聖獣ベルゼビュート
「あ……あなた様はあああ」
ガルド連邦王国国王、デュールは驚きのあまり声を荒げてしまった。目の前に飛んでいる黄金のハエは、彼にとってあまりに衝撃的な存在だった。
「ブブブブ」
と、黄金ハエが翅を鳴らした。ただの人間にはハエが飛び回っているだけの音に聞こえるかもしれないが、デュールは知っている。
「ブブブブ」
テュールは喉を鳴らし、独特の声を発した。
このハエが翅を鳴らす音に似た声は、『この方』が意思疎通を図ろうとしているときに発するものだ。デュールは王家に伝える伝聞によりそのことを知っていた。
「戴冠式の時以来でしょうか? 本当にお久ぶりです」
と、デュールは翅の鳴るような声で返事をする。たとえ周りの亜人や人間たちに奇妙な音に聞こえたとしても、デュールはその意味を完全に理解している。
「聖獣ベルゼビュート様」
聖獣ベルゼビュート。
聖獣ミョルミルスとともに創世の時代よりこの世に存在する生き物である。死肉を啄むハエとして、あらゆる生き物の生と死を司る存在とされている。
「うむ。数百年ぶりかデュールよ。あの頃はまだまだ子供だったが、ずいぶんと王らしくなったな」
はた目にはハエが翅を鳴らしているだけに聞こえるが、デュールにとってそれは会話にも等しい。相手が相手なだけに、ある種の威厳すらも感じ取れてしまうほどだ。
「お褒めに預かり光栄にございます」
デュールは深く頭を下げた。
自分は王であるが、目の前の存在はそんな王などという枠を超えた偉大なお方である。頭を下げねば失礼に当たる。
「まさか我が生きているうちにこうして再び相まみえることができようとは。なんと喜ばしいことでしょうか」
聖獣ベルゼビュートはガルド連邦王国に住む聖なる生き物である。一般には知られてないことであるが、王家に連なる者だけがこの事実を知っている。
歴代の王たちは皆このベルゼビュートから冠を戴き、王として認められたことになる。すなわち戴冠式のおりに、王は一度だけベルゼビュートと会うこととなるのだ。
デュールは王となってからベルゼビュートと会ったことはない。そしてそれは先代の王も同じだったと聞いている。
広い領地の中で、再び出会える可能性は無に等しいはずだったのだが。
「ベルゼビュート様、このたびはどのような目的でこちらに? まさかそちらの人間と何か関係が?」
「デュールよ。その人間と戦ってはならぬ」
ベルゼビュートの物言いに、一瞬、デュールは怒りを覚えた。
「聖獣ともあろうお方が、ただの人間をお庇いになるのですか?」
聖獣の言葉を否定することはできない。ただ、こんな風に抗議のような質問をするだけだ。
それすらも失礼にあたるかもしれないが、デュールはそう言わざるを得なかった。
娘を奪われ、領民を殺された彼なのだから。
「聞け、デュールよ。この男は我が奥義――『メギドの炎』を回避してみせた」
「メギドの炎をっ!」
メギドの炎。
創世神話においてヨハンナに歯向かった魔王を三日三晩焼き続けたという地獄の業火だ。その魔法は光よりも早く、亜人が扱うあらゆる魔法よりもはるかに強力とされている。
「し、しかし、受け止めたならともかく避けたという話であるなら。偶然回避できただけでは?」
「これを見よ、デュールよ」
「そ、そのケガは……」
金色に輝く黄金ハエの肢体。
その美しい金色に、小さな小さなひっかき傷のような跡がついていた。
「これはあの男が付けた傷だ」
「し……信じられない。聖獣様に傷をつけるなど。この地に生きる生き物の力を逸脱している。ど、どのような聖なる武器をあの男は……」
「ブラシで叩かれてな」
「ぶ、ブラシっっ!」
デュールは戴冠式の折にベルセビュートの体に触れたことがある。
その体は聖獣の名にふさわしく硬く、冷たい。
魔力を帯びたデュールの手が解析したところによると、その体はどんな鉱物よりも硬くそして強いはずだ。並みの武器では傷一つ付けられないだろう。
「よいかデュールよ。わしはこの人間が好きでこの話をしている。が同時に、お前の身を案じて言っているのだ」
「は……はぁ」
「この男は聖獣ミョルミルスの寵愛を受けている。お前の神聖魔法などあいつの前では児戯に等しい。現に先ほどの奥義も防がれたではないか」
「え……あの……ミミズが……まさか」
「あいつは優しい奴だからこのたびの無礼は許されるだろう。だが二度、三度と友を傷つけようとすれば……分かるなデュールよ」
「…………」
デュールは言葉を失うしかなかった。
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「ブブブブブブブ」
「ブブブブブブブ」
突然、ハエとエルフが話を始めた……ように見える。
いや、言葉なんて発してないんだ。翅の鳴る音みたいにブブブブって口を鳴らしているだけだ。頭のおかしい人みたい。
どーしたんだろうエルフさん。急にあんな風になってしまって……。
やはり覗き魔変質者は頭がおかしいのかもしれない。まともに相手をしたくないな。でも向こうが絡んできたんだから、逃げようにも逃げられな……。
「すまなかった」
突然、エルフが頭を下げてきた。
「は?」
「私のような若輩者があなた様のようなお方にたてつこうなどと、思い上がりも甚だしい愚行でした。人間に祖国を蹂躙され、気が立っていたのです。どうか……どうかお許しを」
いやいやいや、このエルフさん本当にどーしたんだ?




