窓際に制服姿の女の子二人が、向かい合わせに座って、サンドイッチを食べていた。
「出るって? アレ?」
「そう! アレ?」
「え~、マジで?」
「うん!マジマジ! 見たら呪われるらしいよ?」
「呪われるって、もしかして幽霊? 確か桜の木の下には・・・・・・。」
「“死体が埋まっている”ってソレここでは違うから!夜中に突然、“かっぱ巻き”が現れて、朝には消えるらしいんだけど、その“かっぱ巻き”を見た者は池に引きずり込まれて、二度と姿を現さないんだって。」
「え? “かっぱ巻き”?」
「そう。“かっぱ巻き”。そして、時々“桜餅”も現れては、消えるらしいの。それも見たらだめなんだって!」
「あの池の“河童伝説”? って、そんな話だったっけ?」
「最近は、そうらしいよ?」
噂というものは、年月経てば形を変えるものらしい。
俺が居た頃は、そんな怖い噂じゃなかったのにな?
確かに、あの池には昔から“河童”が住んでいるという言い伝えはある。
だけど、あそこの河童は、そんな恐ろしい奴じゃなかったはずなんだが。
「まあ、今夜、行ってみれば分かるか・・・・・・。」
俺が、この町を出て10年。
そして、あの約束の日から、15年。
あっという間だったな。
でも、とても長かった。
だからきっと、今日は言える。
あの日、言えなかったことを・・・・・・。
“コン、コン、コン・・・・・・”
窓ガラスをノックする音で、ハッと我に返る。
音のする方へと視線を移せば、懐かしい顔がそこにあった。
“こ”・“い”・“よ”!
と、目の前の椅子を指差すと、そいつはすぐに姿を消し。
“カランカラ~ン”
という、喫茶店の入り口にある鐘の音と共に、中へと入って来た。
一直線にこちらに向かってきたかと思うと、、ドカリ! と乱暴なしぐさでカバンを足元の床へと下ろしてすぐに、俺の向かいの席の椅子へと座る。
「よお、佐久也!久しぶりだな!元気だったか?」
“おっちゃん、オレ、アイスコーヒー!”と言った後で、すぐさまこちらに体を向けた。
4月に入ってまだ肌寒いのに、“アイスコーヒー”を頼むのは、単にこいつが猫舌だからである。
「ああ。来年には、こっちに戻れるよ。虎白、お前は?」
「俺も来年には、こっちに戻れるよ。って言っても、俺は隣町だからまだいいとして、お前は隣の県だったからなあ~。修行先~。」
「親父のやつが、“跡を継ぐならオレの師匠のところが一番!”って、聞かなかったからな!」
そうなのだ。
本当は、すぐに修行をしたかったんだが。
“今の時代、せめて高校と専門学校ぐらいは出ておけ!”
と親父の師匠に言われ、渋々学校に通いながらも住み込みで、いろいろと学ばせてもらってきたのだ。
それももう終わる。
ちなみに、虎白も修行先が隣町とはいえ、専門学校まで行って住み込みで働いたのは同じである。
「オレ、隣町だからさ、事ある毎に帰ってこれるのはいいんだけどさ。綺桜のやつ、農作業の手伝いばっかりさせるんだぜ?」
口先を尖らせ、アイスコーヒーの氷をカラカラと音を立てながら、ストローで掻き回す。
「いつも通り、仲良しじゃないか。」
「いや、俺はもっとこう・・・・・・。」
「こんな町というには恐れ多い、田んぼと畑が果てしなく広がるのどかで静かなド田舎に、デートスポットとかないだろう?っていうか、一緒に農作業のほうが、お前ららしいよ。」
そう。
小さい時から、俺と虎白はいつもなんだかんだで綺桜の家の農作業の手伝いをしていた。
まあ、親同士仲が良かったからよく手伝いに駆り出されたというか。
正直、何もない田舎だから暇つぶしというか、その後の褒美の、新鮮なトウモロコシや西瓜がうまかったとか、取れたての胡瓜やトマトがうまかったとか・・・・・・。
そしてもう一人・・・・・・。
「彼女も今この町にというか、綺桜の所にいるらしいぞ? まあきっと綺桜に、こき使われてるんだろうな~。アイツ、誰でも容赦ないからなあ・・・・・・。」
「え? ああ・・・・・・。」
ドクン・・・・・・ドクン・・・・・・。
“彼女”という言葉に、心臓の脈を打つ音が、一気に早まった。
反射的に、うつむいてしまう。
「約束、今日だしな?」
「あ、ああ・・・・・・。」
そうだ。
だから、オレも虎白も今日、わざわざ休みをもらってここへ帰って来たんだ。
「お前ら次第、なんだからな?」
「え? ああ・・・・・・。」
人の気も知らないで、プレッシャーをかけてくる・・・・・・チラリと上目遣いに顔を覗けばそのニヤニヤした面が、憎たらしい。
「まあ、ダメでも骨は拾ってやるよ!」
ストローを口で咥えながら頬杖をつき、急に真剣な顔でまっすぐに俺を見る。
今の俺に、その視線は正直辛い・・・・・・というか、堪える。
「な、なあ。この10年間で、あの池の噂が変わっているらしいんだが。何かあったのか?」
いたたまれなくなり、無理矢理に話題を別方向へと持っていく。
「さあ?知らんなぁ~?」
虎白は、少し考えている様子だったが、本当に分からないらしい。
尖らせた口先の上にストローを乗せ、眉間にしわを寄せている。
このひょっとこ顔は、明らかに何もわかっていない顔である。
その後は、お互いの近況などの話を30分ほどして、それぞれ家路についた。
なんせ今日の夜中の12時には、あの場所に行かなくてはならないからだ。
俺は帰ってすぐに、久々に自分の部屋で・・・・・・寝た。
今日の夜中、それまでに英気を養っておかなくてはならないからだ。
いろいろと考えていたら、あっという間に時間になるはず・・・・・・と思っていたのに。
そして、夜中。
スマホのアラームの音で、飛び起きる。
どうやら、爆睡してしまったらしい。
「さてと。行くか・・・・・・。」
ふと、コートの右ポケットの中へと、手を入れる。
そこにあるモノが、確認できた。
「よし!!」
両頬をパシン!と両掌で叩き、気合を入れる。
そしてあの場所へ向かう。
町はずれにある古い神社。
そのさらに奥にある、大きな桜の木の元へ・・・・・・。