トイレの源を絶つ
悲報、陛下が脱糞した。
ショック過ぎたのだろうか、陛下は出すもの出した後でそのまま気絶してしまった。
床に倒れこんでいる陛下の姿は、もう誰にも見せられないほどにひどいありさまだった。
「…………」
うーん。
これ、俺が後始末をするのか?
いや、でも俺はトイレ掃除のためにここに呼ばれたわけだから……。陛下もきっと自分のことよりこの城で過ごす人たちが快適にトイレできることを望んでいるはず。
うん、後回しにしよう。
陛下も腸がきれいになって健康になったんだ。ほっといても大丈夫だろう。
さて、下水管を直すために地下に向かうとしよう。
〝聞こえますか?〟
……ん?
なんだ?
今、声が聞こえたような……。
〝ミョルミルスの寵愛を受けし者よ。私の声が聞こえますか?〟
最初は、幻聴かと思った。周りには誰もいないのに、まるで耳元でささやかれたかのように声が聞こえたからだ。
でも幻聴にしてはあまりに鮮明にはっきりと聞こえた。俺の耳がおかしくなっていないのであれば、これは偽物の声ではない。
「誰か、俺を呼んでいるのか?」
〝ああっ、私の声が聞けるのですね? あなたのような方をずっとお待ちしておりました〟
瞬間、俺の視界は白い光に覆われた。
まるで太陽を直接見ているかのように目が眩み、一瞬のうちに目を閉じてしまう。
次に目を開いたとき、そこには一人の美女が立っていた。
白い服をきた金髪の女性だ。
「あなたは……女神様?」
この世界で主要な宗教である〈女神教〉。その神話が示す世界を創生した女神たちの中で、もっとも中心となりリーダー的な存在であった神。
創世の女神――ヨハンナ。
おそらく百人いるとされる女神の中で最も有名な一人だ。教会には必ずと言っていいほど石像があるし、教科書にも載っている。たいして信心深くない俺でも知っているからな。
〝やはり私の姿が見えるのですね。王族の召喚なしで私の姿が見えるとは……。さすがはミョルミルスに縁深き者です。事態は一刻を争いますゆえ、すぐにこちらへ……〟
ふわふわと空中に浮いている女神様が、そのまま流れるように玉座の奥へと進み、ドアをすり抜けていった。
玉座の間の奥は、王族の寝室へと続く廊下となっているはずだ。本来であれば俺のような平民は入口近くのトイレ以外入ってはならないのだが、このような緊急時には仕方ないだろう。
俺は女神様の言葉に従い、奥へと進んだ。
女神様は入口すぐ右手にあるトイレではなく、王族が生活する部屋へと入っていった。
あそこは……確かエリーゼ王女の部屋だったよな? 何度か遠くから入っていくのを見たことがある。
俺が入ってしまって大丈夫なのだろうか? 不敬以外の何物でもないのだが……。
いや、これは女神様のお導きなのだ。彼女たちを召喚できるエリーゼ王女なら、きっと理解を示してくれるはず。
俺は意を決して部屋の中に入った。
……エリーゼ王女の部屋か。
まず目につくのは、その豪華さだ。
きらびやかなカーテン、ベッド、ソファー、ドレッサーやクローゼットなどは素人の俺が見ても一級品。扉の空いたクローゼットには輝くドレスが所狭しと並び、財力と美しさをこれでもかというほどに強調している。
しかし一方できらびやかな甲冑や巨大な剣など、武人としての武具も目立つ。細かい傷を見る限り、ただの飾りではなく実戦で使用されているのだろう。先の戦争でエルフを奴隷にしたことからも分かるように、彼女は戦える人間なのだ。
年頃の少女らしい様子と、武勇に優れた将としての彼女。二つの要素がミスマッチに存在している変わった部屋だ。
〝こちらです〟
女神さまはベッドの前に浮いていた。
そこにエリーゼ王女がいるのか? 寝てるのか?
「こ……これは……」
そこには、俺の想像だにしない光景が広がっていた。
ベッドで寝ていたのは、かわいらしいパジャマを着た銀髪の……ミイラだった。
〝これは私たちの主であった少女、エリーゼ王女です〟
え……エリーゼ王女だって……。
俺にはその言葉が信じられなかった。俺は何度も彼女の姿を見たことがあるが、噂にたがわぬ絶世の美少女だったはずだ。
「一体……王女はどうしてこんなにことに……」
〝トイレが使えなくなって以来、エリーゼ様は飲まず食わずの日々を過ごしていました。すべてはトイレに行かないため……〟
ひたすらトイレを我慢した国王と違って、王女は始めからトイレの源そのものを絶とうとしたらしい。
「しかし絶食と断水は彼女の体を蝕み、最後には体を動かすこともできないほどに衰弱してしまいました。そして……とうとうこのような姿に」
「亡くなってしまった……と?」
〝いえ、今はまだかろうじて生きてはいます。しかし放置しておけばすぐにでも……〟
「えぇ……」
これで、生きているのか?
よく見てみると、わずかではあるが胸が動いている。呼吸をしているのだ。
「と、とりあえず水を飲ませればいいんですね? すぐに持ってきます」
かつて王宮を追放される直前、俺はエリーゼ王女と話をした。あの時は毒の女神をけしかけられ、ひどい目にあった。
本音を言うとあの時の恨みがないわけではないが……王族の命には代えられない。女神の力を使える彼女はこの国の柱なのだ。
〝お心遣い感謝します。あなた様のことは王女様に必ずお伝えしますので。私の妹、毒の女神カーラの件は……本当に申し訳なく〟
「分かってますよ」
水だけでどうにかなる問題ではないと思うが、まずは水分補給が先決だろう。
俺はトイレ清掃関係の道具以外、今は持っていない。とりあえず一階に向かって、飲料水を確保することにしよう。




