戦争の機運
レギオス王国から遠く離れた、東の森林地帯。
大森林の中には、一つの巨大な王国が存在する。
ガルド連邦王国である。
この地に住む100の亜人の一族たちが、緩やかな連携を取りながら王国としてまとまっている国家である。
中でもエルフの一族の領地は領地の中心に位置し、中心都市には荘厳な城がおかれ、この国の首都としてふさわしく機能している。
ここはそんな王国の首都、謁見の間。
一族を象徴する輝かしい旗が掲げられたこの部屋は、国が特別な行事を行うときに使用される厳かな場所だ。
中央奥には王が、そして左右には様々な亜人たちが立っている。
ドワーフ、ホビット、ハーピー、人魚、竜人、鬼などなど。
亜人、と呼ばれる人ならざるものたち。多くの一族の族長、あるいは優秀な能力を持った者が代表としてこの地に立っている。
そして連邦の盟主であり国王であるのは、エルフの一族の族長。
今、中央の奥に立っているこの男の名は、テュール=ガルドという。
人間でいえば二十代後半の青年、といった見た目だろうか。
だがエルフは長寿であり、その容姿を人間の物差しで測ることは難しい。デュール=ガルドは二百年も前にはすでに名の知れた王であり、即位する前を計算すればさらにその年齢は跳ね上がるだろう。
「面を上げよ」
王の言葉に従い、みすぼらしい恰好をした来客たちが顔を上げた。
老年の男性と年若い少女。
アウレリウス=レギオスとエリーゼ=レギオス。
かつてレギオス王国で権勢をほしいままにした王族の二人であった。
しかしそんな過去の栄光を全く感じられないほどに、彼らは汚らしい見た目であった。デュールは二人が国を追放されたという情報はすでに知っている。本来であれば、こんな場所で出迎えるような人間ではない。
「レギオス王アウレリウスよ。貴様はすでに王国から追放され、国王ではなくなったはず。何故我らの国を訪れた?」
テュールは怒りを隠せなかった。
それだけの理由が、彼にはあったからだ。
「まさか自分のしでかしたことを忘れたわけではあるまい? 王として我が国との戦争を開始し、多くの民を傷つけ、土地を荒らし、建物も破壊した。そして我が最愛の娘シギュンを連れ去った罪は万死に値する」
「ち、違うのじゃ!」
元国王は焦っているように見える。
「すべてはあの男……クロイスのせいなのじゃ」
新王クロイス=レギオス。
その名はすでにこの国にも届いていた。
前王アウレリウス=レギオスに代わって国の頂点に立った男。王族どころか貴族でないにもかかわらず、女神の寵愛によって王位についてしまった異端児。
「奴は女神の力を自在に扱うことができる。そのせいでわしは王座を追われ、本当の勇者である娘のエリーゼすらも追い出されてしまった」
「貴様の身の上話など聞いていない。我が国との戦争に関して聞いているのだ」
「わ、わしはクロイスに脅されておったのじゃ! 隣国と戦争などする気はなかった! 本当じゃ……。わしは悪くない!」
「…………」
子供でも分かる嘘だ。
百歩譲ってクロイスなるものに脅されていたとしても、戦争を行うと宣言したのは国王自身。それを全く反省するわけでもなく悪くないと言い訳することは、とてもではないが人として許させるものではない。
「それで、貴様は結局のところどうしてここに来たのだ? まさか客人として丁重にもてなされるとは思っていまい?」
「……あなた様の国の力があれば、あの国からクロイスを追放することができる。わしとてあの国の元国王。戦争ともなれば、いろいろと手助けできることも多いはずじゃ」
「ふん、まあ良い。貴様の言葉が真実であろうと嘘であろうと、道案内程度には使えるであろうからな」
願わくば王として返り咲きたい、とこの老人は思っているのかもしれない。テュールはそのことに関して釘を刺しておかなければならないと思った。丁重にもてなすつもりはないのだ。
「だが忘れるな。たとえ王が変わったとしても、我が国を傷つけた罪が消えるわけではない。貴様は罪人の心構えで贖罪に勤めよ。新王との間にどのような軋轢があったのかは知らないが……」
「わしはあの男……クロイスだけは絶対に許せぬ。あやつさえトイレを直してくれていれば、わしはこんなみじめな境遇に陥らなかったはずじゃ。ぐぐぐ……クロイス、クロイスめ。許さぬ、許さぬぞ。奴を思い出すとわしは……わしはぁ……」
ブリッ!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ブリュリュブリブリチブリュブリュブ! ブボボボボボボッ! ブリュルルルルルルルッルルルルルッルルルルルッルルッルッ! ブリュルルルルルルルルウウウウウウウウウウウウウウッ! ブボボボボボボボボッ! ブリィッゥ! ブリッリ、チッブリブリブリブリブリブリブリブリリイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!
「あ、アウレリウス! ききききっ貴様正気か? 何をやっているのだあああああっ! 誰か、誰かこの汚らしい男をつまみ出せ! 神聖な城に……謁見の間になんてことを……」
「あひぃいぃいぃぃいぃぃ、全部、全部クロイスが悪い」
汚物をまき散らし床に倒れこんだアウレリウス。
兵士たちが倒れこんだ元国王を運び出していった。
元国王がいなくなったこの場で、次に話を始めたのは娘のエリーゼだった。
「父はクロイスが扱う女神の力を受けて、呪われてしまったのです。先ほどの愚行もそのせい。どうかお許しください」
「貴様は確か勇者として我が国の民を虐殺したことがあったな。そのことに関して何か言うべきことはないのか?」
「王国に住む者にとって王の命令は絶対。そして父はクロイスに脅されていた。……ですが、私がもっと抵抗できていればこのようなことは起きなかったかと。貴国に謹んでお詫び申し上げます」
エリーゼは頭を下げた。
「ふむ、あの老人よりはまともに話ができるようだな」
「戦争のときは将軍として軍の指揮をしておりました。行軍に適した街道、砦の位置、兵士の配置などすべて熟知しています」
「おお、それは素晴らしい。では今後開かれる軍議に顔を出してもらおうか。詳しい話が聞きたい」
「はい……」
軍議にはこの国の軍人がいる。
彼らはエリーゼによって配下を殺された者たちだ。彼女の出現に決して良い顔はしないだろう。
だが、とテュールは思う。
もはやレギオス王国との戦争の流れは止められない。レギオス王国は前回の戦いで大勝し、多くの民を殺し、そして多くの民の恨みを買った。勝てるにしても勝てないにしても、国民の感情はもはや止められないのだ。
ならば少しでもよりよい情報が必要だ。
エリーゼが軍を率いていたというのはこの国でも知られている事実だ。彼女の情報は戦争の力になる。
テュールは戦争に勝たなければならない。
もはや、娘を救い出すだけの単純な問題ではないのだ。




