黄金ハエ
俺はテイラー大臣の馬車に乗って、目的地へと向かうこととなった。
道中はさしたる問題もなく進むことができた。つい最近まで戦争をしていたから、人通りが少なかったのかもしれないな。
そうして、俺はここにたどり着いた。
「ここが……目的の……」
ツタに覆われたそこは、確かにトイレらしき建物であった。遠目からでは中の様子は分からないが、少なくとも人がいる気配はなさそうだ。
「ではクロイス殿、よろしくお願いします」
馬車の窓から顔を出したテイラー大臣が、俺に挨拶してきた。もう帰るつもりらしい。
「えっと、帰りは昨日通りかかった町にいけばいいんですよね?」
歩いて四時間程度。ここに来るまではほぼ一本道だったから、間違えることはないと思う。
「はい、その通りです。私はそちらの町に用事がありまして」
「何から何までありがとうございます」
「いえいえ、用事のついで、ということで」
テイラー大臣は馬車とともに立ち去って行った。
さて、掃除を始めようか。
建物に近づくと、すぐに俺は異常に気付くこととなった。
「う……」
すごいハエだ。
トイレの入り口からあふれ出る黒い塊は、まぎれもなくハエであった。百匹どころか千匹は超えているように思える。気の弱い人が見たら失神してしまうかもしれない。
まずはあれを何とかしなければ。
「…………」
俺はカバンのなかから芳香剤(固形)を取り出した。
香りづけをするためのこいつではあるが、中には防虫成分も含まれている。ハエの嫌いな臭い……というか毒ですらある。
こいつでうまく追い払えればいいのだが。
「ふんっ!」
俺は芳香剤をトイレの中に投げ込んだ。
すさまじい勢いでハエの大軍が建物の中から出て行った。もし近くにいたら大変なことになってたな。距離を取っておいて正解だった。
さて、これで大丈夫か?
「む……」
芳香剤はかなりの効き目があったようだが、それにすら耐えきる猛者が……ここにはいたようだ。
「ブブブブブブブブ」
お……黄金の……ハエ?
まさにテイラ―大臣が言っていたように、金色に輝くハエだった。
大きさも通常のハエより二倍……いや三倍ほどあるかもしれない。
「俺の防虫剤が効かないとは……お前、なかなかやるな」
「ブブブブブブブ」
当然言葉を話すわけがないが、なにやら挑発しているように聞こえなくもない。
「お前には悪いが、俺はここの掃除を任されている。今の薬で出ていかないのなら……叩き潰すしかないぞ?」
俺はトイレブラシを構えた。これが一番ハエたたきに適した形をしていると思ったからだ。
そう、俺はこいつを叩き殺す。
そしてこのトイレからハエを追い出し、掃除を完成させるのだ。
「逃げるなら今だぞ? 逃げた方がいいんじゃないのか?」
「ブブブッ!」
笑止、とでも言いたげにハエが俺のもとに突っ込んできた。
……ふっ、馬鹿め。どれだけ防虫剤に耐性があったとしても、その大きさは命取りだ。普通のハエの三倍大きいということは、三倍叩きやすいということ。
この勝負、もらった。
「死ねっ!」
瞬間、悲鳴のような風切り音が響いた。
完成された俺のハエたたきは空気を切り、大地を割り、どんな虫でも粉砕する。
その……はずだった。
「嘘……だろ?」
「ブブブブブブブ」
黄金ハエ、無傷。
「…………」
自慢じゃないが俺は虫たたきには自信がある。ハエ、ゴキブリ、クモ、ムカデ。トイレに出てくる虫たちはことごとく叩き潰してきた。目に入れば百発百中。
思えばトイレ清掃員になって以来、虫をつぶせなかったのはこれが初めてかもしれない。
こいつはただの虫だと思って舐めてかかったら駄目だ。殺される覚悟でいどまなければ……。
「ブブブブブ!」
次に、黄金ハエは奇妙な動きを始めた。
なんだこいつ。ダンスでもしてるのか?
こ……これはっ!
俺はすぐに奴の奇行の意味を知ることになった。
軌跡の描くその図形は……魔法陣!
魔法陣とは、主に魔法使いが魔法を使用するために描く陣形のことだ。わざわざ書かなくても魔法を使うこともできるが、書くことによって威力や精度が上がったりする。
だがこういった魔法は、人間やドラゴンなど高位の生き物が扱うものだ。
こんなハエみたいな虫が魔法を使うなんて聞いたことがない。
「ブブブブブッ!」
黄金ハエはその奇妙な動きによって魔法陣を完成させた。
その魔法は……火。
火球の魔法陣だ。
「うおっ!」
まるで矢のような速さで飛び出してきた火球を、俺は寸前のところでかわすことができた。
火球は俺の背後へと遠ざかり、近くの木に激突。そのまま四、五本なぎ倒したあとで盛大に爆発した。
こんな技、直撃したら死んでしまうぞ?
「ブブブブブ」
再びの魔法陣。
何の魔法かは知らないが、今度まともに食らったら殺されてしまう。
俺も覚悟を決める必要があるようだ。
本気を出すぞ。
「…………」
俺は無言のままトイレブラシを振り回した。
通常の叩き方では、ただ避けられてしまうだけだ。
だが俺の研ぎ澄まされたハエたたきから実現するこの技は、すでに『叩く』という次元を超えたまさしく必殺技である。
ゴゴゴゴ、とまるで岩を砕くようなこの音は、俺が大気を叩き潰している音だ。
超高速で動く俺のトイレブラシは、眼前の大気を圧縮し、壁を生み出しているのだ。
大気の壁。
逃れる術はないっ!
「消えろっ!」
俺は大気の壁を叩きつけた。
「ブブッ!」
さすがの黄金ハエも、これを避けることはできなかったようだ。
直撃を受けた黄金ハエは、トイレの壁に吹っ飛んでいった。




