二人の愛の部屋
城から逃げ出した俺は、そのまま魔王国を立ち去ることになった。
距離は相当なものだったが、女神ヨハンナのアドバイスのもとに女神の力を使った俺にとって、この移動はそれほど難しい話ではなかった。
無念、ピカピカトイレロード計画。あと一歩だったと思うんだけどな。
まあ、九割以上掃除できたわけだから、当初の目的は達成できたんじゃないかと思う。みんなが俺のトイレを気持ちよく使ってくれればそれで満足さ。
ふぅやっと田舎に戻ってきたぞ。
魔王城に行ったのなんて、この村どころかこの国で俺くらいだろうな。いい自慢話ができたぞ。
いやこの話信じてもらえるんだろうか? どうやって生きて帰ったのかを説明するのは難しいからな。……便器の話とか。
ん?
なんだか家の中が騒がしいような……。来客か?
不思議に思いながら、俺は玄関のドアを開けた。
「――お待ちしておりました旦那様」
と、腰を折ってメイドのように俺を出迎える少女がいた。ただの少女ではなく、金髪と特徴的な尖った耳を持つその人の名は……。
「え? シギュン王女? どうして?」
シギュン王女。
かつて俺の代わりにトイレ清掃員として城にやってきたエルフの少女。
「旦那様って……俺のこと?」
「うん、あなた以外に誰がいるって言うの?」
「え? シギュン王女はクロイス王と婚約したのでは?」
「……?」
不思議そうに首を傾げるシギュン王女。
「いや俺はクロイス王じゃないぞ?」
「ふふふふっ、何かのなぞなぞなの? 待って、今考えるよ」
「いやそういうことじゃなくて……」
一体、何が起こっているっていうんだ?
「クロイス殿……」
と、後ろから声をかけてきたのは……テイラー大臣だった。
びっくりした。いつの間に背後にいたんだ?
「お久しぶりですテイラー大臣。『ピカピカトイレロード』は完成しませんでしたが、九割以上は掃除ができて――」
「今までずっと黙っていたのですが、あなたの仰る同名のクロイス王なる人物は存在しないのです」
「は……?」
クロイス王が存在しない?
「存在しないって……どういうことですか? 現にクロイス王は即位なされて、いろいろな政策を発表して、それでシギュン王女とも婚約したって……」
「それはあなたなのです、クロイス王」
「はぁ……え?」
「即位式は代理として私が演説、政策はすべてあなたのアンケートに基づいて作成されたもの、もちろんシギュン王女はあなたと婚約したのです」
「せ、政策、婚約……?」
「あなたは名実ともにこの国を統治されている国王なのです。この国はあなたの意思で動いているのです! クロイス王!」
頭が真っ白になっていくのを感じた。
俺が、国王?
この国の頂点に立つ存在?
…………。
…………。
…………。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 何勝手なことしてるんですか! 俺、国王なって絶対無理ですよ! ただの平民のトイレ清掃員なのに、そんな恐れ多いことを」
「本当に申し訳ありませんでしたっ!」
突然、テイラー大臣は地面に頭をこすりつけて土下座した。
「このテイラー、クロイス殿……否、クロイス王のお心に背き勝手に国王に仕立て上げてしまいました。どんな罰でも……たとえ死刑になっても文句は言えませぬ! 陛下、お怒りとあらばこのテイラーをどうか罰してください!」
「うっ……」
ここで罰するなんて言ったら、俺が国王だと認めるようなものじゃないか。
たとえこのような事態になったたとしても、俺にとってテイラー大臣は格上の存在。とても何か命令を下す気にはなれなかった。
「て、テイラー大臣の考えは分かった。でも実際俺がいなくても国が回ってたわけなんだから、国王なんていらないんじゃないのか?」
「全くその通りでございますクロイス王。あなたは何もしなくて良いのです。この国の象徴として、お気持ちを表明していただければあとは我々が処理いたします」
つまり今まで通りアンケートだけ書いていればいいと?
うーん、その名ばかりの国王だったら、俺にもなんとかなる……のかな?
「えっと、シギュン王女。聞いての通り俺は国王だけど国王じゃなくてですね」
「……よくわからないけどやっぱり国王なんだよね?」
「そう言えなくもないですが……」
「ならやっぱり私たちは結婚するべきなんだよ。それがこの国の未来と、両国の友好と繁栄のため。私はあなたと結ばれる運命なんだよ? ここはもうあなたと私の家……」
シギュン王女は俺の手を掴むと、そのまま家の中へと引っ張っていった。
連れてこられたのは、俺の部屋だった。
「は?」
ドアを開けて現れたのは、俺の部屋ではなかった。
いや、確かに俺が使っていた本棚や机はそのままだ。でもそこにあったはずのベッドのサイズがシングルからダブルになっており、枕も二つあった。
ほかにも見慣れない化粧台や、よく知らない植物系のアロマ、田舎にふさわしくない豪華なテーブルやそのほかの家具が並んでいる。しかも改築でもしたのだろうか、部屋が広くなっていた。
「お、俺の部屋が?」
「私とあなたの愛の部屋、だよ?」
え? シギュン王女? ちょっと目が怖いんだけど。
俺はそっとドアを閉め、現実から逃避するように反対側へと向かった。
居間には俺の両親がいた。
「クロイス~、あんたこんなきれいなお嫁さんもらってたなんて……」
「王都で一回りも二回りも成長したんだな。父さんは嬉しいぞ」
両親は食事中だったらしく、テーブルには汚れた食器が並んでいた。
その数は、ちょうど四人分。
「お義父様、お義母様、ありがとうざいます。あっ、食器は私が洗いますからお気遣いなく」
王女が台所で食器を洗い始めた。
…………。
か、完全に俺の家族に溶け込んでるううううううううううううううぅっ! 俺が帰ってくるまで一緒に食事してたのかああああああっ!
ん? 待てよ? この四人目の食器は一体誰なんだ? テイラー大臣は家の外にいたよな?
「ふむ、自然豊かな良い場所だ。レギオス王国の首都は人が多く、いささか騒がしすぎたからな。我が娘シギュンにはこのような土地が良いのかもしれない」
え、エルフ王までっ!
シギュン王女の父親、ガルド連邦王国のデュール王。
窓から村の様子を見ながらそんなことを呟いていた。
な、なんて恐ろしいことに。
この実家で平穏に暮らすはずの、俺の計画が……。
とうとう最後の逃げ道までも塞がれてしまった。
次回完結とさせていただきます。
次の作品を執筆中。




