ヴォルミルス
デスキュロス、帰還。
その報を聞いた魔王はすぐに彼を出迎えた。すでに黒い雲がなくなっているため、彼がいったいどうなってしまったのか気になっていたのだ。
そもそも『帰還』という表現自体がおかしいのだ。デスキュロスの巨体はこの城には到底収まるものではないのだから……。
「で、デスキュロス、お前なのか?」
魔王は驚愕のあまり体の震えが止まらなかった。
神話級の大魔族――デスキュロス。その巨体は星を覆えるほどであり、この世のあらゆる生物に匹敵する。
そのはずだった……。
「申し訳ございません魔王様……」
星を覆うほどで巨体であったはずのデスキュロスは、攻撃を受けたせいですっかり縮んでしまった。いまや人間とそう変わらないほどの大きさを持った黒い塊に過ぎない。
「で、デスキュロスよ。まさかお前が……敗れたというのか?」
「面目ない……」
ぺこり、と黒い雲が頭を下げたように見えた。体が小さくなって態度も小さくなっているように見える。
「……魔王様」
コンコン、と窓を叩いたのはデスキュロスではない。まったくの第三者。
「おお、お前は……ヴォルミルスか?」
ヴォルミルス、というこの魔族。自らの触手の一部を窓の外に持ってきてはいるが、これは彼の本体ではなく感覚器官の一種だ。
デスキュロスほどではないが、ヴォルミルスもまた巨体なのである。
「所詮デスキュロスは我ら四天王最弱。図体がでかいだけのゴミくず。星を覆うことができても攻撃を防ぐことはできないのです。打たれ弱いのは当然のこと」
「ヴォルミルス、貴様……」
「俺ならば地中深くで人類を屈服させることが可能です。デスキュロスのように攻撃を受けてしまうことはないでしょう」
「……なるほど、確かに」
ヴォルミルスはデスキュロスとは対照的に地中に住む魔族だ。つまりどうあっても地上に住む人間からは攻撃しにくい存在なのである。
「ならば此度の人類征服計画。魔族四天王が一体――ヴォルミルス……お前に任せよう」
「ははっ、有難き幸せ」
ヴォルミルスの触手が地面へと戻っていった。
「よろしいのですか? 魔王様?」
「どうしたデスキュロス? 奴に何か不満があるのか?」
「ヴォルミルスは確かに強いかもしれません。ですが此度の怨敵、このデスキュロスをかくも見事に破りし英雄なのです。果たしてそうやすやすと勝てるものなのでしょうか」
「ククク、問題あるまい」
魔王が意味ありげに笑った。
「何せ奴は、あの聖獣ミョルミルスの兄なのだからな。人間どもにどうにかなるはずがない」
聖獣ミョルミルスの兄、ヴォルミルス。
大地の奥深くに眠るその巨大な体は、デスキュロス同様神話級の実力者。
その脅威が、人類に迫ろうとしていた。
**********
――世界同時渇水。
あらゆる国の井戸、川、湖が一斉に干上がり始めた。人々は奇跡の雨を待ちわび、天に祈りをささげることしかできない。
しかしこの天災は、魔族四天王が一体――ヴォルミルスによって仕組まれたものであった。
ヴォルミルスは地中深くに蠢く超巨大生物である。
しかも雲上であったデスキュロスとは違い、しっかりとした実体を持つ生き物。
その巨大な体と体から無数に生える触手状の感覚器官を使い、ヴォルミルスはあらゆる水源を塞いだ。
その結果、人類は水不足に喘ぐこととなったのだ。
「さて……」
もはや八割方勝利を確信していたヴォルミルスだったが、油断はしていない。あのデスキュロスもここまでは問題なくできていた。しかしのちに反撃をくらい負けてしまったのだ。
「俺はデスキュロスとは違うぞ。どこの誰かは知らないが……来るなら来い」
あるいは、敵もヴォルミルスの居場所を把握していないのかもしれない。堂々と空に見えていたデスキュロスとは違い、ヴォルミルスは地中にいるのだから。
そんな楽観的な考えを抱き始めていた……。
「むっ」
ちょうどその時。
「ぐおっ、がっ、あっ……」
ヴォルミルスは触手の一部に激痛を覚えた。
地下水脈を塞いでいた触手の一部に、信じられないレベルの圧力を感じた。
「ぐっ……ぎっ……、な、舐めるなああああああっ!」
ヴォルミルスは触手の一部を切断し、難を逃れた。
そのつもりだったのだが……。
「な、なにいいいいいいぃっ!」
触手の根本、つまりヴォルミルスの本体にまでもその謎の圧力が迫ってきた。
それはまるで触手を無理やり引っ張られているかのような感覚だ。地中の雑草を無理やり引っこ抜こうとする、そんなイメージが近いかもしれない。
