ハイイロオオカミのパンクな日常
かわいい、かわいい、相棒がいない。
相棒は黒い黒いオオカミの獣人だ。出会った頃、中央の人間達が相棒のことを「だんな」「だんな」と呼んでいたから、私の脳内では相棒だ。互いに呼び掛けずとも気配でわかるから、口に出したことはない。
相棒は毎年この時期に隣からいなくなる。
ロクでもないメンツとロクでもない話をしにロクでもない場所に行くからだ。「代表者会議」というヤツだ。
付いていきたいが、そうすると、かわいい、かわいい、相棒がかわいくなくなる。
街のヤツらは私が原因だとのたまうが、アレは相手が悪い。
本当に、ロクでもない。
「母さん。今日もおとなしくしているんだぞ」
かわいい、かわいい、ムスコが私を見ている。
相棒と同じセリフを、相棒と違う意味で言う。
「頼むから、一人で街の外に出るな」
この白く力弱いオオカミがムスコであることは、面白い。
独り立ちして勝手気ままに生きる他のムスコ達と違い過ぎる。
「いつもおとなしいじゃない」
笑って答える。
オオカミらしからぬ黒々とした目が疑っている。目にはハイイロオオカミの私が映り込んでいる。
まったく私の血を感じない。
このムスコは自分の力量を知り過ぎるほどに知っている。
オオカミ獣人らしい目付きなどしたことがない。
「今日も朝ごはんはコーちゃんと一緒でしょ」
見送ってしまえばそれまでだ。
「お、と、な、し、く、しているんだぞ」
そうそう。私はいつも、おとなしい。
寝ているのと変わりない。
朝日が昇る時間に規則正しく起きて、出て行くムスコ。
恐ろしく弱いが、恐ろしく意志が強い。
意志のチカラというヤツで大きくなった、らしい。
不思議な人間と一緒にしておけば、生きていけるようだ。
なぜあんなに細かく生きられるのか。
不思議な人間は不安定に安定しているが、ムスコは安定に安定している。よく消耗しないものだ。ムスコは謎の塊だ。
相棒が残していった保存食を噛み砕き飲み下し、家を出る。無人の家に用はない。
相棒が「好きに飾ると良いよ」と用意した家だが、その意味はよくわからない。いざというときに持ち運べる訳でもない。
食糧はあと六つ。相棒の帰りも近い。
栄養補給など何日かしなくとも問題はない。問題はないが、朝と夜、一回ずつ噛み砕いておかなければ心配性な相棒が煩わしくなる。
ずっと前は食材が置いてあった。放って置いたら次は保存食になった。放って置いたら忙しいはずの相棒が抜き打ちで帰って来た。大袈裟に嘆いた。そこにムスコが居合わせた。さらにガミガミ言われた。
面倒だから、以降一人のときは朝と夜に飲み下すことにしている。
何のためにあるのかわからないドアを閉める。小さな人間、コーちゃんの習慣のためだろう。そう思ったので低い位置に板を取り付けたら、相棒は「斬新だね」と言った。皆が一撃で壊せる木材に、他に何の意味があるのだろう。
カタンと音がなり終わると、待ち構えていたようにカラス獣人が降って来た。
面倒なので走って撒くことにする。
「待てっ」
立派な身体をした相棒の相棒だが、もうすっかりモウロクしている。
「頼むから、騒ぎを起こすなっ」
相棒の相棒とは思えない。
毎度大袈裟なカラス獣人だ。
気にさわる視線と気配を潰して歩く。
この街の門番は腑抜けている。
あんなヤツらを通していたら、かわいい、かわいい、ムスコとコーちゃんが心配だ。
平和ボケした長老衆と門番は、揃って「やりすぎだ」と言う。
弱い(かわいい)、弱い(かわいい)二人をなんだと思っているのか。
ロクでもないヤツらを、通りすがりの街の獣人に引き渡しながら進んでいく。
「はい」
「長老はどうしたんだ」
「・・・」
「おーい、長老ー!」
面倒なので走る。
「はい」
「まさか、一人なの」
「・・・」
「ねえ。長老ー!」
面倒なので、走る。
「はい」
「お、」
面倒なので走る。
気に入らない匂いの人間に近づこうとしたところで、人間との間に大きな気配と身体が入ってきた。
「一服していくと良い」
まあまあ腕のたつトラ獣人だ。
気を落ち着かせる、という触れの嗜好品を差し出してくる。
面倒なのでそのまま摘まんで口に入れる。
歯で雑に擂り潰す。清涼感が広がっていく。
コーちゃんは「噛みタバコ?」と聞いたが、全く別のものだ。
記憶にはないが、何故か慣れた痺れが全身に広がっていく。
誘導されるまま、寄合所に入る。
