トイレ消臭剤
俺はレベッカに案内され北方へと向かった。
街道をさらに北へと進むと、俺たちはスコッテ村にたどり着くこととなる。
のだが……。
「うっ、これは……」
少し小高い丘からスコッテ村を見下ろした俺は、その異様な光景に思わずそう呟いてしまった。
紫色の霧だ。
毒々しい色をした霧が、スコッテ村全体を覆っている。
「少し、臭いますね」
「ここはまだ問題ないレベルだね。だけどこの下に降りればさらに臭いも強く、そしてのどや鼻が痛んでくる。私もギリギリで引き返したつもりだったのだが……後で体に響いてしまってね。君もこの下へは下りない方がいい」
「ですよね」
それにしてもすごい臭いだ。
「おお……その顔、クロイス、クロイスじゃないか」
「……村長さん」
背後から俺に声をかけてきたのは、スコッテ村の村長だった。
「村長さんは無事だったんですね。村のみんなは?」
「こんなことになってしまったから、全員別の場所に避難しているさ。お前の父親と母親も全員無事だ。他の軽症者は多いがな」
「……そうですか」
村は見て分かる程度にひどいありさまだ。だからこそ避難が素早くて被害も少なかったのかもしれない。
逆に少し離れたカラッテ村の方が重病者の多かった印象だ。霧が薄くても長期間吸ったり近くのものを飲んだり食べたりしていると、じわじわと影響を受けてしまうのかもしれない。
「この状態では農業も続けられん。わしらは一体、どうやって生活していけば……」
「私たちも目下原因を調査中です。いつになるかは分かりませんが、必ず原因を取り除いてみせますので……」
レベッカがそう答える。
でも、少し前まであんなに体調が悪かった彼女だ。これ以上無理をさせたら今度こそ死んでしまうんじゃないだろうか?
それにしてもこの臭さ、本当にどうにかならないものなのだろうか? このままでは気分が悪くなってしまう。
「……少し臭いがきついので消臭剤を使いますね」
俺はカバンから消臭剤を取り出した。
スプレータイプのこれは、トリガーを引くと中の成分が霧状に噴出するしくみになっている。王都のおっさんたちの汚物は相当に臭かったからな。清掃員として何とかできないかと思い、錬金術で完成させたのがこの消臭剤だった。
シュ、と空気中に液体をばらまくだけで、ほら、爽快感のあるせっけんの香りが当たりを充満し……。
「……なっ」
「……おお」
ん?
なんだなんだ?
スコッテ村を覆ってた紫色の霧が、半分消し飛んだぞ?
「き、君はその聖水をどこで手に入れたんだい?」
「レベッカ教授。これは聖水なんかじゃなくて、俺が作ったただの消臭剤ですね。こんなもので毒の霧が吹き飛ぶわけないじゃないですか。今霧が消えたのは、偶然じゃないですかね?」
「か、貸してくれ!」
教授は俺の手から猛烈な勢いでスプレーを奪い取った。
期待させて申し訳ないが、それは正真正銘ただの消臭剤なのだ。
「き、消えたああああああああああああああああああっ」
「えぇ……」
レベッカが消臭剤を放つと、さらに紫の霧が消失した。もはや村の七割程度取り除けたといっても過言ではない、驚異の威力だった。
「やはりこの聖水の影響だ。こんな遠距離からここまで効果を発揮するなんて……」
「おお……これでうちの村は救われる」
「君はこれをどこで手に入れたんだい? 研究や材料程度でどうにかできるとは思えない。高位の聖職者……いや、もはや教皇の力をもってしても作れるかどうか……。神話級の聖水だ! 私たちは今、奇跡の御業を目の当たりにしているっ!」
「えぇ……」
いやちょっと待ってほしい。なぜ俺の消臭剤がそこまで持ち上げられなければならないのか?
確かにその消臭剤を作るのにはかなり苦労した。無駄に豪勢な食事ばかりの貴族たちは、排せつ物も尋常でないほどに臭うのだ。そしてマナーも悪いからあちこちに吐いたり汚したりと大変だった。俺の消臭剤は試行錯誤の末、何度も改良を重ねて完成させたもの。
そもそも俺の住んでいた地下の小屋、下水管に近いからそのままだとちょっと臭う。快適な私生活を送るためにも、消臭剤の存在が必須だったのだ。
とはいえ、毒とか魔とかそういうのを払う威力があるように設計したつもりはなかったのだが……。
「き、きっと何かの偶然じゃないですかね? 俺、聖水なんて作ったつもりはなかったんですけど」
「謙遜もそこまでいけば少し嫌味に聞こえるね。君はやはり私が見込んだだけのことはある。私たちの出会いはきっと、人類を救うための大いなる一歩になる」
「は、はぁ」
「とにかく、積もる話はあとにしよう。ここから漏れた霧が、、近隣の村を苦しめているからね。まずはこの聖水を使って周囲の霧を取り除き、発生源とその原因を探っていくことにしよう。申し訳ないがクロイス君、君が作ったこの聖水は私が買い取ろう。銀貨、いや必要なら金貨数枚は用意できる。君の苦労に比べれば馬鹿にしたような値段かもしれないが、どうか人類を救うためと思って協力して……」
「いや、そんなにお金いらないですよ。なんならタダでも……」
「馬鹿なことを言うんじゃない!」
レベッカが真剣に怒っている。
「君は将来人類を救う英雄になる男なんだ! ここで私がお金を払わなければ、将来の君の生涯を書き記した本の中で悪役扱いされてしまう! 私は君の価値を見出した、素晴らしい才能をいち早く見抜いた良き協力者でいたいんだ。分かるね!」
「は、はい……」
勢いすごいから頷くしかなかった。




