王女にして勇者、エリーゼ=レギオス
王宮、玉座の間。
国王にクビを宣告された俺。
その背後から唐突に現れたのは、この国の王女にして勇者――エリーゼだった。
「エリーゼよ、此度の戦争では苦労をかけた。エルフを主体とする連合軍が予想以上に強くてのぅ。本来魔族と戦う使命を持つそなたにこのようなことをさせるのは本意ではないのじゃが……」
「気にしないでお父様! あいつらね、もう超っっっっっっ雑魚! あたしが剣を振り回すだけで、どーんって遠くへ吹っ飛んでいったわ。あたしもストレス解消になって大満足よ! いつでも呼んで頂戴。みんなぶっ殺してあげるから」
「はっはっはっ、やはり勇者はたくましいのう。……ところで後ろの者は、例の……」
この部屋に入ってきたのは、エリーゼだけではなかった。
彼女は鎖を手に持っていた。その先に首輪に繋がれた少女が立っている。
その特徴的に尖った耳は、俺でも知っている。
エルフだ。
まさかこの子が、俺の代わりにトイレ掃除をする奴隷だとでもいうのか?
美しかったであろう金色の長い髪は、泥と煤によって無残にも汚れている。
身に着けている衣類も……おそらくは元々高価なドレスだったのだろうが、戦いの混乱のせいだろうか、一部が破れて肌が露出している。
豊満な胸も、引き締まったウエストも、そして下着に隠れたお尻も、あのボロボロの服では目に毒だ。
「はっはっはっ、やはりわしら王族は神に選ばれし一族。魔術と弓術に長けたエルフをも倒せるとは……もはや神話の生き物を除いて敵なしじゃな」
「あたしたちは女神様の一族なんだから、この世界はぜーんぶあたしたちのもの! 誰を殺してもどこを征服しても、奴隷にしても宝石を奪ってもなーんにも問題なし! 文句を言う奴はみんな殺すわ。顔が好みの若い男ならペットにしてあげる」
あまり国王陛下や王女様の悪口は言いたくないのだが、もう少しつつましく平和的に生活できないのだろうか?
特に今の王女様が勇者として活躍するようになってから、あまりにひどすぎる。時々この城に連れて来られてる亜人の奴隷たちは、ひどい扱いだった。
このボロボロの服を着ているエルフの女の子も、奴隷なんだろうな。
と、ここに来て王女様は俺の存在に気が付いたらしい。
ひれ伏す俺のあごに足を挟み込み、そのまま俺の頭を強制的に持ち上げる。金属質のブーツが冷たい。いくら王女様が相手といっても、屈辱的な構図だった。
「あんた、トイレの清掃員よね」
「は、はい」
「ふーん、顔は嫌いじゃないけど、不合格。だってトイレだもん! ハムスターは飼ってもドブネズミはいらないわ。田舎に帰ってブスと結婚して、この国に役立つ子供をいっぱい作りなさい。それがドブネズミの仕事よ!」
ドンっ、と金属のブーツで俺の喉を蹴り上げてきた。
「がはっ!」
のどぼとけにクリーンヒットしたその一撃は、一瞬俺の気道をふさいだ。
「げほっげほっげほっ!」
咳が止まらない。
くそ、何がドブネズミだ。俺のことをバカにして……。俺だってちゃんと仕事してるんだぞ?
「ふん、お前の代わりにトイレを掃除することになったエルフの王女じゃ。ほら、名乗れ」
国王が鎖を乱暴に引っ張ると、首輪に繋がれたエルフの少女が前に出た。
「ガルド連邦王国……王女、シギュン=ガルド……です……」
その言葉が、彼女にとって精一杯だったらしい。伏したその瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「な……なんてことを」
エルフの王族といえば、隣国では亜人を束ねる王の一族だ。トイレ掃除ところか身の周り世話すら使用人に任せているはず。
そんな子にこの王宮のトイレ掃除をさせるなんて、あまりにも屈辱的だ。
俺はトイレ掃除を誇りに思っている。だからこそ、こんな風に馬鹿にして奴隷に押し付けるようなやり方は許せなかった。
「へ、陛下、やはりこの王宮のトイレ掃除は俺が行うべきです。このような高貴な方に下々の世話など……あまりも……」
「くどいっ! これは決定事項じゃ。大したスキルもない無能が……もっともな言い訳を吠えても心に響かぬわ。せめて一般の兵士や学者レベルに役に立ってもらわないとのぅ」
「そーよそーよ、底辺の雑魚清掃員のくせにあたしたちに逆らうつもり? 分かってないようだから教えてあげるわ。平民に口答えする権利なんかないのよ」
そういって、王女エリーゼが右腕を天に掲げた。
まさか……。
「出でよ不浄の王、召喚――女神カーラっ!」
彼女がそう宣言すると、背後に黒い服をまとった美女が現れた。
毒の女神――カーラ。
創世の女神たちを崇拝する宗教――〈女神教〉。崇拝対象は百人いるとされる創世の女神たち。
中でもこの毒の女神カーラは、蛇や蜂など毒をもつ生き物を生み出したとされる女神である。
神の血を引くとされる王族は、この女神を自由に召喚し力を発揮することができる。中でも一族最高の能力者――勇者エリーゼは、百体すべての女神を操ることができるらしい。
ずずず、と女神の影から黒い霧が俺に迫ってきた。
「うっ」
その先端に触れた瞬間、俺は激しい痛みを覚えて反射的に後退した。
触れた手が……腫れている。毒のせいだ。
「もっとひどい毒であんたの全身腫瘍だらけにしてあげてもいいのよ。あたしの気が変わらないうちに、さっさとここを立ち去りなさい。あんたはもう王宮から追放された一般人なのよ。無能は無能らしく、手にマメ作りながら農具を振り回しているといいわっ!」
「貴様の村だけ税率を引き上げても良いのじゃぞ? まだ食ってかかると言うなら、子供の一人や二人、見せしめに殺してやってもよい」
「う……」
ここまで言われて、俺に選択肢なんてなかった。
「分かりました、荷物をまとめて出ていきます」
もう、俺にはなんも言うことはなかった。
俺は扉から外に出るため歩き始めた。目の前には鎖でつながれたエルフの王女がいる。
「ご、ごめんな。いつか必ず、俺が助けに来るから」
「…………」
気休めかもしれない。
でも、そう言わずにはいられなかった。
すまない。
俺のせいで高貴なあなたがこんな目にあってしまうなんて……。
この城のみんなが、もっと俺のトイレ掃除技術を理解してくれていれば、こんなことにはならなかったと思うんだけどな。
悔しい。