テイラー大臣
エルフの王女、シギュン。
創世の女神、ヨハンナ。
二人の高貴な女性が、俺の発言に驚いている。
〝く、クロイス王。いったい何が不満なのですか?〟
いや、だから何だよそのクロイス王って。
「女神様、よく考えてください。俺が王に見えますか? 誰がそれを証明できるんですか?」
〝神である私がそう宣言したのですから、当然のことでしょう〟
「いやいや、俺が王なんて誰も納得しないでしょ? いくら女神様の言葉でも誰も耳を貸したりしないですよ?」
なぜ分からないかな?
「あなたがいなくなったら私はどうなるの? 私のことを助けてくれるんじゃなかったの?」
次にシギュン王女がそう言った。
「うーん、そうだな。そのあたりは本当に申し訳なく思う。でもこれでトイレ掃除の重要性がみんなに理解されたと思うから、きっと前よりも待遇が良くなるはずだよ。俺も今日すぐにここをいなくなるわけじゃないから、明日までにある程度のことを教えるよ。大丈夫、シギュンさんからできる。魔法が使えるならむしろ俺より向いてるかも」
「そんな……一日しか一緒にいられないなんて」
「ごめんな」
さてと、上のトイレを確認してこないとな。
「……待って、ねえ待ってよ」
〝待ってくださいクロイス王。あなたが帰るのは外ではなくこの城の玉座なのです〟
うーん、俺は田舎に帰りたいんだよな。
とりあえずトイレの確認が終わらせて、シギュンに掃除のことを教えてから考えよう……。
その後。
とりあえず、いろいろあったけど俺は見事トイレを直すことに成功した。
国王への義理は果たした。
シギュン王女にもトイレ掃除を無事教えることができた。さすが神聖魔法を使えるだけあって、仕事の要領はとても良かったと思う。
ただ俺が帰ると言ったとき捨てられた子犬のような顔をするのはやめてほしい。ここでの仕事にプライドは持っていたが、周りの人間にはあまりいい扱いを受けていなかった。ここで俺が仕事をしてもいいことなんてなにもないんだ。
とにかく、これでもう八割方用事は済んだようなものだ。
あとは……シギュン王女が俺のように陰口を叩かれるような状況を防ぎたいんだけど。
ただのトイレ清掃員である俺にできることは限られている。
俺は城の廊下を歩いていた。
すでにあの鼻の曲がるようなにおいは完全に消えていた。トイレの詰まりは完全に解消し、人々は自然な状態で用を足せるようになったのだ。
柱の隅に残っていた汚物も、俺の消毒+消臭剤によって完全に無害化。我ながら完ぺきな仕事だ。
こうして最終チェックとして隅々まで確認しているが、何ら異常は見られない。
「クロイス殿おおおおおおっ!」
と、見回りをしていたら後ろ声をかけられた。
振り返ると、そこには……長いひげを生やしたハゲのおっさんがいた。
この方はテイラー大臣だ。
「こ、このたびは本当に助かりました。あなた様が戻ってこなければ、きっとこの城は誰も人が寄り付かない廃墟となっていたことでしょう」
貴族にしてはずいぶんと腰の低い人だ。トイレ清掃員として蔑まれていた俺だったけど、この人から悪口を言われたことはない。
話しやすい人だ。
「あ、大臣。玉座にいた陛下のことはご存じですか? 実は……」
「あの男はもはや王ではありません」
「え……」
「すでに陛下の姿は拝見しました」
……ああ、見たんだ。
「私だけでなく他の貴族たちも王の姿を拝見しました。あれはもう我が国の恥です。もともとあまり評判もよくありませんでしたからね、他の貴族たちと満場一致でこの国から追放することが決定しました。そもそもこの前の隣国との戦争でも……、本当にあのわがまま親子は……」
ぶつぶつと文句を言い始めた大臣。どうやらこの件が起こる前から相当に不満がたまっていたようだ。
無能な国王に代わってこの国を取り仕切るのはテイラー大臣だ。国としては頭が変わった程度ではびくともしないはず。
もっとも、エリーゼ王女に関しては別だがな。彼女が女神の力を使えないとわかったら、みんな一体どんな反応をするんだろうか?
「それでは……本当に陛下は陛下ではなくなるんですか?」
「その通りです。今日の姿が決定打となってしまいましたね」
哀れ陛下。まさか漏らしただけで国王でなくなってしまうなんて。
いやそもそも王様として問題があったから悪いんだ。トイレの件だって素直に外のトイレを借りていればこんなことにはならなかった。
つまり俺は悪くない。
「我が国は新しい体制で歩んでいかなければならないのです。特に空位となった国王の位については大変な問題です」
「は、はぁ」
「……こ、こんなことを口にすると大変不自然かもしれませんが、クロイス殿。国王という身分に興味はありませんかな?」
「は? 大臣、何か変なものでも食べたんですか?」
あの女神みたいなことを言い始めたぞ。
「クロイス殿。あなたはこの城を救った英雄なのです。国王に名乗りを上げるのならば、私や多くの貴族たちも助力を惜しみません」
「ははは、大臣、冗談がきついですよ。俺なんてただのトイレ清掃員ですよ? 政治や礼儀作法なんて全く分からないですから、国王だなんて言われても……」
「冗談ではありません。真剣な話なので」
「え……」
だ、大臣の目が怖い。
「あ……あの、俺この辺りで失礼を……」
突然、大臣が俺の腕をつかんだ。
「お願いしますうううううううううっ! 一生のお願いですううううううううっ! 国王になってください! 私にできることならなんでもします! 地位も名誉も財産も妻も娘も差し上げますから、どうかこの国を導いてくだしああああああああっ!」
「…………」
お……おい。
まさかこの大臣、あの女神に何か言われているのか?
そういえば、大臣は敬虔な女神教の信者だと聞いたことがある。だとすると神の言葉を真に受けて俺を国王にしたがっているのかもしれない。
じょ、冗談じゃない!
信者の大臣はともかく、多くの貴族たちはそれほど信心深くない。たとえ女神がそう言ったとしても、俺が国王になるというその事実を素直に受けいれるはずがないのだ。むしろ大臣の頭を心配してしまうレベル。
俺が国王なんて、それはもう立派な王位簒奪であり反乱だ。命を狙われてしまうかもしれない。
「お、俺はもう田舎へ帰りますから、シギュン王女をよろしくお願いしますうううう」
「クロイス殿おおおおおおおおおおっ!」
文人であるテイラー大臣と違って、俺は現場でトイレ掃除を行う清掃員だ。兵士ほどではないがそれなりに足腰に自信がある。
逃げることはそれほど難しいことではなかった。