ここには、暇な街のヤツらがたむろしている。
相棒がいないと、まるで私が幼子であるかのように構ってくるヤツらだ。
「ほら。飲んでおくと良い」
差し出された飲み物も、何故か慣れている匂いと味だ。
この街に連れてこられてから、記憶にはないが何故か慣れたもの、に時々出くわす。頭と身体が勝手に鎮まっていく。
伴って湧き上がるのはロクな感覚ではない。
「どうぞなのだ~」
脱力して座り込んでいると、肉の匂いとのんきな声がした。
「ありがとう」
焼いた肉をパンに挟んだものを、クロサイの獣人から受け取る。
ムスコとコーちゃんの群れにいる、ちっこいのだ。
この、ドミーと名付けられた異色の草食獣人の母親は一時期街にいた。
ちっこいのは今やムスコに迫る大きさだが、私は母親の巨体を知っている。
「ん~。これもどうぞなのだ~」
タオルと、匂い消しスプレー。
「カイくんはごまかせないかもしれないのだ~」
ムスコの群れは、生き方が細かい。
暇なヤツらと腹ごなしをしていると、チーター獣人の兄弟がやって来る。
「お。いたいた。行こうぜ」
「街に変なのが近付いてるってよ」
それはいけない。
かわいい、かわいい、相棒がいない今、かわいい、かわいい、ムスコ達に変なものを近付けてはいけない。
「こら。待て・・・」
暇なヤツらが追い縋るが、面倒なので撒く。
確認だとか、問い合わせだとか、待っていられない。
「あ、ハズレだな」
「よし、コーとカイを呼ぼう」
チーター獣人の兄弟が胸を張って言い切った。
武装解除させた「変なの」は、「変なの」ではなかったらしい。
街の外であるこの場にムスコが来るなら、立ち去らなければならない。
「帰るわね」
門番の横を通り過ぎる。走り過ぎると煩い。
わざとらしくゆっくり歩く。
メガテリウムが見下ろしてくる。
「あまり、カイに心配をかけるな」
「ふふふ。出来たムスコなの」
「間違えた。カイに面倒をかけるな」
「ふふふ。うらやましいのね」
メガテリウムの家族はナマケモノ獣人の妻子だ。私達ほどには一緒に動き回ることができない。私達がうらやましいのかもしれない。
もう少しからかおうかと思ったが、カラカルとライオンの気配がしてきた。
早く移動しなければならない。
ムスコ達の群れにいる黒いカラカルの獣人。アレはなかなかの強者だ。
ライオン獣人の方も、粗削りだが、強い。
おかげですぐわかる。
そうだ。唯一、ムスコが私のムスコらしいのは、大事なものを決して手放さないところだ。
「申し訳ありません!」
国から派遣されている人間役人達と一緒にムスコ達の群れが駆けてくる。「変なの」になりそこねた人間達と接触した。
不思議な人間はクマ獣人のなりきりセットの上に布を巻き付けている。私はそれを門から少し離れた屋根の上から見守っている。
「人間とのやり取り、とくに揉め事には絶対入ってくるな」とムスコに言われているからだ。見つかると面倒だ。しかし、何かあれば助けに入るつもりだ。
「ちょっとした手違いがありまして」
最近物騒なもので。お怪我はございませんか。
そう言っていただけますと・・・。
なるほどそういったご事情が。
では、お詫びと言ってはなんですが・・・。
いつものやり取りで決着しそうだ。
変な匂いと武装をしてこの街に来る人間など、後ろ暗いに決まっている。
放って置いても良いだろうに。
紛らわしい方が悪い。
遠目に見上げてくるカラカルとライオンの視線が煩わしい。
今度こそ立ち去ることにする。
街のヤツらが煩いので、家に帰る。
ドアを閉めれば逃げきりだ。相棒はこのために家を用意したのかもしれない。街のヤツらは何故か脆い板を壊すことがない。
なるほど。ドアというものは、大発明ではなかろうか。
シャワーを浴びて、寝よう。
放浪中の、良い年をしたムスコが送ってきた、『優しいお母さんのススメ』を読んでいれば寝落ちするだろう。アレは言葉遣いの役にも立つ。細かいムスコが、たまに黙る。
気配がした。
相棒の足音がした。目を開ける。
『優しいお母さんのススメ』が床に落ちていた。
「やあ。帰って来たよ」
「今回も早かったのね」
「心配だったからね」
「かわいい、かわいい、みんなは無事よ」
「そうだね。ところで、今日は何をしたんだい」
おとなしく寝ていたようなものね。
そう言う前に、かわいい、かわいい、ムスコが帰って来た。
面倒なので、屋根に上ることにした。