魔王国侵入
俺はトイレを掃除するために魔王国まで向かうこととなった。
すべては『ピカピカトイレロード』計画のためだ。
国境を越えたトイレ掃除によって、世界に伝説を残す壮大な計画だ!
まずはレギオス王国内のトイレ清掃からだ。
それなりに時間がかかったが、うちの村から首都までの道は何度か歩いたことがある。ある程度慣れた旅路だったので、それほど苦労することはなかった。
そして、ここからが本番だ。
イングリッド魔王国侵入。
「う…………」
さすがの俺も、思わず声を上げてしまった。
魔王国とレギオス王国は、近年まで国交を持ったことのない国同士だ。中でも勇者と呼ばれる女神の力を持つ者と好戦的な魔族たちは何度も戦闘を経験している。
一般の旅人ならまず訪れることはないだろう。俺の周りにも魔王国へ行ったことのある人間はいなかった。
国境、とされる川を抜けた先にある魔王国。特に魔族や魔獣がいるわけではなかったが、なんとなく……空気が重い。
植生も明らかに人類圏とは異なっている。紫や灰色のような、暗い色のものが多い印象だ。
とはいえ魔王国といっても人間がいないわけじゃない。かなり肩身の狭い境遇らしいが、一応は生活しているという話を聞いたことがある。つまりここに入ったからといって俺が毒で死んだり病気になったりみたいな不安はない。
しかし、めったに旅人の入らない未知の領域だ。もし何かの拍子に襲われでもしたら……。
いいや俺。
ここでくじけちゃ駄目だ。
便器たちが俺を待っているんだ!
絶対に、俺は君たちを見捨てない!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
などと心の中で叫びながら、俺は道を駆けていった。
しばらくすると、村が見えてきた。
ここは……魔族の村か?
規模としては俺のスコッテ村とそれほど変わらない。門や城壁のような大層なものは存在せず、木造の小屋と畑が散在している。
農村、といった表現が一番正しいと思う。
ふむ、トイレがありそうだな。
まずはこの村を掃除してみることにしようか。
「おや、旅人ですかな? 何か御用でも?」
麦わら帽子を被った農夫風の魔族が声をかけてきた。
帽子で俺のことがよく見えないのだろうか? 国境を越えてきた人間だと気が付いている様子はない。
とても強そうな魔族には見えないな。
レギオス王国に兵士や平民みたいな区別があるように、魔王国の魔族にもそういった区分があるのかもしれないな。この農村に完全武装な兵士は必要なさそうだし、思ったよりも平和に話ができそうだ。
「あのートイレ掃除に来ましたー」
「は?」
「みんなのトイレを美しく。『ピカピカトイレロード』計画、ご存じありませんか?」
「…………」
麦わら帽子の唾を上げた農夫。
始めて目が合った。
「に、人間だとおおおおおおおおおおおっ!」
あ、どうやら俺が人間であることに気が付いたみたいだ。
「き、貴様、まさか勇者か?」
「あ、あの、俺は決して怪しいものでは……」
「う、うあああああああああっ!」
駄目だ、なんだか怯えてしまってる。
俺たち平民が魔族を恐れるように、平民の魔族も勇者や兵士たちを恐れているのかもしれない。
「うあああああああ、あっち行け! 来るなああああっ」
「落ち着いてくださいって」
なんだか農具を振り回してきたので、ついうっかりトイレブラシで受け止めてしまった。
「て、鉄の農具が」
あちゃー、折れっちゃったかぁ。錆びてたのか。
「落ち着いてください。俺はあなた方に危害を加えるつもりはありません。ただ、トイレ掃除に来ただけなのです」
「そ、そんな頑丈なブラシがあるか! 武器を隠し持ってるなんて……やはり……」
「いやいやいや、俺はただのトイレ清掃員で」
「黙れっ!」
突然、農夫の魔族が口笛を吹き始めた。
何をしているのか瞬時には理解できなかったが、すぐに大きな変化が現れた。川の近くから猛烈な勢いでこちらに迫ってくる獣が……。
あれは……。
「魔獣ミノタウロスっ!」
と、農夫が叫んだ。
現れたのは、普通の牛の二倍程度の大きさを誇る巨大な猛獣だった。体つきは普通の牛に比べてはるかに筋肉質であり、頭から生えた巨大な角は俺の身体など簡単に貫通してしまいそうだ。
「農作業用だが、大木の根を掘り返すほどにの力だ。ミノタウロス! あの男を殺せっ!」
「ブモオオオオオオッ!」
おいおい、あの牛こっちに走ってくるぞ。
ここは……。
「えいっ」
俺は迫りくる牛をトイレブラシで叩いた。
すると、牛の角がぽきっと折れた。
所詮は牛。
戦闘系魔族ならともかく、今の俺の敵ではなかった。
「ブ……ブモ……モォ……モォ……」
牛の奴、角を折られて完全に怯えちゃってるぞ!
大勝利だ!
「ひ、いいいいいいいいいいっ! こ、この男……ダイヤモンドよりも固いと言われているミノタウロスの角を……」
「はっはっはっ、そんなに硬いわけないだろ。またまた冗談を」
「あ……あ……あ……」
農夫の魔族は体を震わせながら、両手を地面についてひれ伏した。
「ご、ご無礼申し訳ありませんでした。この村のものなら何でも差し上げます。ど、どうか命だけは……命だけはお助けを……」
「いや命なんでいいですからトイレに案内してくださいよ。俺はトイレ掃除に来たんですから」
「は……はい……」
こうして、見事トイレへと案内してもらった俺は、トイレ掃除を完遂したのだった。
俺のあまりの掃除さばきに住民たちは大興奮。体を震わせ、涙を流しながら喜びの声を叫んでいた。
見送りにも全員が村の前に来てくれた。農具の先をこちらに向けてたのは、この村独特の別れの儀式かな?
幸先の良いスタートに、俺のテンションは上がっていくばかりだった。
魔族の皆さん!
俺たちは、分かり合えるっ!
便器で繋がる、世界の絆!
ピカピカトイレロード!