そしてその雑草はきれいに取れることもあるが、得てして根の一部や球根を残したまま途中でちぎれてしまうことも多い。地中に巨大な本体のあるヴォルミルスにとって、触手ではない本体がちぎれるということは死を意味している。
「こ、こいつ、なんて力だ。ま、まだ俺を追ってくるのか?」
かつて空の上でデスキュロスが感じていた恐怖、狼狽、焦り。ヴォルミルスも初めてそれを理解したのだった。
「ど、どうすれば……このままでは、俺は……」
「兄者」
不意に、どこからともなく声が響いた。
「兄者……ヴォルミルスよ、聞こえるか? 返事をしろ」
「き、貴様! ミョルミルスか!」
ヴォルミルスの弟ミョルミルス。神話に輝くヨハンナの聖獣。
その声を聞き、ヴォルミルスは遥か過去の出来事を思い出していた。
それは創世の日。
ヴォルミルスは女神ヨハンナの手によって生み出された。
大地より生まれ出た生命。人間、亜人、そして魔族。彼らをいつくみし、そして彼らの住む世界自体を管理することを定められた聖なる獣たち。
すなわち、聖獣である。
聖獣とは世界の根幹を成す存在であり、女神ヨハンナを除くあらゆる生き物の頂点に立つ存在だ。
ヴォルミルスは生まれながらしてそのことを理解していた。そして、それを誇りにすら思っていた。
のだが……。
「うーん、ちょっと黒々としすぎですね。もうちょっと色を控えめにしましょう」
こうして、ヴォルミルスは捨てられた。
理解できなかった。
力はあった。能力もあった。意思もあった。しかし色合いが好みでないという理由だけで、失敗作扱いされてしまったのだ。
そしてその後生み出された成功作が――ミョルミルスだった。スペック的には何も違いはない。ただ向こうの色合いが女神の好みだったらしい。
それだけで、捨てられた。
……憎い。
かつて俺を捨てた女神ヨハンナが。
そしてあの女の生み出した大地が、生命が、そしてすべてが……。
壊してやる。
そう思って、いたのに。
「ぐおおおおおおっ! さっきからな、なんだこれは、俺の……俺の身体が……ぁ」
「兄者ではその方には勝てぬよ」
「ミョルミルス! お前の仕業かっ! お前の仲間……か?」
「今、我が友が井戸をスッポンで押さえつけている。お前の触手はその圧力にさらされているのだ」
「す、スッポン?」
「水が詰まってると思ったらしくてな。地下水を吸い上げようとしているらしい」
「ば、バカな、そんなトイレ清掃みたいな方法で……俺が……」
ヴォルミルスは憤慨した。
だが、怒りだけでどうにかなる状況ではない。すでに体はスッポンの圧力に負け悲鳴を上げている。数分後には、デスキュロスの身体に穴が開いてしまうだろう。
「安心してくれ兄者。俺とあの方は知らぬ仲ではない。今すぐ世界の水を元通りに直し、頭を下げるというなら止めに入ってもいい。我が友――新王勇者クロイスにな」
「馬鹿なっ! 俺に頭を下げろというのか? それもただの人間に? 俺は魔族! 女神に反逆せし魔族。その頂点に立つ四天王の一角! 誇り高き俺が頭を下げるなどと……ぐっ、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎいいいいいっ!」
「兄者、どうかよく冷静になってくれ。俺はこんなくだらない理由で兄者を失いたくない! 頼むっ!」
ミョルミルスの触手が近くまで来たかと思うと、ぺこり、と頭を下げるような仕草をした。
「ミョルミルスぅ……」
その姿を見たヴォルミルスは……心を動かされた。
巨体であるミョルミルスには頭を下げるなとどいう動作はできない。だから代わりに触手を振ることによって頭を下げた動作を示すのだ。
それは間違いなく、ヴォルミルスが嫌がっている頭を下げる行為そのものだった。
「お前は……俺の、ために、頭を下げたのか?」
「兄者……頼む……」
「…………お、俺は……」
心からこみあげてくる感情を、抑えられなかった。
「お、俺は……悔しかったんだ。悲しかったんだ。出来損ない扱いされて、何の役目も果たせず捨てられて。俺は一体何のために生まれたんだ? 俺は聖獣で、この世界の要で、人類に崇拝される存在じゃなかったのか?」
「兄者……」
「し……死にたくねぇよ。俺はまだ……誰にも認められていない。何も成していない。頼む! 俺……魔族をやめて真っ当な生き物になるから、助けてくれぇ」
ぺこり、とヴォルミルスは触手を振った。
「待っていろ兄者! すぐに止めさせる!」
ミョルミルスの触手が、高速で地上へと向かっていった。




