困難な依頼
騎士団長ガレイン、クビ。
その凶報に、ガレインは顔を真っ青にしていた。
「我が国のトイレ清掃員を不当に乏しめ、この城のトイレを壊してしまった罪じゃ。ガレインよ、まさか文句などあるまいな?」
この国において、王の命令は絶対だ。
誰しもそれは分かっている。たとえどれだけ不当な扱いだったとしても、文句を言えるはずがないのだ。
だが……。
「い……いい加減にしろよ。王族の中でも女神の力も使えねぇ、コネと血筋だけで王になった正真正銘の屑が……」
頭に血が上ったガレインは、一般的な自制心すらなくしてしまったようだ。
それは、決して国王に向けてよいタイプの殺気ではない。遠く離れたカールですら身震いを覚えてしまうほどの……牙をむいた獣だった。
「が、ガレイン?」
「俺ぁ実力と実績でこの騎士団長の位まで上り詰めた。てめぇみたいに椅子の上でふんぞり返っている屑に……俺の苦労の何が分かるっ! 貴族がなんだ! 国王がなんだっ! 俺はもうやめるぜ! お前らお上の人間におとなしく従っていたことをなっ!」
ガレインは腰に下げていた剣を抜いた。
けがをしているといっても片腕は健在。そして騎士団長ともあればその力は並みの兵士たちよりはるかに上っ!
「陛下っ!」
カールは叫んだ。
国王の死を傍観していた、という汚名を被りたくないから声を荒げただけだ。実際のところ、学者のカールではガレインどころか一般の兵士にすら勝てない。国王を助けようとした、というポーズを取りたかっただけ。
「死ねやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ! 奥義、〈金剛烈破刃〉」
黄金の闘気をまとわせたガレインの剣から、かまいたちのような金色の刃が放たれた。
戦いに素人であるカールでも分かる。これは……国王を殺すことのできる一撃だ。
カールは咄嗟に目を閉じた。最悪の光景を想像してしまったのだ。
だが、いつまでたっても断末魔の悲鳴は響かない。
ゆっくりとカールが目を開けると、そこには剣を構えて立つ少女がいた。
勇者エリーゼだ。
「おお……エリーゼ! エリーゼよ! よくやった!」
「お父様が無事で何よりよ」
エリーゼの背後には鎧を身に着けた美女が浮いている。
剣の女神、アストレアだ。
この状態の彼女は、絶大な力で剣を操れるとされている。それは騎士団長であり歴戦の戦士であるガレインすらも凌いでしまうほどに。
「そ……そんな。俺の力が……こんな小娘に」
「さっさと立ち去りなさい屑。お前みたいな醜い男は、あたしたちの城に必要ないわ。その汚い獣の血で、部屋を汚したくないの。言葉……通じているかしら?」
勇者エリーゼはサディスティックな笑みを浮かべ、剣を構えた。
女神の力は一つだけではない。その気になれば、ガレインに幻覚を見せたり、病や呪いを付与したり、暴虐の限りを尽くすことができる。
「ぐ……ぐ……ぐぐぐ……ぐ……」
ガレインは口から血を流すほどに、歯を食いしばっていた。しかしやがては剣を収め、ゆっくりとこの部屋を立ち去っていた。
わずかばかりに残った理性が、彼を押しとどめてくれたようだ。
「陛下っ!」
ここで、カールは声をあげた。
「おお? 先ほどから控えておるお前は、見覚えがあるのぅ」
「僕は北方の村で発生した奇病の調査に向かったカールです。レベッカ教授の助手を務めています」
「おお……レベッカの助手か」
教授のレベッカは医学・薬学方面で大変優秀な人物であり、その成果からいくつかの勲章を授与されている。そのため彼女の名前は国王にも通じる。
「…………」
本来ならここで、クロイスの悪口を吹き込むつもりだった。
だがカールはそこまで馬鹿ではない。
教授のレベッカには及ばないものの、医学・薬学分野の研究はそれなりのものだ。
馬鹿ではないから、理解している。
ここでクロイスを馬鹿にしては、ガレインの二の舞だ。たとえ低学歴でもトイレ掃除しかできない無能でも、空気を読んで触れておかないのがベストだ。
「このたびは北方の奇病の件を中間報告ということで参りました。現在、、患者の人数とその範囲は……」
「おお……北方。そういえばクロイスの奴も北の出身じゃったな」
「……クロイス、ですか?」
「カールよ。そなたに命令する。現地のレベッカ教授とともに、あの男……トイレ清掃員のクロイスをこの地に連れ戻してくるのじゃ。再び雇い直してやるとな」
馬鹿にして、追い出して。そのあとに連れ戻す。それがどれほど面倒なことか、カールには容易に想像がついた。
一瞬、カールはクロイスのことなど知らないとしらを切ろうとした。
しかし、すぐに思い直す。
すでにクロイスはレベッカと関係をもっており、遺憾ではあるが効果があるかもしれない薬を完成させた。この件が国王の耳に入る可能性は十分にある。
国王はクロイスを多少は馬鹿にしている様子だから、カールと仲たがいしていた件がばれること自体は問題ない。しかし知っているものを知らないというのはあまりにも危険だ。
そもそも王命を断ることは……平民のみならず学者や兵士にとっても危険極まりない行為だ。向こう見ずのガレインと違って、カールにはそれを跳ねのけるだけの力はなかった。
だから、精一杯この困難な任務がましになるよう……頭を使う。
「し、しかし陛下。元と同じ条件ではクロイスが戻ってこない可能性があるのでは? ここは多少待遇を良くして、陛下の器の大きさを示すべきです」
「はっはっはっ、何を馬鹿なことを。再びこの王宮に勤められるのじゃぞ? むしろ泣いて喜ぶのではないかのう? あまり清掃員ごときをつけ上がらせてしまえば、他の仕事をする者たちに示しがつかまい」
「は……はぁ、ですが」
「くどいぞ学者無勢が。これ以上わしに意見するつもりか?」
「め、滅相もございません。すぐにクロイスを連れ戻して参りますっ!」
カールは胃が痛くなるのを感じた。
もう、この件から逃げることはできそうになかった。




